小杉放菴研究舎|2022年度の記録

2022(令和4)年4月 ▲

「放菴忌」の御案内

2022/04/11

 本日は午前中の天候具合が良かったので、来たる4月16日の「放菴忌」に備え、小杉放菴の墓の清掃をしてきました。

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小杉放菴の墓

 今年は会員を募っていないので、日光市内の住民と、美術館の職員とだけでお参りしてきます。

 追って、会員募集の通知をお送りしますので、その節は、お申し込みのほど、よろしくお願いいたします。

 なお、今年の「風の盆」は、伝統行事継承のために開催するという名目で予定進行中とのことですので、会費のお振り込みが済んだ方にのみ、研修会の御案内をいたします。

 ただし、例年とはちがい、今年もコロナ禍の中であるため、観光協会が周知するのではなく、各町の「おわら保存会」がそれぞれ開催する形らしいので、観光客を迎える諸設備の準備などは無いそうです。

 毎回、休憩させてもらっていた「杉風荘」も、今年からは使用ができなくなるため、現在、別の場所を見つけていただいています。

 もし、見つからなかった場合は、以前のようにバスでの休憩となるかもしれないことを申し添えます。

 ただし、「花付け」については、これまでのように「杉風荘」を使って御披露くださいますので御安心ください。

2022(令和4)年8月 ▲

第29回 「風の盆」研修旅行を開催!

2022/08/26

 今年もコロナ禍で、「越中おわら”風の盆”」は開催が危ぶまれていましたが、「これ以上、開催を中止にしては伝統行事の継承ができない」との思いから各町の「おわら保存会」が開催を決しました。

 これにより、我が小杉放菴研究舎も研修の実施を決定し、来たる9月3日と4日に、富山市八尾町の方々と密を避けながら交流を深めたいと思います。

 つきましては、25日(木)で一旦、締め切っていましたが、29日(月)まで申し込みをお待ちしますので、御参加のほど、よろしくお願いいたします。

 今年は前夜祭もなく、9月1日から3日までの開催で、マイカーの駐車場は用意せず、バスの駐車場のみが開設される予定なので、観光客はきわめて少なくなるようです。

 小杉放菴研究舎の休憩所も、今年からは「杉風荘」を借りられないため、地元の名士の方に代わりの場所を探してくださるようにお願いしていたところ、旧知の間柄である上新町商工会長の吉田陶器屋さんが、商工会が所有する「なりひら」がキャンセルになったのでどうぞと申し出てくださいました。

 夜の休憩場所は整いました!

 来年以降、この「なりひら」が借用できないようであれば、今回をもって「風の盆」の研修旅行は終了したいと考えておりますので、諸事情を御賢察の上、御理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。

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3年前の「杉風荘」での「花付け」

2022(令和4)年11月 ▲

山神社例祭

2022/11/04

 今年も、「山神社」の例祭を執り行ないました。

 2003(平成15)年10月8日、誰も祀る人が居なくなっていた、小杉放菴の終焉の地である妙高高原新赤倉の旧・安明荘跡に鎮座していた石祠を、当時の所有者である太平洋セメント株式会社に交渉して御寄贈いただきました。

 御遷座から、今年で19年目にもなりました!

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山神社の石祠

 来年は20年目の節目の年に当たるので、例祭も盛大に催す予定です。

 大勢の皆さまの御参加をお待ちしております。

第29回 「風の盆」研修旅行❣

2022/11/04

 参加の申込時に紆余曲折がありましたが、なんとか18名で催行しました。

 出発時は曇り空でしたが、北陸道に入ると徐々に雨が降り始め、富山I.C.を通過時には線状降水帯に入ったような土砂降りでした。

 そんな雨の中、特別注文した「鱒寿し」を届けるために、川上鱒寿し店の社長が待っていてくださいました。

 豪雨の中での受け渡しになり、御迷惑をお掛けしましたm(_ _)m

 時間通りに八尾の駐車場に到着して、休憩所となる「なりひら」を紹介してくださった「桂樹舎」に立ち寄り、和紙製品のお土産を、皆でたくさん買わせていただきました。

 次に曳山会館を見学するために入館すると、「なりひら」を貸してくれる上新町商工会理事長さんが待っていてくださいましたので、見学後は「なりひら」に御案内いただき、余分な荷物を置いて八尾町の散策に出かけました。

 例年のコースでしたが初参加の人もいらしたので、希望される方には「おわら資料館」を見学してもらい、他の人たちは集合時間を決めて周辺の散策へ!

