-->






そのファーストフード店は、夏休みと新メニューの発売が重なって、結構賑わっていた。

そして、その新メニューのセットを頼んだせいで、望実と私は番号札を持って待たされる羽目になった。


「その1・メールで謝る。 その2・あたしが呼び出すから、そこで悠理が出てきて直接謝る。・・・はい、どっち?」


私が、番号札をテーブルに置いた瞬間、席を確保しておいた望実が嫌な選択問題を出してきた。


「・・・待ってよ、詳しい事情聞いてくれるんじゃなかったの?望実。」


席について、バッグを椅子に置き、携帯電話をテーブルに置きながら私がそう言うと、望実は携帯をパタンと閉じて同じくテーブルの上に置いた。


「あ、そういえば、そうか・・・じゃあ聞くけどー、聞くけどさー・・・


悠理、夏休み突入前に仲直りするって言ってたのに、なんで余計こじれてんのよー?」


望実は、望実らしく、ズバリとストレートに聞いてきた。

だけど、私は私で、ストレートに答える訳にはいかない。


「・・・うん、それは私が・・・悪いの。瑞穂に謝るつもりが・・・謝ってないっていうか・・・」

言葉を濁す私に、望実は足を組んで言った。

「・・・うーん・・・悠理、それはあたしが聞いた話と違うなぁ。」

そう言い終わると、だるだるになったロングTシャツに隠れているブラの紐を元の位置に直した。


「・・・あ・・・瑞穂は、望実に何か・・・言ってたの?」

「瀬田には謝ってもらったけど、自分が余計な事言っただけで瀬田は悪くないってさ。」



(・・・やば。)

思い切り、話が食い違っちゃってる・・・。


「ねえ、どーなってんの?もうぶっちゃけちゃえって。楽になるから。」

「だから、刑事みたいに諭さないでって・・・」


だからって、ホイホイ簡単に言う訳にはいかないんだって。

私と瑞穂を気まずくさせているのは、瑞穂からの”告白”だった。



”優貴さんを信用しない方がいい”と言われた後に、突然伝えられた”想い”に、私は耐えられなかった。

私は、その時・・・咄嗟に”同性への叶う事のない想い”を勝手に自分自身の恋愛に重ねた。


友達だと思っていた同性に、突然”想い”を伝えられても、ただ”困惑”した。

それを勝手に自分の抱えている恋愛と重ねた。

同性で、異母姉妹の優貴さんに想いを抱く自分が、まるで目の前にいるような気がして。


優貴さんに想いを伝える自分を見ているみたいで、怖かった。

その時間と空気の重みに耐え切れず。


突然のその出来事にただ驚いて、最後までちゃんと聞いてあげられる事もなく。


私は、ただ逃げた。

そして、私はまだ逃げている。

それが、本日の瑞穂と私の間に溝を作っている理由だ。



  [ それでも彼女は赤の他人 ]



「・・・でも・・・瑞穂との溝掘ったのは、本当に私の方だよ。・・・現に、あの後、電話とか出なかったし、メールのやり取りもない・・・。」


一応、それを妥当な”理由”にしてみる。

だけど・・・。


「・・・・・それは、悠理なりの理由があるんでしょ?出たくなかった理由が、さ。」

「理由って・・・」

「なんていうの?・・・アンタってさ、なんだかんだで良いヤツなんだよねぇ、それがいきなりの着拒でしょ?

なんか、あるって思うんだけど・・・違うかー?」


鋭い追及が続き、もう何も言えない、と思った瞬間。


「お待たせいたしましたー。」


タイミングバッチリに注文したセットがテーブルに置かれた。


「あーどうもー。・・・・・・ま、喰うべ。」


望実は、ウェットティッシュで軽く手を拭くと、ハンバーガーの包みを開けた。

私はストローの袋を破りながら、何をどう言おうかシェイクを飲みながら考えていた。


「・・・瑞穂は、確かに妙な事を言うヤツだけどさ・・・今回みたいな長期戦ケンカ?みたいなのって、うちら初めてだよねー?」


望実もストローの袋を破ってシェイクを飲む。


「・・・ごめん、望実にまで巻き込んで・・・なんか大事にしちゃって・・・」

「巻き込め巻き込めー。友達なんだからさー。・・・あ、美味い。ほら、冷めるよ。」


食事しながら、器用に望実は喋った。私も、新メニューに手を出す。


「・・・うん、ありがと・・・。」

「ていうかさ、悠理が・・・休み前に、学校であそこまでキレちゃったのがさ・・・うちらにとっては、超ビックリなんだよね。」


「・・・そ、そんなにキレてた?私・・・」

「悠理とビンタは無縁だと思ってたもん・・・うちらの勝手なイメージだけど。あたしも最初は、そう思ってたしさ・・・

意外な一面だなとも思ったけど・・・でもさ、だからさ・・・なんか・・・”よっぽど”なんだなって思った。」


「・・・・よっぽどって・・・?」

「優貴姉さんの事、悪く言われてキレてビンタってのは、やり過ぎだーって、あの時はあたし言ったけどさぁ・・・。

花火大会ん時で、優貴姉さんと一緒の所見て、なんか・・・悠理があそこまでしたの、なんか分かった気がした。」

「・・・え・・・?」


「”お姉さん大ッ好きですオーラ丸出し”なんだもん。あたし、アレ見てさー・・・

悠理が優貴さんの事、言われてあそこで怒るのは、やっぱ当然だよなーって思った。

これまでだって、悠理がさ、悩んであたしに相談持ちかけたのって・・・優貴さんに関する事が、初めてだった気するしー。

だから、余計・・・そんだけ、大事な存在になったんだな〜って。」


「え・・・ええ!?そ、そう?」


「・・・だ〜か〜ら〜、分かりやすいんだって。悠理は。・・・美咲達にお姉さん取られてる時、結構、複雑そうな顔してたじゃん。」

「そ、そんな事ないってば・・・!」


私自身、そんな顔した覚えが、全く無いんだけど・・・。

(もしかして、無意識にそんな顔してたの?私・・・)と私はハンバーガーにかぶりついて、誤魔化す。


「まあ、一人っ子にいきなり包容力のある美人のお姉さんが出来たら、そりゃあねぇ・・・」


意味有り気にニヤニヤしながら口の周りのソースを舐める望実に、私は反論する。


「・・・変な言い方しないでよ!・・・お願いだから・・・。」

「別にレズだって言ってる訳じゃないんだから、良いじゃん。それにさ、仲悪いよりよっぽど、良いと思うよ。仲良し姉妹って。」

「・・・・・う、うん。」


何気ない望実の言葉が、何故かズシンと全身にのしかかる。


・・・簡単な言葉に出すと、私ってレズなのかな・・・。

ずっと・・・単に”優貴さんに恋してるんだ”って言葉でなんとか言い換えてきたけど・・・。

今まで、好きになってきたのは・・・男の子だったのに・・・。

どうして優貴さんの場合は、あんなに・・・どんどん・・・転がり落ちていくように好きになっていったんだろう・・・

気が付いたら・・・こんな筈じゃなかったってくらい、好きになってる自分自身に驚くし、今だって戸惑いはある。

でも、事実・・・私は優貴さんが好き。その想いは、姉とか憧れなんてものを軽く越えているのは、嫌でも脳も身体も知っている。


「あ、で・・・話戻すけどー・・・いい?」

「う、うん。」


ボーっとする私に望実が話しかける。


「・・・えーとどこまで話したっけ・・・あ、そうそう。瑞穂曰くね・・・何の”根拠もなく”優貴さんを信用するなって言った訳じゃないんだってさ。

・・・・・・・いや、それにしてもマジ、美味いコレ・・・玉子つくねぎバーガー・・・期間限定ってもったいなくね?」


「・・・うん、美味しいコレ。・・・で・・・どういう事?」


「あー・・・ホラ、優貴さんのお母さん、超苦労したって話じゃん?

