2011年9月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」

時に遅速ありて

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2011.9.1
一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」

一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」−宮沢賢治、原発を怒る−という脚本をラインナップに加えましたので、 紹介させていただきます。
宮沢賢治の一生は津波にはじまり、津波に終わったとも言えそうです。
賢治が生まれる二ヶ月ほど前、明治29年(1896年)6月15日に明治三陸大地震にともなう津波があり、 また、賢治が亡くなる半年前、昭和八年(1933年)3月3日に 昭和三陸大地震にともなう津波がありました。
この昭和三陸大地震の際、知人からお見舞状をもらった賢治が折り返し書いた礼状が最近発見されました。 花巻の自宅で病気療養していた賢治は、大津波をどのように受け止めたのでしょうか。
「被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です。」という手紙の文面から想像するしかありません。
そして今回の東日本大震災、賢治ならこの大災害をどのように受けとめるだろうかと 想像するときがあります。
賢治の遺稿に『雨ニモマケズ手帳』と呼ばれている手帳があります。ご存じでしょうか。 あの有名な『雨ニモマケズ』が書かれているので、そんな名称が付けられたのですが、 亡くなる二年前ごろに書かれたもののようです。私は、その中に大震災を受けとめるヒントが隠されている ように思うのです。どういうことかは、読んでもらうしかありません。
津波の他に原発の問題もあります。震災に追い打ちをかけるように 原発事故があらたな困難をもたらしています。福島だけではなく、他の近隣県でも。
この芝居は、仮想的に賢治にもう一度津波を経験してもらって、さらに原発の問題にも直面してもらって、 賢治がどのような振る舞いをするかを考えてみようという試みです。
生まれる前と死ぬ前に津波を経験した賢治さんに、銀河鉄道で地球に帰ってきてもらって、 もう一度今回の津波を経験してもらおうというのです。
賢治の詩や残された手帳の記述を織り交ぜて、1933年(昭和八年)と2011年(平成23年) が自然につながっていれば、とりあえずは狙いどおり、 二つの津波を経験することができたということになります。
また、賢治が農民芸術概論綱要に書いた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 という考え方にもとづいて、原発批判も展開しています。
それらが、理屈ではなく、一人芝居としてのリアリティーを持ちえているかどうかは 読んでご批判をいただくしかありません。
興味をお持ちいただいた方は、下の入口からどうぞ。

一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」 −宮沢賢治、原発を怒る−


2011.9.1
時に遅速ありて

もう朝晩には秋の気配があります。
今朝(8/28)、散歩のとき浮かんだ句。

さ走りの影は秋津の三・四匹

「秋津」はトンボのこと。「さ走る」は、すばやく動くこと(大辞林)。
俯きかげんに歩いていたのでしょうか、足下の道路に小さい影が走り、 ふと目を上げるとはやくもアキアカネが何匹も飛んでいます。今秋はじめての出会いでした。

句会が近づくと、俳句のことが気になりだします。
そろそろ作らなくては、と思うのですが、、思うようにはできないのです。
今月の兼題は、水澄む、蕎麦の花、秋簾、子規忌、露
句案を練りながら散歩しているのですが、気に入った表現にであうことは希です。

水澄めば光を纏う水泡(みなわ)かな

近くを石川の支流である梅川が流れています。堤防の草が刈られて、流れがよく見えます。 河面を水泡が流れてゆくのが見えて、澄んだ水はもう秋の冷たさを感じさせます。
トンボの影がさ走り、水泡の影がひかる。
立秋で先取りさせられた秋にようやく追いついたような感覚です。

句会までには、さらに推敲を重ねて、もう少しましなものに仕上げないと。 俳句人としては、まだまだ発展途上なのです。

季題、節季など俳句をやっていると、つねに季節を先取りさせられているような思いに陥ります。
時間を前のめりに生きているような、急かされているような気分です。
定年になってから、時間の過ぎゆきがやたらにはやい。その一つの原因が、 俳句的な季節の先取りにあるのかもしれないと考えることがあります。
時間の遅速の実感は、そこにどれだけの用事を詰め込むかによるのでしょうか。
いつもなら、朝散歩して、少しパソコンを触っていたらもう正午、といった感じなのですが、 病院で胃カメラ検査を受けた日など、「朝から電車に乗って病院まで行って、検査してもらってきたのに、 まだ正午前か」といった新鮮な驚きにうたれることがあります。
そんなときは、いまの生活にもう少し何か用事を入れ込んでもいいかな、という気になったりもするのですが、 まあ、いまさら無理をしない方がいいだろう、とつい前に出ようとする振り子を戻してしまいます。
時の過ぎゆきに少々の遅速があっても、これからの人生にそんなに変わりはないだろうと高を括ってしまうのです。
俳句をはじめて三年、俳句が時の経過を速めたのかどうか、それは分かりませんが、 しかし俳句をやっているおかげで寄り道を覚えたことも確かです。 「落とし文」の季題が出れば、桜並木の下で探してみるとか、「水澄む」だったら、川の中州に降りてみるとか、 そういうちょっとしたゆとり、たわいない遊びが身に付いたこと、これは感謝しなければならないと思っています。
まあ、考えてみると、これは人生の過ぎゆきをちょっと止めてみる、人生のためをつくる、といったことでもあるのですね。 ということは、俳句は、季節の先取りもするけれども、また、人生にちょっと立ち止まらせてくれる、 そういった効用もあるということでしょうか。

この「うずのしゅげ通信」、一つ重い話題があれば、一つは軽く、ということを心がけています。
脚本の方は重いテーマのものなので、こちらは思いつきのちょっと軽い話になってしまいました。


2011.9.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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