2012年10月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

落語「還暦赤紙」

老いと死を見直す視点

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2012.10.1
落語「還暦赤紙」

自分もそれに属している団塊世代、その団塊世代は逃げおおせるのだろうか、 最近そんな思いがしきりに脳裏を過ぎるのです。
逃げおおせるといっても、そんなに具体的な脅威を考えているわけではありません。
しいてあげれば、二、三の不安が浮かんできます。
そのことを説明するために、団塊世代の生い立ちをふり返ってみます。

団塊世代はこれまでの世代、あるいはその後の世代にくらべてかなり恵まれた世代でした。
彼らは、戦争末期の悲惨を経験することなく、貧しさの記憶はおぼろげながらあるのですが、 飢餓の経験があるとか、空襲で怖いめにあったとかいったことは ありません。まさに、戦争が終わって生まれた世代なのです。
中学、高校を出て就職するころには、金の卵ともてはやされ、大学に進学した者は、 全共闘運動を経験し、それに対する自分なりの立ち位置を考えながら、デモに参加したり、冷笑したりの 日々でした。
封鎖された大学に行くことも出来ずに、麻雀やバイトに 精を出していたものも多かったはず。就職すれば、定年まで身分を保障され、 年齢を重ねるにつれて給料は右肩上がりに伸びてゆきました。
五十代を迎えてからは陰りが見え始めたとはいえ、しっかりと退職金を手にして、そこそこの年金も 確保されています。彼らの余生は安泰に見えます。
ただ、後ろから彼らを追っかけている不安もあります。
一つは、日本経済が破綻に向かいつつあること、もし破綻すれば、退職金が吹っ飛び、 年金も削られるかも知れない。
3.11の大震災による原発事故が民衆にあたえた不安もあります。国際社会も不安定さを増しています。 これまでの六十年の平和は、風前の灯火のように思われます。団塊世代がこの世から消えてなくなるまでに、 そのような破綻に遭遇しないで安穏と余生を送れるのでしょうか。 彼らはこころの中に不安を抱えながら遁走をはかっているように見えます。
遁走しようとしているのですが、夢の中の遁走のように、思うように速く走ることができません。 それもそのはず、ゴールは死そのものでしかないからです。しかし、やがてやって来る死という ゴールに彼らは幸せなまま駆け込めるのでしょうか。はたして逃げおおせるかどうか。
不安は、それだけではありません。私だけの個人的な不安かもしれませんが。
最近、日本の周りで、島の所属をめぐって隣国との関係が少々きな臭くなってきています。
国内においても、かなり以前から閉塞感がみなぎって、若者の中にネット右翼的な風潮もあるようです。 3.11の衝撃によって幾分緩和されたとはいえ、若者を中心にますます振り子は右に振れつつあるように 思われます。そんな風潮が、領土問題にどのような反応を示すのでしょうか。 紛争が勃発するといったようなことはないのでしょうか。
憲法の改正が叫ばれていて、徴兵制が復活する可能性だって否定できないように思われます。 還暦を過ぎた団塊世代が、いまさら招集されるようなことはないでしょうが、 戦争、あるいはもっと広く周辺諸国との暴力的な紛争といったものの苦しさから逃げおおせるだろうか、 ということなのです。

これら二つの不安から、団塊世代は逃げおおせるだろうか、といった思いがいつも脳裏を去来するのです。

団塊世代は、いまや定年退職して、これから老年に向かいつつあります。 彼らは、幸運なままこの人生からおさらばすることができるのでしょうか。
何度も繰り返しますが、私もまたその団塊世代の一員であります。
団塊世代に徴兵制、そういったことを漠然と考えている中で、還暦を迎えた彼らを赤紙で招集したら おもしろいかも知れない、というアイデアが浮かんだのです。
そうは問屋が卸さない、逃してなるものかと、おなじ団塊世代の足を引っ張ってやろう、というわけです。
原発事故が起こったとき、当時の菅首相が「60歳を越えた老人が現場に行け」といったというエピソード も思い出して、原発労働に老人を徴集するという状況設定の落語を書いてみようというのです。
もちろん団塊世代に恨みがあるわけではなく、要するに現在の閉塞状況を、戯画化して笑いとばしたい、 というのが、この落語を発想した真の動機です。
興味のある方はのぞいて見てください。

落語「還暦赤紙」
−中・高生を対象に、いじめについて考える劇−


追補
 1、もう一つ不安があります。それは、具体的なものです。団塊世代が寿命年齢を迎えたとき、 日本の終末期医療がどうなっているかは、想像するだに恐ろしい感じがします。 そういった医療の崩壊から団塊世代は逃げおおせるかというのが、もう一つの不安です。 病院から追い出された団塊世代は、どのようにして死んでいくのでしょうか。 無事、死というゴールに駆け込むことができるのでしょうか。
団塊世代は9割方の人生は恵まれていたけれども、最後の十年は悲惨だったね、と言われるような ことがないように、さて、どうしたらいいのでしょうか。