それって・・・まあ、悠理の親父さんも少なからず関係してるっていうか、責任みたいなのあるんじゃねーの?って。」

「・・・そ、そうだけど・・・それが、何の根拠に?」


大体、責任を感じたからお父さんは、優貴さんを家に迎え入れたって話だし・・・。

優貴さんと優貴さんのお母さんが苦労した原因の一つに、少なからずお父さんが関係しているのは、確かに言える。

だからって、お父さんに優貴さんのお母さんとの間に何があったのかなんて、聞こうとも思わないけど・・・。


「・・・だからさー・・・優貴さんが、親父さんと悠理に、本当にな〜んにも気にしてないのって逆に不自然じゃね?って事。」

「つまり・・・優貴さんが、私とお父さんを憎んでないとおかしいって、事?」


「まあ、簡単に言うと・・・優貴さん”人が良過ぎ”なんだよ。・・・だって、お母さん苦労の末に死んでる訳じゃん?」

「・・・・・・・・・」

思わず、私はハンバーガーを口に持っていこうとする手を止めて、口を閉じて、望実をジッと見る。


「・・・あー待って。ビンタは止めて。睨まないで。・・・これ、瑞穂のいってた主張の”説明”ですから。」


そう言われて、私はまた自分の表情に、無意識に感情が浮き出てるのを再確認させられた。

・・・いけない、いけない。冷静に、冷静に。


シェイクを一口飲んで、一呼吸おいてから私は言った。


「・・・何度も言うけど・・・優貴さんは、そんな人じゃないよ。お父さんの事、恨んでないって言ったもん。

それに、お父さんに複雑な気分抱いてるのは、私だって一緒だよ。

いきなりお姉さんいますって言われてさ・・・でも優貴さんは、自分から私に話しかけてきてくれてさ・・・」



『…私、悠理ちゃんの事、好きよ。…父の事も、恨んでなんか、いないわ。だって…父がいなかったら、私ここにいないもの。』

出会って、少し経ってから言われたこの言葉を、私は信じていた。



「うん、まぁ・・・それなら良いんだけどさぁ。

仮に優貴さんが、悠理とお父さんに恨みもってたらさぁ・・・とっくに、毒盛るとか、何かやらかしてる筈だよねって、あたしも思う。

ていうか、マジ優貴さん良い人だもんなぁ・・・って思うもん。あたしですら。」

「・・・でしょ!?恨みとか、そういうの・・・そんな素振りだって、ホント・・・全ッ然!無いんだから・・・。」


むしろ、優貴さんにされているのは・・・ギリギリの事ばっかり。

手を繋がれたり、抱き締められたり、指越しのキスされたり。・・・恨みなんて、あったら・・・そんな事出来ないよ。


「まあ・・・”だから余計心配なんだ”と。」

「・・・・・・・はあ?」


その私の言葉に余程棘があったのか、望実はハンバーガーを咥えながら、”まあまあ”と両手をヒラヒラさせた。

そして、シェイクで強引に飲み込むと「・・・以上、瑞穂の主張より。」と付け加えた。


一体、何が心配なんだろう。

”余計心配”じゃなくて、”余計な”心配じゃないか、とも思った。


不満そうな私の顔を見て、望実は相変わらずのペースで、自由に喋った。

「あ、今日のポテト塩加減良いわぁ。この間、めっちゃしょっぱいの食わされてさぁ・・・別の店だけど。」


望実なりの閑話休題のつもりだろう。

私は私で、ハンバーガーを食べ終わると、紙をくしゃくしゃに丸めた。


「瑞穂、考え過ぎだよ、そんなの。もしくは・・・サスペンスか何かの見過ぎだよ。」

「はいはい、そこで怒らないの。・・・だ〜か〜ら〜、あたしも悠理と同意見だって。瑞穂の考えすぎだと思う。

現にさ・・・花火大会の時、2人見てて、姉妹っつーか、普通に・・・そういうの感じなかったしさ”ああ、2人共、上手くいってるんだな”って思ったんだもん。」


そういえば、見られてたなと思い返す・・・。


「・・・・・・そ、そんなに・・・仲良く見えた?」


試しに聞いてみると・・・


「ぶっちゃけ、遠目に見てたら、どっかのカップルみたいだった。」

「・・・う・・・。」


・・・聞かなきゃ良かった。とすぐに後悔した。


「ま、良いんじゃない?・・・本題はさ・・・瑞穂との仲直りだよ。・・・悠理はしたい?」

「・・・したいから、ここにいるんじゃない。お願い、望実。」


「んじゃあ、大丈夫か・・・電話、するよ?」


そう言って望実はハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃに丸めて、手の油をナプキンで拭いた。


「・・・うん。お願い。」

「その前に。・・・瑞穂がまた、考え過ぎ発言しても・・・それは、あくまで悠理、アンタを心配しての事なんだからね?

感情的っていうの?そういうの、今度はナシよ?」


「・・・・・・わかってる。」


それに、私が瑞穂に話さなければいけないのは・・・それ以外にもあるのだ。


『・・ただ・・・ありのままに、そのまま。今の気持ちを正直に言ってあげるのが、良いんじゃないかな?

恋愛のそういう問題で誰も傷付かないで済む方法なんて、無いんだから。

・・・気まずいのは、多分・・・その告白した子も一緒だと思うわよ。』


優貴さんの言葉を思い出しながら、シェイクを口にする。

今度は・・・・・・逃げない。



望実には、いつも私達がよく待ち合わせに使っている公園に瑞穂を呼び出してもらった。

遊具は数えるほどしかなくて、ベンチだけがやたら多いので、公園と言うよりも休憩する為の場所みたいになっている。

子供連れよりも、割と犬を連れている人が多い。


(・・・なんで、私隠されてるんだろう・・・)


・・・私は私で、望実の合図が出るまで、公園の茂みに隠れるように言われた。

それが少し不満でもあったけど、望実曰く、瑞穂が遠くから私を見たら何も言わずにそのまま引き返す可能性もあるからだ、そうで・・・。

でも、この状態のまま、もしも犬に吼えられたりでもしたら、恥ずかしい。


(あ、来た・・・。)


ワンピースにレギンスのシンプルな格好で瑞穂はやって来た。

私は黙って隠れて、二人が話し込む所を見ていた。


(・・・・あ。)


望実の合図ならぬ、携帯のバイブレーションが手に伝わった。


茂みからそっと抜け出し、望実と瑞穂の元へ行く。

私の姿を確認した望実はベンチから立ち上がり、瑞穂は私と目が合っても今度は逸らさず、表情も変えなかった。


「・・・じゃ、あたしはこれで。・・・悠理、左手挙げて。」

「ん?」


望実に言われるがまま、私は素直に左手を挙げた。

すると、望実の左手がパチンっと音をたてて私の左手に当たった。


「・・・何、コレ?」と私が聞くと、望実は笑いながら言った。

「バトンタッチ。・・・青春っぽくね?じゃあね〜後でメールでも電話でもしてー」

・・・そう言うと”自由人”望実は、そのまま公園を出て行ってしまった。


・・・まあ、いつもの事なんだけど・・・。



私は、とりあえず瑞穂の隣に・・・さっきまで望実の座っていた位置に座った。


「・・・暑いね。」

「うん。」


「・・・課題、やった?」

「まあ、手はつけてるかな。・・・瀬田は?」


「あ、もうすぐ終わりそう。図書館行って片付けてる。」

「・・・そっか。」


なんとなく無難な会話を続けてみる。

でも、ハッキリ言うと無難過ぎて、面白味も何もない中身のない・・・無駄な会話だった。

それは、お互いが感じ取れている事らしい。


「あのさ、瑞穂・・・私、考えたんだけど・・・。」

「・・・うん。」


「あの夏休みの前の事・・・私、正直言うと、困って・・・その・・・私、逃げた・・・。なんか・・・だから・・・その・・・」


言葉が詰まる。

”ごめんなさい”

その一言を言う為にいるのに。


「・・・うん。誰だって、そうすると思う。あの時の私、空気読めてなかったから。ごめんね、瀬田の事考えないで・・・あんな事言って。」


瑞穂がそう言った。まるで私を助けるように。

そうじゃない。”ごめんなさい”を言うのは、私の方だ。

私の方じゃなくちゃいけないのに。下を向いたまま、言葉が上手く繋がらない。


「そ・・・そうじゃないよ。」

「・・・?」


『・・・ただ・・・ありのままに、そのまま。今の気持ちを正直に言ってあげるのが、良いんじゃないかな?』


言わなきゃ。


『恋愛のそういう問題で誰も傷付かないで済む方法なんて、無いんだから。』


言わなきゃ。


『・・・気まずいのは、多分・・・その告白した子も一緒だと思うわよ。』



「私、瑞穂の話、最後まで聞かないで逃げてたし・・・ずっと、無視してたし・・・あの、だから・・・

こんな事言って許してもらえるとは思ってないんだけど・・・」


「・・・・・・。」


瑞穂は何も言わなかった。ただ、黙って私の話に耳を傾けてくれている、のだろう。

私は私で下を向いたままだった。逃げないと決めたのに、私はまた逃げようとしている。


「・・・今まで、こんな態度とり続けて・・・ごめん、なさい。・・・わ、私、瑞穂とは、今まで通り、友達で、いたいの・・・。」


ちゃんと顔を上げて、正直な気持ちを言えた。


ホッとすると同時に、私にとてつもない罪悪感が襲ってくる。

瑞穂の気持ちを知っているからこそ、解るからこそ・・・感じずには、いられなかった。

考えてみると、私は・・・その”罪悪感”からも、逃げていた気がする。

それが、瑞穂をどれだけ傷つけただろうか。私なんかには、想像もつかない。


「・・・・・・うん、わかった・・・いいよ・・・だから、もういいよ。瀬田。」


瑞穂は、勇気があると思う。・・・その上、優しいとも思う。

だけど、私はそんな人を傷つける事をした。


「・・・ごめん、瑞穂・・・」


私には、そう言うしか出来ない。


「うん、だから・・・もういいんだって。」


瑞穂の言葉に私は、思わず泣きそうになる。

・・・でも、私が泣いたって瑞穂が困るだけだから、ぐっと堪えた。


「・・・それに言ったでしょ?・・・瀬田には、好きな人いるって、私知ってるから・・・。」

「え・・・あ・・・」


瑞穂にそう言われた途端に私の頭に浮かぶのは、優貴さんの顔だった。

ただでさえ・・・わかりやすいって言われてるのに、と思った私は咄嗟に両手でどんな顔をしてるか触って確認した。

そんな私を見て、瑞穂はやっと頬を緩めた。


「・・・そういう反応し始めたのも・・・つい最近って感じ。だから、瀬田に好きな人出来たからなんだなって思った。」

「・・・・う・・・・・。」

(やっぱり・・・こういう子供っぽいリアクションとかで、わかりやすいのかな・・・私って・・・。)


