●チュニジアの旅4日目=12月2日

この日朝は時間的に余裕あり。というわけで、ホテルにて朝食をいただく。これまでは、すでに書いてきた通り、朝の出発が早かったので、朝食付き宿泊といえども食べることができなかった。そういうわけで、これまでの恨みを晴らすがごとくといきたいところであるが、パンとコーヒーのみ。安ホテルだから文句は言うまい。しかし、ベーコンエッグとまではいかないまでも、せめてゆで卵ぐらいほしいところではあるが。パンにつけるのは、バターか、よく分からないジャム。一見、あんずジャムのようであるが、果物系の甘さではなくて、ほんと砂糖の甘さだ。そういえば、前日買ったあのお菓子に似ているかも知れない。ということはジャムというより、単なるカラメルなのか。余り食は進まないが、今日このあと満足する食事ができる保証もなく、とりあえず食べられるだけは食べておこう。

ホテル精算、20ディナール。ちょっと高いような気がする。さあ、前日買った観光チケットで行ける分だけ行ってみよう。ショハダ門からメディナに入り、ガリアニ霊廟へ。土産物屋のおにいちゃんに指摘されなければ通りすぎてしまったほど。モザイクもそれほど鮮明ではない。次は、3つの扉のモスクを目指す。迷路の中、それらしい建物はそこにすぐ見えるのだが、たどり着けない。数度、地元の人たちが「どこへ行くつもりだ」と尋ねてくる。行き止まりの道などを、見慣れぬ東洋人がひょこひょこ歩いているので、気の毒に思ってくれるのだろうか。しかし道を教わってもそのとおりにはなかなか歩けない。数軒店などがあったところを通りすぎるとグランモスクに出た。さっきのところが3つの扉のモスクだったのだろう。引き返すほどのことでもなかったので、そのままグランモスクに入ることにする。グランモスクは前日、上から見たよりも、やはり中に入ってみる方がよかった。テレビで見たよりはちっちゃな気がしたが、ミナレット(尖塔)=写真左=を始め、重厚な石の建造物だった。

街を東から西へと横切る形となり、シディ・サハブ霊廟へ。ここのモザイクは一見の価値あり=写真右。広場?や部屋のひとつひとつの壁や床に色鮮やかな幾何学模様が見ることができる。しばし見とれて、決して飽きることはないだろう。お勧めの場所である。

さて、カイルアン観光を終え、チュニスに戻ることにする。ルアージュ乗り場は近いはずだし、昨日乗った感じで2ディナール取られるのはばからしいと思って歩いて探してみるが、どこにあるのか分からない。往来を何度か行き来していると、道に迷っているときっと思ったのだろう、多分ガソリンスタンドのにいちゃんが声をかけてきた。チュニジアには珍しく薄黒く、本当のアフリカの人という感じ(チュニジアの人は、彫りの深いアラブ系の、色でいえば茶色という感じの人が多い。私たちが黒人と称する人はあんまりいない)。私が、ルアージュ乗り場はどこかと尋ねると、彼はアラビア語だかフランス語だかで懸命に説明してくれた。どうやらとにかく真っすぐ行けということらしい。私が礼を言って別れようとすると、いきなり彼の髭もじゃの顔が近づいてきた。何と彼は「マイ・フレンド」といいながら(多分そう言ったと思う)私の両頬にキスをしてきたのだった。「ぎゃああああー」と悲鳴を上げるところだったが、せっかくの好意にそういうわけにもいかず、「初対面ではあるけれども、これが西洋の習慣なんだ」と自らを納得させようとする。が、しかし、やはり、「ここはモロッコではないのに。チュニジアなのに(モロッコに偏見があったらすみません)」動揺は抑え切れなかった。

彼の好意にもかかわらず、結局ルアージュ乗り場は見つけることができなかった。あきらめて、チュニス門まで戻り、タクシーを拾うことにした。門の前で今度は、背の高い細めの男が声をかけてきた。ルアージュ乗り場に行くためタクシーを待っていると答えると、男はついてこいと手招きする。いくら近くとも乗り場までは1キロ近くはあるだろうから、まさかそこまで案内してくれるとは思わず無視するが、男は手招きをやめない。「私はタクシーに乗るのだ」と説明してもなお手招きをやめず、すたすたと路地の中へ歩き出した。なおも無視するが、男は歩きながらまだ私を呼んでいる。ここまでされると、ついて行きたくなる。私の悪いところだ。彼は人家の間をしばらく歩き街を斜めに横切って大通りに出ると、ここからまっすぐ行けと指示した。なんてことはない、私がさっきまでうろうろしていた通りの近くだ。彼は道案内料として2ディナールを要求してきた。冗談じゃあない。「あのね、私はタクシーに乗ろうと思ってたの。そのタクシーは2ディナールなの。ここであなたに2ディナール払っちゃったら、私にとっては何のメリットもないでしょう。歩いた分だけ損になるでしょう。ね。あなたと私の利害の一致っていうものがないでしょう」と説明したかったが、乏しい英語力では当然できるわけもない。まあ、まがりなりにも道を教えてもらったのだから、1ディナールは払おう。しかし、2ディナールは払えない。男とは「ツー」「ノー、ノー。オンリー、ワン」と支払いを巡ってしばらくやりとりが続いたが、往来の真ん中で、些細な金を巡って大声を出すのがばからしくなってきた。そのあきらめがまた、彼らをつけあがらせるのだが。

