2013年9月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

落語「ちょっと長めの小咄『原発皮算用』」

鬱々と

文庫本「賢治先生がやってきた」

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2013.9.1
落語「ちょっと長めの小咄『原発皮算用』」

昭和三十云年、千九百六十云年某月某日のことですな。当時の日本の総理大臣が、アメリカに原発、原子力発電を 買いに行かはりました。総理大臣は、誰とはいいませんが、後にノーベル平和賞をもらはった方ではないかと、 私は推測しておりますが、偉いもんですな、みずから出かけていって交渉しはったんですな。 せやけど、この原子力発電、どこにでもあるという品物やない。アメリカの日本橋みたいな電器屋街の GEという店に入らはったんですな。ジェネラル・エレクトリックいう大きな会社の出店ですわ。
日本の総理大臣 「こんにちは、だれかいたはりますか?」
その総理大臣が大阪弁をしゃべらはったかどうかは知りませんが、奥に声をかけますと……。
GEの番頭 「ああ、ようお越し。これはこれは東洋のお方ですな。 チャイニーズですか? コリアンですか?」
日本の総理大臣 「いや、私はジャパニーズでおますが……」
GEの番頭 「おージャップ、やのうて、ジャパニーズ、それは遠路はるばると、…… それで、きょうは何をお探しですかいな?」
日本の総理大臣 「原発なんやけど……話に入る前に、まずお伺いしますけど、 あんさんは、ここのお店のご主人ですか?」
GEの番頭 「わては、バントウでおますが……」
日本の総理大臣 「何で、そんな英語みたいな発音しやはるんですか?」
GEの番頭 「えっ、なんかおかしいですか、バントウということで、この店を 任されておりますから、そこんところはお気遣いなく」
日本の総理大臣 「番頭さんね。それはよかった。なにしろ高いものやさかい。 交渉相手をまず選ばんとな」
GEの番頭 「それでお買い物は原発でっか、そらもう勉強させてもらいまっせ」
日本の総理大臣 「なんぼになりますかな、あんさんとこで作ったはる沸騰水型軽水炉いうのは?」
GEの番頭 「ほう、調べてきやはったんですな。では、まあ、話がはやい。ぶっちゃけたところで、 見積もらしてもらいまひょか」
日本の総理大臣 「そう願えますかな。……わが国にも、最初に導入したイギリスの 黒煙減速原子炉というのが一基ありますが、……そやつ、安全性は高いものの、 ちょっと金喰い虫でな、算盤に合わんのですわ、それで替えようと思うとるんじゃが……」
GEの番頭 「へーへー、それはよろしおますな。替えてもろうたら、決して損はさせしまへん……。 えーと、ご承知のようにこの界隈はずっと同じお商売でございますし、 朝商いのことでございますし、 あんさんがたのことでございますし、それに、イギリスさんからの 乗り替え割引というのも使えますし、 決してお高いことはもうしません。」
(と、算盤をパチパチと入れて、しばらく考えている)
GEの番頭が算盤を使うかどうかは知りまへんで……。
GEの番頭 「まあ、せいぜい勉強させてもろうて、 うんとお安くいたしまして、どーんとお負けいたしまして、3500億円がところで、…… もうこれ以上は一文も負かりまへんので、……」
日本の総理大臣 「よう、しゃべる番頭やな、えー、何言うたんや、軒並みがずーと同じお商売やさかい、 朝商いのことやさかい、 あんさんがたのことやさかい、乗り替え割引もして、せいぜい勉強して、うんと安うして、 どーんと負けたところで、3500億円が ところで、一文も負からへんと言わはるんですな。」
GEの番頭 「へぇへぇへぇ、まあ、そうですけど」
日本の総理大臣 「ちょっとつかんことをおたずねいたしますが、ひょっとして、これが同商売やのうて、 朝商いやのうて、あんさんがたのことやのうて、割引ものうて、 せいぜい勉強せんと、うんと安うせんと、どーんと負けなんだら、なんぼになります?」
GEの番頭(ちょっと困った表情で、もじもじして) 「えー、3500億円がとこで……」
日本の総理大臣 「おんなじやないか、ほらな、やな……、せやけど商人というのはうまいな、 とんとんとんと運ばれると 安い、買うた、そんな気にさすだけえらいやないか、けども、日本からはるばるやってきたわいの顔を 立ててもらいたい。あんたは日本の総理やから、顔出すだけでそこそこは 安うしてもらえるんやないかと頼まれてやってきたんや。 まさか言い値で買うて帰りましたなんて言われへんやないか、ちょっとわいの顔をたててやな…… この500億円をとってもろうて(と、相手の算盤の珠を動かす)、 3000億円ちょうどというのは、どうやろ? むつかしおまっか? わしはそんなムリは 言うてないはずやけどな、 3000億円の方をとってくれ言うてたら、そりゃむちゃや。そやない、ただこの500億円の方を とってくれと言うてるだけで、 ここんところをよう聞いてもらいたい」
