--> --> --> -->



その日は、望実達とカラオケで盛り上がった。



帰宅予定の10時はとっくに過ぎていて、お父さんがいたら私はきっと怒られていただろう。

だけど、今日は父は10時を過ぎても帰って来ない事を私は知っていた。

それでも、心配かけたくない人がいるので、私は11時前には自宅になんとか帰宅出来た。


「・・・ただいまぁ。」


玄関先で少しよろけて膝を打ったが、気にしない。


「・・・おかえり、悠理。楽しかった?」


壁にもたれかかるように、優貴さんが腕組みをして、笑って出迎えてくれた。


「あ、はい。なんか、大人数で学校の外集まるの久々過ぎて・・・カラオケも盛り上がっちゃって、なんかむちゃくちゃ楽しかったですっ!」

と私が言うと、優貴さんは目を細めて言った。


「・・・みたいね?お酒が、はいってる所を見ると。」

「・・・え・・・・えぇっ!?」


ば、バレた・・・速攻、バレた・・・!途端にさあーっと酔いが醒めていく。


「飲んでませんなんて、言わせないわよ。テンションが明らかに違うし、顔色も真っ赤。・・・水飲む?」

「・・・あ・・・す、すいません・・・。」


申し訳ない気持ちのまま、リビングのソファに大人しく座る。

テーブルの上には優貴さんの読みかけの付箋付きの本が3冊ほど置いてあった。


「…まぁ、ベロンベロンに酔って帰って来るよりはマシ、かな・・・いくら夏休みとはいえ、ハメ外し過ぎないように。はい。」

「ご、ゴメンなさい・・・。」


そう言って、申し訳なさ全開で、差し出されたコップから水を飲む。


「・・・まあ、そういう私も身に覚えがないとは言えないんだけどね・・・友達付き合いもあるだろうけど、気をつけてね。

あんまり遅くなると心配だから、連絡くらいは、ね・・・一応、これでも、私心配したんだから。」


そう言いながら、優貴さんは笑って私の頭をぐりぐりと撫でた。

怒らないまでも、心配をかけてしまった事にちょっと罪悪感を感じる。


「あ、はい・・・」

「あと、お酒は二十歳になってから。」


私の目を見て、しっかりと優貴さんはそう言った。


「・・・はい。ごめんなさい・・・。」

「・・・分かれば宜しい。」


そう言うと、優貴さんはまた私の頭を撫でた。・・・今度は優しかった。

それが、また妙にテンションを上げてしまう・・・いけない、いけない・・・私は今さっき叱られてしまった身・・・


「・・・優貴さん、ごめ、んな・・・」


その先は、言えなかった。

お酒で頭がふわふわしていなかったら、もっと素早く状況を把握できただろう。


ただ、優貴さんの顔がすぐ傍まで、きていて・・・。


「・・・ふうむ・・・カルアミルク、か・・・。」

「・・・・・・は、はい、当たり、です・・・。」


優貴さんは、私の飲んだお酒の種類を当てると、ニッコリと笑って私のグラスを持って、台所へとまた向かった。


今・・・心の底から反省、してます。


私が酔っぱらってさえ、いなかったら・・・今、優貴さん・・・私の唇、舐めたか、匂いを嗅いだか・・・

・・・・・・キスしたか、どれなのか・・・わかった筈なのに。



・・・これこそ、罰ってヤツだろうか・・・。



・・・今、私・・・優貴さんに、何をされたのか、全然わかんなかった・・・。


一瞬の出来事で、感触も何も無かったし・・・。


でも、分かったら分かったで・・・物凄く、恥ずかしいし・・・第一、不意打ち、過ぎ・・・。


そこからも、あんまりよく覚えていない。

とにかく水を飲まされて、そのまま優貴さんの肩を借りて、階段を上り、部屋へと運ばれ、寝かされた。


「・・・おやすみ、悠理。」

「おやすみなさい、優貴さん・・・。」


ぼうっとした返事をした後、私はそのまま眠りの世界に落ちていった。




目が覚めて、リビングへ行くと優貴さんが朝食の準備をしていた。


・・・2人分。


「あれ?・・・お父さん、帰って来なかったんですか?」


私がそう聞くと、優貴さんは苦笑しながら、御飯と味噌汁を置きながら説明した。


「昨日、悠理が帰ってきて、寝てから1時間くらい後くらいかな・・・帰ってきたは良いんだけどね。結構、酔っ払ってた。

で・・・今、二日酔いだって。さっき一応、水とスポーツドリンク持って行って様子みたけど、食事は無理っぽいわね。」


「え・・・お父さんも・・・?」


確かに、お父さんは時々飲んで酔っ払って帰って来るけど、昨日は会議で遅くなるって言ってなかったっけ・・・。

多分、その流れで飲み会になっちゃったんだろうなぁ・・・。


「あぁ、昨日の事、一応覚えてるんだ?」


そう言いながら、優貴さんはにやっとイジワルに笑った。


「まあ、一応・・・所々・・・。」


そう言って誤魔化す。

昨日、優貴さんに介抱された事・・・ともう一つ・・・。


だけど、実はしっかりとは覚えてないから、確認したい事なんだけど・・・出来ない事がある。


「・・・親子よね。同じ日に酔っ払って帰って来るなんて。」


そう言いながら、優貴さんはいつも通り、焼き魚をテーブルに並べて”何飲む?”なんて聞いてくる。


「・・・う・・・昨日は、ゴメンなさい・・・迷惑かけて・・・。」

「いいのよ、”ごめんなさい”は、昨日聞いたから。気にしないで。・・・水にする?」

「・・・はい。」


申し訳ないやら・・・ちょっと気まずいやら。

心境は複雑。



『…優貴さん、昨日私達、キスしませんでしたか?』


・・・なんて、聞けるはずがない。

お酒さえ飲んでなければ・・・ちゃんと、状況把握できたのに。覚えてたのに・・・。


最初のキス、だったかもしれないのに・・・。

複雑な心境を抱えたまま、私は優貴さんと朝食を食べた。

優貴さんは、やっぱり”いつも通り”で。

もしも、キスしてたら・・・もう少し態度か何か変化があってもいいのに・・・。

・・・でも、優貴さんの場合、例え昨日、私とキスしたとしても、していなくても、こんな感じなのかもしれない。


・・・・・・・それもそれで、なんか悲しい気がするけど・・・。


図書館に通っただけあって、夏休みの課題は終わっていた。

あとは恒例、夏休み終わりギリギリまで遊んで、望実が写させてくれと私に懇願してくるのを待つだけ。

リビングに置いてあった優貴さんの本を1冊、手にとって読んでみる。



・・・・・・・・・・・・・・全然、わかんない。



「悠理?」

「あ、ごめんなさい。興味本位で・・・」

「別にいいのよ、学問は興味から始まる事もあるわ。」


そう言って優貴さんは笑った。

私は、パラパラとページをめくってみたけど、結局分からなくて、本を閉じた。


朝食の後片付けをする優貴さんの後姿を見ながら、私は考えていた。


優貴さんと私・・・同じ好き同士で、一つ屋根の下で暮らしているけれど・・・。

時々、2人で出かけたりもするけれど・・・。


・・・特に、それから進展は、無い。


だから、昨日のキス?かなんかよくわからないまま・・・の、しょうもないアレが、気になって気になってしょうがない。


思い切って聞いて、もしも『相当酔っ払ってたのね』なんて、言われたら恥ずかしい。


(キス・・・か・・・。)





思い返すと、花火大会の時の指越しのキス。

額へのキス。

私の耳に触れた唇の感触。




それしか、ない。

ちゃんとした、キスが無い。



・・・でも・・・




でも、焦る必要なんか、無いんだ。好きな人が、こうして、毎日家にいるんだもの。

そんな事しなくたって、別に・・・




そう自分に言い聞かせるものの・・・。



『・・・ふうむ・・・カルアミルク、か・・・。』

『・・・・・・は、はい、当たり、です・・・。』




そこだけ・・・優貴さんの顔が間近で見えて、ドキドキして、そんな台詞を言われた・・・


・・・のは、ハッキリと覚えているのに。


何故、その他が把握できてないんだろう・・・。


・・・・・・・お酒って・・・怖い・・・。



私は、ソファに突っ伏した。


「気分でも悪いの?」



そう優貴さんに聞かれたが、私は”とりあえず夏休み満喫してるだけです”と言って、笑って誤魔化した。




(・・・・・・ああ、私の馬鹿・・・。)



