ヨルダンの旅2日目

エミレーツ航空は、前座席の背中にテレビ画面がついていて、各座席で好きな映像が見られるのが売り。女性の客室乗務員の制服は、赤い丸いつばつき帽子に黄金色のコスチューム(あまり民族衣装の名前を知らないので申し訳ありません)、結構変わった制服なので結構目を引く。

両窓側各3列の座席、また中央4列席はそれぞれの両端が埋まっているから、定員の半分強が埋まっていると言えようか。4列席が全く空いているようならそちらに移って寝転ぶこともできようが、それほどには空いていない状態だ。

初めに出てきた機内食は、ケーキと果物だったか、軽い物で、これからブロイラー状態になる身にとっては非常にありがたい量。いただいたあとはあまり寝ていないし、ゆっくりと眠るつもりだった。

が、悪い予感は当たった。先ほど、搭乗手続きの時に見かけた家族連れが3列前だったのだが、赤ちゃんが思い出したように泣き出す。そりゃあ、目を覚ましてたら家とは違う狭い暗いところに押し込められているのだから、怖くて泣き出すわな。私は泣き声が聞こえないようにずっとヘッドホンをしていたが、それでも漏れ聞こえて眠れない。子供は<王様>、苦情を言うわけにも行かないし。この家族連れ、湾岸諸国かどこかへ、親夫婦も連れての赴任の途中と思いたいが、赤ちゃん連れての観光だったりしたら「何考えてんねん」としばき倒すところ。

約11時間後、定刻どおりドバイに到着。日本とは5時間の時差なので現地は5時半。機体から降りてバスに乗り込むが、朝方にかかわらず、ややむっとした暑さが感じられる。ここから1時間半後のアンマン行きに乗り換え。関空で「ドバイの乗り継ぎカウンターで食事券がもらえます」といわれたが、何かの間違いかだれももらっているようにないし、たとえもらえても食べている暇なんてなかっただろう。

さてアンマンまでは4時間。乗り継ぎの日本人もたくさんいたが、先ほどの親子連れの姿はなし。眠れなかった分を取り返そう。やがて夜も明け、朝食が配られ始める。当然いただくに決まっているが、回りを見ると断っているアラブ系の人たちも結構いる。数日前からラマダン(断食月)入りしているので、信仰心の篤い人は夜明けとともに厳密に食事を断つようだ。私のどこをどう見てイスラム教徒と思うのか、それでもまあ、一応確認の意味で聞いてみたのだろう。で、私たちが食事の間、朝食を断った人はやせ我慢ではないだろうが、ひたすら本やら新聞やらを読んでいる。どの宗教にもほぼ普遍的に見られる断食という行為は、誘惑に打ち克つことのもっとも分かりやすい具現だろうが、果たしてこの飽食の時代、夜になれば食べ物が口に入ると言う保証が間違いなくあるわけだから、日中、食を断つ行為にどれだけの効用があるというのだろう。その意志が<貫徹>できたとしても、それは私に言わせれば形骸化しているだけとしかいいようがない。さらに、私はコーランを読んだわけではないから好き勝手をいうが、単純に考えて、ほぼ左右対称に作られている人体において、片側だけ不浄と定める宗教的意味合いはどこにあるというのだろう。左右それぞれに役割があり、片側が欠けた場合に備えて機能を補完するという意味で一対になっていると思うのに。別にここで宗教的な問題提起をする気はさらさらないのだが、この辺りを科学が発達した現代では柔軟に解釈しなければ、イスラム教は単に頭が固いだけの宗教になってしまうのではなかろうか。あまりいうと、それこそアッラーの神を冒涜したとして法難が降りかかるかな。

