2012年2月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)

(私の魂)は記憶する

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2012.2.1
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)

二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」は、私の脚本の中でも特別なものです。
二人芝居と銘打ってはいますが、たいへん長く(一時間くらい)、よく言えば格調は高そうですが、 ほんとうのところいささか衒学趣味も仄見える。 理解するのに少々科学的な知識が必要で、歴史解釈においても論争を誘うような 箇所もなくはない。そういう意味では少々難解の部類に属する、そんな作品でした。
最初に書き上げたときは、とてもこのままでは上演できないだろうと半分諦めていました。
宮沢賢治が銀河鉄道の駅で望遠鏡を覗いていて原爆のピカを目にする場面から始まるのですが、 最初に観客を掴むために思いついたそのアイデア自体は悪くないといまでも思っています。 賢治のいる駅が地球から66光年離れているために、原爆の閃光が66年かかってちょうど今そこに届き、 それを賢治が目にすることになったのです。 その設定は、現代の子どもたちにはすでに歴史的な事実でしかない原爆を、 「今」に引き寄せる仕掛けとして考え出したものです。 少々突飛なアイデアかもしれませんが、劇中に血の出るような出来事として原爆を出現させるためには、 これくらいの仕掛けが必要なのだとも考えています。
宮沢賢治がピカを目にしたところから劇世界が展開するのですが、いざ芝居が進み出すと、 賢治童話から跳びだしてきた登場人物たちが、歴史的な事実を踏まえつつも、 少々それをゆがめたドタバタ喜劇が演じられます。 そうなると科学的にどこかおかしいぞ、といったことまで劇中に紛れ込んでしまいます。 原爆被害を詠んだ原民喜の詩もあり、また原爆開発についての侃々諤々の議論もあります。 そういった遣り取りを二人芝居で演じるのです。つまり、シテが宮沢賢治を、ワキが他の人物すべての演じ分ける、 という設定になっているのです。
これでは現代史を習った高校生でも内容的に少々難しすぎる。また二人で演じるとなればなおのこと あの膨大な台詞は覚えきれないだろう。 そんなこんなで、とても高校生による上演はムリだろうというのが、私の結論でした。
まあ、読むだけの脚本でもいいかな、というのがラインナップに加えたときの心境です。
ところが、その脚本を上演してやろうという高校生が出現したのです。
だから、最初に申込みがあったときは、半信半疑でした。正直言って、ほんとうに上演できるのかどうかを 危ぶんでもいたのです。
ところが、私の心配をよそに、二人芝居の形のままで、08年に札幌新川高校演劇部、 10年に岡山の新見高校演劇部によって上演していただいたのです。この二校には いくら感謝してもしすぎるということはありません。とくに生徒たちが私の脚本を選んでくれた こと、それが私には何よりも嬉しいことでした。
しかし、上演の実績があるとはいえ、自分が難しすぎると感じている脚本をそのまま 放置しておくのはあまりに無責任、そう反省して、改訂版を出すことにしました。 内容をかなり刈り込み、登場人物も増やして高校生にも取り組みやすい形にしました。 テーマがテーマなのでまだまだ内容的にこなれていないところはありますが、 少しは舞台にかけやすくなったはずです。
演出の仕方もいろんな試みができると思います。リアリズム一辺倒の演出は、私の好みではありません。 むしろドタバタ喜劇に近いものになってほしいという気持があります。 扮装もそれに相応しく奇抜でもいいのではないでしょうか。
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)が、いつか、どこかの舞台で、びっくりするような演出で 上演されることを祈っています。
内容は、あまりムリのない形になったし、また十数人で演じる形にしたので、高校でも上演しやすくなったと 自負しています。ただ、枝葉を整えた分、初期形のもっていた荒削りの力までもが削がれてしまっていないかと、 それが心配です。
下に改訂版のあらすじを載せておきます。興味のあるかたはご覧ください。

【あらすじ】
賢治先生(宮沢賢治)が、銀河鉄道の駅の近くの展望台から望遠鏡を覗いていると、地球がピカッとひかったのです。 そもそも地球は惑星ですから、自らはひかりません。ふだんは宇宙の闇の中にまぎれているのですが、 その日はなぜか一瞬ひかりを発したのです。賢治先生は、よだかに自分の幻覚でなかったことをたしかめ、 クーボー大博士にその説明を求めます。博士の話によると、展望台は地球から66光年離れていて、 あのピカは、原子爆弾の閃光かもしれないと告げます。 66年前、広島に落とされた原爆のピカが66光年を隔てたこの銀河鉄道の駅にいま届いたというのです。 光と一緒に竃猫からの電報が届いたと月夜のでんしんばしらが持ってきます。 竃猫は、広島にある猫の事務所に四番書記として勤務しているのです。 電文でもたらされた広島の被害状況は悲惨なものです。3通目の電報は、竃猫が飼われている家の主人である 原民喜の詩です。 原爆を記録した詩です。
原爆の被害から、原爆の開発秘話に話が進み、大統領宛に研究を勧める手紙を書いたということで、 銀河鉄道に同乗していたアインシュタインが呼び出されます。
………………………………
原爆の被災を放っておけず、賢治先生は昭和20年の地球に戻ろうと決意します。
しかし、現在地は地球から66光年離れた銀河鉄道の駅です。光の速度で飛行しても地球に帰り着くまでに 66年かかります。瞬間移動できたとしても、現時点の地球は戦後66年の地球です。 では、賢治先生は、どのようにして戦争末期の地球に帰還できるのでしょうか。
あとは読んでのお楽しみ……。