心の底から、そう思った。



窓の外からは、夏の日差しが容赦なく差し込む。



少し眩しいけれど、それはそれで夏らしくって良いなと、クーラーのきいた部屋で私は思う。

ソファに仰向けに寝転がっている私は、メールを打ち終わると携帯電話をお腹の上に置いた。


すると急に。


「・・・満喫できてる?夏休みとやらは。」


私の顔を覗き込むような姿勢で、優貴さんは立っていた。


「あ・・・優貴さん・・・。」


優貴さんは、いつも通りに微笑んでいる。

こんな至近距離にドキドキする私に対して、優貴さんは、いつも通り。

大人の余裕、だろうか。子供のままだって自覚している私には、当然出来ない事だ。


好きな人が一緒の家に住んでいて、ふっと気を抜いた瞬間に目の前に突然現れて・・・微笑む。

慣れるなんて事、まだ出来そうもない。


「ねえ、やっぱり悠理も・・・二日酔いなんじゃない?」

「あ、いえ、そんなんじゃないです・・・そんな心配しないで・・・。」


そう言って、優貴さんに手を伸ばしかけて、私は止めた。


・・・今日は、お父さんが家にいるからだ。


このまま手を伸ばして、体を寄せて、抱きついて、優貴さんの匂いに包まれたいなと思っていても・・・

それは、いつお父さんが通るかもわからないリビングじゃ、そんな事、無理だ。


でも。


「・・・悠理・・・今、このまま・・・耳元で大声出したら、頭ガンガンするかしらね?」

「・・・・!」


・・・この人は、お構いなしか。


平然と私の耳元に唇をつけて、少し低めの声で、優しく、意地悪を囁いて、クスクスと笑う。

外の夏の暑さ・クーラーの涼しさ・全てを吹っ飛ばして、私の身体の熱が、かあっとわき上がっていく。


私は、優貴さんの服の裾を掴む。


「・・・ずるい、優貴さん・・・ばっかり・・・。」


ずっと、優貴さんのペースだ。

私はドキドキされっ放しのまま。


「・・・昨日、悪いコトしたのは、誰?」


ニコニコ笑顔だけど、意地悪な口調で、優貴さんは昨日の話を持ち出した。

それを言われると、確かに何もいえないけれど。


「・・・私、です・・・けど・・・・・・けど、昨日は、お祝いみたいなノリ、だったから・・・。」


「お祝い?」

「私は瑞穂と、仲直り・・・出来たし・・・。他にも、友達にやっと彼氏が出来たりして・・・だから・・・。」


私がそう言うと、優貴さんはしゃがんで私の前髪をそっとあげて、額に触れた。


「そう、それは良かったわね・・・。仲直り、出来たんだ?」


報告し損ねた瑞穂との一件を私は、優貴さんに話した。


「・・・はい・・・優貴さんのアドバイスの御蔭です。

瑞穂には、悪い事しちゃったし、傷つけちゃったし・・・。

優貴さんの言う通り、気まずいのは瑞穂も一緒・・・いや、瑞穂の方が断然上だったかもしれないです・・・。

・・・それに気付けたの、優貴さんのくれたアドバイスの御蔭だから。」


私の言葉を、優貴さんは黙って頷きながら、聞いていてくれた。


「私があのまま逃げ続けていたら・・・瑞穂も私も・・・前に進めなかったと思うし、友達にも戻れなかった・・・。

大事な友達だからこそ、このままじゃ良くないって思ったから・・・。

・・・素直な気持ち・・・言えました、私・・・。」


「・・・・・・うん・・・悠理が良い結果だって思ってるんだったら、それで良いと思うわ。」


額を撫でる手が、いつもよりも優しく感じる。クーラーの風に乗って、優貴さんの匂いがする。

少し低めの声が、少し痛む頭にも優しく響く。・・・出来れば、ずっと、ずっと聞いていたい。


「・・・でも・・・だからって昨日は、ハメ外し過ぎちゃいました・・・正直、ちょっと・・・二日酔いかどうかわかんないけど・・・頭痛くって。」


私は”反省してます”と言って苦笑した。

優貴さんもそれに対し、苦笑しながら私に言った。


「・・・でしょうね。・・・悪いコトって自覚してるんなら、もう止めなさいね?昨日、足元ふらついてて、ちょっと危なかったわよ?」


そう言って、私の頬を人差し指でツンッと突いた。


「・・・はい・・・。」


頬を突いたままの優貴さんの指が滑り落ちて、私の下唇に触れる。


「・・・誰かに連れさらわれたりでもしたら、大変だわ。・・・私のモノなのに。」


じっと目を見つめながら、そんな台詞をスラリと言う優貴さんに、私は”何言ってるんですか”とか抗議する力も”はいはい”と受け流す力も無く。

引いたと思った熱が脱力した身体に、また、かあっと蘇る。


目と目を合わせたまま、動けない。


優貴さんの目から逃げられない。逃げる気も・・・無かった。


昨日したか、どうかもわからないキス。



(・・・出来るなら・・・今・・・したい・・・)



・・・私は黙って、瞼を・・・閉じた。



―― いっそ、奪って欲しい。



そう思って、瞼を閉じた。


瞼を閉じて、待った。



だけど。



下唇に触れている指が離れただけで、優貴さんは何もしなかった。


「・・・もうしばらく、休んでなさい。悠理。」


少し低くて優しい声がそう言った。

瞼を開いて、優貴さんの表情をみると、困ったように微笑んでいた。


・・・まるで・・・『場所をよく考えろ』とも言われている・・・そんな気がした。


優貴さんはそのまま、静かに立ち上がって、遠ざかっていく。

階段をゆっくりと上がる音。



―― いっそ、奪って欲しい。


自分の家なのに。


『だからこそ。』


こんなに好きなのに。


『だからこそ。』


もっと触れて欲しいのに。


『今、ここじゃ、無理なのよ。悠理。』


優貴さんは、きっと・・・そう言いたかったのだろう。

でも、それを言わずにいたのは、どうして?


半分だけ血の繋がった姉妹が、想いを通じ合わせる事。唇を触れ合わせる事。

・・・誰にも見られてはいけない。


・・・わかっている。

・・・わかっているけれど・・・


(・・・でも、私は・・・)



―― 今、奪って欲しかった。


空回りした想いを胸に、私は瞼を閉じ、うつ伏せになった。



(・・・・・・そうだ・・・私か、優貴さんの部屋なら、お父さんの目なんて、届かない・・・。)



私は、いつの間にか、家族である父親の目を欺く事しか考えていなかった。


私は、優貴さんとの時間の為に、頭を使っていた。

お父さんの目の届かない場所で、姉である優貴さんと2人きりで過ごす事を、考えていた。



―― 私は・・・私は、ちっとも、イイコなんかじゃない。



私は起き上がり、優貴さんの足音を追った。


もしかして、まだ・・・私の頭にはアルコールが残っているんだろうか。

だから、こんなにも感情のままに動けるのか。


それは、わからない。

だけど、今、自分が必要としているものは・・・わかる。


身体の熱に突き動かされるように私は、優貴さんの部屋を目指していた。


階段を駆け上がって、優貴さんの部屋のドアをノックした。


「はい?」

「・・・今、いいですか?」


私の声に、ドアの向こう側の声はしばらく黙っていたが、やがてドアが開いた。


「・・・休んでなくて、いいの?」


優貴さんは、いつも通りの微笑みを浮かべて立っていた。

私は、ドアノブを掴む優貴さんの手の触れた。


「・・・私・・・優貴さんの、傍に・・・いたい、から・・・。」


私のその言葉の後、ドアがゆっくり開き、私は吸い込まれるように足を踏み入れた。


「・・・いらっしゃい。」


ドアがゆっくり閉まっていくと同時に、少し低めの声に私は包まれた。

・・・それは、頭痛なんて感じなくなる程、心地良い声だった。



優貴さんの部屋に入る。

以前も入った事があるけれど、その時、部屋の主はいなかった。

今は違う。

主のいる部屋は、いつもよりも、その主の匂いでいっぱいだった。


「優貴さんの部屋・・・もしかして、クーラーありませんでした?暑く、ないんですか?」


優貴さんの部屋は、昼からは日が差し込まない。

だけど、クーラーが無いせいもあってか、さっきいたリビングよりその部屋の温度が暑く感じた私は、そう聞いた。


「・・・ええ。でも別に・・・”この子”が、いるから平気よ。」


そう言って、かたかたっと音を立てて、”この子”こと・・・”扇風機”の首を私の方へと向けた。

・・・確かに直接、風をあてられたら涼しいし、この部屋は家の中で比較的涼しい場所なんだろうけど・・・。

一応、今は夏真っ盛りなのだし、これ一台だけで夏を乗り切ろうなんて無理をしなくても、お父さんに一言『クーラー付けて』って言ってもいいのに・・・。


(やっぱり、言いにくいのかな・・・)


