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理想は、一応あったんだ。




ベタだけど、3回目のデートくらいで、手を繋いでゆっくりと歩きながらの帰り道。

「また明日」、っていう時に・・・それから・・・軽く・・・。




・・・それが、一応、私の理想の”ファーストキス”。




・・・わかってる。


すっごくベッタベタな上、周囲からは、うっわぁ乙女全開で引くわ〜なんて、言われる事間違いないから・・・

今まで、何度恋バナしても、これだけは恥ずかしくて、友達には言えなかった。



「うんうん、わかるわ。3回目のデートってなんか、そういうの意識しちゃうわよね。上手くいえないんだけど、な〜んかね。」


優貴さんはそう言って、アーモンドチョコレートを舌の上に乗せた。

リビングで、TVを見ながら芸能人が理想の恋の話をしているのを一緒に見ていた私と優貴さんも、何故かそういう話の流れになってしまった。



そして、私は思い切って”ベタベタな理想”を口にすると、やはり優貴さんは馬鹿にする事無く、頷きながら、感想を言ってくれた。

もしかしたら、笑われるかな〜なんて、思ってたけど…。

多分、優貴さんなら・・・って思って、やっぱ話してみてよかったと思った。



・・・だから、優貴さんって人が、好きだ。



綺麗だし、おしゃれだし、大人だし、なにより優しい。

こんな人が、自分の・・・

腹違いとはいえ、自分のお姉さんとして一緒に暮らしているこの現状は、始めは確かに戸惑いばかりだったけど…


今では、それが嬉しくさえ思う。


「…そう、3回目なんですよ。・・・で、いきなりホテルとかは、あり得ない。

しつこく迫ったり、酒の勢いでそういう流れに持ち込もうとか態度見えたら…もうダメ。」


それは、私なりのこだわりというか、軽い女だと思われたくないし。

そこまで言うと、私は優貴さんにファーストキスの話を振ろうと思った。

が、その前に、優貴さんはTVから視線を私に移した。



「それは、お姉さんの立場としても、止めに入りたいわね。相手蹴り飛ばしてでも。」

「…優貴さんが?飛び蹴り、ですか?」


正直…そんな優貴さん、想像できない。


「・・・飛ぶわよ?悠理の為になるなら。・・・あと、お酒は20歳になってからね。一応。」


頬杖をついて、さらりと優貴さんはそう言って、視線をTVに移しながらアーモンドチョコレートを摘んだ。


…”悠理の為”…


何気ないその単語が、どれだけ嬉しいか。

…だって、そんなのあんまり言われた事ないし、それだけ思ってくれてるんだって思えるし。


優貴さんは、きっと知らないんだろうな、と思う。

嬉しいな。と思いつつも、ふと、私は気付いた。


・・・クセ、なのだろうか。


優貴さんは必ず、粒タイプのお菓子を口の中に放り込まずに、舌の先にのせるクセがある。

優貴さんの食べ方がエロい、なんて、口が裂けても言えない。



・・・だって、私がそういう見方しているだけ、かもしれないじゃない。



一方、TVには・・・


『…恋愛対象はね、あたし結構広いですよ。60代でも良いですね。』

『ええ〜それは、ダメでしょ〜?』


『いえいえ。好きになったら、それがタイプですし、変な話、好きになったら女性でも構いませんよ。』

『え〜…それって、60代の女の人でもぉ?』


『ええ、そうですね、好きになったら、いきますね。私は。”アナタが好きなんですけど、何か?”って感じで。』


TVの中の女優さんの一言で、MCの女のタレントがきゃーきゃー言っている。

前の私なら、女優さんの言葉に『あり得ない』の一言で、バッサリ斬り捨てていたかもしれないけれど。

今なら…女優さんの『好きになったら』の話には、頷ける。


むしろ、そんな話に信じられないと言った感じで”きゃーきゃー”言ってるMCのタレントの好感度が、私の中で大きく下がった。

・・・何で、そんなに騒ぎ立てるのか意味わかんない。



(女同士でも、好きになったら構わない…か。)



優貴さんは、頬杖をつきながら、お気に入りのアーモンドチョコレートをまた摘みあげ、舌の先に載せた。

ちらりと見えるその舌を見て、私は…思い浮かべた。




…そう、そこはいつもの買い物の帰り道で…


手を繋ぎながら、学校・大学の話や、明日の天気とか御飯の話とか、そういう話をしながら…


それで、家の玄関前に着いたら、周りには誰もいなくて…。



それから、自然に…身体を寄せ合って…軽くキス。



・・・その相手は・・・




『・・・悠理。』








その、相手は・・・・・・優貴、さん・・・・・で・・・・・?








(・・・・・ッ!?)





思い浮かべた後になって、一人で勝手に恥ずかしさに包まれた私は冷蔵庫に一直線に向かうと、別に飲みたくもなかったジュースのキャップを開けた。



(・・・な、なんで!?なんで、優貴さん!?)



答えはすぐには出なかった。

いや、すぐにハッキリ出なくて良かったと・・・思う。


真後ろに、理想のキスを描いてしまった相手が座っている、のだから。






・・・・しかも・・・彼女は女性で・・・・・・私の・・・”姉”だ。






自分の部屋に入って、まず、1つ目。私は自分自身に言う。

『落ち着け。』と。


そして2つ目。私は自分自身に言う。

『今さっき浮かんだ事を、忘れろ』と。



そして・・・3つ目。私は壁に額をつけて、自分自身にこれでもかと言い聞かせる。


『もう一度、彼女と自分の関係を、整理して考えろ』と。


藤宮優貴さんは、私の異母姉妹。


優貴さんのお母さんが死んでしまって、お父さんと私の家へやって来て、一緒に暮らしている。

私と優貴さんは、異母姉妹で一緒の家に住むという状況を、気まずく思ってはいるけれど、それも、気にならなくなってきた。

腹違いではあるけれど、私の”お姉さん”である優貴さんは優しくて、おしゃれで綺麗で、時々お茶目で、大人の匂いのする素敵な人だ。


大人過ぎて、時々…子供な私の中身、何もかも見透かされてるんじゃないかと、思うほど。


優貴さんの目を見る度、そう思う。


…何もかも見透かされているとしたら、ちょっと、怖いな…。


…だって…


優貴さんの目が、今の私を見たら…きっと…




  ”ゴンッ!”




私は壁に額をぶつけて、その先の結論を破棄した。




「…う゛〜…いったぁ…!」

(…違う違う!今は、優貴さんと、私の関係を整理するのッ!)




