「うずのしゅげ通信」

 2015年1月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
謹賀新年
旧年中は「うずのしゅげ通信」をご愛読いただき
ありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

家の近くに壺井八幡宮があり、そこには樹齢千年
とも言われる樟の樹があります。遠くからでも見
ることができ、太幹には注連縄が張られて祀られ
ています。樹の下に立つと、威圧されながらも何
かほっとするのです。

辺(ほとり)して千年樟に北風を聞く

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
            2015年 元旦
今月の特集

脚本「風船爆弾」

戦争体験の継承

俳句

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2015.1.1
脚本「風船爆弾」

また一本、戦争をテーマにした脚本を書きました。
戦争末期に作られた風船爆弾の話です。
小学生や中学生、女学校生を動員して、風船爆弾が作られています。 爆弾を運ぶ巨大な風船は、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせたものです。 それに水素を詰めて空高く揚げて偏西風にのせ、アメリカまで飛ばして爆発させようというのです。
自らこんにゃくの糊作りを志願した太郎は、休憩時間に風船の作業場に忍び込みます。 太郎は、風船の籠に潜んでアメリカまでいって、 爆弾を落とそうとひそかにたくらんでいて、そのために風船の実物を探りに来たのです。 ところが警戒していた兵隊さんに見つかってしまいます。
反省のために閉じ込められた作業場に、隙間風とともに現れたのが風の精である風野又三郎です。 彼は、太郎に代わって風船爆弾をアメリカに誘導して、戦果を見届けてやろうと約束します。
さて、そこから物語りはどんなふうに展開してゆくのでしょうか。
興味のある方は、下の入口から入ってご覧ください。

脚本「風船爆弾」
−銃後の戦争−

戦争を扱った脚本は何本か書いていますが、もっとも上演回数が多いのは 「パンプキンが降ってきた」です。
戦後すでに七十年を経過し、いまや戦争を体験した人たちは少なくなりました。
学校でも十年ばかり前からは、戦争を知らない先生ばかりです。 それでも団塊世代の先生方が退職するまでは、戦争の雰囲気が分からないことはなかったように 思います。私も含む団塊世代は、戦争の名残の空気を少しは吸っていたし、 また親から戦争の話を聞かされて育ちました。
しかし、今の先生方は、戦後の空気も知らないし、戦争の話もあまり聞いていないようです。
そうなると戦争を題材にした劇など、その状況を生徒に説明することも 難しいのではないでしょうか。
そういった事情を踏まえて、いまにつながる戦争のリアリティは何かを考えたとき、 浮かんだテーマの一つは原爆でした。
原爆を直接扱うことは私には不可能です。そこで目をつけたのが、模擬原爆パンプキンです。 戦争末期、日本の各地に落とされ、犠牲者も出ています。 原爆と似せてあるので模擬原爆と呼ばれていましたが、まぎれもない爆弾でした。 パンプキンという名前から発想を広げて、爆弾ではなく、ほんとうのどでカボチャが 降ってきたという設定で、「パンプキンが降ってきた」という脚本を書き上げました。
この脚本は、幸いなことに何度か上演されて好評です。
そして、今回、もう一つのテーマとして「風船爆弾」を取り上げました。
和紙がユネスコの無形文化遺産に登録されるという新聞記事に、風船爆弾のことも触れられていました。 その新聞記事を切り抜いて読み返しているうちに 風野又三郎を登場させるというアイデアが浮かび、一本の脚本ができあがりました。 副題が「銃後の戦争」ですから少し深刻な問題も含んでいますが、 筋は単純で上演しやすい形になっています。
どこかで取り組んでいただけたらと願っています。


2015.1.1
戦争体験の継承

「風船爆弾」を書き上げた後、戦争体験の伝承ということを考えていました。
私は戦後生まれの団塊世代で、いわゆる戦争を知らない子どもであったわけですが、 父親が中支那派遣軍の砲兵として従軍していましたから、 戦争の話はよく聞かされました。いわば、その父の話を聞いたことが、私の戦争体験 ということになります。
それでも、父の腿にある貫通銃創の傷跡や当時の写真を見せられたりしたことで、 それなりの戦争のリアリティを感じ取っていたことは確かです。話だけの戦争ではなく、 そういった身近なリアリティを伴って目前にあったのです。
戦後のどさくさの記憶はありませんが、それでも闇市で売られていたミルクを買って 飲ませられたと母が話していたのを覚えています。森永砒素ミルク事件のころです。

そんなことを思い出していたとき、毎日新聞(12月25日)に、 「<戦争体験談>20代の6割「聞いたことない」」と題する、 つぎのような記事が掲載されました。

「戦争体験のない人でも2人に1人が体験談を聞いていることが、 毎日新聞社と埼玉大学社会調査研究センターが行った時事問題世論調査 「日本の世論2014」で分かった。20代は6割が体験談を聞いたことがなかった。 日本の人口の8割は戦後生まれになり、来年は戦後70年。 戦争体験の継承の仕方を考える時期にきている。」

回答者のうち、戦争を体験した人は14%、していない人は85%。 体験していない人に「太平洋戦争を実際に経験した人、もしくは、 親や祖父母から体験談を直接聞いたことがありますか」と聞いたところ、 53%が「聞いたことがある」と回答した。「聞いたことはない」は46%だった。

年代別では、40代〜80歳以上で「ある」は過半数、最多は60代の62%だった。 大半の親が戦後生まれとみられる30代は「ない」57%に「ある」43%と逆転し、 20代は「ない」60%、「ある」39%。」

なるほどこれが現実かと、あらためて認識しました。
「戦争体験のない人でも2人に1人が体験談を聞いている」、このことは自分のことを 振り返ってもそうだろうと頷けます。
そうなると、40代、50代の先生方が現役でおられる現在は、まだ戦争を扱った劇ができる 状況にある、と考えてもいいようです。
私の属している句会のメンバーでも、戦争の語り部として、小学校で講演している方も おられます。
まだまだ、そういった努力に期待できるということでしょうか。
しかし、20年先、いや10年先になると、その期待が危うくなってくるかもしれません。
毎日新聞のこの調査でも、「誰からどのような体験を聞いたか」という質問には、祖父母や 父母から聞いたという回答が多いのですが、その祖父母や父母に戦争体験がない、ということに なれば、ますます戦争が遠くなるにちがいありません。
20代の先生方の60%が聞いたことがないということになれば、ますます戦争を教えることが 困難になることは当然です。
この記事にもあるように「来年は戦後70年。 戦争体験の継承の仕方を考える時期にきている」ということは、真剣に考えなければならないと 思います。その一助として、劇で戦争を考えるということも必要に なってくるのではないでしょうか。
戦争をテーマにした劇に取り組む中で、戦争について学ぶこともできるのではないかと思っています。


2015.1.1
俳句

12月の「古墳群」句会の拙句です。

今日は句会でした。以下、拙句です。

干柿の渋抜けきらず師走入り
薄目あく嬰(やや)に障子のうすあかり
辺(ほとり)して千年樟に北風(きた)を聞く
渓涸れて細き垂水や蟹眠る
空咳に癖のありしが父の居間
甘栗の袋の軽さ冬帽子

例によってとっていただいた句は少しです。
それでも、今回の句は、自分なりに気に入ったものがいくつかあります。
大切にあたためておいて、また機会があれば、推敲を重ねたいと思います。


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