私は、心配になって聞いてみた。


「平気って言ったって・・・夜とか・・・一体どうしてるんですか?」


まさかとは思うけど、優貴さん・・・扇風機付けっ放しで寝てるんじゃないだろうか、なんて考えてしまう。

もしくは・・・暑いの我慢して、布団の上で寝苦しい夜を過ごしているんじゃないのか・・・なんて。


だけど、優貴さんはサラリと言った。

「タイマー設定しておけば、別に平気よ。たまに暑いなって思ったら、パジャマのボタン外して、また扇風機つけて、タイマー設定するだけ。」

「でも・・・暑い時は寝苦しいんじゃ・・・」


そう言いながら、私は想像してしまう。

汗で肌に張り付く髪の毛に、パジャマのボタンを外して、無防備な姿で寝ている優貴さんを・・・



・・・・・・・・。



見てみたいけど・・・多分、無いと思う。

こっちに扇風機の風を向けているニコニコと爽やかな笑顔の優貴さんを見て、私は思った。

なんだか、その笑顔を蒸し暑い夜も・・・優貴さんなら、服なんか乱れる事無くスヤスヤと寝ていそうな気がする。


・・・それに。


私は優貴さんの部屋に遊びに来て、一体何を考えているんだか。


「平気よ、ホントに。」

優貴さんは、笑ってそう答えた。


「でも、必要なものなら言った方が良いですよ。遠慮とかしないで下さいね。

・・・あ、そうだ。あと私の部屋にクーラーついてますから、暑くなったら、来て下さいよ。」


もし、優貴さんの殺風景な部屋を見回しながら、私はそう言った。

さり気なく、自分の部屋に遊びに来てという意味の言葉も付け加えた。


(でも、本当に何もない部屋だなぁ・・・)