結局、反省がまったく生かされていないのね・・・私。


「今までの瀬田って、望実ほどじゃないけど・・・なんかあんまり自分の事とか家庭の事、言わなかったし。」

瑞穂はそう言いながら、目の前を通る犬を目で追いながら、そう言った。


「・・・そう、かな・・・?」

確かに、望実から望実の家の事なんて聞いた事はないけれど。


「うん、それも悩んでるんだか、嬉しいんだか・・・なんていうか、表情がすごく生き生きと出てた。」


苦笑まじりの瑞穂の言葉に、私はますます頭を抱えそうになる。

何も知らない犬が私の事を不思議そうに見て、またすぐに歩き出した。


「・・・だから、瀬田は、なんて言うか、ある意味すごくわかりやすいんだけど・・・

だけど、結局、私は何にも分かってなかったんだ・・・瀬田の事。」


そう言って、瑞穂は足をブラブラさせた。それは瑞穂らしくない、落ち着かない動作だ。


「ああ・・・それから、これもあの時も言ったけど、別に瀬田に気持ちに応えて欲しいとか、どうこうして欲しいって訳じゃなかったんだ・・・。

でも・・・なんか、瀬田が変わっていくのが、誰かのせいなんだと思ったら、なんか・・・焦っちゃった、のかな・・・私・・・。」


苦笑いを交えながら、瑞穂はそう言った。

夏休み前のあの時、私に思いを伝えた時・・・瑞穂はそんな心境だったんだと私は今、理解した。


「瑞穂・・・。」

「・・・でも、それが返って、瀬田を困らせちゃったみたいだね・・・瀬田は、優しいから。」


・・・違う。私は優しくなんか、ない。

現に、瑞穂の気持ちから私はずっと逃げて、傷つけていたし、今だって・・・傷つけてしまったかもしれない。


「・・・ううん、全然・・・。こっちだって色々・・・気まずい思いさせちゃったし・・・。」


・・・ホラ、こんな台詞しか出てこない。


「いや、それに私・・・瀬田にとって大切な人の事をあんな風に言っちゃって、さ・・・」

「ちょ、ちょっと待って・・・!瑞穂・・・!」


「ん?」

「あの・・・それ・・・優貴さんの事?」


「・・・そうだよ、違った?」

「いや・・・・・・・違わ、ないけど・・・。」


確かに大切だけど・・・けど、改めてそうやって言われると、なんか恥ずかしい。


「好きなんだろう?・・・藤宮さ・・・優貴さんの事。」

「・・・・・・・・・!」


瑞穂の一言にびくりと体が反応した。さっきまで”暑い”なんて言っていたのが、嘘みたいに感じなくなる。

(・・・・・・やっぱり、解るんだ・・・。)


言葉を出す事も無く、私は俯き、それを瑞穂がこう言った。


「・・・・・・ああ、言いたくないなら、答えなくていいよ。・・・でも、私全然、変だとかは思ってないから。」


”違う”と言えば簡単に否定出来るのに、私は出来なかった。かといって”そうだよ”とも言えずに、ただ俯いていた。


「・・・ねえ、瑞穂・・・そんなに私、わかりやすい、かな・・・?」


・・・つい、そう聞いてしまった。

思えば、優貴さんに出会ってから・・・私には、色々悩みが増えた。

増えたというべきか、元々あったのに気付かないフリをしていただけかもしれない。


「え?」

「・・・私、最近”わかりやすい”って言われてて・・・なんか複雑・・・。

自分の感情とか思ってる事、そんなにだだ漏れしまくってるのかなって・・・だとしたら、恥ずかしいもの。」


私がそう言うと、子供の甲高い声が公園内に響いた。母親が慌てて駆け寄って、その子供を抱き上げる。

子供は転んだらしく、火がついたように泣き出した。

・・・私もあんな風に、子供みたいに感情丸出しで、何が起きたのか丸分かりなのか?なんて想像をすると、とても複雑な気分になる・・・。


「・・・良い意味で、素直なんじゃない?・・・だから、瀬田は思いっ切り、表情に感情とか動作に出ちゃって。

・・・でも”大体”ってだけで、あくまで予想に過ぎない。

だから、瀬田の心の中、細かい所までは瀬田自身が言わないと誰にも分からないよ。安心して。」

「・・・・・・そっか・・・。」

そう言われると、少し安心する。


「・・・今、藤宮さんにもバレバレなんじゃないかって、心配してる?」

「・・・・・・う、うん・・・。」


内心ギクリとした。思わず声にも動揺が出てしまう。

優貴さんの名字が、出ただけでコレだ。・・・なんとも情けない・・・。


「私の個人的予想だけど・・・藤宮さんは・・・薄々、気付いてるんじゃないかな・・・。」

「・・・・・え・・・?」


「あ、ごめん・・・動揺させようって気はないんだけど・・・ごめん、また・・・」

「あ、ううん。気にしないで・・・でも、どうして、そう思うの?」


私が聞き返すと、瑞穂は泣いている子供の方を見ながら、話を始めた。


「えーと・・・藤宮さんと私って・・・コンビニの店員と常連って関係だけど、実は、コンビニ以外でも、何回か個人的に話込んだ事、あるんだ。

始めは・・・そうだ・・・コンビニのバイト終わりに帰る時、”最近出来た妹と同じ制服だ”って、声掛けられて・・・。」

「・・・へえ、そうなの?」


(やっぱり・・・)と思った。

以前、優貴さんと2人きりで話し込んでいた時、妙に親しいなって感じてた。

・・・でも、本当にそれだけ?とも疑った事もある。

瑞穂が上を向いて、優貴さんとの出会いを話し始めたので、私は黙ってそれを聞いていた。


「始めは”最近出来た妹と同じ”って単語が妙に好奇心を誘って、ちょっと話した。

・・・で、何回か話していて、思った。・・・藤宮さんは、確かに優しいし、柔らかい感じがするし・・・凄く良い人だとは思う。

色んな話をしたよ・・・学校の事、悠理達の友達の事・・・藤宮さんは、すごく話し易かったし、すごく聞き上手なんだ。

気付いたら、一気に仲良くなっちゃって・・・。」


確かに優貴さんは、すごく話し易くて、聞き上手だ。

私も、いつの間にか色々喋って、時間すら忘れてしまうくらい・・・その時間が楽しくて・・・。

その時間が、何よりも大事で。


「・・・で、思った。・・・”ああ、この人は人の心を読むのが、上手いんだな”っていうか・・・

・・・人から話を聞きだすの上手いっていうか・・・

・・・人が、言って欲しい言葉を言ってくれるなって・・・だから、瀬田の気持ちが、まったくわからないって訳じゃないと思う・・・」


 『人が言って欲しい言葉を言ってくれる』


私は、瑞穂のその言葉に反応した。

私が、本当に言って欲しい言葉を・・・優貴さんは言ってはいないけれど。

それに準ずるような・・・私をドキドキさせたり、嬉しくさせたりする言葉は、くれるといいなと思わなくても、不意打ちに近い状態で、しょっちゅうくれる・・・。


もし、瑞穂の言う通りだとしたら・・・優貴さんは、私の気持ちを知っているのだとしたら。

その上で”ワザと”私にそういう言葉を、そういう事をしている、という事になる。

それは、やはり・・・”私をからかっている”・・・という事なのだろうか。


(・・・でも・・・)


私の心の細かい所までは、わからない。瑞穂は、さっきそう言った。

私の優貴さんへの気持ちも・・・そうであって欲しい。優貴さんには、まだ知られたくない。怖い。


でも・・・もしも、優貴さんが私の気持ちに気付いていたとして、私をからかって・・・それで一体どうなるというの?