「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)
   宮沢賢治が原爆のピカを見た

元の二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」ももちろん読むことができます。


2012.2.1
(私の魂)は記憶する

これから書くことは、先月号の繰り返しです。
なかなか私が考えていることをすっきりした形に書ききることができないので、 今回、もう一度挑戦してみます。

「たましい」について、です。
「たましい」について、というと、それだけで、この「うずのしゅげ通信」自体がいかがわしいものとして 敬遠される怖れがあります。しかし、それでも敢えて書きたいことがあるのです。 どうか寛容の精神で、しばらくはお付き合い願います。
私は、たましいが存在するとかしないとか、そういったことを言いたいわけではありません。
伊東静雄の詩の中の

しかも(私の魂)は記憶する

という一行があります。そこをとば口に、魂というものを探ってみたいのです。
(以下、たましいを魂と書くことにします。)

魂について、私は、おそらく他の人よりもほんの少し踏み込んで考えてきたように思います。
そんなことは考えたことがない、というのは幸せな人生を送ってきた人なのでしょう。
私が魂について考えざるをえなかったのは、そうせざるをえない立場に置かれたからです。 他に理由はありません。それだけのことです。

魂について考えようとするとき、いつも一篇の詩が浮かんできます。
伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』の中の「鶯(一老人の詩)」という詩です。
具体的に話を進めるために、まずその詩を引用します。

鶯(一老人の詩)
           伊東静雄
(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう
――幼かつた遠い昔 私の友が
或る深い山の縁(へり)に住んでゐた
私は稀にその家を訪うた
すると 彼は山懐に向つて
奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし
きつと一羽の鶯を誘つた
そして忘れ難いその美しい鳴き声で
私をもてなすのが常であつた
然し まもなく彼は医学枚に入るために
市(まち)に行き
山の家は見捨てられた
それからずつと――半世紀もの後に
私共は半白の人になつて
今は町医者の彼の診療所で
再会した
私はなほも覚えてゐた
あの鶯のことを彼に問うた
彼は微笑しながら
特別にはそれを思ひ出せないと答へた
それは多分
遠く消え去つた彼の幼時が
もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や
地虫や いろんな種類の家畜や
数へ切れない植物・気候のなかに
過ぎたからであつた
そしてあの鶯もまた
他のすべてと同じ程度に
多分 彼の日日であつたのだらう
しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために 書きとめた


最初の一行からこの詩はじつに難解ですが、杉本秀太郎さんの行き届いた解説があります。 (杉本秀太郎著『伊東静雄』
詩集『わがひとに与ふる哀歌』を、私と私の放浪する半身が互いに問いかけあう構造を持つと仮定して、 詳細な分析がなされていています。
ただ、この「鶯」という詩の語り手である老人については、 「意表を突く第三の声の介入」と言っておられるように、 「私」でも「半身」でもないひとりの老人ということになるらしいのです。 詳しくは、面倒でもその本にあたってもらうしかありません。その価値は保証しますから。
最初の行、「(私の魂)といふことは言へない」というのは、 どう解釈するか意見の分かれるところですが、 今回、私の考察には直接関係しないので、とりあえずは迂回することにします。
私が惹きつけられたのは、この「私の魂は記憶する」という終章の一行の方だからです。

しかも(私の魂)は記憶する

この詩において「(私の魂)は記憶する」という記憶の内容は何なのでしょうか。

私はなほも覚えてゐた
あの鶯のことを彼に問うた

とあるように、彼にかかわる「鶯のこと」です。
私が彼の家を訪ねたとき、彼が口笛で鶯を誘い、美しい鳴き声で私をもてなしてくれた、という思い出です。 この思い出は、おそらく(私の魂)に達するような思い出であったのです。 だから、「(私の魂)は記憶する」のです。

そう言われると、魂が記憶している、としか言いようがない思い出というものがあるような気がします。
あるいは、こう言ってもいいかと思います。
(私の魂)は、魂の深みにまで達する思い出を記憶する、たとえばこの詩における鶯のことのように。

ここまでの考察を助走にして、宮沢賢治が妹とし子を悼んだ詩「永訣の朝」を読んでみます。
かなり長い詩なので、前半と最後のあたりのみを引用することにします。

永訣の朝
         宮沢賢治
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜〔じゅんさい〕のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛〔さうえん〕いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(中略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

