「うずのしゅげ通信」

 2014年12月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

コント「宮沢賢治のクリスマス」

人生の大事を詠む

句会

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2014.12.1
コント「宮沢賢治のクリスマス」

今月はクリスマスの月ということで、コントを考えてみました。
クリスマスとかサンタクロースが日本に入ってきたのは大正時代のようです。
子供雑誌にサンタクロースが紹介されたりしはじめます。
ところが、宮沢賢治の作品にサンタクロースは登場しないのです。 「宮澤賢治語彙辞典」(原子朗編著) の索引にも、クリスマスはありますが、 サンタクロースの項目はありません。
大正から昭和のはじめにかけて、都市生活者の家庭には、サンタクロースが 知られるようになっていったのでしょうが、 地方都市までは、 波及していなかったものと考えられます。
しかし、新し物好きの賢治さんのことです。羅須地人協会でクリスマスの催しをやっていたと 想像をたくましくしても、あながち妄想とまでは言えないように思われます。
ということで、コント「宮沢賢治のクリスマス」ができあがりました。
よろしければ、お読みいただけたらと思います。
脚本への入口は次の通りです。

コント「宮沢賢治のクリスマス」
−なまはげのサンタクロース−



2014.12.1
人生の大事を詠む

俳句をやっていてわかったことがあります。
長くやっておられる方にはあたりまえのことかもしれませんが、俳句というのは 私小説のようなものだということです。
あるいは、私小説のような気持で、句作に向かい合いたいということでもあります。
さらに正確に言うと、私小説のような小文学として考えているということでもあります。
私小説であるからには、人生の大事をもり込めなくては意味がありません。
ことばの遊びだけになっていては、第二芸術と貶められてもしかたがないと 思うのです。そこに人生が詠み込まれていれば、そんなことを言われることはないはずです。
そこで、私の人生の大事を詠み込んだ句をいくつか集めてみました。
出来がいいかどうかはわかりませんが、少なくとも他の人の作と見まがうことのない 私の句であることは確かです。

父に添ふ延命七日遠花火
わが嗚咽霜降る通夜の母の辺(へ)に
母の忌や縛めをとく古南天
水澄みて命の淵や子の忌日
ひとつこと共に耐へ来し妻の胼(ひび)
遺骨まだよう納めずに竹の秋
桜蘂(しべ)に色を残して逝きしかな
時雨して遺影の翳り移ろひぬ
村棄つる思ひに眺む冬の耕
わが師はも呆(ほう)けたまひしか昼の月

これらはすべて、私の人生の大事を折々振り返って詠んだものです。
それゆえにこれからも大切にしてゆきたい句なのです。


2014.12.1
句会

11月の「古墳群」句会の拙句です。

紅葉散りて樹影は空に向ひゐる
一遍の裳裾(もすそ)の風や石蕗(つわ)の花
                 (竹内街道にて)
時雨して遺影の翳り移ろひぬ
村棄つる思ひに眺む冬の耕
捌(さば)く紙指先切らる神の留守

結果は、例によって惨憺たるものでした。
10月句会がなかったので、勘が狂ったのか。
それとも何か、私のほうに勘違いがあるのか。
私は俳句を、小さいながら文学だと考えているのですが、もしかしたら、一般的には そうでないのかもしれません。
私は、文学だと考えています。私小説と同様、私(わたくし)文学だと思うのです。 文学であるからには、私が、私の日常が表現されていなければなりません。 さらに私の人生の大事もまたテーマの一つであるはずです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。何か重大な勘違いをしているのかもしれません。
桑原武夫さんのいうように俳句は第二芸術であって、人生の大事などは詠まないものなのでしょうか。 その証拠に、私が人生の大事を詠んだ句は、句会では話題にも上らないのです。 それは拙い句だからだ、と言われれば返す言葉もありませんが、他の人は、 そんな句を詠まないようなのです。
まあ、しかし、私としてはこの路線でいくしかありません。 もっと言葉を磨いて、少しは採ってもらえるように努力したいと思います。


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