「・・・あ、ごめん!これ、悪い意味じゃないから・・・あくまで、私個人が感じたことで・・・。」


瑞穂は突然ハッとして、私に頭を下げた。

私は私でまたハッとして、手を振って慌てて瑞穂に言った。


「ううん!気にしてない、気にしてない!瑞穂、いいよ、いちいち謝らなくても。」


頭を下げたまま、瑞穂がぽつりと言った。


「・・・・・・実は・・・まだ・・・心配、してる・・・。余計なお世話だとは、思うんだけど・・・。」

「・・・うん・・・望実から、大体聞いた・・・その内容・・・。」


さっき、ファーストフード店で望実から聞いた話を思い出す。


『あー・・・ホラ、優貴さんのお母さん、超苦労したって話じゃん?

それって・・・まあ、悠理の親父さんも少なからず関係してるっていうか、責任みたいなのあるんじゃねーの?って。』

『・・・だからさー・・・優貴さんが、親父さんと悠理に、本当にな〜んにも気にしてないのって逆に不自然じゃね?って事。』

『まあ、簡単に言うと・・・優貴さん”人が良過ぎ”なんだよ。・・・だって、お母さん苦労の末に死んでる訳じゃん?』


確かに聞いた時、”余計な心配だ”と思った。


「私、藤宮さんみたいな人だからこそ・・・瀬田の気持ちを知った上で・・・その・・・」

「・・・優貴さんが、瀬田家に何らかの形で”復讐”するつもりで、家に来て、私の気持ちをなんらかの形で利用するのかもって思ったの?」


私がそう聞くと、瑞穂はこっちをじっと見つめ、口を開いた。


「・・・実際、瀬田は・・・藤宮さん自身の事、あんまり知らないじゃない?

しかも、お父さんと藤宮さんのお母さんとの間に何があったのかも・・・ほとんど、知らない事だらけなんだし・・・

だから、もし、もしも、だよ?・・・瀬田のお父さんと藤宮さんのお母さんの間に何かあって・・・母子家庭になって・・・

それが原因で、藤宮さんのお母さんが苦労して、死んじゃったんだとしたら・・・

それを許して、平然と一つ屋根の下で一緒に暮らせるのかなって・・・私は思って・・・。」


優貴さんの私に対しての、これまでの行為、言動の全てが・・・”復讐”なんて言葉の上で、されている事なのだろうか。

それがもし本当なら・・・指越しのキスや、これまでの行動は、私の気持ちを知っていた上でやった・・・私をからかう為の行為だというの?

・・・それが”復讐”になるのだろうか?


それとも、望実の言っていた・・・もしもの話。

もしも、私とお父さんへの復讐の為に優貴さんが家にやって来たのなら・・・これから、私とお父さんに”何か”をするかもしれない、と?


・・・あの優貴さんが?


私には・・・それが、どうしても・・・どう考えても。

私には優貴さんが私とお父さんに”復讐”するなんて、結論とは結びつかなかった。


「・・・うん、私・・・確かに、瑞穂の言う通り、優貴さんの事も、優貴さんのお母さんの事も・・・知らない事が多いよ?

でも、私はね・・・それを知りたくないの。正直、どうでもいいの。お父さんと、優貴さんのお母さんとの間に何があったのか、なんて・・・。

優貴さんから、聞くつもりも無いよ?だって、優貴さんにとっても、きっと辛い話だろうし・・・。

私のお母さんが知ったら、悲しむような事かもしれないし・・・私だって、知りたくないもん。


第一さ・・・第一、優貴さんが、私とお父さんを憎んでいたとして・・・私に、一体何をするつもりなの?」


「そ・・・それは・・・。」


瑞穂の言葉がそこで詰まる。


「それに・・・優貴さんが、私の気持ちを知っていても、いなくても・・・優貴さんは、それを利用する人なんかじゃないよ。」


だって、それで何が出来るの?それが復讐になるの?

本当に憎い相手にあんな優しい言葉をかけたり、手を繋いだり・・・指越しにキスなんて事を、するだろうか。

・・・そうは言った私だけど・・・頭の隅に少しだけ残る・・・とある疑問がある。


 『・・・私には・・・優貴さんが、何を考えているのか・・・わからない・・・。』


でも。

それでも。


「私・・・優貴さんが”復讐”とか・・・そんなつまんない事・・・優貴さんはしないって・・・私、そう信じてるから。」


私は、そう言った。

私は、私の目で見た優貴さんを信じている。


”好き”だから、信じたいんじゃない。

信じている上で・・・私は、優貴さんの事が好きなんだ。

私の目を見て、瑞穂は真剣な表情で言った。


「・・・・・・・・・うん・・・わかった。」

そして、私に向かって右手を差し出した。


「・・・仲直り。」

「・・・うん、仲直り。」


私は、大事な友人の手を握った。

その後、バイトがあると瑞穂はいつもの調子で、眼鏡をくいっと上げて、笑いながら軽く手を振って公園を出て行った。


残された私は、優貴さんにメールを打った。


”友達と仲直り出来ました 優貴さんの御蔭です ありがとうございます”


・・・そのメールを送信してから、今回の協力者、望実の事を思い出した。


「・・・あ、もしもし?私、悠理・・・うん、仲直り出来た。今度はちゃんと。・・・うん。」


電話の向こう側からは、また大人数の声が聞こえる。

仲直り記念だとか言ってカラオケに誘われたけれど、私は真っ直ぐ家に帰る事に決めていた。

今度は瑞穂と一緒に誘って、と言って、電話を切ると、優貴さんからメールが返って来た。


”良かったわね。じゃあ仲直り記念に、悠理の好きなモノ作って待ってるわ リクエストは?”


(・・・優貴さんまで”仲直り記念”とか言ってる・・・)


クスッと笑って、私はメールを打った。


”優貴さんの得意料理がいいな”

・・・気付くと、私・・・また同じメニューをリクエストしてるな、とメールを送信してから思いながら、苦笑いして私はベンチから立ち上がった。


「・・・家に帰ろうっと」


私の家で・・・優貴さんが、待っているから。




・・・ところが。




「・・・あれ?」


それは、予想もしない突然の雨だった。

ギラギラした真夏の太陽が隠れたと思っていたら、突然の夕立が私を襲ってきた。


「・・・う、嘘でしょーっ!?」


そう叫んで走っても無駄だとはわかってはいるのだが・・・雨の勢いがあまりに酷かった。

走っている内に、すっかりずぶ濡れ状態になった私は、自棄になって、自分の家が近くなると走るのを諦めた。


(・・・こんな姿で帰ってきたら優貴さん、びっくりするかな・・・)


だが。


そんな私の目の前に見慣れた後姿が見えた。

その人物は見た事のあるエコバックを提げながらも、私と同じようにずぶ濡れ状態で”歩いて”いたのだ。


「・・・優貴、さん!?」

私の声に、その人は振り向いた。

「・・・あら、悠理・・・?」


”あら”じゃないよ!優貴さん!どうして傘もささずに歩いてるの!?、と言おうとした私だったが

同じずぶ濡れ状態の私が、とやかく言える事じゃなかった。


とりあえず、優貴さんの元へ駆け寄ってみる。

私と同じようにずぶ濡れ状態で、髪も服もぴったりと肌にくっついている。

しかも、優貴さんのシャツが所々うっすら透けていて、ブラの紐が見えている始末。


「あの・・・もしかして、買い物の途中で降られちゃったんですか?」

「ええ、途中まで走ってたんだけど・・・なんか、もういいやって思っちゃって。幸い、このエコバックは雨を弾くし。」

「・・・私も。途中から、こうなっちゃうと、もういっそ濡れて帰ろうって諦めちゃいました。」


私がそう言うと、”そうよね、ここまでになっちゃうとね”なんて言いながら、優貴さんは濡れた髪の毛をかき上げた。


・・・その仕草が、大人っぽくて私は思わず見とれた。首を伝う雨の雫すら綺麗に見えるから不思議だ・・・。


「でも、悠理の方が酷いんじゃない?あんまり長い時間、雨浴びると夏風邪引いちゃうかもしれないわよ?」


優貴さんはそう言うけど、正直言って、状態はどっちもどっちだ。


「・・・優貴さんこそ。」

私がそう言うと、優貴さんはニコリと笑って言った。

「私は平気よ、雨とは相性良いの。」


「・・・相性?優貴さん、雨、好きなんですか?」

「・・・そうね・・・・・・好き、とはちょっと違うかな・・・ただ、雨の日はとても気分が落ち着くの。」


そう言って、まるでシャワーを浴びるように空を見上げた。


(・・・優貴さん・・・?)