以前、洗濯物を置きにきた時より、少しだけ物が増えた感じもするけど・・・

増えたのは、緑色の可愛いカエルのゴミ箱と本棚とその中に収納されている本くらいだ・・・。服の類は、クロ−ゼットの中だろう。

・・・やっぱり、殺風景で女子大生の部屋にしてはモノが少な過ぎると感じる。


「・・・何もない部屋だから、つまんないでしょ?」


優貴さんが、ふとそう言う。


「そんな事無いです。」


私の部屋には、クーラーもゲームも雑誌もお菓子もあったりする。

クローゼットの中にはまだまだ余計なモノばっかり、ぎっしり詰め込んである・・・まるで子供部屋みたいだ。


だけど。


お母さんが亡くなってから、いつも思っていた。

いくら物に囲まれていても・・・私は、この家に一人残されていたようなものだった。


物は物。

人が一人だけの状態が変わる事は無い。

物は物なんだから、それだけが増え続けても、それが余計に淋しさを呼び起こす時がある。


・・・独りはいやだ。

独りは、もう慣れたつもりでいたけど・・・優貴さんがいる今となっては、また独りに戻るのは淋しかった。


「さっき言ったじゃないですか・・・私、優貴さんの傍に・・・優貴さんの傍が、良いんです。だから・・・」


そう言って、私は腕を伸ばして”こっちに来て下さい”という意思表示の代わりに、扇風機の後ろにいる優貴さんの服の端を引っ張ってみる。

・・・子供みたいな変な甘え方だと、自分でもやってて思う。

だけど、モノが少ない寂しい部屋の中、微妙な距離が妙に淋しく感じてしまい、やってしまった。


「・・・なぁに?」


いつも通りの笑顔の優貴さんは、服を引っ張る私の方へ体を寄せてきた。

扇風機の風に煽られて、優貴さんの髪の毛が少しだけふわりと舞って、優貴さんの匂いが私の鼻に届く。


優貴さんが、ふと私の肩に触れた。その手に、私はドキリとする。

咄嗟に優貴さんに引き寄せられてしまうのか、それともいっそ自分から飛び込もうかを考える。


「ズレてる。」

そう言って私のキャミソールの肩紐を元の位置に直して、また笑った。


「・・・それとも、ズラしてるの?」


今度は、意味有り気な笑い。


「・・・優貴さん、その言い方、エロい。」


抗議の意味を込めた私の言葉は、全然抗議にもなってない程、小さい声だった。

優貴さんがすぐ傍にいる、この至近距離で意識しない方がおかしい。・・・いや、意識し過ぎておかしくなってしまっているのは私の方かもしれない。

優貴さんと私の距離がどんどん縮まる。それにつれて、私の心臓の音がまた段々早くなっていく。

手が肩から、首に上がってくる。


「・・・すごいドクドクいってる。」


優貴さんが、私の首の動脈付近に触れ、血流の感想を笑って言う。


「・・・そりゃ・・・そう、でしょうよ・・・。」


私が辛うじて、搾り出すようにそう言うと、優貴さんはまた笑った。

よく笑われてるな、私・・・と思いつつ・・・そんなに私の様子を見ているのが、面白いのだろうか。私には解らない。


「どうして?」


しかも、理由を聞かれる。

ドクドクと脈打つ理由を、その原因に、理由を聞かれる。


「優貴さんが・・・触るから・・・。」


・・・優貴さん、絶対、解ってて聞いてる。意地悪だ。


「私・・・そんなに変な所、触ってる?」

「そ、そういう意味じゃなくて・・・・・・・っ!?」


不意をつかれた。

首から、首の後ろ、背中と手を伸ばされ、力任せに背中から前に押し出されて、私はそのまま優貴さんの胸に顔を突っ込んだ。

そのまま・・・私は優貴さんに捕まる形になり、抱き締められた。


「・・・暑苦しくなったら、言って。」


苦しいのは、確かだけど。そういう類の苦しさじゃない。苦しいけれど、暑いせいじゃない。

苦しいけれど、苦しいなんて言ったら、優貴さんはこの手を離してしまう。

その方がもっと嫌だった。


そして、苦しさが、やがて安心感へと変わっていく。

優貴さんの胸に顔を埋めながら、私は脱力した腕を伸ばして、優貴さんの服を掴むように今度はしがみついて、瞼を閉じた。

柔らかい感触を顔中で受け止めて、静かにゆっくりと呼吸する。

優貴さんの呼吸する音、心臓の音が聞こえる。


「そういえば・・・悠理。」


私を呼ぶ声も、すぐ近くで聞こえる。


「・・・はい?」


「朝、『今晩、何か食べたいものあるか』って聞かれたんだけど、悠理何か思いつく?」

「・・・・・・。」


・・・この状況で、晩御飯の話って・・・。優貴さんって、意外とマイペース・・・。

変な脱力感に包まれ、私は目を開けて聞き返した。


「それって・・・お父さんに?」

「そう。・・・もしかして、今夜作る気、なのかしらね?突然、聞かれてもなんて答えようか困っちゃって。

