「うずのしゅげ通信」
2015年11月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集
コント「宮沢賢治のクリスマス」
フェイスブックより
俳句
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2015.11.1
コント「宮沢賢治のクリスマス」
先月号の「うずのしゅげ通信」でも触れましたが、「風船爆弾」が初上演されました。
岡山県の中学3年生が文化祭で演じてくれたのです。
演出、指導していただいた先生から「『風船爆弾』上演しました」というメールを
いただきましたので、一部紹介します。
「先日、……文化祭が行われ、『風船爆弾』を上演しました。
時間がないなかでの取り組みでしたし、
クラスの人数が37名と多く、なるべく多くの生徒に
舞台の上で演じてもらいたかったので
太郎、二郎、花子、鈴江、松子
を2人の生徒にセリフをわけ、演じました。
当日、生徒なりに一生懸命演じ、大好評でした!
また、生徒も、見に来ていただいた方も
戦争のことを考える機会になったと思います。
この度は本当にありがとうございました。」
この「風船爆弾」の脚本は、昨年末に書き上げたもので、はじめての上演ということになります。
私が現役のころは、脚本を書いたときは、必ず上演してからホームページに掲載していました。
というより、養護学校の座付き作者のようなものだと考えていたので、
その年の文化祭で上演するための脚本を
書いて、上演して、その過程で推敲した上で完成稿にしていたのです。
しかし、退職してからはそんなわけにはいきません。脚本を書いても、
自分で演出する機会がありませんから、実際に生徒たちに演じてもらって手直しするということは
できないわけです。頭の中で生徒の動きを想像するしかありません。
上演された場合は意見を聞かせてくださいとお願いしてはいるのですが、
詳細なところはわかりません。
最近は、毎年五・六作が上演されていますが、その中に一つか二つの新しい脚本が含まれていて、
ホームページのラインアップにも「上演」の表示が増えて嬉しいかぎりです。
しかし、同じ「上演」という表示が
あっても、自分で演出した上で手直しした脚本と、たんに上演されただけの脚本では完成度に
違いがあるように思います。
そのあたりのことはご寛容を願うしかありません。
まだ少し早いようですが、今年もクリスマスが近づいてきました。
この「うずのしゅげ通信」では、毎年12月号にクリスマス特集(ちょっと大げさですが)を
組んでいます。
今年は、新しい作品ができませんでした。
昨年は、「宮沢賢治のクリスマス」というコントを掲載したのですが、
読み返してみると、(自分で言うのも変ですが)そんなに悪くないように思われますので、
11月号で少し早いのですが、今年、もう一度掲載することにしました。
もしよろしければ、お読みください。
コント「宮沢賢治のクリスマス」
(高・大)
−なまはげのサンタクロース− 〈十数名〉[20分]
2015.11.1
フェイスブックより
つぎの文章は、10月15日にフェイスブックに投稿した文章です。
「最近の拙句です。
喉太き鑑真和上冬瓜汁(とうがじる)
神将のウィンクするは天狗茸
椋鳥の群ねじれとぶ秋思かな
金木犀呂律緩みし人とゐる
見せ消ちの句に父ゐます秋ともし
旅行をしていて、五日ぶりの投稿です。
一、二句は、唐招提寺、室生寺を詠んだもの。
五句目、先日の投稿句について大年くりやさんからいただいたアドバイスを元に推敲したものです。
深謝。
ということで、今日は「冬瓜汁」の句。