そう。

育った環境は違うし、お母さんも違うし、


父親が一緒ってだけで、歳は私より上だから”お姉さん”。




・・・だから・・・つまり・・・









どんなに仲良くなっても、優貴さんは・・・





 [ それでも彼女は赤の他人  ]





「・・・はぁ〜・・・」

やっと、処理完了。



私の頭・・・最近、処理能力が遅いから困る。


パソコンみたいに、処理能力アップするソフトかなんか自分にも入れば良いのに。


自室にこもって、私は一人長々と考え込んでいた。

それもこれも、一瞬ではあるものの、優貴さんとキスする理想を自分の中に創り出してしまったからで。



(・・・あぁもう!・・・思い出しちゃった・・・ッ!)





  ”ゴンッ!”




私は壁に額をぶつけて、その先を思い出さないようにした。



キスなんて、ふざけてても出来る。女同士でも、私の高校は女子高だから、余計。


それに、望実が『女同士の友情のキスは、ファーストキスに入らない。ノーカウントである』と言った為に

一時期、朝の挨拶にキス、がうちのクラスで流行った事もある…。


だけど、問題は…


私、思いッ切り…優貴さんとのキスを思い浮かべた時に、感情を込めちゃった事だ…。


優貴さんとは姉妹だっていうのに。

シチュエーション的にも、友情でも、家族愛でもない感情が入ってた事は・・・

・・・今、熱くなった頬とオーバーヒート寸前の頭で、よくわかる…。



・・・・・・・・・・・一時、魔が差した、と思えばいい。


優貴さんへの憧れによる…そういう…擬似的な…そういう感情というか…うん。


(…擬似恋愛…か…)


そう思えば、楽になると思ってた。



(だけど・・・)



壁に頭を軽くコツンとぶつけて、目を瞑る。

・・・なんでだろう。どうにもスッキリしないのは。



  ”コンコン”



私の部屋をノックする音がして、私は返事をした。


「私よ、優貴。・・・ねえ、さっき壁からものすごい音がしたんだけど・・・何かあった?」

「え?いや…えと…」


頭をぶつけてました、なんて答えたら、なんでそんな事をしたのか?という話に発展する。

その先の説明なんて、出来る訳がない。


「…入って、いい?」


優貴さんの言葉に、私はどうしようかと一瞬迷った。

けれど、ドアノブがカタリと音を立てるのが先だった。


「…大丈夫?悠理。」


静かに開いたドアの隙間から、優貴さんの髪の毛と顔が少しだけこちらから見えた。


「あ、はい…。」


私の返事に対し、優貴さんは少し黙って私を見ていた。


(・・・見透かされ、る・・・?)


ドアの隙間から覗く優貴さんの左目は真っ直ぐ私を見ていた。


途端にドクンドクンと心臓が音を立てる。…それは、お母さんにイタズラや嘘がバレそうになった時と、似ている。

少しの間の後、優貴さんはドアを完全に開けて、くすりと笑って言った。


「・・・壁にぶつけたのね?赤くなってるわよ。お・で・こ。」と言って、トントンと自分の額を人差し指でさした。


確かに、ぶつけた…。ぶつけたけれど…そんなに部屋に響くとは思わなかった。


「…あ、あの…」

「待ってて。今冷やすモノ、持ってきてあげるから。」


私が、謝るより先に優貴さんはドアを閉めてしまった。


そして、急ぎ足で階段を降りる音、下のリビングのドアを開ける音…そして、すぐに閉める音が聞こえ、急ぎ足で階段を上がる音が聞こえてきた。



(優貴さん…優し過ぎ…。)



私は単に、一人で妙な考え事をして、壁に頭をぶつけただけの馬鹿やっただけなのに。


…それを心配して…あんなに急いで…。


今度はノックの音もなく、優貴さんが私の部屋に入ってきて、私の額に氷嚢を当てた。


「………冷たッ…!」

「…あ、ごめん…でも、我慢してね。・・・どう?頭、フラフラするとか、気持ち悪いとかない?」


「いえ…別に…(自分でゴンゴンぶつけただけだし…)」

「…だって、頭だもの。なんかあってからじゃ遅いし。」


「…そんなオーバーな…」と私は思わず苦笑いをした。

優貴さんも”そうかもしれないわね”と言いつつも、こう付け加えた。


「…怖いのよ。自分の周りで…人が…家族が…病気とか怪我とかすると…なんか。」

「・・・あ・・・」


優貴さんの寂しそうな笑顔に、私の苦笑いは消えた。


・・・思い出した。


優貴さん、お母さんを亡くしてからまだ1年も経ってないんだ…って。



「…優貴さん、心配かけてごめんなさい。…ちょっと、ドジっちゃって…壁にごんって。」

私がしんみりとそう言うと、優貴さんはいかにも怪しいわねという笑みを浮かべて「2回も?」と聞いた。


(・・・う・・・やっぱり、するどい・・・見透かされてるような気がする・・・。)