とりあえず、悠理に聞いてみますって答えちゃったのよね。どうしよっか?」


それを聞いて、私は溜息交じりに答えた。


「ああ・・・時々、やるんです、お父さん。・・・多分、何も答えなくても、カレーになると思いますよ。お父さん、色んなカレー作れるんです。」

「へえ・・・グリーンカレーとか?」

「ええ。他にもスープカレーとか、とにかく変にこだわるんですよね・・・味も不味くは無いし、後片付けしなくて済むのは、助かりますけど。

とにかく、こだわるから一日中カレー煮込んでて、カレーの匂いで家はいっぱいだし、お父さんに台所占拠されちゃうんです。あんまり台所入れなくなりますよ。」


私の話を聞いて、優貴さんは私の頭の上で言った。


「・・・それは楽しみね。」

「うーん・・・でも、量が凄い事になるから、しばらく、カレーの生活が続きますよ・・・。」


私がウンザリしてるのは、それだった。

作り過ぎだって何回言っても、お父さんは2人暮らしだという事を忘れているんじゃないかと思うほど、カレーを作る。

よりにもよって、なんで今日お父さんの”カレー病”が出ちゃったのか、と私は心の中で、優貴さんに抱き締められたまま思った。


「・・・好きでも続くとウンザリしますよ。最初は珍しくても。」

「ま、私がいるんだから。その分、戦力になるわ。」


そう言って笑いながら、優貴さんが私の頭を撫でる。

そうこう言ってる内に”カレー”が・・・量が・・・気になってきた。


「カレーなんて、夏らしいじゃない。」


優貴さんはそう言うが、私は心配でならない。優貴さんがいるからこそ、お父さんが余計張り切っちゃわないか心配なのだ。


「・・・心配なら、見に行ってみる?」


私の頭のつむじをツンツンとつつき、優貴さんがそう言った。

折角、お父さんの目の届かない部屋にいるのに・・・と思いながらも、お父さんに作り過ぎないでと釘を刺しておかないと

・・・後で大変な思いをするのは、家で食事をする回数が多い私達だ。

そうっと2人で台所を見ると、今まさにお父さんが材料を切り終えていた所だった。


「ホントにすごい量・・・」

「・・・でしょ?」


呆れるほど、ざる2つ分の野菜が台所にあった。ざるの一つは玉ねぎが山盛り状態。大きなざるの方にはニンジンとジャガイモが。


「・・・お父さん。作り過ぎないでよ。そんなに要らないから、その野菜減らして。」


私がボソッと釘を刺すと、お父さんは苦笑いを浮かべてこちらを向いた。


「・・・玉ねぎは多い方が美味いんだぞ?」

「美味しいのはわかったから、量は減らしてよ。多過ぎなんだってば。」

「次の日のカレーが美味いんじゃないか。だから沢山作っておいて・・・」


懲りない、悪びれないお父さんに向かって、私は冷たく言い放つ。


「3日目からのカレーは、地獄。優貴さんだって、ウンザリするから。」


私は強引にお父さんから、やや大きめに切られた野菜と肉それぞれを取り上げて、半分はタッパーで保存することにした。


「野菜とお肉、他の料理で使いますから。お肉はともかく・・・ジャガイモは剥いちゃった後だし・・・

あぁ、そうだ。カレーだけじゃなんですから、これポテトサラダにでもしましょうか。台所スペース空いたら教えて下さい。」


そう言いながら、優貴さんは苦笑を浮かべて、タッパーにすばやく、使わない分の野菜を移していた。


「あ・・・わかった・・・。」

さすが優貴さん・・・と私は感心した。

以前は、私が文句を言ってもお父さんは聞かなかったが、優貴さんがいる今

優貴さんが口を出す前に手早く動いて片付けてしまうので、反論する暇もなかったようだ。


・・・人が一人増えただけで、やっぱり家の中って、こんなにも変わるんだな、と思った。


「・・・換気扇、つけるの忘れないでよ?」

「はいはい。」


お父さんが、玉ねぎをあめ色になるまで炒める作業を始めた。ガス代かかるって言ってるのに聞く耳持たずだ。


「・・・まったく、もう・・・。」


私はボヤキながら、リビングのソファに座った。

父の暴走を止められた安堵感と疲労感に包まれた私の耳に、換気扇とじゅーっという玉ねぎを炒める音が届いた。


(うるさいなぁ・・・やっぱ、2階行こうかな・・・)


そんな事を思っている私の耳に。


「・・・悠理。」


換気扇と玉ねぎを炒める音に混じって、私を呼ぶ優貴さんの声がしたような気がした。


そして、ふっと顔をあげると同時に。



唇に何か柔らかいものが触れた。


それは、あまりにも突然の事で。

私が”それ”を認識するまで、時間が掛かった。




優貴さんが私の唇を塞いでいる、という事。




(・・・キス、されて、る・・・!)