何故だろう。空を見上げ歩いている優貴さんの横顔は笑っているのに、どこか寂しそうにも見えた。

いつもと違う、不思議なその雰囲気を漂わせる優貴さんに、私が何かを言おうかとした時、優貴さんが先にこう言った。


「どうやら通り雨、みたいね・・・家に着く頃には、多分止むわ。」


それからは2人黙って歩いた。本当は瑞穂と仲直り出来ましたとか、色々話をしようと思っていたのだけど・・・。

・・・なんだか、今の優貴さんは話しかけにくい不思議な雰囲気があって・・・

私は黙って口を閉じて歩きながら、時々チラチラと優貴さんの横顔を見ていた。




・・・そして、家に着くと本当に・・・雨は、ピタリと止んだ。




「・・・ちょっと、待ってて。今、タオル持ってくるから。」

そう言って優貴さんは、家に着くなり、バタバタと家に上がり、洗面所の中に入っていった。


(・・・いつも通りの優貴さん、だよね・・・?)


雨と相性が良いってどういう意味だろう。

相性が良いのなら、どうしてどこか寂しそうな顔をしていたんだろう。

そんな事を考えている私の頭に柔らかいタオルがぽふっと、のせられる。


「・・・お風呂の湯沸しのスイッチ、今入れてきたからそのまんま、入っちゃおう?やっぱり、シャワーくらい浴びないと、風邪をひくわ。」

「あ、はい。」


「ねえ・・・2人一緒に入っても大丈夫よね?あの浴槽。」

「は・・・え・・・!?」


優貴さんと、一緒にお風呂・・・?


その文章が、浮かんだだけで、私の思考が停止しそうになった。


「あ、無理?じゃ、私、後にするけど・・・」

「い、いや、そうじゃなくて!・・・ていうか、2人で入らないと優貴さんが風邪ひいちゃうじゃないですか!」


・・・平然を装って、そうは言った私だが、内心”どうしよう”で頭はいっぱいだった。

まさか、こういうタイミングで2人でお風呂に入る事になるなんて思いもしなかった。


「大〜丈夫、そんなガン見しないからっ。」


そう言って笑いながら、優貴さんは私の頭のタオルをわしわしと動かした。


「そ、そういう問題でも・・・そういう意味でも・・・な・・・いぃ・・・!」

「はーいはい。」


そう言って、陽気な返事をする優貴さんは私を浴室へ行くように手で案内する。

私が歩く後を優貴さんはタオルで床を拭きながら、移動する。


(・・・困るよ・・・こんなの・・・!何の心の準備も出来てないのに・・・!・・・いきなりこんなの・・・!)


心の動揺が、消せない。

浴室の脱衣所で、水を吸って重くなって、肌に張り付く服を脱ぐ・・・・・脱ぎたいんだけど・・・

・・・脱げるものなら、さっさと脱ぎたいんだけど・・・。


・・・・・・・でも。


私の横には、優貴さんがいる。・・・しかも、もう下着姿の。

しかも、私の予想以上に・・・体の線が細くて、私より胸が大きい・・・。


「何?悠理・・・恥ずかしいの?」


私がなかなか脱がないので、優貴さんが不思議そうな顔で聞いてきた。

「・・・そりゃ・・・ちょっとは・・・。」と言って誤魔化してみるが、本音はちょっとどころじゃない。


あんまり、意識するのも良くないって分かってるのに・・・色々考えちゃって、行動に移せないでいる。


(これ以上、グダグダしてると・・・優貴さんに変だと思われる・・・!)


自分でもこんな事くらいで、妙な表現だと思うけれど、私は覚悟を決めた。

服を脱いで、洗濯機に放り込む。


「・・・下着まで濡れてるわ。酷いもんね。」

「そうですね・・・」


そう会話しつつも、私の心はどこか遠くへ。・・・ていうか・・・そうでもしないと、また覚悟が揺らいでしまうからだ。


「ブラは手洗いするから、こっちにまとめて。」

「はい。」


自分のブラジャーを優貴さんに手渡しつつも、視線は、常に外側に・・・。

優貴さんをどうにかして、自分の視界に入れないようにしていた。


先に浴室の扉を開けて浴室に入り、シャワーのお湯を出して、目を瞑って、シャワーを浴びる。


後ろでは、浴槽のお湯をかき回すちゃぷちゃぷ、という音が聞こえる。

・・・振り向けば、優貴さんがいる。私は引き続き、目をぎゅっと瞑った。


「お湯沸いてるみたい、悠理入っちゃっていいわよ。」

「はい・・・優貴さん、シャワーどうぞ・・・。」


俯いたまま、私は浴槽の方へと歩こうとした・・・が・・・。

・・・優貴さんに、ぶつかった・・・。


「・・・私の事、見ないように気遣ってくれるのは、嬉しいんだけど・・・危ないわよ?」


そう言って優貴さんの手が肩に触れる。

少し冷たい優貴さんの身体の一部が、私のシャワーで温まった身体にくっつく。


「は・・・はい・・・。」


・・・私は、そこで顔を上げた。・・・上げてしまった。

優貴さんは、いつも通り・・・優しく微笑んでいて・・・。


・・・それが、憎らしくなるくらい”いつも通り”で。


それを見て、私は顔だけじゃなく、身体の内側から・・・かあっと熱くなるのを感じた。


優貴さんは”いつも通り”なのに。

私だけ、この有り様。


私だけ、こんなに・・・こんなに優貴さんを意識して、視界に入れないように、変な努力までしてるのが、本当に馬鹿みたいに思えてくる。


・・・・・・でも、そんな馬鹿でもしないと・・・私は・・・。


そんな私の気持ちを知ってか知らずか、優貴さんが、私の濡れて垂れ下がった前髪を上へ優しくかきあげ、その手を私の頬へと移す。

よりはっきり、優貴さんの微笑んだ顔が見える。・・・見せられている、と言ってもいい。


私は動けない。

優貴さんが、私の前から全く動こうともしないから。


私はどいて下さい、とも言えない。

優貴さんが、私をじっと見つめているから。


「・・・悠理。」


名前を呼ばれて、私は両手を伸ばした。

優貴さんの手が、私の頬から離れた。


私より背の高い異母姉妹の姉に、私はそのまま抱きついた。

優貴さんの冷たく白い肌に、自分の身体を、押し当てる。そして、力いっぱい抱きついた。


「・・・悠理・・・?」


優貴さんの問いかけにも、言葉すら出ない。

ただ、私は黙って優貴さんに抱きついていた。


何かを言おうとしたら、抑圧していたモノが、そのまま言葉として溢れ出てきそうで。

かといって、離れようにも・・・離れられなくて。


このままの状態でも、気が狂いそうで。


・・・自分で自分が怖くなった。


目を瞑って、ただ力いっぱい抱きついている私に、優貴さんは特別戸惑う事もなく、また、私を引き剥がそうともしなかった。



 『私の個人的予想だけど・・・藤宮さんは・・・薄々、気付いてるんじゃないかな・・・。』



瑞穂の言葉が、ふと私の頭をよぎると同時に。


「悠理。」


私を呼ぶ声に、私は再び顔を上げた。


 『・・・”ああ、この人は人の心を読むのが、上手いんだな”っていうか・・・』


「ごめんね、悠理・・・一応、聞くね?」


 『・・・人から話を聞きだすの上手いっていうか・・・』


「・・・悠理は、私が好き?」


”いつも通り”の優しい声に、私はゆっくりと頷いた。



 『・・・人が、言って欲しい言葉を言ってくれるなって・・・』



そして・・・”姉”は、妹の私に、今度は指越しではなく、その唇をそっと・・・私の左耳に押し当て・・・



「・・・・・私も・・・・・・好きよ、悠理。」



湯気が立ち込め、何も見えない浴室の中で囁かれたその優しい声に・・・私の呼吸は、その瞬間だけ、止まった。


私の耳元で聞こえた声は、言葉は・・・私の聞き間違えじゃないだろうか、と思った。

それは、私が望んでも叶わないだろうと諦めていた・・・そんな言葉だったから。


出しっぱなしのシャワーの音に、ハッとした私の止まった呼吸が始まる。

呼吸が始まると同時に、あの花火大会の帰りの時の出来事を思い出す。


『・・・ホントにされると思った?』


優貴さんの指の壁で遮られた・・・キスのような、あの悪戯。

あの時のように・・・優貴さんは、また私をからかっているのかもしれない。


それに、好きと言っても深い意味なんて無い、恋愛感情とは無縁の・・・そういう意味の”好き”かも、しれない。


でも・・・『私”も”』という事は、私と同じ”好き”意味の可能性も捨てきれない訳で・・・


(・・・確かめたい・・・。)


