小杉放菴研究舎|2011年度の記録

2011(平成23)年4月 ▲

2011年度からのホームページ

2011/04/01

 小杉放菴研究舎のホームページがリニューアルされ、柳原一興主宰によるブログを設置しました。

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小杉放菴研究舎からのお知らせ ブログ版

 小杉放菴研究舎からの最新のお知らせについては、こちらを御覧ください。

今年の放菴忌について

2011/04/18

 4月16日の「放菴忌」に、小杉放菴研究舎の会員9名と小杉放菴記念日光美術館の職員4名で墓参しました。

 天気予報では雨模様のはずでしたが、まさに「放菴晴れ」の、たいへん暖かな中、霧降丸美の墓地にお参りしました。

 小杉放菴が生前に愛飲していた銘酒「桃川」(青森県おいらせ町)と団子を供え、生花と線香を手向けました。

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小杉放菴の墓前にて

2011(平成23)年5月 ▲

放菴の足跡をめぐって(北陸)

2011/05/04

 4月26日から28日にかけて、北陸の所縁の地を廻ってきました。

 福井県は越前市大瀧に、三代目・岩野平三郎さんの製紙所を訪ねました。

 ここの初代・平三郎さんとの出会いが、「あなたの麻紙のおかげにて麻紙の放菴か放菴の麻紙かとまことに毎年離れぬ仲に候」と言わしめます。

 画家個人の名の付いた和紙は、「放菴紙(小杉放菴)」と「栖鳳紙(竹内栖鳳)」しか有りません。

 所蔵の作品を4点ほど拝見させていただき、紙祖を祀る大瀧神社に参拝しました。

 大瀧神社は国の重要文化財の指定を受けており、社殿の造りが今立紙漉き職人の繁栄を物語っています。

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大瀧神社の社殿

 27日は、東尋坊から吉崎御坊跡を巡り、富山市八尾町の越中八尾観光会館を訪問したところ、今日は、歌手の中村美律子さんの新曲キャンペーンがあるから見ていかないかと誘われたので、喜んで承諾しました。

 いざ開演になると、中村さんが歌う前に、ぜひ、「おわら踊」を見てみたいとの希望から、男踊(案山子踊)と女踊(四季の踊り)が始まりました。

 そして、「おんな風の盆」のキャンペーン。

 これで終わりかと思ったら、中村さんの更なるリクエストで、「おんな風の盆」に合わせて、おわら踊が出来ないものかと問いかけられ、すかさず歌に合わせて踊ってしまいました。

 なかなかの踊でした。

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曳山祭り(5月3日~5日)の準備に入った鏡町公民館

「風の盆」のとき、この通りは人で溢れんばかりになります。

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日本の道 100選(諏訪町)

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吉崎御坊跡より望んだ北潟湖

 1927(昭和2)年10月、小杉放菴は「奥の細道」行脚の旅に出立。

 金沢から山中と大聖寺を経て、吉崎御坊跡に着きますが、しかし、どの寺も御坊を名乗り、本当の御坊がどれか分からぬまま御坊跡まで上りました。

 当時も、「本家争いをして苦々しきありさま」であったと画冊に書かれています。

 ここでは、放菴も芭蕉に倣い、舟を浮かべました。

 その先は、日本海です。

 今回、八尾の「おわら保存会」に立寄ったのは、5月28日(土)に、小杉放菴記念日光美術館で第5回になる「おわら踊公演」があるため、その打合せに伺いました。

 すでに、前売り券が発売されていますので、ぜひ、御覧ください。

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前回の公演の様子

「おわら風の盆」の公演 Ⅴ

2011/05/29

 本日5月29日、小杉放菴記念日光美術館にて「おわら風の盆Ⅴ」公演が行なわれました。

 お蔭様をもちまして、チケットは全て完売だったそうです。

 公演には、小杉放菴のお孫さんがお見えになりました。

 何年か前に、現地で御覧になっておられたそうですが、まさか、お祖父さんが「おわら風の盆」に関係してるとは思わなかったそうです。

 たいへん満足されていました。

 公演の写真は、明日、保存会の皆さんを東照宮に御案内してから掲載しますので、しばらくお待ち下さい。

 今日は疲れました。

2011(平成23)年6月 ▲

〈風の盆 越中おわら V〉 公演

2011/06/01

 5月28日(土曜日)に、小杉放菴の生誕 130年を記念して、「風の盆 越中おわらⅤ」の公演が開催されました。

 当日は、あいにくの雨模様であったため、墓前での奉納踊は中止になりましたが、小杉放菴記念日光美術館での公演は、雨にも拘らず、満席になる盛況でした。

 さすがは「おわら踊」です。

 ステージバックの楓が雨に濡れて、最高のホリゾントになりました。

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三味線と胡弓の演奏、地方と唄

 三味線と胡弓の演奏、地方と唄の共演で平唄・五文字冠り・字余りと解説付きで披露され、いよいよ男踊が始まります。

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男踊

 つぎは女踊。すなわち、1928(昭和3)年に、おわら保存会の初代会長である川崎順二氏の依頼により、小杉放菴が作詞した「八尾四季」の唄にあわせて踊る「四季の踊り」です。

