2013年2月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
プチ狂言「箒縛り」
河内野と狐
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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2013.2.1
プチ狂言「箒縛り」
ここ1、2年に書いた新しい脚本が、昨年後半立て続けに上演されました。
「雨ニモマケズ手帳」「銀河鉄道いじめぼうし協会」「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)
「教室の壁は回し蹴りで」などです。
上演していただいた生徒さん、先生方には感謝しかありません。
たいへん喜ばしいことで、私の心に活気づくものがあったのです。
それで、まだ書けるのなら書けるうちに書いておこう、そうすれば、何らかの機縁があれば、
どこかでまた上演していただけることもあるかもしれない、と自らを励まして、
またまた書いてしまったのです。
プチ狂言「箒縛り」と題しました。狂言「棒縛」のパロディといった趣の脚本ですが、
小学校の6年生から中学生くらいを
想定したもので、いじめをテーマにしています。上演時間は15分ぐらいの短い劇です。
興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
プチ狂言「箒縛り」
−いじめを追い込め−
2013.2.1
河内野と狐
大岡信「第五 折々のうた」につぎの句を見つけました。
狐火に河内の国のくらさかな 後藤夜半
おもしろい句だと印象に残りました。
この句に添えられた文章に次の一節があります。
「暗夜の野や墓地に妖しく燃える狐火は俳句では冬の季語。狐火がちろちろ燃えれば周りの闇は
一層ぶきみに深まる。その闇を「河内の国のくらさかな」と一気に大きく捉えた時、
河内の地名もずしりと重くなった。」
「狐火」は、冬の季語なのですね。知りませんでした。
それにしても、狐火と河内野の取り合わせは、むかしから言いならわされてきたことなのでしょうか。
夜半は「大阪商家の生まれ」とありますから、河内に住まいしておられたのではないようです。
商談でどこかに出かけての帰るさ、とっぷり暮れた河内野にさしかかり、そこでほんとうに狐火を見ての句か、
あるいは夜の河内野を眺めて、ふと昔からの言いならわしが浮かんで「狐火に」と発した句なのか。
河内と言っても、北河内と南河内では、かなり田舎ぶりが違うように思います。
私は南河内に住んでいますが、同じ河内でも、このあたりは、
もっとも遅くまで狐火伝承が残っていたのではないでしょうか。
私の幼い頃の記憶を探ってみると、遠くにそれらしい灯火が動くのを見た覚えがあります。
この句に興味をそそられたのは、そんな埋もれていた記憶が触発されたからかもしれません。
誰それが狐にばかされたというまことしやかな話を聞いたことも一再ならずあります。
昔を知る老人に話を聞くと、村の南北のはずれにそれぞれ雄と雌の狐がいたというのです。
私の村は南北に街道がつらぬいています。
村を南に出外れたところに橋があって、その橋のたもとが雌の狐、乙女(おとめ)の領分だったそうです。
しかし、それはかなり昔の話で、私がものごころついたころには、
その橋はすでにしっかりとした木橋に掛け替えられ、
近くに家も建っていたので、狐火を見たといった話はついぞ聞いたことがありません。
かなり昔にあった話として、隣の寺内町に市が立つ八朔の夜など、帰りがけの酔っぱらいが、
橋のたもとで狐に悪さをされたことがある、というふうな曖昧な伝承が残っている程度でした。
しかしその頃でも、村を北に出はずれたあたりはまだまださびしく、
いかにも狐が出没しそうな気配がありました。
北に抜ける街道は里山の裾をなぞってゆくのですが、
夜になると灯りはまったくなく、真っ暗な山容が迫って道を隠してしまうほどでした。
街道沿いに、山裾をほんの少し削って一、二歩の登って下る狭い道があって、その上に
祠があり小さい地蔵尊が納められています。祠の上に木の枝が被さっていて、
お参りするのに腰を折って登らないと
いけないということでコショレ(腰折れ)地蔵と呼ばれたのだろうと思うのですが、
ほんとうのところはわかりません。
その祠のあたりに雄の狐、乙吉(おときち)が
いたというのです。
私がまだ幼い頃(昭和二十年代)、誰それが狐にだまされてコショレのあたりで田圃の中を歩いとったそうや、
といった具体名を伴った話をいくつか聞いた覚えがあります。まさに落語にあるような話ですね。
私が、夜おそくに、遠い狐火のようなものを見たのも、コショレのあたりです。
小さい灯火が連なって遠くの山裾を動いて行くのを、今でも思い浮かべることができます。
そういえば、思い出しました。哲学者の内山節さんの著書に「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」
というおもしろい本があります。
本はすでに処分して手元にないので、少々心もとないのですが、記憶に頼って書いてみます。
内山さんによると、日本人がキツネにだまされなくなるのは、1965年(昭和40年)ごろからだというのです。
昭和40年というと、私が十七歳、高校生の頃です。
そのころから「日本人はキツネにだまされなくなった」ということは、その頃に社会に大きな潮目が
あったということなのでしょうか。
理由は、いろいろと列挙しておられます。
高度成長にさしかかって、人の考え方、あり方が変わったこと、科学的な考え方が人々に浸透し始めたこと等々が、
その原因だというのです。それぞれの変化について、詳述しておられますので、
興味のある方は、ご一読ください。
私の経験からしても、たしかにそのころから、村でも誰それが狐にだまされたという個人名をともなった
真実みのあるうわさ話は聞かなくなったように思います。むかし誰それがだまされて田圃の中を歩いていた、
といった語り伝えは残っていましたが、それ以後あたらしく風聞が生まれるということはなかったように思います。
しかし、そのことの意味を考えることなどありませんでした。
だから、内山さんの本を読んだとき、不意をつかれたような気がしたものです。
キツネにだまされるといった一つの伝承に着目して、その変化から社会の変化を洞察するといった手法
は新鮮でした。また、昭和40年頃にそういった変化があったのではないかという推察も、
自分の経験に照らして深く納得するところがあったのです。
宮沢賢治に「雪渡り」という童話があります。狐が出てくる話で、とても好きな作品の一つです。
詳しくは読んでいただくしかありませんが、狐火関連で一つ。
四郎とかん子という子どもが主人公なのですが、彼らに対して、狐の紺三郎が、
狐にだまされるということについて自己弁護するところがあります。
「(前略)だまされたといふ人は大抵お酒に酔つたり、臆病でくるくるしたりした人です。」というのです。
そして、そういったことをテーマにした幻燈会に彼らは招待されます。
狐の小学校に出かけていった彼らは、狐の見ている前で出された黍団子を食べなければならないハメになります。
それを食べることによって、
狐たちと四郎、かん子の心の交流がなったといった筋になっています。
中で歌われる歌もすばらしいのですが、もっとも賢治の天才性がかいま見られるのが、幻燈会という発想です。
狐火を賢治はたんなる狐火ではなく、そこで幻燈会が行われていると見たわけです。
狐火を狐火と見るのは、何の飛躍もないわけですが、
そこから幻燈会を発想できる人はそんなにいないと思います。歌といい、その発想といい、
賢治の賢治たるところが存分に発揮されている作品です。
話があらぬ方に飛んでしまいましたが、
最後に、昨年の十二月の句会に出した拙句をひとつ。
河内野に楔撃ちこむ寒の雷 洋
2013.2.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、
アメリカの日本人学校等で
上演されてきました。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、
一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。
手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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