私は咄嗟に息を止め、台所の方に視線を向けるが、お父さんはこちらに背を向けたまま、玉ねぎを炒め続けている。

私達が今、何をしているのか、気付いてすらいないし、考えても無いだろう。


視線を優貴さんの方を向けると同時に優貴さんは唇を離し、目で笑った。


(どうして、今・・・ここで・・・こんな・・・?)


その疑問を言葉にも出来ずに困惑する私に、優貴さんはニッコリと微笑んで見せて、また私の唇に自分の唇をそっと押しあてた。

今度は・・・ゆっくりと近付いてくる。



・・・私には、理想のキスのシチュエーションというものが、一応あった。


だけど、今されているキスは、そんな私の理想のシチュエーションを掠りもしないシチュエーションで。



勿論、台所にいるお父さんの存在を忘れてはいない。すぐ傍に父親がカレーを作っているのだ。

お父さんが、一瞬でもこちらを振り返ったら、全部見えてしまう。

感じるのは”後ろめたさ”と”焦り”・・・”困惑”・・・もう何がなんだか訳が解らない。



・・・だけど・・・この時は・・・私が、一番待ち望んでいる瞬間でもあった。



”お父さん、こちらを向かないで”、という祈りか、”お父さんがこちらを向くはずが無い”という予想かどうかもわからないまま


私は、ただ横目でお父さんの後姿を確認するように見た。



(・・・・・・大丈夫、お父さんはこっちを向かない・・・。)



・・・そう確信した瞬間に、”後ろめたさ”が消えていく。



私は、指一本動かせないまま、ただ瞼を閉じた。



やわらかくて、温かくて。

時折、漏れてしまう私の呼吸を塞ぐように触れる、しっとりとした唇。


優貴さんの、唇が自分の唇に触れている。そう意識するだけで、息が乱れそうなのを必死に堪えた。



それから数秒。



唇を離した優貴さんは、目を開いた私の目の前で人差し指で『しー』と”内緒”のポーズをとった。


・・・そんな事されなくたって、私は何も言えない状態だし、静かに・・・いや、今した事だって”秘密”にするに決まっている。


満足そうに微笑む優貴さんに対し、私はお父さんがすぐ傍にいる為、これ以上何も言う事は出来ず。

ただ、ただ・・・恥ずかしさが込み上げて来て、こくんと頷いて、その場から移動するくらいしか出来なかった。


2階へ移動し、自分の部屋に入ると、私は閉めたドアに背中をつけたまま、自分の胸の上に手を置いた。


(・・・まだ・・・ドキドキしてる・・・。)


私は、動揺していた。まだ信じられない。

優貴さんとキスをした。・・・2回も。


だけど・・・リビングで・・・すぐ近くに、お父さんがいたのに・・・。


掌で唇をおさえて、私は一人、息を整えていた。

あの柔らかい感触も、しっとりとした唇の感触もまだ・・・残っている・・・。


(・・・でも・・・どうして、優貴さん突然、あんなコト、したんだろう・・・。)


下手をすれば、お父さんにバレてもおかしくなかった状況を優貴さんは、まるで楽しむように・・・。

優貴さんの真意をさっきは、聞きたくても聞けなかった状況だった。

お父さんが台所にいなければ、聞けたかもしれないが。


・・・単に私の不意を突きたかったのか・・・または、悪戯のつもりなのか・・・一体、どういうつもりなのか・・・。



・・・いや、それよりも・・・問題はまだ残っている。それも大きいのが。



(・・・一体、今日は、どんな顔して、食事したらいいんだろう・・・。)



お父さんのカレーが出来上がれば、私は、キスをした優貴さんと、それを知らないお父さんと3人で、顔を合わせて食事をしないといけない。


・・・今日の夕食は、複雑な味がしそうだ、と思った。





夜になり、お父さんの上機嫌な声が聞こえた。




「御飯だぞー!」


私は、はーいと返事をして立ち上がった。


立ち上がったは良いけれど、一体どういう顔をしてリビングに行ったら良いんだろう。


もう一度、鏡を見る。


ただでさえ”わかりやすい”と言われてしまう私だから。鏡を見て、入念に自分の普通の表情を作り上げてみる。

”普通”を意識すればするほど、顔は赤くなってしまう。


・・・キスをした。


ついさっきの出来事だ。

その突然の出来事が、今も私を動揺させていた。


キスの相手は優貴さんだ。私は、優貴さんが好きだ。嫌なんかじゃなかった。優貴さんとキスもしたいと思っていた。


だけど、突然の事だった、前触れも無く奪われた唇。

すぐ傍には、お父さんがいたのに。

お父さんが振り向いたら、優貴さんはどうする気だったんだろう。


・・・まるで、お父さんの見ていない隙を狙ったように、優貴さんは私に唇を重ねてきた。

もしもお父さんにそれを見られていたら、と考えるだけで少しだけ身震いする。


「悠理。冷めちゃうわよ。」

ノック音の後、ドア越しに優貴さんの声が聞こえた。

ドアを開けると、優貴さんは”いつも通り”に笑っていた。


あんな場所で、キス、した後、なのに・・・。


どうして、平然と笑っていられるんだろう。・・・まるで、何事もなかったかのように・・・。

それとも、意識する方がどうかしているのだろうか。私が・・・子供、な証拠?