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女踊「八尾四季」

 第1ステージが終わり、小杉放菴のお孫さんである小杉正太郎(早稲田大学名誉教授)さんと古川(保存会総務企画部長)さんと歓談。

 「数年前に見に行ったが、人の頭ばかりで踊りが見られなかった。このような素晴らしい踊りとは判らなかった。今年は宿を取って行きます。」と、感激の感想を述べてくださいました。

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小杉氏と古川氏

 今年の「風の盆」(9月1日~3日)が楽しみになってきました。

韓国・慶州の足跡めぐり1

2011/06/30

 6月20日から23日まで、小杉放菴研究舎の柳原主宰は、日光市と観光友好都市協定を締結した、韓国・慶州市にのこされた小杉放菴の足跡をめぐってきました。

 小杉放菴は、1926(大正15)年6月、雑誌に慶州の残存美術の紹介をするため、取材に訪れています。

 同年8月1日発行の美術雑誌『アトリエ』第3巻第8号に「慶州の古美術」として、また、1934(昭和9)年4月5日発行の著書『草画随筆』には、「慶州記録」として、スケッチ画とともに掲載されました。

 今回は、それらの記録と、『放菴日記』に出てくる場所を辿りました。

 6月21日、慶州市庁舎に御挨拶し、市が手配してくださったガイドの孫さんに要望を伝え、まず「南山」に向かいます。

 「南山」は新羅文化のすべてを示す、「屋根の無い博物館」であると言われます。

 小杉放菴は、茸長谷から入山しましたが、我々の足ではむずかしいとのことなので、比較的なだらかな「三陵」から入山しました。

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拝里三陵

 三陵渓谷の入口には、手前から、第54代・第53代・第8代の新羅王陵があります。

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釈迦如来坐像

 『放菴日記』には記述が無いので、まだ、当時は発見されてなかったものと思われます。

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磨崖観音菩薩立像

 岩が自然の光背を形成している陽刻立像です。

 これも『放菴日記』等に記述はありません。

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線刻六尊仏

 手前に三尊、奥に三尊が彫られており、真中が本尊です。

 これも『放菴日記』等に記述はありません。

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線刻如来坐像

 高麗時代の作品と推定される、線刻の如来坐像です。

 これも『放菴日記』等に記述はありません。

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如来坐像

 この如来坐像は、小杉放菴が訪れた当時、顎が欠け、光背も倒れていたそうです。

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磨崖釈迦如来坐像

 高さが7mあり、三陵渓谷では最大の仏像です。

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金鰲山頂(海抜468m)