「・・・優貴さ・・・!」


私は、横を向いた。


・・・自分と同じ好きか、それを確かめたかった。


今度の事は、いくら優貴さんの悪戯にしても度が過ぎてる、と私は思った。

だから、優貴さんの顔を・・・優貴さんの目を見れば、分かるかも・・・そんな風に考えていた。


でも、甘かった。


・・・至近距離の瞳からは、何も伝わってこない。

私のすぐ傍で・・・優貴さんは”いつも通り”微笑んでいた。


わからない。


優しい微笑みだと思っていた・・・その笑顔のせいで。

ベールのような微笑みのせいで。


優貴さんの心が、優貴さんが何を考えているのか、全く・・・見えない。


・・・いや、優貴さんと初めて出会った頃から、今の今まで私は・・・

優貴さんが、何を考えているのかなんて、感じ取る事も、考える事すらも出来ていなかった。


「優貴さん・・・」


その後の言葉が続かない。

望んでいた言葉を与えられた筈なのに、不安が襲ってくる。

からかわれているかもしれない、その可能性を考えるだけで胸が絞めつけられる。


「・・・あ、からかってる、と思ってる?」

「・・・・・・・。」


私は、黙って頷いた。

瑞穂の言葉通りだった。


・・・優貴さんは、本当に人の心を読むのが上手い人なんだ・・・と改めて思う。

それに比べて、私は優貴さんが今何を考えているのかわからないままだ。


「・・・もし、そうだったら、どうする?」

「・・・・・・。」


優貴さんは微笑んだまま、そういう質問をどうして私にするんだろう。

やはり、この人は、私をからかっているだけなんじゃないだろうかと私は思った。


「・・・それ・・・私を・・・・試してるんですか?・・・か、からかってるだけなんですか!?」


私は優貴さんにそう聞いた。思わず、怒ったような口調にもなってしまう。


私がそう聞いた途端、優貴さんは私から離れ、今度は困ったように黙って笑う。

やっぱり、これは単なるいつもの冗談だというのだろうか。


・・・もしそうだとすれば・・・と考えた私は、迷った。

だけど・・・やっぱり、このままは辛い・・・。


言葉にして、ちゃんと優貴さんの本心を確かめたい。


その好きは、どういう意味なのか。


だから、私はおそるおそる言葉を出した。


「あの・・・わ、私は・・・私は、優貴さんの事・・・」


「ダメよ、悠理。」


私の言葉を、優貴さんはやんわりと遮ぎり、頭を軽く撫でた。まるで、子供の頭を撫でるように、優しく・・・。


「どうして・・・?」


・・・どうして、言わせてくれないの?


「・・・だって・・・」


私の問いに、優貴さんは”だって”という言葉をそこで止めて、私の横を通り過ぎ、シャワーのお湯を頭から浴びた。


「・・・”だって”・・・なんですか?」


私は優貴さんの白い背中に言葉をぶつけた。

どうしても、その先が聞きたかった。


「・・・そういう・・・本当のコト、言ったら・・・ダメじゃない。」


(・・・何、ソレ・・・。)


違う。

違う。



違う。


そんな言葉欲しくない。


優貴さんの白い背中から、返って来た言葉は、私の望んでいたものじゃなかった。

本当の事を、本当の気持ちを言っちゃ・・・ダメ・・・?


・・・やはり、優貴さんは、私の気持ちに気付いているんだ。私はそう思った。


だけど・・・その上で、今更・・・”本当の気持ちを言っちゃダメ”なんて・・・あんまりだと思った。


優貴さんは、これまでの事を単なる”思い出”にして

既に気付いているだろう私の気持ちにも、これからも見て見ぬフリを続けて・・・

こうやってたまに”好き同士”の”仲良し姉妹”として、じゃれ合っていれば・・・優貴さんは、多分、それで満足なのだろう。


・・・だけど、私は・・・私の”好き”は違う。


私の気持ちは、もうそんな事では、おさまらない所まで来ている。


・・・確かに・・・”単なる仲良し姉妹”として過ごす。それが、異母姉妹の本来の”理想の姿”なのだろうけど。


だけど、妹の位置にいなければいけない私の気持ちは、もう・・・そんなものを通り越してしまっている。


目の前の姉である人を、姉として見られない。


だから、私は、自分の気持ちに見て見ぬフリを続けていけそうも無い。

・・・だって、気付いてしまっているのだから。自分の本当の気持ちに、これ以上、嘘はつけない。


でも、優貴さんは私の異母姉妹の姉である事は、揺るがない事実なのだ。


だからこそ、私だって・・・こんなにも、胸が締め付けられるような思いをして、今の今まで悩んできた。


でも・・・例え、さっきの”好き”が優貴さんの冗談で・・・その延長上の発言だったのだとしても・・・

優貴さんの口から一度でも”好き”だと言われてしまった私は、もう自分を抑えられなかった。


既に、私は目の前の女性を・・・単なる”姉”という存在として、見ていないのだから。


・・・なのに。


「悠理・・・私達、母親は違うけど、一応”姉妹”なんだし。

今は、お互い・・・”そういう意味の好き”って意味にしておきましょうよ。・・・ね?」


シャワーの音にかき消されること無く、残酷な言葉がハッキリと私の耳に届く。

優貴さんの口調は、子供に諭すような、そんな感じで・・・誤魔化すような大人の口調だった。


(・・・このまま、何も言わずに”姉妹”を続けましょうって事・・・?)


・・・優貴さんの言いたい事は分かる。分かっている。それが、常識的に考えて普通なのだから。

単なる”好き”ならいくらだって言える事だ。仲良し姉妹で交わされていていてもおかしくない言葉だ。


・・・だけど、恋愛感情の混じった”好き”なんて言葉を交わす異母姉妹なんて、常識的に考えて・・・無い。


・・・だけど・・・!


無い筈のその気持ちが・・・優貴さんへの”好きだ”という気持ちが・・・確かに、ここに、私の心の中にあるのだ。


それでも、私と優貴さんはニコニコ笑顔で、この家の中で、異母姉妹の関係を続けなくてはならないのか?

・・・私の本当の気持ちに、気付いているのに?



嫌。

嫌だ。



そんなの嫌だ。



私の頭には、子供の我侭のような言葉しか、浮かんでこない。


「・・・・・や・・・」


私は、咄嗟に手を伸ばして、再び優貴さんに抱きついた。


「嫌!」


私は、優貴さんの言葉を、忠告を、拒否した。


もう引き返せない。

引き返す気も無い。


「悠理・・・。」


私の手をやんわりと引き離そうとする手に、負けじと私は強く強くしがみつく。


「・・・私、優貴さんの事好」

「悠理!」


優貴さんはそれ以上言うなとでも言う様に、私の名前を強く呼んだ。

分かっている。

こんな事を言っても、優貴さんにとっては、ただ迷惑なんだって事くらい、分かってる。


(・・・でも、もう私は・・・限界、なんです・・・。)


抑えられない。気持ちが、爆発する。




「好き、なんです・・・私、優貴さんの事、好きなんです・・・!」




私の言葉を遮ろうとする言葉を、更に私は遮って言った。


・・・言ってしまった。



「・・・悠理・・・」


「・・・私は、好きなんです・・・優貴さんの事、お姉さんとしてじゃなくて・・・優貴さん自身が、好きなんです。」


私は、高ぶった感情を何の考えもなしに、そのまま吐き出した。

・・・言ってしまった後の事も考えずに、子供のようにただ、感情のままに吐き出した。

冷静になって、どうして、今まで自分がこの想いを自分の中に押し込めていたのかを思い出すべきだったのに。


「・・・いい?悠理・・・私と貴女は、”異母姉妹”で・・・」


優貴さんの声のトーンが少し下がる。


『異母姉妹』


それは私が、私達が知らないうちに、いつの間にか大人達の都合で築き上げられていた、優貴さんと私の関係。


・・・だけど・・・。


「わかっています・・・。」


分かってる。

痛い程、それは分かっている。


・・・だから、私の今の言葉が、姉である優貴さんをどんなに困らせるかも、知っている。

瑞穂の一件で、よく解っている筈なのに。


女同士で、しかも・・・異母姉妹。

なのに、私は目の前の姉に・・・女性に、恋愛感情を抱いている。


”姉”の気持ちはわからないまま。その横顔が見えた。

・・・困ったような笑顔を保ったまま、私を見ている。その表情が全てを物語っている。

優貴さんは、私の気持ちに困惑しているのだ。


・・・どうして、人は・・・いや・・・私という人間は・・・結果がそうなると解っていても、こんな過ちを犯してしまうのだろう?