「……はい…2回もドジしました…。」

私の自供に、優貴さんはとりあえず納得してくれたみたいだった。


「…じゃあ、横になって。もう少し、冷やした方が良いわ。」


そう言って、私をベッドへ寝かすと、氷嚢を私の額にそっと乗せた。

そして「…他にもドジって、どこか打ってない?」と聞きながら、私の頭を撫でる。


「…別に…」

別に欲しくもない”ドジッ子(死語)”の称号を得てしまった情けない私。


優貴さんの指が時折、私の髪に触れる。

それを氷嚢の冷たさが麻痺させて、消していく。



…でも…何故だろう。

このまま、ずっと優貴さんに傍にいて、こうしていて欲しい。

そんな思いを抱いていた。



「…そんな不安そうな顔して、どうしたの?悠理。」

「え・・・?」


そんな顔してますか?と聞こうとした瞬間の事。

突然、氷嚢を取り払った優貴さんの唇が、私の冷えた額に触れた。

冷えて感覚が鈍くなっている額に、柔らかい唇が確かな”温かさ”を私に伝えた。



・・・16年生きてきて・・・心臓が、止まるかと思った。



優貴さんが、私の冷えた額に唇をつけた。温かさがすぐに伝わる。

優貴さんの長い髪で、部屋の明かりは遮られ、私の視界は薄暗くなった。


そして、優貴さんの唇の形が”ダイジョウブ”と優しく、ゆっくり額の上で変わって・・・とりあえず・・・私の思考は停止した・・・。



「・・・おやすみ。」



囁くような声で、優貴さんは微笑んで言った。

気付くと、優貴さんは私を見下ろして、微笑んでいた。


「――。」


その微笑を見て、私は、この人は腹違いの姉だとか、女性だとか、ずっと頭の中で回していた事すら忘れた。




――― 私、この人が…優貴さんが… ―――




おやすみの挨拶を済ませ、立ち上がろうとする優貴さんの袖を私は、無意識に掴んでいた。


「・・・優貴さん・・・」


私が呼ぶと、優貴さんは、どうしたの?という顔をして私を見つめた。



「・・・・・・・・・もう少し、ココにいて・・・」



私がやっとそれだけ言うと、優貴さんは再び私のベッドに腰を下ろした。



「・・・・・・学校で、何かあった?」


優貴さんはゆっくり質問した。私は優貴さんの袖を掴んだまま、子供のように答えた。


「いえ…ただ…」

「ただ?」


「・・・優貴さん、優しいから・・・甘えたくなるんです・・・イケナイってわかってても。」


私は怒られた子供のように、ぽつりぽつりと言葉を発する。


優貴さんは、綺麗で優しい。私と半分血が繋がっているのに、全然違う大人の女性。

その優しさと言葉、行動に私は甘えている。寄り添っている。

優貴さんの優しさに死んでしまった私の”お母さん”を重ねているのかも、なんて、考えた。


でも、悲しいくらい・・・私のお母さんじゃないのは、十分、自分の心が知っている。

”甘えたい”というのも、多分・・・私の甘えたいという願望は、優貴さんには違う意味でとらえられているに違いない。


私は、優貴さんの唇を額に感じた時に、全てに気付き、見てはいけない・・・その先の感情を見てしまった。



「・・・どうして、いけないの?」


「…それは…」


・・・いけない事だから。

私は、優貴さんに抱いてはいけない思いを抱えている。・・・それに、よりにもよって今、気付いてしまった。

それを、優貴さんに告げる事など、出来る訳がない。


私は、黙り込む事を決めた。


すると、優貴さんは目を閉じて静かに言った。



「・・・それは・・・私が、家族じゃ・・・ないから?」


そんな方向へ話を進めるつもりは、なかったのに、優貴さんは、本当の事を話さない私を誤解し始めた。

途端に、話は違う方向へ飛んでいく。誤解しないで、と叫びたい思いを抑えて、ただ私は違う違うと首を振る。


「ち、違います!私…優貴さんの事…ッ………ぁ……。」


思わずそこまで言葉にしてしまったが…それ以上は、口に出来なかった。

それ以上、言葉には、出来ない。したくない。・・・・・・怖い。


・・・すると、優貴さんの顔が、眼が、より真剣なものに変わった。


「……悠理…その先を言って。」


私は、首を横に振った。


(…言えない。言えないよ、優貴さん…)


「・・・お願い、言って。悠理。」


それでも、私は首を横に振った。

涙が自然と溢れ出てきて、首を横へ振り続けている内に涙の1滴が、優貴さんの方へと飛んだ。


「・・・悠理・・・。」

「……。」


優貴さんが優しい事は・・・痛い程知っている。

・・・だから、言えない。


私がカミナリで震えている時に、手を差し伸べた事。

友達関係の事を心配してくれた事、こうして、氷嚢を持ってきて来てくれた事。

”ありがとう”を何度言っても、足りない。



そして、優貴さんへの私の想いは…全く違う方向へと歩き始めている。



・・・今抱いている私のこの想いは、優しい優貴さんをきっと、物凄く困らせる。


いや、それ以前に・・・拒絶されるかもしれない。それ以上の苦痛が待っているかもしれない。

だって、私・・・”家族”の優貴さんを”家族”だと思えなくなっているのだもの。


同じ屋根の下で、暮らす人物に、こんな想いを抱くなんて、どうかしてる、とずっと考えていた。


気付くのも、言うのも、ずっとずっと怖かった。

気付いた今だって、怖い。


そして、この想いが、優貴さんに伝わるのが、怖い。

伝わった後を考えるだけで…怖くて、辛くて。


「・・・ごめんなさい・・・本当に、甘えたかっただけで…ごめんなさい・・・!」


私は、ただその言葉を繰り返した

優貴さんは、やはり黙って優しく・・・私を引き寄せ、抱き締めた。


「うん・・・わかった・・・ごめん・・・もう聞かないから・・・ごめんね。悠理・・・」



優貴さんの声に、私は泣いた。

どうして、優貴さんまで謝る必要があるんだろう。私の身勝手な想いのせいなのに。


「優、貴さ…んッ!優貴さぁ…ん!」


私は泣きながら、名前を呼んだ。


「・・・今は言えなくても・・・いつでもいいわ・・・待ってるから。」


優貴さんの両手が、私の背中を優しく撫でた。

もっときつく抱き締めて欲しいとすら思う、自分の身勝手さにますます情けなくて、また涙が溢れる。



…・・・気付かなければ良かった…。



好きな人が、傍にいるだけで幸せを感じるなんて、嘘だ。

好きな人が、傍にいて、抱き締めてくれているのが、幸せだなんて・・・理想だなんて、そんなの嘘だ…!



だって…


こんなに・・・


・・・こんなに、辛いじゃない・・・!!





