◇2008年5月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
[見出し]
今月号の特集

文庫本「賢治先生がやってきた」

誤解

落語「山月記」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

ご意見、ご感想は 掲示板に、あるいは メールで。


2008.5.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。


2008.5.1
誤解

最近、動画サイトを楽しんでいます。
というのは、動画の検索ができるという当たり前のことに、いまさらながら気がついたのです。
それで、興味のままに高田渡が山之口貘の詩を歌っている映像が見たくて検索してみたのです。 山之口貘をまとめて読んでいるということは、以前、この「うずのしゅげ通信」に書きました。 You Tubeで「高田渡」を検索すると、たくさんの映像があります。探すのが面倒で、 もう一度検索にもどって、「高田渡 山之口貘」で検索すると、出てきました。 「生活の柄」(作詞 山之口貘、作曲 高田渡)という曲を、小さな会場でアットホームな雰囲気で、 お客さんをいじりながら楽しそうに歌っています。

    生活の柄
            (作詞 山之口貘、作曲 高田渡)

歩き疲れては、夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです。ところかまわず寝たのです
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが眠れないのです

近頃は眠れない。陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが、眠れないのです。

そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて、
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。
秋は秋からは、
浮浪者のままでは眠れない。

(作詞 山之口貘)となっていますが、例によって、高田渡は山之口貘の詩を、曲を付ける段階で書きかえています。
山之口貘の元の詩は、次のようなものです。

  生活の柄

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれては寝たのである
ところかまわず寝たのである
ねむれたのでもあったのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。

山之口貘の元詩もいい出来だし、高田渡の歌いっぷりもとてもいいのです。
元詩の「のである」は、歌詞としてはむりで、書き換えも仕方がないとも思えます。 「ねむれたのでもあったのか!」という詩句も意味が取りにくい。
元詩はそれくらいの改作ではへこたれるものではなく、歌を聞きながら、 やっぱり山之口貘はいいなあと、あらためて身に沁みました。
You Tubeでは、ほかに筑紫哲也の高田渡へのインタビュー(おそらくニュース23で放送されたもの)もあって、 それもおもしろかった。
ついでに、「宮沢賢治」を検索してみると、「銀河鉄道の夜」やら「雨ニモマケズ」やらの朗読映像まで ありました。いくつか聞いたのですが、桑島法子さんの朗読「原体剣舞連」が、迫力があってとてもよかった。

動画サイトの人気の理由がわかったような気がしました。

そこで、考えたこと。
インターネットはどうも3分が勝負の世界なのかもしれない。というのは、 動画を見ていると、3分から5分くらいの映像が多いということに気がついたのです。
最近、小説が不人気で、本もあまり売れないようです。短編であっても、読むのに十数分はかかる。 その十数分でさえつきあってもらえない。 社会全体がそんなふうに待てなくなってきている。
このホームページにも小説は載せていますが、なかなか読んでいただけない。活字が ずらっと並んでいると、それだけで拒否反応をおこしていまうのではないでしょうか。
しかし、詩なら大丈夫。3分もあれば、充分読めてしまうのが、詩というもの。
そう考えると 小説よりも、詩のほうが、インターネット向けの文学として将来性があるかもしれませんね。
そんなふうに分かっていながら、この「うずのしゅげ通信」も、つい長く書いて、 訪問していただいた方に敬遠されているのではないかと怖れます。

追記
もしかしたら私はウェブサイトといったものを根本的に誤解しているのかもしれない、とも思っています。 先日NHKの「プロフェッショナル」にウェブデザイナーの中村勇吾さんが取り上げられていましたが、 その番組を見ていて気づいたのです。
誰も見たことがない技巧を尽くして魅惑的なウェブサイトを作る。 そして、移り気で、気まぐれな訪問者を惹きつけ、引き込む。そこに彼の狙いがあります。 基本的なコンセプトは訪れた人を心地よくすることだそうです。 メッセージの内容、文章などではなく、心地よい雰囲気、新鮮さ、驚き、 そういった技巧でともかく暫時(3分?)訪問者をひきとどめて、企業のメッセージを注ぎ込む、 そういったことに心血を注いでいるように思えました。
私はといえば、このホームページを作品を発表する場と考えてきました。 だから、作品の内容をおもしろくすることにのみ努力を集中してきたのです。訪問者に対する時間的配慮はほとんどなし。 作品がおもしろければいくらでも付き合ってもらえるだろう、という思いこみが根底にありました。
どちらが、ウェブを理解しているかはあきらかです。
私は、誤解していたということです。しかし、すぐに方向転換できるほど、私は器用ではありません。 いましばらくは、この形を踏襲していくしかありません。
ご寛容のほどを、そして、忍耐強くお付き合いのほどをお願いいたします。


2008.5.1
落語「山月記」


「うずのしゅげ寄席」へ、ようお越し。本日のトリは、……さんの「落語『山月記』」で、 お楽しみいただきます。最後までお付き合いくださいませ。では、さっそく登場していただきましょう。
(出囃子)

落語「山月記」

あとがき
このホームページには、「青春 十七切符」という落語が掲載されています。 だからこの「落語『山月記』」は 二作目ということになります。まだ、 粗筋を追っただけの未完の作品です。さらに細部をふくらまして、 いずれはホームページの演目に加えたいと考えています。
何かご意見がありましたら、お聞かせください。

「うずのしゅげ通信」にもどる

メニューにもどる