私は少しだけ、”大人の優貴さん”が憎らしく思えた。


「・・・どうして、あんな場所で突然あんな事したかって、聞きたそうね?」


優貴さんは、私の表情から、察してしまったようだ。

ドアを開けておいて、私の部屋には一歩も入らず、入り口で腕を組んだまま、優貴さんはやっぱりいつも通り笑っていた。

私が表情をいくら作っても・・・やっぱり、私って解りやすいんだろうか、とまた少しへこんだ。


「だって・・・」

「お父さんに見られたらどうしようって考えた?」

「・・・はい。」


私は正直に答えた。


「それで良いのよ。私達のしている行為って、そういう事なんだから。」

「・・・え?」

「お父さんにも、誰にも、見られちゃいけない、ずっと秘密にしていなくちゃいけない・・・そういう行為なの。この関係もね。」


「じゃあ、優貴さん・・・どうして、あんな事をさっき・・・」

「イザとなると、さっきは怖かったでしょう?・・・”バレるかもしれない”って。」


それに私はこくんと頷いた。それと同時に、”ならばどうして、さっき、そんな危険な事をしたのか”を聞きたくなった。


「・・・その気持ちを忘れないでいて欲しかったの。

隠し事をしている限り、多分、この先、耐えられなくなるくらいの『後ろめたさ』や『罪悪感』が襲ってくるわ。

でも、そういう思いを・・・私も・・・いえ、私達は”共有している”んだって事を忘れないで。

”バレたらどうしよう”、”怖い”、私もそう思っているわ。・・・私達の関係は、決して誰にも知られてはいけないの。」


「だからって、あんな事したんですか?・・・まるで、私が、優貴さんとの関係を黙っていられるか・・・た、試すような事を?」


優貴さんの言葉に私は思わず、声が少し震えた。

それでは、まるで優貴さんが私を試しているかのようだと感じたからで・・・。

そんな事の為に私の唇は奪われたのだろうか、と思うと悲しくもなってくる。


「確かに、一回目のはそれも含んでる。でも、悠理に私との関係をちゃんと認識して欲しくて、あえて、あそこでしたの。」


優貴さんは”私を試した”という事を否定しなかった。


「私達は”異母姉妹”・・・第3者から見たらね。でも、私と貴女自身は、お互いを”姉と妹”とは違う目で見ている。

・・・それは世間でいう所の”あり得ない関係”なのよ。当事者の私達がいくら何を言っても、一度そういう関係だって事を知られたら、第3者の見方が間違いなく変わるわ。

だから、誰にも知られちゃいけない。・・・特にお父さんには。」


「・・・そんなの・・・」


そんなの、わかっている、と言いかけた私だが、それよりも優貴さんが話を続けた。


「私達の関係をこれから、ずっとお父さんに黙っている事は、悠理が想像しているよりも、きっとすごく辛い事よ。

だからって、開き直って告白しても、理解されるかどうかわからないし、理解されるのは・・・きっと無理よ。

悠理にはどっちか選択できる?」


「・・・・・・。」


「・・・だから、試してみたの。あそこで貴女にキスをして・・・

・・・もし、お父さんに後ろめたさや罪悪感を感じて、黙って耐える事が辛いと今でも感じているなら、この関係を続けていくのは無理よ。」


「・・・・・。」


それを聞いて、黙って俯く私の頭の上に、優貴さんは手を優しくのせた。


「あの時、多分お父さんは振り向かないだろうなって思って・・・したの。

でも、お父さんが振り向かない可能性は0%じゃなかった・・・ごめんね、あんな試すような事して・・・私の事、嫌いになった?」

「・・・・・・。」


どうして、悲しそうな笑顔でそんな事を聞くのだろう。それを見ている私も悲しくなって、一度あげた顔をまた伏せた。


「・・・嫌いになったら、それでいいのよ?もしくは、罪悪感で潰されそうになったら、遠慮なく私に言って・・・私は、いつでも・・・」


優しくて温かい掌と言葉。でも、言葉の内容はある種、残酷にも聞こえた。

確かに、初めての優貴さんとのキスが私を試す為のキスなんてショックだったし

キスをしている間、お父さんに対して罪悪感を全く感じて無い、とは言いきれなかった。


でも・・・それだけで・・・今更、そんな事で優貴さんを”嫌い”になんてなれなかった。


それよりも。


『私はいつでも・・・身を引く』

・・・優貴さんが、そう言おうとしてるんじゃないだろうかと思った私は、思わず顔を上げて、優貴さんの服を掴んだ。


「・・・私、優貴さんが好きです。どんな事されても、きっと・・・この気持ちは変わらないだろうし・・・!」


・・・服を掴む手に力が入る。


「・・・確かにお父さんに対して、罪悪感が無いって言えば、嘘になります・・・。

でも・・・この事を、優貴さんとの事を、お父さんに言うつもりなんか、ないです・・・バレないように努力もするから・・・!」


私の答え次第で、優貴さんとの関係が終わるような・・・そんな気がした。だから、必死に言葉を探した。

溢れ出そうとしている感情を抑えながら、私は言葉を繋げた。


「・・・だから・・・お願いだから、それ以上・・・そんな事言わないで・・・お願い・・・優貴さん・・・!」


自然と目が潤んでくる。堪えないと、すぐにでも涙が溢れて零れそうなのを私は、必死に堪えた。


「・・・わかったわ。」


優貴さんはそう言うと私の腰に手を伸ばし、自分の方へと引き寄せた。

自然と顔と顔の距離が縮み、優貴さんと私は、3回目のキスをした。


「いい?・・・秘密、よ・・・悠理・・・2人だけの。」


唇が離れる度に口を開き、優貴さんは途切れ途切れに小声でそう言った。


「・・・わかってる・・・2人だけの・・・秘密・・・。」


私も唇が離れる度に口を開き、途切れ途切れに、小声でそう約束をした。


今度は少し長い、優しいキス。


今度は誰の目にも入らない場所だからか、私は思い切り、優貴さんに身体をぴったりとつけた。

人の唇ってやっぱり柔らかいんだなと頭の隅で考えながら、私は優貴さんの唇の感触を記憶に焼き付けるように自分の唇に押し当てた。