2、これまでに二つの落語台本を書きましたが、二つともにみじめな失敗作です。
落語台本はむずかしい。何がじゃまをしているかというと、 一つは私の台本にどうしても顔を出すメッセージ性。 落語にメッセージは必要ないようです。人間のおかしみ、くだらなさ、といったものは、それだけで 十分におもしろいということです。
二つ目は、私自身の欠陥、落語的観点で人間を見てこなかった、 というところにあるよう です。人間のおかしみをことばを介してのみ捉えようとして、しぐさや癖などで捉える ことをしてこなかった。落語の脚本が書けない要因はそんなところにあるのではないかと、 自己分析しています。それがあたっているのやら、はずれているのやら、当の本人である私には、 とんと分からないのですが……。


2012.10.1
老いと死を見直す視点

「現代文明は生命をどう変えるか−−森岡正博・6つの対話」(法蔵館)を読みました。
かなり前に出版された本ですが、6つの対話のどれもがいまもなお新鮮さを失っていなくて、 たいへん興味深いものでした。 とりわけ多田富雄さんと森岡さんの対話「老いと死を見直す視点」には触発される ところがたくさんありました。
能について論じて、多田さんは、つぎのようなことを述べておられます。

「舞台に現れた死者は、自分の生前のことを物語って、 自分が生きたことの意味を観客に問いかけるわけです。」

「中世の死生観にもつながることだと思いますが、中世の人たちは、少なくとも死者というものを存在 しないもの、つまり無とは考えていなかった。「非存在ではない」と考えていたんじゃないでしょうか。」

「お能の中で「死者の声を聞く」ということに私がたいへん興味をもっているのは、それが全体を見た上で 語りかける声だからです。全体を見通す目というのは、 おそらくすべてが終わったあとの死者の目しかないんじゃないか、と思うからなんです。お能が現代人にも 大きな感動を与えているのは、私たちはふだん生者の目で仮の現象を見ているに過ぎないのだけれども、お能を 見ることによって、生の全体を見渡すことができる死者の持っている視野を共有できるからだ、 と思います。」

(これまでの脳死の議論に)「何が欠けていると思ったかと言いますと、当事者であるはずの脳死者の声が 聞こえてこないんです。私は、それまで新作の能を作ることなど考えたこともなかったんですが、 そのときには真剣に「脳死者の声を聞くためには、能というジャンルが使えるのではないか」 と思いました。」

そういった考えがあって、多田富雄さんは、新作の能「無明の井」を書かれたようです。 「無明の井」は、アメリカにおいても何度か上演されて喝采を浴びています。

多田富雄さんについては、以前、能についての著作を読んで、「うずのしゅげ通信」に感想を 書いたことがあります。今回、森岡正博さんとの会話を読んで、 あらためて多田富雄さんの考えの深さに触れたような気がしています。

多田さんのお話にあるように、能というのは、とくに夢幻能は、死者がこの世に還ってきて、 すでに完結したところの己の生を死者の目によってふり返り、語る、という趣向になっています。
死者をよみがえらせることは、たやすくできることではありません。 イタコの口寄せや祭りの場での憑依など個人的な資質に頼るしかなかったところを、 世阿弥は、夢幻能という絶妙の仕掛けによって公の場で演じることでそれを可能にしたのです。 天才にのみひらめく発想というしかありません。
能をそんなふうに見る目を転じて歴史を俯瞰したとき、 もう一人、死者をこの世に出現させ ようとした中世人がいたことに思いあたります。世阿弥に先んじること約二百年、波瀾万丈の一世紀を 生き抜いた親鸞のことです。
親鸞の還相回向(げんそうえこう)は、世阿弥の夢幻能とどこかで通底しているような気がします。
念仏によって極楽往生した死者は、浄土に留まることなく、 衆生を教化するために再びこの世に還ってくる、 親鸞はそんなふうに信じていました。 往相回向、還相回向という考え方ですが、親鸞思想の中でも、中心に位置する教義です。
しかし、この考え方、夢幻能とどこか似ているように思います。
親鸞と世阿弥、二世紀を隔てているとはいえ、おなじ中世人だからでしょうか、 やはり共通のあの世との交流感覚を持っていたとしか思えません。
それにしても、こういった彼岸との行き来は、中世に独特のものなのでしょうか。
いやいや、そうとばかりは言えないように思われます。
現代人の心の底にも、死者が非存在ではないという感覚、あるいは、 夢幻能の死者による語りや還相回向の考え方などを受け入れる感覚は伏流しているような気がします。 そして、われわれが能を観ることによって感じるカタルシス、あるいは、 多くの人々が苦しいとき歎異抄に縋りつこうとする現実、そういったことを考え合わせれば、 心の中を伏流するその感覚が、われわれの魂の救いをもたらす 何かを伝えているようにも思うのですが、 どんなものでしょうか。


2012.10.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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