 頂上にて、同行の鄭さんと記念写真。茸長寺址まで行きたかったのですが、アクシデントのために次回とし、ここから引き返すことになりました。

 6月22日の分は、近日中に掲載しますので、乞う御期待。

2011(平成23)年7月 ▲

韓国・慶州の足跡めぐり2

2011/07/08

 6月22日は、鄭さんは市の業務に戻られたので、ガイドの孫さんの車で足跡をめぐりました。

 まず、石窟庵に車を向け、長い参道を15分ほど進むと、正面の山の中腹にお堂が見えます。

 ここ石窟の仏像については、2009年(平成21年)7月24日の下野新聞に寄稿しましたので、覚えておられる方も多いと思います。

 まず、石段手前の「甘露水」が目に入りました。

 『放菴日記』に「窟下の薬泉味よろし」とあるので、口を潤します。

 まさに「甘露!甘露!」でした。

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甘露水

 石窟庵の御本尊「釈迦如来仏」は撮影禁止のため、後日、絵葉書の画像を「足跡めぐり」の「西」に掲載します。

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石窟庵

 山を下ると、直ぐに「掛陵」に着きました。

 『放菴日記』には、「掛陵 文武の石人 武の方腰の態よし」と記されています。

 手前から、「華表石」(日本の神社の「鳥居」のこと)、武人石、文人石、石獅子と続きます。

 奥に見えるのが、新羅の第38代・元聖王を祀った「掛陵」で、陵の周囲の方角には、十二支神像が施されています。

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掛陵

 次に、南山の北側にある「上書荘」を訪ねました。

 『放菴日記』には「崔致遠の祠堂」としか記されていません。

 ここは、一般の観光客が、あまり来る場所ではなく、慶州の歴史を学んだ人や、崔一族の方々だけが訪れて、彼を偲んで祭祀を行なうくらいだそうです。

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上書荘

 昨日、時間の都合で拝観できなかった「拝里三尊仏」を訪ねました。

 小杉放菴は、「慶州石佛中の傑作」と評しています。

 以前は、建物が無かったので、仏像のお顔が光の加減でいろいろな表情を見せていたらしいですが、 現在は仏像を保護するために建物を作られてしまい、それが判らなくなったのが残念です。

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拝里三尊仏

 「鮑石亭址」を、小杉放菴は「盃流しの古跡」と書いています。

 新羅王室の離宮跡で、花崗岩で作られた曲水溝の長さは、約22mあります。

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鮑石亭址

 「武烈王陵」は、新羅の歴代陵墓の中でも、被葬者が判明している唯一の陵です。

 『放菴日記』には「武烈王陵 陵碑の台の亀」とあります。

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武烈王陵

 「金庾信将軍の墓」。金庾信は新羅が三国統一の偉業を果たすのに大きく貢献した将軍でした。

 『放菴日記』には「金庾信の陵」と記されており、墓の周りの各方角に十二支の神像が配されています。

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金庾信将軍の墓

 「世界遺産 良洞民俗村 香壇」に、昨年の日光市民旅行でお世話になったお礼にお伺いしました。

 今回、訪ねたときは文化財審議会?の方々と修理の打合せを行なっておられたので、終わるのを待って御挨拶しましたが、昨年の記念写真と手土産をお渡ししたところ、たいへん喜んでくださり、昨年と同様、蓮茶で持て成していただきました。

 外を眺めているのは御当主で、柱の左に見えるのは香木の「白檀」です。

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良洞民俗村 香壇

 「石氷庫」は「月城」の城内にある、俗に言う「氷室」です。

 小杉放菴は、日記に「氷石庫」と記しています。

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石氷庫

 「月城」の城内にある芙蓉の花畑(未だ葉だけ)を通り抜け、「鶏林」に着きました。

 慶州・金氏の発祥の地であり、小杉放菴は、ここが気に入ったのでしょう、3日間も続けて立寄っています。

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鶏林

 坂を上ったところが「月城」です。

 「月城」の入口からの、このコースは、まさに、小杉放菴の通ったコースと同じでした。

 当時は、坂は舗装されてなかったでしょうが……

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月城

 「瞻星台」は、新羅の第27代・善徳女王が作らせた、東洋で最古の天文観測台です。

 昨年、BSフジで放映されていたドラマの主人公が「善徳女王」でした。

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瞻星台

 「芬皇寺」も善徳女王の時代に創建されてた寺です。

 むかしは、このあたり一帯が芬皇寺の境内でしたが、現在は、この三重塔と本堂だけがのこる閑寂な寺となっています。

 塔は、レンガで出来ているように見えますが、安山岩をレンガのように砕いて積み重ねてあります。

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芬皇寺

 今回は時間の都合上、ここまでしか廻れませんでした。

 小杉放菴が慶州を訪ねたのは、いまから85年も前のことですが、4日間で汽車と自動車、俥を乗り継いで巡っていたにもかかわらず、他の場所にも廻っています。

 バイタリティーが凄かったんだなとしか言いようがありません。

 残りは次回にして、お世話になった孫さんの慰労の食事会を行ないました。

 観光客の利用しない、郊外の韓定食処に案内いただき、健康食である蓮のコースを注文しましたが、大満足のお料理でした。

 写真は最後の料理で、もち米を蓮の葉で包んで蒸したものです。

 この前に11品ほど出ましたが、これで1人25,000W(約2000円)。

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韓定食

 翌日は、孫さんがホテルに迎えに来て、高速バスターミナルまで送ってくださいました。

 たいへん、ありがとうございました。感謝感謝です。

 カムサハムニダ!