――― 私…優貴さんが…好き。 ―――





そして、優貴さんは、そんな私の気持ちを知ってか知らずか・・・私を優しく抱き締めながら、微笑んでいた。

私は、ただ”…今だけは”と…その温もりに甘えるだけの子供になった。










「・・・・瀬田、酷い顔。」


学校の教室に入るなり、瑞穂がそう言った。


「まあね・・・」


けだるい返事をして、私はカバンを机に置き椅子に座ると、そのまま倒れこむように突っ伏した。

自覚している”酷い顔”を隠す為と、眠たくて体がだるいから。


優貴さんが好き。


・・・その気持ちを自覚し、認めてしまった自分。

あれから、優貴さんは・・・私が寝たフリをするまで傍にいてくれた。

・・・それから、声を殺して、また泣いた。おかげで、眠ってもこの酷い顔だ。



朝食の時、お父さんにも散々心配されたけど『…別に』と、しか言えない。

優貴さんだけは、”半分だけ”事情を知ってるので、その場で『十代の女の子には、色々あるんです。』とお父さんに言ってくれた。


すると、それを聞いたお父さんは『なんだ…お前達、本当に姉妹みたいになって…』なんて、のん気に笑って言った。


…何それ…。人の気も知らないで。


・・・笑えない。


てゆーか・・・この状況、作り出したの・・・元はといえば、お父さんじゃない・・・。


・・・笑ってんじゃないわよ・・・。


そんなやり場の無い不満と酷い顔、妙な疲労を抱えて、今日も学校へ来た。


「・・・瀬田。」


頭の上から、小声で呼ばれたが、無言で私は突っ伏したままでいた。


「・・・なんか、あった?瀬田。」


瑞穂が、続けて小さな声で、私にそう聞いた。さすがに無視は出来ないので「…ううん。別に。」と無難に答えた。

これが、聞き上手で、気分転換させてくれる専門家こと、望実じゃなくても、私は言わなかっただろう。


だけど。

今回は、相手が悪かったとしか、いえない。



「・・・・・・姉君に何かされた?」



・・・”天然爆弾。”・・・だから。



「ど、どうしてそうなるのよッ!?」



途端に顔を上げて、私が大声を出すと”天然爆弾”は雑誌を開きながら、赤い眼鏡の奥の目でじいっと私を見ていた。


「・・・姉君との間に、何かあった事は確か、みたいだね。瀬田。」

「・・・・・・・。」


・・・見抜かれた。


・・・もう、恥ずかしさと悔しさで、破裂しそう・・・助けて・・・優貴さん・・・。

勿論、無意識に私の心の中の声で助けを求めた人は、助けてくれる筈もなく。


また・・・無意識で呼んだその人の名前だけで、私の心は沸騰寸前に熱くなる始末だった。


しかも。


「・・・瀬田は、わかりやすいんだよ。」


瑞穂の爆弾2発目が投下された。


「あー!もうっ!・・・”優貴さんと同じ事”言わないでよッ!瑞穂!」


そう言うと、私は、また机に突っ伏した。


「・・・あ、ごめん。」


瑞穂の冷静な謝罪も耳に入って、抜けていく。


ねえ・・・一体、どうしたらいいの?・・・・助けてよ・・・優貴さん・・・・



「…喧嘩している訳じゃないのに、姉君と気まずい?・・・それ、吹っ切れて、解決したんじゃなかったのかい?」


窓の手すりに肘をつけながら瑞穂がそう言った。


「…そうよ。今更だけど・・・また再燃しちゃったの。」


今は休み時間。

つまらなさでは1,2を争う、野分先生の古文の授業の後は、皆ぐったりしている。

だが、瑞穂は余裕らしく、昨日の事と古文のWパンチで、余計ぐったりしている私を窓の傍へと連れ出し、窓を開けた。

新鮮な空気を教室に入れると、皆、声を揃えて「ぅのぅ〜…」と唸って息を吹き返す。

・・・次は、つまらなさでは1,2を争う数学だ。


「・・・それにしても、なんで?何かされたの?」


…額にキスされました。・・・なんて言えるか。

それで、動揺して、姉に恋してる事に気付いちゃいました。・・・なんて言えるか。


「・・・・・別に。優貴さんは関係ないよ。…別に喧嘩とかじゃないし。私が一方的に気まずいって思ってるだけ。」

「ふうん・・・・じゃあ、何…その気まずいって思う原因って…。」


「・・・・・・全部、お父さんのせいよ・・・最ッ低・・・。」

そう吐き捨てた。

昨日の出来事を引き摺っている私への、お父さんの朝の一言が、拍車をかけて私の心を濁らせていた。


 『なんだ…お前達、本当に姉妹みたいになって…』


本当の姉妹みたいになった途端、妹の私は、姉の優貴さんを好きになってしまった事に気付いてしまった。

そして、本当のちゃんとした姉妹じゃないの知ってるくせに。


そんな状況作っておいて・・・お父さんは一言、のん気に言ったのだ・・・



『なんだ…お前達、本当に姉妹みたいになって…』・・・って。



「…まあ、異母姉妹だから、ね・・・父親に関して、何か思わない方がおかしいわ。」と瑞穂はいつも通り、冷静にそう言った。


「・・・でも、その詳細なんか聞きたくないでしょ?

だって、優貴さんが私より年上って事は、優貴さんのお母さんの方が、先にお父さんに出会ってるって事なんだから。」


「普通に考えるなら…姉君のお母さんと別れてから、瀬田のお母さんを選んだ…、と。

先に優貴さんが生まれて、その2年後、瀬田が生まれたって、感じ…だよね…。」


「………だから、詳細は、わかんないの。聞きたくも無いし。」


優貴さんのお母さんは”奈津子さん”という名前で、あまり容姿は冴えない、という情報しか私の元にはない。

・・・それだけで十分だ。後は聞きたくなかったし…。


今の私は、これから優貴さんへの想いを、どうしようか…それだけで頭が痛い。

女同士で、血は半分繋がってるのに・・・”好き”なんて。

この先、優貴さんとどう顔を合わせて…どう家で過ごしたらいいのか、これから…ずっと…このままなのかって思ったら…

…もう、とにかく…それだけで、もう、精一杯で…。



・・・そして・・・その原因の元は・・・全部、お父さんのせいなんだ。



「…いや、そう考えると、ちょっとおかしくない?」と瑞穂が言った。

「・・・何が?」と私は気だるく答えた。


「優貴さん、歳は?」

「…19歳……多分。大学1年生だし。母子家庭で散々苦労して、こっちの大学入るのに推薦受けて合格したんだよ…。」


「…子供一人抱えて、姉君のお母さんは…瀬田のお父さんに何も言わなかったの?」

「だから、詳細聞いてないんだってば。優貴さん、母子家庭で苦労したんだし、そんな話ワザワザさせる訳にいかないじゃない。」


「いや、だから・・・お父さんには?」

「…聞きたくもないよ…。もし、今、お母さんが生きていて、この事知ったら……知ったら…」


私は、そこで言葉を止めた。


「・・・・・・瀬田?どうした?」


瑞穂の問いに答えず、私は、考えた。



…そういえば…私のお母さんは、奈津子さんの事を知っていたのだろうか?

もし、知ってたとしたら、傷付いていただろうな…お母さん…

それで、もし、お父さんもお父さんで、その事を黙ってお母さんと一緒になったのなら…


それから…奈津子さんは…私のお父さんの事、どう思っていたのだろう?

・・・どんな気持ちで、優貴さんを育てていたんだろう・・・?


・・・・・・・私のお母さんも、奈津子さんも死んでしまったから、今は解らないけれど。


(お父さん、本当に知らなかったのかな・・・。)


…事と次第によっては………信じたくないけど…私のお父さん…最低最悪な人間かもしれない…。

事実、優貴さんのお母さんは…優貴さんと一緒に苦労して生活していたっていう過去があるんだし…。

…私の中に、父親への怒りが沸いて来た。嫌悪感にも近い”それ”が。


黙る私に、瑞穂が肩に手をかけて、現実世界へと引き戻すように話しかけてきた。


「あ…あの…あのさ…瀬田、余計なお世話かもしれないけどさ…」

「・・・ん?」

「私、ちゃんと、瀬田のお父さんに話、聞いといた方がイイと思う。余計な誤解しないで済むし…。」


・・・余計な誤解・・・。果たして、父親が、わが子の前で、自分の女性遍歴に関わる事を、正直に話すだろうか?