8時55分、アンマン着。朝着いても、ここはヨルダン………………。しょうもないおやぢギャグやわ。いまどき小学生でもそんなこと言わへんわ。

まあ、それはともかく、空港の入国手続きのカウンター前には体のでかい、でっぷりと太った、体積など私の倍はあろうかという大男が出迎えに来ていた。握手をするがひとたまりもなくひねりつぶされそうだ。男は、現地通貨ヨルダンディナールを持っていないのならそこの銀行窓口で両替するように指示。私はとりあえず、使いそうな額として60ドルを替える。きっかり50ディナールになった。伝票とかそんなものはない。だいたいちょうど50ディナールで、小銭が全然ないとというのも不思議。まあ、そんなものなのだろうか。さらに男の指示にしたがい、ビザを持っていないので1番の入国カウンターに並ぶ。そして何の手間もなく、あっさりとヨルダン入国。出発前、航空券などを手配してもらった旅行会社からパスポートのコピーを求められ、「事前にどんな日本人がやってくるか、入国手続きを簡単にするためにコピーを送っておくんですよ」といわれていたのだが、まさにその効果か。空港でビザを取るのに若干の不安がないでもなかったのだが、これほどまでに簡単に終わってしまって拍子抜け。

さて、その大男がてっきりガイドしてくれるものと思っていたら、空港を出たところで、今度は比較的小柄な30過ぎぐらいに見えるガイドさんと40−50代と思われる運転手さんに引き合わされる。旅行の間、この2人が面倒を見てくれるらしい。ワゴン車に乗り込み、早速、ヨルダン第一の訪問地マドバへと向かう。

ガイドはアスジャムさんと名乗ったように聞こえた。英語の発音は聞き取りやすいほうだとおもった。しかし、何しろ私のほうが英単語が分からない。「これから行く教会は西暦○○年に建てられて……」などと説明を受けるが、私は特に英語表現の数字が苦手だ。「ええっと、いま何年って言った?」と反芻している間に聞き逃して、分からない単語の洪水の中におぼれていくというのがいつものこと。アスジャムさんはきっと自分の英語が理解されていると思っていたのだろうけど、申し訳ないが事前にある程度ガイドブックを読んでいるから何について話しているかがわかるだけで、そうでなかったらほとんど理解できていません。あああ、やはり英語しっかり勉強しよう。

空港から西へ約30分、マダバへ。駐車場に車を置き、少し歩いて聖ジョージ教会へ向かう。マダバはアスジャムさんが生まれた町だそうだ。途中、敷物を売っている店とかも。聖ジョージ教会の床には6世紀のパレスチナが描かれているモザイクの地図。文化的価値はよく分からないが、こういうモザイクを見ると、インディ・ジョーンズの宝の地図という感じが連想されてくる。

次はモーゼ終焉の地といわれるネボ山へ。途中、モーゼが杖をついたら泉が湧き出したというアイン・ムーサなども通過する。そういう言い伝えからすると、モーゼは日本でいえば弘法大師のような存在だったようだ。ネボ山の頂上には、モーゼの記念碑と教会。教会の中には、4世紀の建物の遺構と、やはりモザイク。また、ここの頂上からは西に死海、そしてその先にはパレスチナ自治を巡って紛争が絶えないいわゆる西岸地区が望め、しばし眺めてみる。ヨルダンの気温は日本から1か月遅れ、10月の感じで寒くはないのだが、あまりにも風が強い。

ネボ山を出発していよいよ死海へ。死海は海抜マイナス394メートルの位置にあるそうで、山頂からうねうねと道を曲がり曲がり、なんか地底に下りていくという感じ。この地の底という景色からすると、直接は関係ないが、モーゼが出エジプトを導く時に海が割れ道が現れたという伝承もイメージ的にはなるほどと思わせた。