こうなる事は、前々から・・・分かっている筈なのに。

だから、押し込めてきた気持ちだったのに。


「・・・優貴さんを困らせるつもりは、無いんです・・・ただ、私が勝手に優貴さんの事、好きなだけ、なんです・・・。」


私は、あの時の瑞穂と同じ言葉を呟くように言った。


(これじゃ、同じじゃない・・・。)


自分の気持ちを押し付けて、ただ優貴さんを困惑させているだけの子供。

優貴さんの背中に額をつけて、子供の私は静かに泣いた。


「・・・・・・。」


・・・それが、優貴さんを更に困らせる事を分かっていても、涙が止まってくれない。


「・・・わかったわ、悠理。」


長い沈黙の後、優貴さんは、優しい声でそう言ってシャワーを止めた。


「・・・え・・・?」


そして、腰に回した私の手を優しく握ると、優貴さんはゆっくりと振り向いた。


「・・・・・・なんて言ったら良いのかしらね?こういう時・・・」


そう言いながら、優貴さんは、また困ったように笑って、私の涙をゆっくりと拭った。


「・・・ごめんね、辛かったでしょう?・・・あぁ、ほら・・・やっぱり、身体も冷えてる・・・」

「・・・・・・・。」


ごめんね、という単語を聞いて、私は”ああ、フラれるんだな”と思った。

・・・そして、やっと冷静になって考える。これから、どうやって毎朝顔を合わせようか、なんて事を、今更になって・・・。


ところが、優貴さんは俯く私を引き寄せて、抱き締めた。

温かさが身体に伝わり、それが余計に胸を締め付ける。


「・・・優貴さん・・・」


私は、せっかく引っ込みかけていた涙をまたボロボロとこぼした。


(・・・これ以上の優しさは、私には必要ないです。優貴さん・・・)


きつく抱き締められるほど、その優しさが余計に辛く思える。


「・・・悠理、泣かないで・・・・・・私は・・・・・・・貴女の事、好きなんだから・・・。」


その優しい言葉ですらも、辛くて。


「・・・でも・・・でも・・・その好きは・・・その好きの意味は、私のとは・・・違います・・・!」


優貴さんの”好き”はあくまでも”姉妹”としての、”家族”としての好きなのであって、私の好きと一緒じゃないんだ。


私の涙を優貴さんは、再び優しく拭った。


優貴さんの”いつも通り”の微笑みは、やっぱり少し困ったような表情だった。

・・・不本意ながら、私はやはり優貴さんを困らせているのだ。


だけど、困ったような笑みを浮かべる優貴さんは、私と目線と合わせると、こう切り出した。


「いいえ・・・私も・・・”勝手に貴女の事、好きでいさせて”?」

「・・・優貴、さん・・・?」


優貴さんはすかさず、私の唇に人差し指をあてた。


「今のは、そのままの意味よ。・・・さあ、これ以上、身体を冷やしちゃ悪いわ。お風呂、入りましょう?ね?」


そう言って、優貴さんはそのまま人差し指を浴槽へと向け、私を浴槽へと入るように促した。


(・・・そのままの意味・・・。)


心の中で、言葉を咀嚼していく。


(・・・好きって言葉・・・そのままの意味で、私受け取って良いんですよね?優貴さん・・・)


そう思った瞬間から、体の内側から、また熱くなっていくのを感じる。

私はそのまま、優貴さんにまた抱きついた。


「・・・悠、理・・・!?」

「・・・優貴さん、好き・・・。」


抱きつきながら、そう言う。

それに対し、優貴さんはいつも通り微笑んで、ゆっくりと頷き答える。


「・・・・・うん。」


その返事を聞いた私は、目を閉じて、困り笑顔の優貴さんに胸に飛び込んで、しっかりと抱きつき続けた。

優貴さんの身体はとても温かくて、その時の私は、体の冷えなんか感じなかった。






「おはよう、優貴さん!」

「・・・あ、おはよう。悠理。」


いつもと変わらない、いつもと同じ筈の朝が、妙に新しく感じた。

優貴さんが部屋を出るのと同じタイミングで私は、自分の部屋を出た。


「あの、今日は私が、朝食作りますね!」

「・・・ん?あ、ええ・・・お願い・・・。」


少しだけぼうっとした感じの優貴さんが、遅れてふんわりと微笑む。

まだ、寝ぼけているのかな・・・髪の毛の寝癖を直しながら、優貴さんはゆっくり階段を下りて、洗面所へと歩いていく。

好きな人がすぐ隣の部屋から出てくるのって、改めてドキドキするかも・・・なんて事を思いながら私も階段を下りる。



「・・・優貴さん、なんだか今日ぼうっとしてる。」


私が後ろからそう話しかけると、優貴さんは伸びをしながら答えた。


「んー?・・・あ、うん・・・なんか昨日はあんまり眠れなくてね・・・。」

「え?・・・何か、あったんですか?」


私はフラフラっと歩く優貴さんの肩に手を置いて、まっすぐ洗面所の方へと押しながら、ゆっくりと歩く。


「・・・何かあったんですかって・・・それは・・・あったわよ。誰かさんのせいで、ね?」


優貴さんは苦笑を浮かべて、こちらへ意味有り気な視線を向ける。


「ね?って・・・言われても・・・。」

「ふふっ・・・じゃあ・・・”冗談”に戻そっか?昨日の、アレ。」


そう言って、私の手を握り返す優貴さん。・・・そうやって、いつも私をからかうんだから・・・。


「・・・う・・・嫌です。」


私は、優貴さんの手をぎゅっと握り返して抗議する。


「・・・ふふっ冗談よ。・・・なんか思ってたよりも、全〜然・・・緊張感、無いわね?」

「緊張感?」


「・・・こういうの、禁断のナントカってよく言うでしょう?」


(ああ・・・そういう意味か・・・)

・・・漫画とか週刊誌とかでよく見る、安っぽい単語。


”禁断”。


優貴さんにそう指摘される前にも、散々悩んだ事だけど・・・私と優貴さんは、母親が違うだけの”異母姉妹”だ。

それなのに、私が勝手に優貴さんの事好きになっちゃって・・・。

その”禁断”に足を踏み入れたのは私が先で・・・私が、優貴さんを引き摺り込んだようなものだ。


「・・・そう、です・・・よ、ね・・・やっぱり、優貴さんは迷惑ですか?嫌ですか?」


私の質問に、優貴さんはやはり笑って聞き返す。


「・・・嫌そうに見える?」


しかも、また、いつも通りに微笑んでいる。・・・だから、余計分からない。優貴さんの本心が。


「し、質問に質問で返すの、やめましょうよ・・・。」


思い返すと・・・優貴さんって、大体私の質問には質問で返す事が、多い気がする・・・。

それって、なんかズルイ。


そして、いつも通り、何も言わずに微笑む優貴さんが、突然、私の手を引いてぐいっと抱き寄せる。


「・・・っ!?」


・・・こ、これも、なんかズルイ・・・。


・・・だって、コレされると・・・私何も言えなくなるんだもの。




「・・・好きよ、悠理。」




呟くようなその声が耳に触れて、途端に体が、かあっと熱くなる。


・・・本当に・・・本当に、ズルイ・・・!

この人のやる事なす事、全部・・・ズルイ。


「・・・悠理は?」


しかも・・・それを普通・・・今、朝っぱらから耳元で聞くの?


「・・・・す・・・・・好き・・・。」


私が俯きながら、なんとかぽつりとそう答えると、優貴さんは笑顔で”よく出来ました”とでもいうように頭を撫でた。

・・・そうして、そういうズルイ事をやるだけやって、優貴さんはニコニコしながら、さっさと私から離れて洗面所に入ってしまう。


それを私は目で追って、壁に背中をつけたまま、ぼうっとしている。


「はー・・・」


とりあえず、息を吐いて自分を落ち着かせる。優貴さんの突然のああいう悪戯には、まだ慣れない。

・・・でも・・・


(・・・優貴さん、今・・・私の事、好きって言ってくれた・・・)


夢じゃないんだな、と改めて思って、顔がほころぶ。


・・・優貴さんは、私の”好き”って気持ちを受け止めてくれたんだ、と・・・ホッとした。


あの後、一緒にお風呂に入って・・・とにかく、私は優貴さんにずっと・・・くっついていた気がする。

ウザイって言われるかもってくらい、ずっとべったり・・・。

優貴さんはずっと、いつも通り笑っていた。”結構、甘えん坊ね”とも言われた。それすらも、とにかく嬉しくてずっと引っ付いていた気がする・・・。


・・・勿論、お父さんが家に帰ってきたら、ちゃんと離れたけれど・・・本当は離れたくなかった。


実をいうと、私も優貴さん同様、あまり眠れていない。今でも信じられないんだもの。

けど・・・さっきの出来事で完全に目が覚めちゃったし。もう嘘じゃないんだって思えた。



『・・・好きよ、悠理。』



言われた言葉を頭の中で、繰り返す。

それは、家族でもない。


私だけにくれた言葉。


それが、すごく嬉しくて・・・


「悠理・・・悠理?どうした?そんな所でぼうっと突っ立って。」


「・・・え?あ!お父さん、おはよう!」


いつの間にかお父さんが起きて来ていて、私の方をじいっと見ていた。


「・・・大丈夫か?」

「だ、大丈夫大丈夫!あ、今日、私が朝食作るから!」


笑って誤魔化して、そそくさと台所のエプロンを身に付ける。


「おいおい、ぼうっとして、火傷とかするんじゃないぞ?」

「しーなーいって!お父さんの分、抜くよ?」


私がそう言うと、お父さんは新聞を片手に「はいはい、ごめんよ。」と食卓のいつもの場所に座った。


・・・もしも・・・お父さんが・・・


お父さんが、私達の事を知ったら、どんな反応するのかな・・・。


・・・考えるとちょっと怖い。


自分の娘同士が、同じ屋根の下でそんな関係を築いているなんて父親が知ったら、それはやっぱりショックだろうな、と思う。

私自身、お父さんに対して、後ろめたさが全く無いとは言えない。

好きになった人が、女で・・・しかも異母姉妹の姉だなんて、とても言えない。言う気も無い。


でも・・・元々、お父さんが作り出した状況下で私達は出会って・・・こうなったのだ。

・・・それを思うと、後ろめたさが半分に減った。



優貴さんは、綺麗で優しくて私よりずっとステキな人だ。誰かに自慢出来るなら、とっくにしている。

・・・でも、優貴さんを自分の”姉”として紹介し、自慢出来ても・・・

優貴さんを、自分の好きな人ですとは誰にも自慢できない。



『・・・好きよ、悠理。』

(私も・・・優貴さんが、好き・・・。)