今、考えてみれば、どうして、優貴さんの事…急に家で引き取ろうなんて言い出したんだろう。

・・・私という、娘がいる家に、昔の女との間に生まれた、もう一人の娘を…どうして、わざわざ…今になって…。


優貴さんだって、当初は家に来るのを遠慮していた。


・・・それって・・・やっぱり、お父さんに何か、後ろめたい事があるからじゃないの…?

そうじゃなかったら…今更、大学生の女性を子供として迎えるだろうか…。


でも、お父さんがそんな人だなんて・・・信じたくない・・・。


「そうだね…話、ね…そうだね。…でも、別にいいよ。

優貴さんと私、上手くいってるんだし、気まずいのもこうなったのも全部、お父さんのせいだもん。

・・・これ以上、こじれたくないもん。」


優貴さんへの想いを堪えるのは辛いけど…今更、優貴さんを家から追い出すなんて出来る筈無い。

それに…こんな状況になったのは、元々は全部、身勝手な大人達の…父親のせいだし。

・・・そうやって、私は被害者を装った。そんな私に瑞穂は、こう言った。


「いや、瀬田。それは…違うかもしれないじゃない?…そ…それにさ…」

「・・・それに、何?」


瑞穂は、普段の瑞穂には珍しく、少し言いにくそうな顔をしていた。

やがて、私が何?と聞き返すと、これまた珍しく、ぽつりと、控えめにこう言ったのだ。


「・・・瀬田・・・あのさ・・・藤宮さ・・・いや、”優貴さん”の事、あんまり信用しない方が良いと思う。」


その一言に、私は瑞穂の目を見た。

普段から言い馴れてるだろう、親しげな呼び名も癇に障ったといえば、そうかもしれない。


「・・・・・・何?ソレ・・・。」


声が少し震えた。心の中で一種の何かが、もう少しで…どうにかなりそうに…



(・・・ドウイウ イミ? )



「…だから…”優貴さん”は、瀬田の思っているような人じゃないかもし…ッ!!」



(・・・アンタ ガ ユキサン ノ ナニヲ シッテルノ・・・?)



そう思うと、同時に。



  ”パシンッ!”




私は、瑞穂の台詞を遮っていた。

気付いたら、私は、瑞穂の頬を平手打ちしていたのだった。瑞穂の眼鏡が飛んで、教室の床にカシャンという音を立てて、落ちた。


その瞬間、教室は静まり返り、凍りついた。


まず私は、望実に強制的に瑞穂と距離を離された。よく覚えてないけど、確か落ち着けと言われながら、椅子に座らされた気がする。

そして、瑞穂は望実が保健室へと連れて行った。


「・・・・・・・ホント、今日は最ッ低・・・。」


机に再び突っ伏した私の頭には、やっぱり優貴さんのあの笑顔しか、浮かんでこなかった・・・。





「ねえねえ!今の何!?」「瑞穂と何があったの!?」

と最初は、きゃーきゃー言っていた周囲の友達も・・・

私の”酷い”プラス”不機嫌”全開の顔を見て、今聞いちゃいけないと空気を読んで素直に席に戻ってくれた。


「事情は聞いた。…まあ…その、大体気持ちはわかる。大体ね。」と望実は言った。

”大体の事情”を瑞穂から保健室で聞いたらしい望実は、私に”ストレスにはコレ”とグミを差し出した。

私は、とりあえずそれを一粒摘み上げた。そして、優貴さんの真似をして、舌の上に乗せて、口の中に入れて、噛まずにただ転がした。


(…酸っぱ…)


「・・・まあ・・・瑞穂なりに、悩んでる悠理にアドバイスしたんだと思うよ。」


望実は、クラスの相談室みたいなヤツだ。揉め事には「あーもう、やだなー」なんて言いながら、頭を突っ込んでくる。

でも、そんな望実の気遣いすら、今の私には不必要なくらいで。


『・・・瀬田・・・あのさ・・・藤宮さ・・・いや、”優貴さん”の事、あんまり信用しない方が良いと思う。』


「アドバイスなんかじゃない。」と私が言うと、望実はこう返した。


「・・・じゃあ、それにムキになって、友人の頬ブッ叩きましたって言って、あの優貴さんが喜ぶかね?」

「・・・・・・サスペンスドラマみたいに、諭すのやめてよ。」


私は再び机に顔を伏せた。そんな私の悪い頭を撫でながら、望実は言った。


「”信用するな”なんて・・・赤の他人のあたしらが口を出して良い事じゃないからさ、それは…瑞穂にも、あたしは言ったよ。」


望実は興奮した馬を撫でるように、私の頭を撫でた。

私は私で、優貴さんの掌の感触を思い出し、望実のそれとを比べていた。


…やっぱり、違うな、と感じてた。

自分のしでかした事の尻拭いをしてくれた望実の話は、耳を通り抜けて頭に残る事無く耳から出て行った。

頭を撫でられても…思い浮かべるのは、優貴さんだった。



(・・・酸っぱ・・・)




話半分しか聞いていない、そんな私に、望実は言った。


「・・・とにかく、瑞穂と一回、話しな。あんま時間あくと、仲直りしにくいからさ。第一、あっちが謝りたいって言って、泣いてた。」

「・・・あの、瑞穂が・・・?」


思わず、最後の言葉に私は反応してしまった。


「悠理が、ビンタかますくらいなんだから、よっぽど怒るような事言ったんだって、わかったんじゃないかい?」


望実はそう言ったが、あの時の私は・・・


「それ、私がいつも大人しくてイイコのイメージ付いてるからでしょ…私だって怒る時は、怒るし…」


あの時の私は確かに怒ってはいたけど、落ち着いた今、自分でも驚くくらいの行動を起こしたと思う。

どんなに腹が立っても、実際人を叩くなんて…人生振り返っても、そんな出来事なかった。



「いやぁ…エゲツないビンタだったねぇ〜。でも、悠理のそういう一面、あって良いんじゃない?