本音を言えば、さっきのキスをする前はお父さんや周囲にも”バレてもいいや”、なんて思ってた。

ただ、その人が好きなだけで、誰かに迷惑をかける訳でもない。誰に責められようと関係ない、と開き直りに近い事を考えていた。

・・・元々、お父さんのせいでこんな異母姉妹の生活が始まったのだから。

責任はお父さんにもあるんだ、なんて思っていたから、私達の関係がバレたらバレたで、お父さんにそう言うつもりだった。

だけど、お父さんのいるリビングで優貴さんのキスをされた時、一番最初に気にしたのは・・・”お父さんがこちらを振り向いて、優貴さんと私の関係がバレる事”だった。

例え、誰かに迷惑をかけなくとも、誰にも責められないにしろ、私はあの時、お父さんに振り向いて欲しくなかった。


母親の違う姉と妹、2人の娘がキスをしている現場を見せるなんて事、したくなかった。

いざ、お父さんに優貴さんとこういう関係になっている事が知られるという事が、怖かった。

開き直る事だって、出来たかどうか解らない。


お父さんは、私達、娘に対し、一体何を思い、何を言うのか。

・・・ガッカリ、するだろうか。それとも怒るだろうか。悲しむのだろうか。

最悪の場合、私か優貴さんを家から追い出して、私と優貴さんの関係を引き裂くんじゃないだろうか。


想像するだけで、気分は暗く重くなった。


あの時、優貴さんからの初めてのキスに喜ぶ事よりも、私はお父さんが振り向きませんように、と祈るばかりだった。

隠し事をしている罪悪感に、バレたらどうしよう・・・怖い・・・。

それらが何もかも、ゴチャゴチャになって、混ざって・・・パニックになりそうになりながら、私は祈った。


お父さんが振り向きませんように。

もしも、あの時・・・お父さんが振り向いてしまったら・・・を考えるだけで、今だって怖い。

何がって・・・。



優貴さんとの関係が壊れてしまう気がして、それが一番・・・一番、怖かった。



・・・優貴さんとの関係を平和に続けていく為に、必要な事。


家の中だからこそ、私は、優貴さんとの距離に気を付けなくちゃいけない。

今は、お父さんの目の届かない場所を選んではいるが、今回の事がなければ、私はいつか、お父さんの前でも平然と当たり前のように、ベタベタと優貴さんにくっついていたに違いない。

第3者からみたら・・・それは”あり得ない関係”に見えてもおかしくない。それが父親なら、尚更・・・。

仲良し姉妹なんて関係は、私と優貴さんの間にはもう無い。

いわば”仲良しの異母姉妹”というのは見せ掛けだけの関係だが、他人は私と優貴さんを只の仲良し姉妹だと思っている。

私と優貴さんの関係は、異母姉妹という関係でありながら、それを互いに知った上で、この想いを重ね合わせている。

・・・だけど、第3者はそうは見ていない。私と優貴さんを只の仲良し姉妹だと思っている。それは、恐らくお父さんも一緒だろう。


私と優貴さんは、結びついている。

だけど、それは、誰にも知られてはいけない秘密の関係。



誰かに知られて私達の関係が崩れてしまう事に繋がるなら・・・それを、誰かに知って欲しいとも思わない。



こうして優貴さんと2人きりで、誰の目にも触れられない場所で、唇を合わせ、静かに呼吸を感じあう。


私は、これを間違っている行為だとは思ってなんかいない。どこの誰にも否定されたくない。

この静かで密やかな幸せに、誰も立ち入って欲しくない。それが、自分の親であっても、だ。


優貴さんと私の間にしか出来ないこの幸せな時間には、誰も入れたくない。


だから、優貴さんとのこの関係を、絶対に、誰にも・・・特にお父さんには、秘密にしておかなければならない。


2人だけの秘密を守る。


・・・それが、結論だった。



「・・・そう、いえば・・・優貴さん、どうして・・・2回も・・・キス、したの・・・?」


途切れ途切れの私の質問に、優貴さんは小さく笑った。

私を試す為の危ないキスは1回で十分な筈だ。なのに、あの時の優貴さんはあえて私の目を見て、そのまま2回目のキスをした。


「・・・2回目は・・・そうね・・・ふふっ・・・・・・・」


優貴さんはそう小さく笑いながら、また唇を重ね、今度は少し強めに私の唇を吸った。


「・・・2回目は・・・単に、私が・・・したかったから。」


そう言い終わると、優貴さんは体を私から離して、いつも通りの笑顔で階段を下った。

私はかあっと熱くなった頭を振ってから、優貴さんの後を追うように、それでもゆっくりとリビングに向かって歩いていった。


・・・もう”表情を作ろう”なんて、思わなかった。


私の場合、多分、隠そう隠そうとする意識が過ぎるせいで、作った表情とは裏腹な本音が顔に出やすいんだろうと思う。


・・・だから、隠すのは、やめた。無駄な抵抗だし。



それに。



”秘密”は隠すだけじゃないんだし。



夕食は、お父さん特製の『ビーフカレー』と優貴さんの『ポテトサラダ』だ。

何も知らないお父さんは、早くカレーを食べてみてくれと私達をせかすように椅子に座らせて、カレーを出した。


「いただきます」

「いただきます」


圧力鍋を使って煮込んでいるだけあって、肉は柔らかかった。

私と優貴さんは”いつも通り”笑って、カレーを口に運んだ。


「美味しい。ね?優貴さん。」

「ええ、美味しいわ。」


お父さんは、私達の感想を聞いて、嬉しそうにスプーンを持った。


いつも通りの食卓。

テレビのCMと、食器の音がするリビング。


カレーとポテトサラダが並んだテーブルの下で、私と私の向かいに座っている優貴さんは、足の指を絡めたり、足の裏を指先で突いては離し、遊んでいた。

・・・勿論、お父さんは何も知らない。


(・・・くすぐったい・・・)


お互いの目を見て、私達は密かに目で笑いあった。



・・・その日、私は”秘密を愉しむ事”を覚えた。



 → 次のページへ進む。

 →前のページへ戻る。

 → TEXTページへ戻る。