 その間、主宰は古川克己さんのお墓まで高松さんを伴い、香を手向けてきました。

 集合時間には、皆さんがすでに揃っていたので休憩所の「なりひら」まで戻り、鏡町の「花付け」まで休憩して、夕食の「鱒寿し」をいただきました。

 「花付け」が始まる30分前に「なりひら」を出発して、これまでの休憩所だった、小杉放菴に所縁の「杉風荘(旧・杉下楼)」に入り、鏡町の皆さんに御挨拶して時間まで待ちました。

 いざ、「花付け」となりましたが、この3年間で「地方」が若い人たちに入れ替わっていました!

 「踊り手」も同様で、中高生だった子が、今年は「雲」を着ています。

 亡くなられた古川さんの代わりに挨拶に立たれたのは、胡弓名人の橘さんで、「地方」では太鼓を担当されました。

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「杉風荘」での記念撮影

 「花付け」が終わり、休憩所に戻ると、あとは自由時間で、街に繰り出し散策したり、飲みに行ったりと、それぞれに楽しみます。

 髙橋さんが街に繰り出したいというので、越中八尾の若き起業家・原井紗友里さんの「越中八尾ベースOyatsu」で軽く一杯!

 さらに、ラーメンが食べたいというので東町まで下り、キッチンカーのあるところまで流してきました。

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「街流し」

 日付も変わり、4日の午前1時、「街流し」が出る時間なので鏡町まで行くと、すでに始まっていましたので、いつものとおり、あとに続きました。

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「街流し」

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「街流し」

 いつもとはコースが違うので不思議に思いましたが、なんと、故・古川さん宅前で「追善のおわら」の奉納が始まりました!

 古川さんが亡くなってから初めての「風の盆」なので、奉納は長い間にわたって続きました。

 このときは、「歌い手」さんも涙ながらなので、なかなか歌が声にならないほど、古川さんは慕われていたのです。

 ふだんはあり得ないことですが、他町内からの「歌い手」さんたちも奉納に参加されていました。

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「街流し」

 その後はいつものコースに戻り、休憩所である「なりひら」の下を通ったとき、もう、寝ている方も居られるかと思っていましたが、さすがに三味線と胡弓の音が聞こえてくると、皆さん、起きだしてこられました。

 曳山会館前で休憩していると、樺沢さんが八尾の御友人と一緒に来られ、そこに東町の「街流し」が現われたので見入っていたら、鏡町の「街流し」を見失ってしまいました。

 ついでだからと、樺沢さんたちと3人で東町の「街流し」に諏訪町までついて行くと、見物の人が誰も居ないという、これまでに見たこともない光景が広がっていました!

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越中八尾の街並み

 そのままフラフラと話しながら、午前4時に「なりひら」へ戻り、少し休憩したあと、部屋を確認してメンバーとともにバスへ向かいます。

 バスは時間通りに発車し、越中八尾駅に到着しましたが、先発隊がら、今日の「見送りおわら」は中止になったという情報を得たので、諦めて八尾の町をあとにしました。

 途中、富山のお土産を買うために有磯海S.A.で休憩したあと、妙高高原の「香風館」に投宿し、朝食・入浴・仮眠・昼食を済ませ、しばらくぶりに、小杉放菴の終焉の地である旧・安明荘跡に立ち寄ります。

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旧・安明荘跡で記念撮影

 次に、御開帳があった「善光寺」に参拝し、ここでも皆さんはお土産をお買い上げ!

 栃木の人はお土産が大好きです!

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御開帳のあった善光寺に参拝

 日程は全て無事に終了し、新型コロナに罹ったとの報告もなく、なによりでした。

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北日本新聞の記事

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主宰  柳原一興

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