ルアージュ乗り場は、先ほどから迷っていた通りを直角に曲がり、さらに少し曲がった先にあった。たどり着くと同時にチュニス行きのライトバンタイプの車が出て行くところで、運転手らが「乗らないか」と声をかけてくるが、早々急いで街を去るのももったいない。次のをしばらく待つとワゴンタイプに乗ることになった。さっきのライトバンは空いてたように見えたが、このワゴンは満員で、運転席の隣に客2人で座る。窮屈。さっきのにすればよかったと若干後悔が走る。出発するとすぐ右手にさっき訪れたシディ・サハブ霊廟が見えた。何ということ。こんなに近くに乗り場はあったのに街を往復して、2ディナールも巻き上げられてしまったとは。

運転は随分荒い。前の車と相当接近しないと減速しないので、思わず「ああーっ」と何度か声を上げそうになった。前の席だけに肝を冷やし、さっきのライトバンにすればよかったという気持ちがさらに募る。自己責任とは言え、休暇の旅先で事故に遭ったりしたらしゃれにならんだろう。運転手は気楽なもので、途中休憩に寄ったところで買ったカフェオーレを勧めてくれるが、トイレに近くなっても困るし、謹んで遠慮させてもらう。ローマ期に建設されたザグーアンの水道橋を見ることができるかと期待していたが、車は途中から高速に入り、それらしい景色は見られなかった。ルアージュでは、サービスなのか運転手本人のためなのか、カセットテープを大音量でかけてくれる。やかましいが、はやり?の音楽が聞けるという点ではおもしろい。この車内でかかっていたのは、「ディスコダンサー」もしくは「アイム ア ディスコダンサー」という曲で(絶対にそういうタイトルだと確信する。そうでないはずがない)、西城秀樹のYMCAよろしく、D・I・S・C・O・D・A・N・C・E・Rの連呼で曲が始まり、歌詞といえばほとんどがアイム・ア・ディスコダンサーの繰り返し。途中にドレミの歌が入って聞いてるだけで笑えてくる。今度チュニジアにいかれる人がいたなら、ぜひカセットテープを買って帰っていただきたいと思う。

約2時間後、チュニス南部のルアージュステーションにつく。時刻はランチタイムを回ったころ。昼食を食べようと、中心街へと向かう。街はきれい。もっともにぎやかなハビブ・ブルギバ通りに出る。中央に分離帯の歩道があり、散歩するにもいい感じ。通りの東端に出たので、西へと向かう。あるレストランの前で、チュニジアの池乃めだかというより白木実が客引きをしている。妙に心引かれるものがあるが、とりあえずは行き過ごして、カフェ・ド・パリの二軒ほど隣のレストランに入る。オムライスだったか、注文するが、半ば無理やりスパゲッティも。見ているとほかの客にも、結構<押し売り>をしている。多分、前菜、中菜、メーンという構成に基づいてのことなんだろうけど。コーヒーを含め9ディナール。回ってきた店員に10ディナール紙幣を渡すが、お釣はいつまでたっても持ってこない。そういえば、紙幣を渡す時に何度も店員が「OK?OK?」と尋ねてきた。あれは1ディナールをチップとしてもらってもいいかということなのだったのかな。どっちにしてもあまりいい感じは持てなかった。

夕方までの時間、バルドー美術館に行くことにする。タクシーで2ディナール。入場料は写真撮影を含め、4.15ディナール。ブロンズ像やモザイク画など、分かりはしないが、見ているとそれなりに楽しい。閉館まで歩き回る。帰りは市電に乗ってみることにする。駅構内に小屋のような切符売り場があり、乗り換え回数によって料金は0.26、0.39、0.52ディナールの3段階。日本とは逆に右側通行なので、感覚的には逆の方向に行ってしまう感じだが。乗った電車は2両編成、車内も日本の電車並みにきれい。料金箱があるところを見ると、早朝・深夜、切符売り場がしまっている時はワンマンになるようだ。

ホテルアグリカルチャーという名前に親しみを感じて投宿。1泊16ディナール。夜再びハビブ・ブルギバ通りに。白木実はまだ客引きをやっていた。またもや心引かれるものがあったが、振り切って11月7日広場近くのレストランラ・グリルヘ。ビールや魚のスープ、ミックスグリル(肉の焼きあわせ)などで12.4ディナール。満足しました。

 

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