さて、死海ほとりのホテルに到着。アスジャムさんが「水着などを持っているか」と問い掛けてくるが、もちろん。浮遊体験をしてみるのも、この旅の重要な目的だ。ホテルの更衣室(あまりきれいではなかったが)で着替え、さっそく死海へ入ってみる。11月だから寒いのではないかと思っていたが、水は温かい。湖底は砂ばかりでなく、砂利も多いので足の裏が痛い。ところどころに、切り立った白い岩のようなものが転んでいるが、これをよく見ると塩の結晶。ビーチサンダルも用意しておいたほうがいいと実感したので、今後行かれる方は参考にしてください。さて、水が胸に来る深さのところまで進み、そのまま足を湖底から離し、前へ投げ出してみる。ぷかり。あら不思議。特別水を掻かなくても、頭を特に寝かさなくてもぷかぷか浮いてしまう。ただ海のように結構波があるので、この波を横から受ける位置に来ると、体勢を保つのはちょっと大変。目に水が入った。真水で洗いに行かなければならないというほどではないが、しばらくはまぶたを閉じたり開けたりして涙で流しきるのを待たなければならない。眼鏡にかかったしぶきはしばらくほうっておくと、白い塩の結晶ができた。傷のある体で死海に入ると、とんでもない痛みを感じるだろう。死海お約束の、浮きながら新聞を読むポーズの写真をとるつもりだったが、新聞は車に置いてきてしまったし、はしゃいでいる私を尻目にアスジャムさんは休憩がてらどこかに行ってしまったし、結局は果たせなかった。

死海といえばもうひとつ、肌によい泥の成分。何がどういいのだろうと、その辺の水底の土をすくってみるが、これはどうやらただの砂。きょろきょろ底を覗き込んでいると、岸にいた警備の人たちがそのへんを見てみろと小石を投げて指し示してくれる。すくってみると黒に白や茶色などの筋が入った粘土質の泥。岸の人が呼び寄せて、私の全身(顔も含め)に泥を塗り、このまま10分ほど日に当たっていろという(ガイドブックなどによると、このサービスには別料金がかかるようです。今回、ホテル使用料にこのサービス料が含まれていたのかどうかは分かりません)。すっかり乾いたあと海水で洗い流すが、やはり泥臭さが体に残る。におい自体は、川なんかの泥とそれほど違うというわけではない。同じように泥パックの客はちらほらいるが、皆西洋人。泥が乾くまで待つ間、拙い英語でしゃべってみると、隣にいたおっちゃんはドイツから来たとか。この辺は、日本の温泉に入った時にでも、なんとなく話が弾む雰囲気と似ている。

塩分をすっかり洗い流したあと、ホテルのプールに入ってみるが、ここの水は冷たくてぶるぶる震える。不思議なことだが、いかに死海の水温が高いかを実感できた。女性同僚の「死海へ行くのならば……」との催促(?)の言葉を思い出し、美容剤を求めようとするが、アスジャムさんの「安い、いい店に寄るから」という言葉に従い、死海を出発する。車はしばらくして山地に入り、カーブなども多くなってくる。しかし私はやはり睡眠不足がたたっていたせいか、景色を楽しむこともなく、やがて深い眠りに。起こされてついたところはデザート(砂漠)ハイウエー沿いの売店。ここでやや遅めの昼食。注文は聞かれるまでもなくシシカバブ(これしか分からんもんね)。アスジャムさんは私と同じものを頼んだが、ラマダンであるせいかほとんど手をつけず。運転手さんは、ミンチにしたボール状の串焼き(正確にはコフタというらしい。運転手さんはわたしに食べてみろ、と分けてくれ、分かりやすく説明するためか、シシカバブの別の種類と言っていた)を頼んでいたががこちらは食欲旺盛。食後に早速、美容剤を必要な数だけ購入。安いのかどうかは分かりようがないが、買って帰らねば何を言われるか分からないので、これでひとまずホッと。さらに自分のためには死海塩分の入浴剤を買っておいた(これはなんとなくふろ場が塩にやられてしまいそうな気がするので、まだ使っていません)。車は高速道路をさらに1時間以上走り、おそらくマアーンの街から一般道に入り、夕刻ペトラのホテルに到着。部屋の窓のすぐ下にはプールがあり、リゾート風で、結構きれい。アスジャムさんから夕食はどうするか聞かれたが、先ほど昼食を食べた後は車に乗ってばかりでお腹はすいてないし、それに何よりまだ寝足りてなかったから、とにかく少しでも早く眠りたかったので夕食は摂らず。窓から見える遺跡あたりに夕日が沈んでゆく。いよいよ明日は待ちに待ったペトラだ。

 

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