「うずのしゅげ通信」

 2015年3月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

風船爆弾(再)

ショートSF「救世主」

俳句

「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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2015.3.1
風船爆弾(再)

今年(2015年)の「うずのしゅげ通信」1月号に脚本「風船爆弾」の記事を 掲載しました。
風船爆弾というのは、太平小戦争中に和紙を使って作られた紙風船に爆弾を仕掛けた「兵器」の ことです。
この劇では、風船爆弾の製作過程を、劇の展開に都合よく改変してありますが、 実際はどのようであったのか、その詳細が分かる記事が朝日新聞に載っていました。

朝日新聞(2015.2.17)「声 語りつく戦争」欄に掲載された牛込やす子さんの投稿です。

「風船爆弾の和紙をこすった」主婦 牛込やす子(群馬県 85)
「埼玉県小川町と東秩父村の『細川紙』などが『和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術』として、 ユネスコの無形文化遺産に登録された。私たちの青春を捧げた和紙が文化遺産になるとは考えも しかなった。
戦時中、私たちは学徒動員で『風船爆弾』にする和紙を貼り合わせる作業に明け暮れた。外は 上州名物のからっ風が吹きすさび、火の気のない体育館は寒かった。こんにゃくのりを 使って、約1メートル四方の和紙を数枚貼り合わせる。手のひらの筋が消えるくらい和紙を こすり続けた。
勉学などは遠くに飛び去っていた。着るものも食料もない。『ほしがりません。勝つまでは』 を合言葉に、言われるままに働いた。風船爆弾づくりの一環と知ったのは後のことだ。
昨年、風船爆弾に使う和紙が作られた小川町を、同級生15人で訪ねた。町立図書館で資料を見た。 貼りあわせた和紙は東京の劇場などに運ばれ、水素ガスで膨らませて巨大な紙製の気球が作られた。 爆弾をつり下げて米本土に向けて飛ばしたそうだ。」

これを読むと、手作業の詳細、製作過程など、なるほどそうだったのかと納得することばかりです。
学徒動員された女学生は、その目的さえも知らされずに、寒い体育館で、和紙をこんにゃくのりで 貼り合わせる作業に、「手のひらの筋が消えるくらい」一途に従事させられたのです。
そのつらい経験に思いを馳せて、子どもたちが巻き込まれるような悲惨なことが二度とおこらない ように語り継いでゆかなければと思います。

脚本「風船爆弾」
−銃後の戦争−



2015.3.1
ショートSF「救世主」

インターネットで検索していたら、ショートSF「救世主」にめぐり合いました。 そういえば、こんな作品も書いたな、と思い出したのです。「うずのしゅげ通信」のバックナンバーで 調べると2009年の12月に書きあげて、このホームページの小説コーナーに加えました。 そして、そのまま忘れていたのです。
すぐには内容が浮かんでこなくて、読んでみました。 すると、これが、自分で言うのも変ですが意外におもしろいのです。 読んでいただくと分かりますが、ちょっと微妙な問題があって、「うずのしゅげ通信」で 一回触れただけで、封印してしまったのです。
そんなことで、急遽もう一度とりあげることにしました。 短編ですので、読みやすいと思います。
もし、何かご感想がありましたら、お聞かせください。

ショートSF「救世主」
−健人くんと賢治先生の時間を駆ける二人旅−



2015.3.1
俳句

〈2月句会〉の拙句です。

甘栗の袋を立つる梅日和
蹲り壺の如しも犬ふぐり
川面縫ふひかりの川や寒の明け
赤札の仏壇セール二月朔
わが呆(ほう)け妻の呆けや春の月


〈雑詠〉
(フェイスブックに投稿した句等)

過ぎてなほ遺影の前の二月チョコ
夫婦してチョコのお下がり春障子
一輪を供花の水仙とりわくる
       (妻のうなさるるに)
うなさるるを夢ごと揺する余寒かな
薄味の妻の煮しめや二月尽
春茜浴びつつ妻のわれを呼ぶ
授かりし腹帯立てて桜餅
棄て句には句にならぬ父母干鰈
白子干(しらすぼし)父に類句を拾ひけり
われとわが老い声を聞く雨水かな
薄氷を踏むや幼き日のきしみ
蕗味噌や追悼句にも苦味滋味
蕗の薹一つを惜しみ擂(す)りにけり
わが師より未明の電話二月うつ
未(いま)だしを開く歳時記花菜漬
雛飾り孫は喃語に余念あらず
由来さへ聞かぬ小さき妻の雛
うぐいすの声まろやかに鳴きにけり
ものの芽のほの紫の愛しきやし
セロ弾きの弦切るるまで猫の恋
降り籠められて土筆の雨と思ひけり
生ごみの蓋を開(あ)くるや春の雷
癌了へし試歩の足もと春の雨
老農の黙して逝きぬ犬ふぐり


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