・・・それに、あんなビンタ見たら、普通にびっくりコキ麿、だから。」


「・・・ふっ・・・なにそれ・・・。」


望実のつまらないギャグに、不覚にも私は笑ってしまった。


「もうさ・・・悠理がイイコとか悪い子とかさ、関係ないよ。大体・・・悠理は悠理っしょ。」


「・・・・・。」


「まあ・・・目の前で友達が喧嘩したのを目撃した第三者としての意見だけど、さ・・・。

お互い悪い所はあった。そこは謝ろう?」

「・・・・・・うん。」


「ま、要は・・・あたしは、あんたらの仲直り、推進してるんですって事よ。」


「・・・・わかった・・・。」


『悠理は悠理っしょ?』なんて軽く言われても、それがどんなに定番の言葉かも解っていたけれど…その言葉に少しだけ救われた気がした。

イイコを演じてる、イメージ先行型の生き方をしてる私には…特に。

そんな望実に後押しされて、私は瑞穂と仲直りする事になった。

だが、その日・・・瑞穂は教室に戻ってこなかった。望実によると、まだ、保健室にいるらしい。


放課後。


保健室に行くと、保健室の先生は大きな体を揺らしながら、『お、どうした?』と挨拶代わりに聞いた。

ふくよかな身体が特徴的な保健室の先生、三田先生は、明るくて見た目も手伝って、どっちかというと食堂のオバちゃんみたいなイメージがあった。

憎めないキャラというか、話せば癒し系という彼女は、学校の教師の中で一番、話を聞いてくれるからだ。

悩みを抱える生徒が保健室にいなかった試しは、なかった。


「・・・瑞穂、います?」という私の問いに、笑顔でカーテンで閉めきられた奥から2番目ベッドを人差し指でさした。


私の一言で、先生はニッコリと笑って、肩をぽんぽんと軽く叩いた。

・・・どうやら、先生も”大体の事情”は知っているらしい事は解った。


カーテンを開けて、中に入ると瑞穂が眼鏡を外して座っていた。

赤くなった右の頬がまず、視界に入った。枕元には頬にあてられていた氷嚢があった。


「・・・あ、瀬田・・・来てくれたんだ・・・あの・・・」

「ごめん。」瑞穂よりも先に、私は言った。


「いや…それは、私が…」と瑞穂が言いかけたが「いいの。」と、それも私は遮った。


「・・・帰ろう。」


私が差し出した瑞穂のカバンを見て、瑞穂は静かに頷き、それを受け取って立ち上がった。

夕日が差す静かな廊下を2人で歩いた。



「痛かった、よね…?ごめん。」と私が言うと

「いや、まず私がそういう事したんだから・・・ゴメン」と瑞穂が返した。


「でも、あそこまでする事、無かったと思うから…ごめん。」と私が言うと「いや、私が悪いから・・・ゴメン。」


どっちも”ゴメンの連呼”ばかりで、話らしい話が進まない。

仲直り出来ているのかはわからない、微妙な距離を感じつつ、私は階段を降りた。


「…あのさ、優貴さんの事…だけど…」


瑞穂が階段を降りる前に、私に突然、その話を切り出した。




―――どうして、優貴さんを信用してはいけないのか。




「・・・うん、何?」


今度は、冷静に聞こうと思う。瑞穂が優貴さんの何を知っていても、それにいちいち反応する事なんかないのだ。


「優貴さんの事、私・・・瀬田の気持ちも考えないで、酷い事言って、本当にゴメン・・・」


夕日が瑞穂の背中に当たって、表情がよくわからない。目を細めて、瑞穂を見る。

・・・まだ赤みが残っている右の頬は私のせいだ。


「私・・・瀬田が・・・心、配で・・・」


あの瑞穂の声が、震えている。もしかして、また・・・泣いているのだろうか。


「・・・大丈夫だよ。そんな心配しなくても・・・もう、大丈夫だから。」


私が、勝手に優貴さんを好きになっただけ。

それだけの事で、私の心は乱れに乱れて、処理に追われて精一杯な状態だった。


でも、いいんだ。『悠理の悠理っしょ』って言った望実のように、軽く見方を変えれば良いだけ。


軽く。軽く。『しょうがないじゃん、好きになっちゃったんだから』って・・・軽く。

・・・軽くても、結論が自分の中に出てきてくれて、今の私はホッとしている。


「・・・ううん・・・違、うん…だ・・・」

「・・・違うって、どういう事?優貴さんの事?」


階段の上から、震える声が降って来る。

・・・きっと、優貴さんの事を信用するなって言った理由だろう。

何を言われても、気にする事は無い。今度は怒らない。軽く軽く受け流そう。


「・・・違、う・・・。

瀬田の事、心配で、放っておけないのは・・・・・・私、瀬田が・・・・・・・・・・好き、だから。」



「・・・・・え・・・。」



・・・・爆弾が、再び爆発した。


不発弾が、一気に爆発するかのような、そんな・・・感じ。

その”好き”の意味は、聞き返さなくても解った。嫌なくらい、似ていたから。


「……瀬田は、きっと……その…好きな人が、いるんだろうけど…

私が勝手に、好きなだけ、だから…別にどうして欲しいって訳じゃないから。」


震える声と、呼吸の仕方で、瑞穂が泣いているのが分かった。


「・・・だから、ゴメン、ナサイ・・・。」


(何、ソレ・・・。)