GEの番頭 「つらいですな」
日本の総理大臣 「つらいんは、わかったある、こんなもんは傷もんもでるし壊れもんもでますわな、 つらいのは分かってる。 せやけど、設計ミスや施工ミスもあるかもしれへんわな。そこをあらかじめ割り引いてもろといて、 ……それに後々のこともありまっせ。 わが国もこれからどんどん導入してゆく予定やし、 近所の国にも言うて歩くで、GEの原発 安うてええ、言うてな。どうや?」
GEの番頭「へー、へーと、しゃーないですな。苦しいとこやけど、まあ、 清水の舞台から飛び降りたつもりで、よろしおます。それで手ぇを打ちましょか」
アメリカにも清水の舞台ちゅうもんがあるんですかな。
日本の総理大臣 「よう言うてくれはりました。それでいきまひょ。…… ところで、お聞きしますが、この原子力発電というやつ、電気代はいくらぐらいかかるもんですかな?」
GEの番頭 「そうでんな、まあ、ざっと試算しまして、(と、ふたたび算盤を入れる) 原発の事故がのうて、地元の村や県が適当な補助金で容認してくれてですな(と、算盤を入れる)、 40年稼働させて(と、算盤)、稼働率が80%で(と、算盤)、まあこれは検査もありますから、 実質はフル回転ということでっせ、しゃかりきに働いてもろうて、まあ、1kw時のかかりが9円がとこですかな」
日本の総理大臣 「ほんまにそんなに安いもんですか? 水力が13円、 火力は17、8円がとこかかるさかい、 それがほんとうなら原発は安あがりということになりますわな」
GEの番頭 「まあ、番頭の私が言うてるんやからまちがいおまへん。そうしときなはれ、 ややこしいこと言わんかったら、 見かけは火力発電や水力発電よりも安うなるのが普通でっせ」
日本の総理大臣 「ほんなら、原発の事故があって、補償金を払うて、廃炉や除染に金がかかって、 地元や県がもう補助金で容認してくれんようになって、処分場がなかなか 見つからんで、そんなこんなを考えあわせたら、なんぼくらいになりますかな?」
GEの番頭(パチパチと忙しく算盤をはじいて) 「まあ、60円、70円、……、こりゃあ、たいへんだ、 汚染水漏れが止まらんで、土を凍らして地下水を防いだりしていたら、それこそ電気代は鰻登りになりますな」
日本の総理大臣 「こりゃあたまらんわ、事故があったら、そんなに高うつくもんか。まあ、そんでも 原発を買うのは産業のためばかりやのうて、原発の技術は原爆にも流用できるから大切なんやて、 兄貴が言うてた。原発を持っているということは、まあ一旦ことあるときは、核武装できるんやで、という 威嚇になるらしい。 そやから、少々高うてもしゃあないか……。 それで、原発の安全性はどないですかいな?」
GEの番頭 「安全性はなかなか難しおますな。……まあ、マグニチュード9クラスの地震がのうて、 予備電源が水没しないところにあって、全電源が失われてもすぐに消防車で給水できる準備ができてて、 原発の巨大プラントの細部を理解してる技術者はんらが操作してくれはって、 ベント弁から水素が洩れるようなことがのうて、 いざ事あるときは命がけで突入してくれはる決死隊がいてくれはるようやったら、 まあ99%は安全と言えますかな」
日本の総理大臣 「ほんだら、マグニチュード9クラスの地震が千年に一回くらいあって、 予備電源が水没するようなとこに設置されとって、 巨大プラントの細かいとこまでようわかってる技術屋が少のうて、 ベントが洩れて水素爆発するような原発やったら、 メルトダウンする危険があるという ことですな」
GEの番頭 「まあ、そういうことでんな。せやけど、わが国では、 そんな地震が起こることはめったにおまへんからな。 一万年に一回くらいのもんでっせ。日本も同じちがいまっか?」
日本の総理大臣 「日本はあんさんのお国と事情がちがいますねん。地震もよう起こる。 ツナミもしょっちゅうや」
GEの番頭 「あの英語になってるTUNAMIでおますな」
日本の総理大臣 「Yesです。それだけ多いということですわ。せやのにそんなに安請け合いして ええんかいな。もし、もしもでっせ、 マグニチュード9くらいのどでかい地震が起きて、この原発がたいへんなことになったら、……」
GEの番頭 「そんなことになっても、それは自己責任ちゅうもんや。 原発やからいうてウランだらあきまへんで……」
と、そないなことをGEの番頭さんが言うたか、どうか……。
お後がよろしいようで……。

