2012年8月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

三人芝居「銀河鉄道いじめぼうし協会」

父の句

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ


2012.8.1
三人芝居「銀河鉄道いじめぼうし協会」

いじめ問題がクローズアップされています。
いじめというのは、深く人間の本性に根ざした病理であるだけに、やっかいなもののように思います。
朝日新聞では、「いじめられている君へ」と題して、さまざまな分野の人たちが、自分の経験から、 現在いじめを受けている子どもに むけたメッセージを掲載しています。
そのシリーズを読んできて、当然のことですが、いじめられた経験を持つ筆者の文章の方が心を撃つ、 というのが、これまでの感想です。
先日、細山貴嶺さんの「「死ね」の痛み分かって」と題する文章が掲載されていて、たいへん感銘を 受けました。
それをきっかけにして、二、三日で一本の脚本を書き上げました。
そんなことはめったにあるものではありません。普通なら、長く考えをめぐらして、いろんな筋立てを 試みて、それでもどうしても完成までこぎつけることができないことも多いのです。
それが、今回のように、何かのきっかけがあると、一瀉千里に脚本ができてしまうということもあるのです。 ふしぎなものです。文学的に深いものかどうかはわかりませんが、 いじめを考えるきっかけにはなると思います。
興味をお持ちいただいた方は、下の入口からどうぞ。

三人芝居「銀河鉄道いじめぼうし協会」
−中・高生を対象に、いじめについて考える劇−


これまでにも、いじめをテーマにいくつかの脚本を書いています。
脚本をテーマで分類すれば、いじめ問題は、その柱の一つでした。
私が勤務していた高等養護学校(高等特別支援学校)では、 中学校の障害児学級から進学してくる生徒が大半でした。 (正確な割合はわかりませんが)その中のかなりの生徒が中学校でいじめを経験していました。 いじめの対象にされて心に傷を負った生徒もいたように思います。そういう生徒たちですから、 いじめには懲りているはずなのですが、かといって、高等養護がいじめのまったくない学校だったかというと、 そうでもなかったように思います。さすがにそんなにひどいいじめはありませんでしたが、 いじめがまったくないとは言えませんでした。高等養護に入学してあらたな集団ができると、 その中での自分の立ち位置が変わり、 まわりを見まわしてどうも自分が有利な立場にいるようだとなると、 やはりこれまでいじめられてきた手口に倣って、 おずおずとではありますが、より弱いものにいじめに類することをする生徒も見られたのです。
いじめはどんな集団にもある、というのはこういった例からも分かります。
しかし、いじめが人間の本性に根ざしたものであるだけに、また人間に特有の社会性を逆手にとって 解決する方法もあるようにも思うのです。
この脚本は、その一つの試みだと考えています。
これからも、いじめの問題については考え続けてゆきたいと思います。
そんなに長い脚本ではありません。できればお読みいただいて、感想をお聞かせくだされば幸いです。


2012.8.1
父の句

お盆の月なので、十年以前に亡くなった父・浅田素由の句を引用させてください。
父の句で、私の比較的好きな句を二つ。

紫陽花や童女の青き土不踏

童女とあるのは、孫のことです。男系一家の中に女の孫が育ってゆく喜びといったものを 詠みたかったのだと思います。紫陽花と土不踏と、どのように響きあうのかはわかりませんが、 瑞々しく清潔な印象を残します。

秋の蚊の妻の乳房につまづける

「の」の連なりが気にならなくもないのですが、滑稽味があって、好みの句の一つです。
これには先行句があります。
尾崎放哉の次の句です。

すばらしい乳房だ蚊が居る

父は尾崎放哉を読んでいましたから、この句を先行句として発想したのだと思います。

私がこの歳になって俳句をはじめようと思ったのは、晩年の父を見てきたからです。
そもそも「古墳群」の句会に入ったのは、父が籍を置いていた縁があるからです。散歩でお会いした 主宰の内田満さんに誘っていただいたのが直接のきっかけなのですが、 自分の中にも、そろそろ俳句をやってみようか、という思いもあったのです。 まさに禅の「そっ啄同時」(そつの字がありません)といったところでしょうか。 俳句の卵が孵りかけていたところ、内田さんが外から卵の殻を 叩かれる。それに応じて、中の雛(私)も内側から殻をつついて、結句、殻が割れて 俳句の雛が誕生したといったところでしょうか。

父は、俳句をやっていましたから、亡くなる直前まで、何らかの自己表現はできていました。
晩年の句には、見るべきものは少ないのですが、それでも、 これまでに培ってきた技量がちょっとした句作の中に生かされていました。
そんな父の晩年とこれからの自分を重ねたとき、やはりそろそろ俳句かな、 という思いが萌していたのです。 今はまだ脚本を書いたり、 「うずのしゅげ通信」を書いたりして、それなりの暇つぶしができているのですが、 父の最晩年のように、やがてそういった文章も書けなくなる。そんなとき俳句は、父を支えたように、 最後までステッキとして自分を支えてくれるような気がするのです。
しかし、ステッキを使うにも練習が必要です。 今日要るからといってただちに使いこなせるわけはないのです。 俳句も同じではないでしょうか。可能なあいだに一定のレベルに達するまで 俳句の修練をしておく必要があります。 いまから身につく技量などたかがしれたもの。 またたとえ少々身についたとしても年齢とともに衰えてゆくのは必定。 せめてその技量が、晩年に少しでも残っていればしめたものです。根気もいらず、一気に詠める俳句は、 老年に最適の文学です。そうなれば最後まで自己表現として私を支えてくれるにちがいないのです。 そういった少々せこい思惑もあって、遅まきながら俳句をはじめる気になったのです。
かつて、短歌に打ち込んだ時期もあり、晩年の自分を支える小さい器が、俳句ではなくて、短歌、あるいは 川柳でもよかったのです。しかし、いったん俳句をやってみると、 歌の冗長性というものがたえがたい。また、残念なことに川柳の会が 身近にない。残るは俳句しかないといった状況でした。
そんなわけで、三年前、父と同じ句会にお世話になることにしたのです。入ったからには、 父の顔に泥を塗るわけにはいきません。一宿一飯の恩義というものもあります。
俳句一筋、粒々辛苦あるのみです。


2012.8.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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