私は、膝から崩れ落ちそうになった。

瑞穂が、私に”優貴さんを信用するな”と言ったのは・・・そういう意味だったのか?と。

そして・・・”なんで今、そういう事、言うのよ”・・・とも思った。



「・・・だから・・・私、瀬田の嫌な事は、言わない、し…。力に、なるよ、いつでも…。」



そう言って、赤い右の頬の瑞穂は、悲しそうに笑った。それは・・・初めて、見た表情だった。

報われない・きっと相手が困惑するだろう・・・その想いには、私にも覚えがあった。


だから、瑞穂の好きの意味も聞き返さずとも、解りたくもないけれど・・・解ってしまった。

そして、それに対して、優しさを纏った言葉を口に出そうとするのだが、なかなか上手く出てこない。


・・・まるで、自分自身を見ているみたいで。


「・・・あの・・・瑞穂・・・あの、気持ちは嬉し…」


そこまで言って、私の頭には優貴さんの顔が浮かぶ。

きっと、私が優貴さんに想いを伝えたら…こう、言うんじゃないか…と思う。


階段の上の爆弾は、私に似ていた。

恋をする人間が違うだけで。


性別は、一緒で。


・・・でも、私の場合は同じ部分もあるけど・・・もっと、違う・・・。


「…解ってる。だから、言ったでしょ。勝手に想ってるだけだって。

私は…瀬田の気持ちも、瀬田が良いヤツだって知ってるからさ・・・だからさ・・・良いんだよ、別に。・・・何も言わなくても。」


何を言われても軽く受け流そうなんて、謝って仲直りすれば済むと、軽く考えていた1分前に戻りたい。


ただ、心が重くて、重くて、辛くて・・・とてもじゃないけど、耐え切れなかった。



「・・・ご・・・・・・・ごめん、瑞穂・・・!」



そう言って、私は階段を素早く降りた。瑞穂の足音は付いて来なかった。

私は、制服の裾をぎゅっと握り、自分の行為を後悔した。



私達の理想は・・・叶える事が、難しい。



瑞穂は友達で、同性だ。

優貴さんは同性で、私の姉だ。


その変わること無い事実を・・・ままならない現実を、ただ受け止めて…ただ、前へ進むしかなく。

私へ想いを告げた瑞穂は前へ進めたのか、私には解らない。

ただ、私がゴメンの言葉で瑞穂の想いを断ち切ってしまった結果が残った。


私は、姉・・・優貴さんが好きなのだ。


何も言わなくても良い、と私にかけた瑞穂の言葉は、想いを断ち切った私の罪悪感を減らしてくれる為だろうか

それとも、辛いから私にそれ以上、何も言って欲しくなかっただけ、だろうか。


・・・それでも。あんな事があった後でも、私は、何度も何度も思い描いている。


優貴さんと過ごす時間を。

優貴さんの微笑みを一番傍で見ていたいと思う気持ち。

額に押し当てられた優貴さんの唇を、今度は自分の唇に押し当てたいという願望を。


・・・そんな・・・あり得ない事を・・・ただ想う。


”ありえない事だから理想”なんだ、と感じ、その理想は、叶わないのだと、自分に言い聞かせる。

そして、改めて…姉への許されない想いは、軽く考えられる訳が無いのだ、と突きつけられた気がした。



その日、学校からの帰り道、私は俯いたまま・・・泣きながら帰った。


何故、こんなに涙が止まらないのだろうか。



・・・友人をぶってしまった後悔か・・・

友人の想いを知っても、ゴメンしか言えなかった自分への悔しさか・・・

瑞穂と同じように、叶う事のない想いを抱える辛さか・・・



・・・それとも・・・彼女が”姉”として、私の傍にいる事か・・・





「・・・悠理?」




「…優、貴さ、ん…」





・・・あぁ、この人はどうして・・・こんな時に・・・私の前に現れるのだろう。



いっそ、出会わなければ、良かったのに。



”姉”なんか要らなかったのに。

どうして、こんな形で出会ってしまったんだろう。

私は、生まれて初めて、心の底から、父を恨み、呪った。




「悠理?どうしたの?どうして…泣いてるの…?」



駆け寄ってくる優貴さんに、私は堪えきれず、彼女の腕に飛び込むように抱きついた。


「優貴さん…何も、聞かないで……このままでいて……お願い…ッ」


私の掠れた声に優貴さんは、すぐに痛い程、私を抱き締めてくれた。そして、また気付かなければ良かった想いに気付く。



 『私、この人じゃないとダメなんだ・・・』と。



それは、偶然なのだと思う。・・・運命、だなんて思わない方が良い。

それでも優貴さんと帰り道に出会ってしまった私は、迷う事無く、優貴さんの胸に飛び込んでしまった。

優貴さんは、何も言わずに抱き締めてくれた上、そのまま私を家まで手を繋いで連れて帰ってくれた。




「・・・はい。とりあえず・・・飲んで。」

家に帰るなり、私はいつものソファに座らされた。

その後、優貴さんはすっかり慣れた台所に入り、私にココアを入れてくれた。


「・・・ありがと・・・優貴さん・・・」

「うん。」


優貴さんは、本当に何も聞かずに、黙って私と一緒にココアを飲んだ。

なかなか冷めない熱いココアをちびちびと飲みながら、私は今日の出来事を話そうか、どうしようか、迷った。


ふと、隣に座る優貴さんが私の頭を撫でた。ちらりと私が見ると、優貴さんは微笑んでいた。

ゆっくりと瞬きをして、首を少し動かし、まるで”何も言わなくても良いから” と私に語りかけるように優貴さんは微笑んだままで、私の傍にいてくれた。

それが、妙に私を安心させてくれた。

リビングに差し込む柔らかい夕日の光。時計の音だけが響く。

時間が、ゆっくり、ゆっくりと流れていくような感覚と、ココアの甘い香りが、私を少しずつ落ち着かせてくれた。

いつも暇なら携帯電話のボタンを押して、芸能人のBLOGを見たりゲームをしたり…

ベッドで寝転んで、漫画や雑誌を読んだりする・・・そういう時間とはまるで違う、初めて過ごす時間だった。


ただ、なんとなく、ぼうっとする時間・・・。


そんなの過ごすだけ、無駄だと思っていた。

でも、それは私自身が、時間が余っている時は何かしなければいけない・・・なんて思い込んでいたみたいで。

いつも一人で家にいる事が多いせいもあり、孤独感が強くなるから暇な時間は何かして気を紛らわせる癖のようなものが、ついていたのかもしれない。


だけど。

少なくとも、今の私にとって、リビングで優貴さんと2人、ただココアを飲む今この時は、無駄ま時間なんかじゃなかった。

なにより、さっきまで、あんなに取り乱していた私は、すっかり落ち着いていて。

先程の出来事など、何事も無かったように、ぼうっとしていた。


「・・・おいしい。」


程良い温度になったココアを口にした私は、無意識にそう呟いた。

本当に、美味しく感じた。柔らかい甘みが口に広がって・・・誰かがいれてくれただけのココア。

でも、その”誰か”が違うだけで、ゲンキンな私は、美味しく感じるのかもしれない。


「・・・本当ね。」


優貴さんも呟くようにそう言った。・・・そして、やっぱり私に何も聞こうとはしなかった。

話そうかどうしようかは、まだ迷っていた。


迷っているのは、優貴さんへの想いじゃない。


・・・瑞穂との事だった。


でも今は、まだ・・・話したくない。このゆったりとした時間に浸っていたかった。


だが、床に置かれた私のカバンから携帯のバイブレーション音がリビングに響いた。

メールでは無いらしく、ずっと鳴り続けている。


電話の主は・・・瑞穂、だろうか。


「出ないの?」と優貴さんは私の方を向いたが、私は苦笑しながら首を横に振った。


「そっか・・・」と優貴さんは言ってから「もう一杯飲む?」と聞いてきた。私は、それにも首を横に振った。


まだココアが残っていたせいもあるが、今はゆったりとこの時間を過ごしていたかった。

・・・・・・優貴さんの隣で。もう少し、このまま・・・。


だけど、今度はリビングに電話の音が響いた。


すると優貴さんは立ち上がり、受話器を持ち上げると「はい・・・・・・瀬田、です。」とたどたどしい口調で電話に出た。


(…優貴さんの本名”藤宮”だもんね…。)