・・・この関係は、誰にも言えない。・・・だけど、私は今、幸せだ。



「あ、おはようございます。」

「ああ、おはよう、優貴。」


優貴さんとお父さんが会話する事は、あまり多くないし、優貴さんは未だにお父さんに対して敬語を使っている事が多い。

朝の挨拶の後は、決まって静かかもしくは、TVの陽気な今日の占いランキングの声しか聞こえない。


(・・・そういえば・・・2人の弾んだ会話をする所なんか、見た事もないなぁ・・・。)


『あー・・・ホラ、優貴さんのお母さん、超苦労したって話じゃん?

それって・・・まあ、悠理の親父さんも少なからず関係してるっていうか、責任みたいなのあるんじゃねーの?って。』


(・・・やっぱり・・・お父さんと優貴さんって何かあるのかな・・・。)


あまり考えたくないし、優貴さんは『お父さんを恨んでなんかいない』って言っていた。

私は、優貴さんを信じているし、お父さんに優貴さんのお母さんとの事を聞こうとも思わない。

だって、私のお母さんが知ったら悲しむかもしれない事だから。そんな話、この家で出来ない。


(・・・でも、2人共、少しくらい会話したらいいのにな・・・。)


単に2人だけだと会話し辛いとか、気まずいだけなのかもしれない・・・。






「・・・え?気まずいのかって?」

「だって、優貴さんとお父さんって、あんまり話さないから・・・私、なんか気になっちゃって・・・。」


お父さんを玄関で見送ってから、優貴さんとそんな話をした。


「んー・・・これと言って話す様な事も特に無いし・・・朝、真剣に新聞読んでる人に、私いちいち話し掛けたりしないわよ?」

「そりゃあ、そうですけど・・・」


私は、お父さんが新聞を読んでいようといまいと、どんどん話しかけきたし、今までずっとそうしてきた。

別にお父さんは怒る事も無く、新聞を読みながら話を聞いてくれる。気を遣う事なんか全く無いんだと私は説明したかった。

だけど、それより先に優貴さんが口を開いた。


「それに・・・」

「ん?」


「むしろ・・・なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだわ。」


そう言って、私の左肩を軽く突いた。


「・・・娘・・・ていうか、妹に手を出す姉が、この家にいるんだから、ね。」


そう言いながら、また困ったような笑顔をする。私は、慌ててそれに反論する。


「そ、そういう言い方しなくても、いいじゃないですか・・・大体これは、私が・・・私が、先に言い出した事で・・・」


優貴さんも同じ事考えていたんだ・・・。


・・・そう。私から告白してしまった事で始まってしまった、優貴さんと私の新しい関係。

優貴さんは、私の気持ちを受け入れてくれた・・・それだけで、私は嬉しい。

だけど・・・それが、優貴さんを苦しめる事になっているかも・・・いや、実際苦しめているんだ。


「優貴さん・・・やっぱり、迷惑なんじゃないですか?こんな私なん・・・」


その途中を優貴さんの柔らかい指で、また塞がれる。


「こんな可愛い子に、好きって言われて嬉しくない訳ないじゃない。

でも・・・どうしてかしらね?なんか一度・・・覚悟みたいなものを決めちゃうと・・・案外、すんなり越えられるのよね。」


「・・・覚悟・・・?」


「・・・ああ、いや・・・なんていうか・・・私、女同士・妹・・・そういうのを差し引いて、悠理の事を考えたの。

一人の人間として、貴女を見たのよ。・・・で、出した結論がコレ。」


そう言って、優貴さんは私の手を優しく握って、軽く振った。


「・・・結論さえハッキリすれば、後は行動するだけ。悠理が気にする事は何も無いわ。

私は、自分の気持ちに素直に従って行動いるだけなんだし。誰にも文句は言わせない。


・・・・・・そうね・・・多分、私達・・・こうなるべくして、こうなったのよ、きっと・・・。」


優貴さんの表情は微笑んだまま、でも目が・・・どこか真剣なものに変わっていた。


「優貴さん・・・」


優貴さんにそう言われると、なんだかそう思えてくるから不思議だ。

・・・優貴さんと私は、あの日、出会った時から、こうなる事になっていた・・・。

そう考えるとなんだか、運命?なんて、また恥ずかしい妙な単語が頭をよぎる。

・・・でも、それも不思議と悪くは無いと思える。


「・・・でも・・・やっぱり、秘密・・・ですよね・・・お父さんには。」


玄関のドアを見つめながら、私はそう言った。

優貴さんと私のこの関係を一番知られやすい位置にいて、一番に知られてはいけないのは・・・お父さんだ。


「そうね。知ったら、ショックどころじゃないでしょうね・・・でも、私好きよ?”秘密”って。」


相変わらず笑いながら優貴さんは、そう話す。

優貴さんって、案外前向きな人なんだなぁ・・・って思った。

それから・・・


「でも・・・なんか、そんな感じする。優貴さんって・・・」

「え?」


「”秘密好き”って感じしますよ。優貴さん、私の事分かりやすいって言ってたじゃないですか。

でも、そんな私なんかとは反対に、優貴さんって、ホント、全然、何考えてるか見えないんだもん。秘密ばっかりな気がする。」


ちょっとだけ抗議の意味も込めて、私はそう言った。・・・もっと優貴さんの内面が見たかったから。


「・・・ふふっ・・・そうね・・そういうの見えないんじゃなくて、見せないようにしてるの、私は。だから秘密好きに見えるのかしらね。」

「・・・え?・・・どうして、見せないようにしてるんですか?」


私の質問に、優貴さんはふっと真剣な顔をしてこう言った。


「・・・あの時、言ったでしょ?ホントの事は、言っちゃダメって。本当に大事な事は、そう易々と出しちゃダメなのよ、悠理。

・・・わかる?」


そう言われても・・・。


「・・・・・・・んー・・・よく、わかんないです・・・。」


だって、アレは・・・あの時の告白は、私にとって本当に大事な事だったんだもの。

言っちゃダメって言われても、止めようが無かった。そして・・・後悔は、もう無い。


「あ、そうだ・・・ねえ、悠理・・・今日はどうするつもり?」

「え?・・・別に・・・あるとすれば、図書館行くだけ、ですかね・・・。」


夏休みの課題は、もうすぐ終わる。後は、望実(補習組)達との楽しい夏休みが待っている。


「・・・じゃあ、たまにはお姉さんと一緒にサボりませんかー?」


そう言って、優貴さんは私の手をぎゅっと握った。それに対し、私は笑って聞き返す。


「・・・そ、それ・・・息抜き、って事ですよね?」


それに対して、優貴さんはまた微笑みながら言った。


「まあ、そうとも言うし・・・・あ、そうそう・・・デートとも言うわね?」


(・・・デート・・・!)

その単語に思わず反応して、顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かる。


「とにかく、どこか行かない?」

「あ・・・はい!準備、してきます!」


私は頷くと、階段を駆け上がった。

”デート”って言われて・・・すっかり気持ちは舞い上がっていた。



・・・だから、微笑む優貴さんの”呟き”なんか耳にも入っていなかった。

・・・そして、友人たちの言葉を思い出す事も無かった。



「・・・ホント、可愛いわね・・・。」



『まあ、簡単に言うと・・・優貴さん”人が良過ぎ”なんだよ。・・・だって、お母さん苦労の末に死んでる訳じゃん?』




「・・・ホント、素直で可愛くて・・・・」




『だから、もし、もしも、だよ?・・・瀬田のお父さんと藤宮さんのお母さんの間に何かあって・・・母子家庭になって・・・

それが原因で、藤宮さんのお母さんが苦労して、死んじゃったんだとしたら・・・』




「・・・・・・・・かわいそうな妹・・・。」




『それを許して、平然と一つ屋根の下で一緒に暮らせるのかなって・・・』




― 第8話 END ―


 → 前のページへ戻る

 → 次のページへ進む

 → TEXT TOPページへ戻る。