とし子が「死ぬといふいまごろになって」、兄の賢治に(あめゆじゅとてちてけんじゃ)と 頼んだのです。外へ行って「雪のひとわんを」取ってきてくれと。 そして、賢治は「まがったてっぽうだまのやうに/このくらいみぞれのなかに飛びだし」て 雪を取ってきます。
ここに描写されているできごとに何のふしぎもありません。賢治は事実をのべているのでしょう。
しかし、つぎの一節に私は躓きました。
死んでゆくとし子がいまわのきわに(あめゆじゅとてちてけんじゃ)と 「雪のひとわんを」頼んだこと、それは賢治を「いっしょうあかるくする」ようなことなのでしょうか。 むしろ悲しく暗い思い出なのではないかと。
私は、この詩を読むたびに、そのことに引っかかっていたのです。

そして、あるとき、その疑念を解く鍵が、伊東静雄の詩にあるということに思いあたったのです。

しかも(私の魂)は記憶する

という一行がヒントになりました。

とし子が(あめゆじゅとてちてけんじゃ)と頼み、賢治が「雪のひとわん」を取ってきた という出来事は、いうまでもなく賢治の魂の深みに達する行為だったのではないでしょうか。 魂に記憶されるということは、悲しいことでもあかるいことなのです。 私の経験から言っても、以前に書いたように、 喪失の悲しみがやがて悲しい懐かしさに、あるいは、懐かしい悲しさに変わるということは、魂の悲しみ はけっして暗いばかりではなく、あかるさも孕みもっているということだからです。
喪失の悲しみからさえ隔てられているというのがほんとうの無明ではないでしょうか。
とし子の依頼は、賢治の魂に悲しさをかき立てたゆえに「あかるくする」と表現したように 思われます。
また、そのことが魂に痕跡を残しているということを言いたくて、 「いつしやう」というふうな強いことばを遣ったのではないでしょうか。 魂に刻まれたことは一生消えるはずがありませんから。
またその記憶で魂があかるく照らされることで、 「わたくしもまつすぐにすすんでいくから」という前向きの一歩を踏み出すことができると 言っているのです。
賢治が、「あめゆじゅ」を取ってくる行為を魂のレベルのものと考えていたことは、 最後のところで、「あめゆじゅ」を「天上のアイスクリーム」といういわば魂の食べものになるように と願っているところからも推察することができます。

これらのことを踏まえて二つの詩の対照表を作ってみると、つぎのようになります。
伊東静雄の「鶯」においては、
a、友人が、私のために、口笛を吹き鳴らし鶯を誘った、という幼い頃の出来事が取りあげられています。
b、そのことを(私の魂)が記憶する、というのです。
c、そして、そこから一篇の詩が「私」の唇にのぼってきて、
d、「私」は、その魂の記憶を、君の老年のために書きとめた、つまり未来へ向けて書き残す、
というのです。

宮沢賢治の「永訣の朝」においては、
e、妹のとし子が、賢治に、(あめゆじゅとてちてけんじゃ)といまわの際に頼んだ出来事が詩のテーマです。
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)が、鶯のエピソードと同様に、魂に達する出来事であることは同じです。
f、そのことを(賢治の魂)が生きているあいだ覚えていないわけがありません。
「わたくしをいっしゃうあかるくする」といった強い表現をしたのは、 魂に記憶されたということを言いたいがためなのではないでしょうか。
g、賢治は、そのことを「永訣の朝」という詩に書きました。
h、その記憶があるために、「わたくしもまっすぐにすすんでいく」、 つまり前向きに一歩を踏み出してゆくことができるというのです。

こういうふうに並べてみると、伊東静雄のa、b、c、dに、賢治のe、f、g、hが対応していることが 分かります。
とくに大切なのがdとhの未来への希望といったところです。
魂の記憶があれば、あかるい希望をもつことが できるというのです。

賢治を「雨ニモマケズ」だけの詩人と考えるのはもったいないと思います。
賢治の絶唱とも言うべきこの「永訣の朝」には、妹をなくした喪失体験からの立ち直りに至る機微が 表現されているのではないでしょうか。

昨年の震災でも多くの命が失われ、いまだに喪失の悲しみから立ち直れない人たちがおられます。
そこからどのようにすれば立ち直れるのか、さらには前向きに一歩を踏み出してゆけるのか、といった 問いに賢治が答えてくれているように思うのです。
亡くなった大切な人の記憶、「鶯」のできごとのような魂に刻まれた 思い出というべきものはだれにでもあるでしょう。 その魂の記憶があれば、喪失の悲しみから立ち上がり、あかるく、前向きに「まっすぐにすすんでいく」 ことができるのだというのです。

こういうふうに伊東静雄と宮沢賢治という二人の詩人の詩を並べることで、 魂が記憶するということの意味、あるいは力といってもいいのですが、 そういったものが浮かび上がってくるように思うのですが、いかがでしょうか。


2012.2.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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