あはあはと冬瓜汁や月今宵 森澄雄
森澄雄さんのこの句では、熱い冬瓜汁を吹くようすは、「はあはあ」ではなく、
「あはあは」です。この「あはあは」はなかなか魅力的な響きを奏でています。
「はーはー」というただの擬音ではなく、賢治のオノマトペのような弾みを感じさせます。
心が天井をつきぬけて月にのぼってゆくような。」
もう一つ、次の文章は10月26日にフェイスブックに投稿した文章です。
「今日の拙句です。
傷つけて甘渋分かつ柿をもぐ
跳ぶ蜘蛛とうつつを遊ぶ夜長かな
甲斐犬に足元嗅がれそぞろ寒
忖度が国危ふくす鮟鱇鍋
一句目。家の古柿、もともと渋柿の株に甘を接木したものらしく、渋柿と甘柿が取れます。
それも年々渋柿が多くなり、いまでは十個に一、二個だけが甘柿といったふうです。
渋柿は、干し柿にするか、数年前までは合わせ柿にしたりしていました。最近はそれも面倒で、
渋柿はほとんど庭に埋めています。渋か甘かは、皮を傷つけてみないと分からないのです。
三句目。先日の散歩のとき、人と話していると、黒い犬が寄ってきて、足元を嗅がれたのです。
不意だったので驚いたのですが、聞くと甲斐犬だとのこと。
四句目。鮟鱇鍋は冬の季語ですが。
ということで、今日は柿の句。
父の忌の胃の腑にたまる柿の冷 坂本登
昔から柿を食べると体が冷えると言われてきました。この句、亡き父に対する何らかの
思いがいまだに蟠っていて、それが「胃の腑にたまる柿の冷」
という表現となったのではないでしょうか。」
2015.11.1
俳句
先月の俳句
山の辺の女人禁制実むらさき
賢治の忌帽子のごとき茸かな
大根の種蒔いてわがいのち継ぐ
コスモスを挿して平仄合はぬまま
どんぐりやますぐころげぬ登山帽
切株の濡れてほんしやう秋時雨
うつぶせの甕の底打つ昼の月
散り際は花もゆるびて秋桜
コスモスを生けて平仄合はぬまま
蓑虫を垂るる墓石や墓仕舞い
蜘蛛もゐて金木犀の花ほとり
蜘蛛揺るる金木犀の花の園
蜘蛛まなか金木犀の粒の花
忌を過ぎて金木犀の遅れ花
青空に放下して散る秋桜
青毬を踏めば真中(まなか)に白き栗
木犀もつつしみ匂ふ忌の朝
蜘蛛ゆるる金木犀の花ほとり
蜘蛛の囲に金木犀の粒の花
病抜けすと金木犀の花ほとり
五十句も人となり見ぬ秋ともし
見せ消ちの句に人となり秋ともし
喉太き鑑真和上冬瓜汁(とうがじる)
神将のウィンクするは天狗茸
椋鳥の群ねじれとぶ秋思かな
金木犀呂律弛みし人とゐる
見せ消ちの句に父ゐます秋ともし
妻籠にて
空(から)水車双手に軋み昼の月
馬籠にて
棗噛んで馬籠の坂を降りけり
清里にて
清里に雪の浮き富士秋旱
「ちょうさじゃ」とだんじり曳いて強訴かな
「逃散じゃ」と祭囃子に脅さるる
漆葉を裾から染めし老いの紅(こう)
癌抜けし友と辺(ほとり)す柿紅葉
猪のぬた場一夜の散り紅葉
花芒尻尾で獲物数へし世
小風呂敷無花果十余包みかね
柊の花棘の身にもったいな
綿虫やいづくに寺の御身拭
老いの身に苛み尽きずゐのこづち
トリアージ訓練余所に穴惑
屍は曝さるべきかやまかがし
九秋を忌日真中に過しけり
芋虫やこの柔きもの殺生す
まむしなど出会い話を嬉々として
やまかがし人呼んでまで死屍の丈
傷つけて甘渋分かつ柿をもぐ
跳ぶ蜘蛛とうつつを遊ぶ夜長かな
甲斐犬に足元嗅がれそぞろ寒
忖度が国危ふくす鮟鱇鍋
妻呼べば露吸ふ蜂の飛び立ちぬ
蜘蛛の囲に裏表なし初凩
耳垢を抓まれ今朝の初凩
風船葛に息吹き込みしおちょぼ口
手鏡に小菊の花粉妻の留守
花散りし木犀に蔦たぐりけり
旗竿の竹伐る藪の軍手かな
真夜のパトカー朝忘れをり冬隣
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