「・・・はい、優貴です。・・・・・・ええ・・・ええ、会議?・・・はい、わかりました。

夕食は……あ、そうですか。わかりました。…悠理ちゃんは、帰って来てます。はい。」


その会話の内容からして・・・電話の主は、多分、お父さんだろう。

・・・優貴さんは未だに、お父さんに敬語を使っている。

家の台所には慣れても、まだ、お父さんとの接し方には慣れてないみたいで・・・まあ、それもそうだろうな、と思う。


私は、私で・・・自分が電話に出なくて良かった、と内心、安心していた。

・・・今日は、お父さんともあまり話したくなかったし。


「・・・面倒見ていたゼミの生徒が、なんか事件・・・起こしちゃったんだって。それで緊急会議開かれるから遅くなるんだって。

・・・で、夕食は食べてくるから、私達だけで先に済ませちゃっていいって。」


「・・・へえ・・・。」


最近、妙にお父さんはこういうトラブルに巻き込まれがちだ。

同僚の教授が、セクハラで懲戒免職とか、その度に会議があって、呼び出されるらしい。

でも、その後大抵、1,2杯どこかでお酒をひっかけてくる。


「…大変よね…大学の先生っていうのも…。」

「・・・ええ・・・まあ。」


・・・今の私は、お父さんの事を、ちゃんと今まで通り”お父さん”として見られるだろうか。

私と優貴さんが異母姉妹になった”原因”を作り、一つ屋根の下で暮らす、というこの状況を作り出した人なんだから。

今は、恨みのようなモノしか、出ないような気がしてならない・・・。


「じゃあ、悠理・・・夕飯、何にしよっか?」と優貴さんの定番の台詞が聞こえた。

いつもなら”なんでもいいんですけど”と答えるんだけど…

「・・・あの・・・優貴さんの・・・あのパスタが良いです。」


無性に食べたくなったので、正直にそう言った。すると優貴さんは”意外”という表情の後、ふっと笑った。


「あぁ、あのトマトソースの?」

「・・・はい。」


「そっか、気に入って…くれたんだ?」

「はい。」


優貴さんは、嬉しそうに笑うので・・・つられて私も笑顔になる。


「・・・うん、わかった。・・・トマト缶は、あると思うけど・・・茄子、あったかなぁ?茄子じゃなくても、まあ大丈夫だろうけど。」


私は、ココアを飲み干すと台所へマグカップを運ぼうとしたら、優貴さんが手を差し出した。マグカップを運んでくれるらしい。


「ねえ悠理・・・なんかあったら、話したい時に、話していいのよ。…そういう位置の、人間だから、私。」


そう言って優貴さんは、また笑った。今度は、つられて笑えなかった。

・・・そういう位置、とは”姉”という位置だろうか。


それとも・・・


そんな事を考えている私の頭に、ふと、瑞穂の姿がよぎる。


私の心に、ずっしりと重みと辛さを与えた出来事。


『瀬田が好きだから。』


今だって、まだ軽くなった訳じゃない。

頭で処理しようにも、その処理が追いついていないのだから。


今、優貴さんに話して、楽になってしまいたい…。

…そう思ったけど、どこから、どう話せば良いのかわからないし…瑞穂とは、多分もう…普通に話せない気がした。

これから、あの友人とどう接したら傷つけ合わずに済むのだろう、って事しか頭に浮かんでこないだろうな…と思った。

なんてイイコぶった考え方だろう。私って…こんな時まで…と呆れる。


・・・やっぱり、優貴さんに相談すべき、だろうか・・・。


でも、今回の事は・・・話している内に、私の気持ちまで優貴さんに、うっすらとバレてしまいそうな気もする・・・。


・・・・・・いや、優貴さんが、私の気持ちを察してくれたら・・・もしかして・・・。


・・・もしかして、私の想いは少しは届・・・



「あぁ・・・やっぱり、茄子ないわね・・・ねえ、悠理、ほうれん草でも良いかしら?」


台所にいた優貴さんは、冷蔵庫の扉をぱたんと閉めて、私にそう聞いてきた。


「・・・・・・あ、はい、全然構わないです。」


優貴さんの笑顔を見て、私は思った。


瑞穂の事についての相談は、とりあえず、今はやめておこう。

そして、自分の優貴さんに対する気持ちは、絶対に言わない方が良い。・・・そう思った。


・・・好きな人の微笑みが、こうして一番近くで見られるのだ。


『私が勝手に、好きなだけ、だから…。』


瑞穂はそう言った。

・・・私も、そうだ。


優貴さんが、異母姉妹だとしても。


・・・・私が、勝手に彼女を好きなだけ。



・・・彼女と想いが通じ合う事・・・なんて・・・。


・・・理想は・・・所詮、理想だ。


”そうなったら良いなぁ”程度で留めておけばいい。それ以上は・・・今はする必要が無い。

優貴さんと過ごしている今、この時間が何より、私にとって大事なのだから。


もっと優貴さんを知りたい。

あの日、額に押し当てられた優貴さんの唇を、今度は自分の唇に押し当てたいという願望なんてものは、全く無い・・・といえば嘘になるけれど・・・。


でも。


今は、優貴さんの微笑みを一番傍で見られる、自分のこの位置・・・”妹”という位置を優先しようと思う。

たった数十分前に・・・友人の”想い”を断ち切ってしまった私には、とてもじゃないが・・・

この想いを口にするなんて、出来そうも無い。


同性に恋愛感情を持つ事は悪い事じゃない。それは、心からそう思う。

でも、それが・・・いざ自分に、向けられる事の重さを知ってしまった、今。


…同じ事を同じ屋根の下で暮らす優貴さんに言えるかと言えば…言えない。

勿論、今”私、優貴さんが好きです”なんて、言う必要もない。

大体、そんな勇気もなければ、その後に訪れるだろう痛みに耐える事も・・・私には出来無いだろう。


「・・・優貴さん、私、手伝います。」


私は、そう言って笑った。優貴さんは、それを見て笑い返してくれた。


・・・・・そうだ、これで・・・良いんだ・・・。


そして、私のカバンからは携帯電話のバイブレーションの音は、しなくなった。



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