(注 GEの番頭と日本の総理大臣の遣り取りは、桂枝雀さんが演じておられる 「壺算」を参考にしました。)

【追補】
小咄のはずがちょっと長めになってしまいました。とても上演できるものではありません。 読む落語と考えていただければと思います。
以前、「還暦赤紙」というお題の原発をテーマにした落語を書いたことがあります。
上の小咄をマクラにして、読んでみようとお考えの奇特なお方がおられましたら、 下の入口よりお入りください。
ごゆっくりと、どうぞ。

落語台本(脚本)「還暦赤紙」
−還暦の退職ぐみは原発に−



2013.9.1
鬱々と
最近は、どうも憂鬱な気分にとらわれることが多いのです。
老年の鬱ということもあるのかもしれませんが、それだけではないように思います。
世の中の情勢が、自分のこれまで生きてきた常識をすべて否定するかのような方向に進みつつあるからです。
老年のうっとうしさと時代の閉塞気分が重なっているといってもいいかもしれません。
未知の経験を楽しむ姿勢で老年に踏み込んでゆこうと、3.11以前は、 めずらしく楽観的に考えていたのですが、 ここに来て、これまでの人生をあっさり否定されては、 気楽に次の段階に進むこともできません。
戦後営々と積み上げられてきた社会の仕組み、世の中の常識、大切に守ってきた信条等々、 それらのほとんどが拭い去るように描きかえられようとしています。 被害妄想でしょうか。
「世の中が徐々に変わってきていたのにお前が気づいていなかっただけ、それがここにきて一時に 押し寄せてきたように見えるっていうことじゃないの……」
と皮肉る声も聞こえるのですが、ほんとうのところはどうなのでしょうか。
たとえば働くものはすくなくとも人間として扱われていたように思うのです。それは一人ではなかったからです。 働くものの権利や労働条件は毎年の交渉によって決められていたし、 そういった仕組みを労使がともに尊重していました。 そういう仕組みがいつのまにかすべて吹っ飛んでしまっている。 権利を主張できない非正規労働者がどんどん増え続けている。ブラック企業が堂々とまかり通っている。 これでいいのでしょうか。
教育現場では一人一人を大切にということで積み上げられてきた取り組みが、定員割れ、 あるいは英語教育振興といった理由であっさりと 切り捨てられる。
原発事故によって郷里から追い立てられた人々が、現在の賠償制度では 生活再建もままならないまま、仮設住宅に放置されて、いつのまにか三年目に入っている。これを棄民政策と 言わずして何と言うのでしょうか。
あげればきりがありません。
そんなことを考えているとなんともやりきれない気分になってしまいます。
だから気分の転換のために、上のような戯文を書きたくなるのかも知れません。
そういうことで、どうぞご容赦くださいませ。

追伸1
8月の古墳群句会に出した私の句です。

先触れの雨の匂ひや蓼の花
尾っぽなき蜥蜴が前行く原爆忌
秋暑し大方清ら虫の死屍
写経紙の堂宇に散るや西鶴忌
灯ともせば青さの匂ふ南瓜かな
初秋や土に湿りの残りけり
砂時計宙(そら)のくびれに星流る

追伸2
「火食鳥」37号を4月に発刊したことは、この「うずのしゅげ通信」でも触れました。 それが、角川出版の雑誌「短歌」8月号の歌誌、歌書欄で紹介されました。
隣町の「短歌」を購読しておられる未知の方から、突然電話があって、はじめて 知ったのです。自分が編集にかかわった雑誌が、このように取りあげられることは嬉しいことですし、 また、短歌を投稿していただいた方々のそれぞれ一首が転載されているのも喜ばしいことでした。


2013.9.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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