第18回研修旅行のお知らせ

2011/07/18

 第18回研修旅行を行ないますので、小杉放菴研究舎の会員の皆さまは、万障繰り合わせの上、御参加くださいますよう、御案内いたします。

 「風の盆」研修は、9月3日(土曜日)から4日(日曜日)に行ないます。

 旅程につきましては、すでに、お手元に着いていると思いますので、お早めに申し込み願います。

 なお、今年度の会費を未だ振り込まれていない方、新規の方でTシャツを申し込まれる方は、参加費と共ともに、お振込みをお願いします。

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「風の盆 越中おわら」

2011(平成23)年8月 ▲

研修旅行の参加者募集は〆切ました。

2011/08/03

 第18回研修旅行の「風の盆」研修(9月3日~4日)は、募集定員に達しましたので、締め切りました。

 例年ですと8月に入ってから研修案内を送付するので、まだ、余裕があると思っていた方には残念ですが、キャンセルが無い限り、バスは満席になってしまいました。

投票をお願いいたしますm(_ _)m

2011/08/18

 インターネットミュージアムというサイトで開催されている、ミュージアム・キャラクターの人気投票企画に、小杉放菴記念日光美術館の「ジンジャくん」がエントリーしています。

 現在、全国で第2位です。

 第3位と熾烈な争いをしています。

 8月24日(水曜日)まで受け付けていますので、ぜひ、下記のアドレスから投票を、よろしくお願いします。

 エントリーナンバー6番です。

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小杉放菴記念日光美術館のミュージアム・キャラクター ジンジャくん

ミュージアム キャラクター アワード 2011

ありがとうございました。

2011/08/27

 先日、投票をお願いしたインターネットミュージアム・キャラクターの人気投票企画で、「ジンジャくん」は栄えある第2位でした。

 投票していただいた皆さまに、厚くお礼申し上げます。

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小杉放菴記念日光美術館のミュージアム・キャラクター ジンジャくん

2011(平成23)年9月 ▲

「風の盆」(第18回研修旅行)

2011/09/07

 今年の「風の盆」は、台風の接近が心配されましたが、台風が避けてくれたため、無事に、予定通りの行事が終了しました。

 「街流し」は台風の影響からか団体客が少なく、比較的に涼しい中で、しっとりと進みました。

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「杉風荘」での花付け

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鏡町の輪踊り

 主宰が伺うと連絡しておいたので、「越中おわらを語る会」の皆さんが長谷川さん宅にお集まりくださいまして、時間を忘れて熱心に語らいました。

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「越中おわらを語る会」の皆さん

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今町の街流しの始まり

 午前5時まで街流しに付き合い、越中八尾駅での一番電車の「見送りおわら」を見物し、定宿である新潟県妙高市の香風館で朝食をとり、朝風呂に入り、仮眠をし、さらに、昼食をとったあと、長野県上田市別所温泉の、小杉放菴に所縁の寺、天台宗別格本山 常楽寺に参拝しました。

 そこで、皆が本堂で座ったところでサプライズが有り、前住職で、現在は比叡山延暦寺の貫主・天台座主の半田孝淳氏がお出ましになり、倉田白羊・森田恒友・小杉未醒(放菴)合作《書画帖交》について、94歳の座主が御自ら御説明くださいました。

 会員一同、たいへん恐縮し、感激のうちに下山しました。

 そのときの様子は、延暦寺の写真掲載許可をいただかないと紹介できませんので、常楽寺の境内の写真を掲載します。

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「常楽寺」

2012(平成24)年3月 ▲

琉球舞踊「紅倫の会」を応援

2012/03/29

 去る3月7日、公演などでお世話になっている琉球舞踊「紅倫の会」の公演(東日本大震災復興支援)が、仙台市国際センターで開催されました。

 「紅倫の会」は、被災者の皆さんを招待し、元気を取り戻して欲しいとの願いを込めて、東北各県を巡回公演しています。

 「紅倫の会」の公演は、仙台が8回目で、終了後は名取市の仮設住宅に移動し、公演を行ないました。

 彼女たちを慰労すべく、沖縄でお世話になった有志4人で伺いました。

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琉球舞踊1

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琉球舞踊2

放菴忌のお知らせ

2012/03/29

 来る4月16日(月曜日)は「放菴忌」ですので、小杉放菴の墓前にお参りをします。

 10時に小杉放菴記念日光美術館に集合し、お墓参りを行ないます。

 会員の皆さんはこぞって御参加ください。

 会費は1000円(昼食代)です。

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小杉放菴の墓前にて

 墓参後は、美術館にて昼食(鱒寿司)をとり、弥生祭前夜祭を見物して解散します。

 弥生祭は、一昨年は「大雪」で、昨年は「東日本大震災」による自粛で中止になりましたので、今年こそはと、市民の期待が膨らんでいます。

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弥生祭

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小杉放菴研究舎

〒321-1412
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FAX.0288-54-3432
主宰  柳原一興

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