「うずのしゅげ通信」

 2016年1月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

國貞裕一「かたきししむら」

私俳句「ブラジルの月」

松下カロ「女神たち 神馬たち 少女たち」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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2016.1.1
國貞裕一「かたきししむら」

私の属している同人誌『火食鳥』の主宰である國貞裕一氏の短歌が『歌壇』(2016年1月号) に掲載されました。これまでに何度も掲載されてはいるのですが、ご療養中でもあり、今回の掲載は とくに喜ばしいことなので紹介させていただきます。

「かたきししむら     國貞裕一

世の中が真逆に廻る感覚のはじまり来たるや今噛みしめており

わめき出すおとこあるいは年増女(としまめ)の同意語型の哀というべく

白つばき鬱と咲きつぐ咲きつぎて生きんたたかいああわが友よ

やくざめくおのれを容(ゆる)しさあどうだいのちの終(つい)は見えざるままよ

手をとって死のうなぞとは思わぬが生きおるかぎりの手の結び合い

病室より一衣(え)を着けて脱け出でよ作務衣一衣のよごれの旅は

ふんばって立つぞと見せし幼児のかたきししむらわれを圧せり
 」

2016.1.1
私俳句「ブラジルの月」

昨年は、俳句に打ち込んだ一年でした。
俳句をはじめて五、六年になります。父が属していた「古墳群」という句会に誘っていただいたのが きっかけでした。
俳句をやろうと考えた理由の一つは、老年を迎えるに当たって、いつまでも脚本を書き続けることは できないだろうという思いがあり、これからの道連れとして俳句が適っていると考えたのです。
もう一つの理由は、私(わたくし)俳句とでもいった連作で息子のことを詠みたい、 というひそかな思いがあったからです。 私小説を書くことは難しいし、書いても読んでもらえるかどうかおぼつかない。 だったら俳句の連作でどうようの試みが出来るのではないかと考えたのです。
そういう願いを秘めて、昨年は長男の句をかなりの数詠んできました。
これまでに詠んだ同類の句とともにまとめて、このうずのしゅげ通信の昨年の12月号に 私俳句「ブラジルの月」と題して掲載しました。
俳句としてのレベルはどんなものか私にも分かりません。ただ詠みたいから、 詠まなければならないから、詠んできただけです。しかし、その後で俳句に対する情熱が かなり落ち込むということがあり、やはり長男を詠むことにいかに拘っていたか 思い知らされました。
俳句に詠みたいという気持は徐々にもどりつつあり、これからはのんびりと楽しんでゆこうと 言い聞かせています。
ということで、私俳句「ブラジルの月」を、昨年の収穫としてここに再録させて もらうことにしました。
私俳句という俳句連作の試みとして、興味のある方は覗いてみてください。



私俳句「ブラジルの月」
      −俳句によるレクイエム−



2016.1.1
松下カロ「女神たち 神馬たち 少女たち」

昨年の12月27日にフェイスブックに投稿した文章の続編です。

松下カロさんから著書「女神たち 神馬たち 少女たち」(深夜叢書社)を 寄贈していただきました。
T女神たち、U神馬たち、V少女たちの三章に章立てされて、俳人論が並んでいます。
その中から、取りあえず坪内稔典さんを論じた『弱者の言葉 坪内稔典論』を 読ませていただきました。
坪内稔典さんの句に河馬や甘納豆が頻出するのは、どういうふうに解釈すればいいのだろうと、 前々から疑問に思っていたからです。
松下さんは、アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローと対比して論じておられます。 ウォーホルの中でもっとも有名な、マリリン・モンローのアップの顔がけばけばしく色づけされた シルクスクリーンの作品です。
ウォーホルのマリリンへの拘りは、坪内さんの河馬に対する拘りと同じだというのです。
坪内稔典さんの句に頻出する河馬と一個の原型に様々に色づけされたウォーホルのマリリンが。

ということで、ここで、坪内稔典さんの河馬の句を掲げておきます。

正面に河馬の尻あり冬日和

ぶつかって離れて河馬の十二月

秋の夜の鞄は河馬になったまま

ウォーホルのマリリンは、検索してみてください。すぐに見つけることが出来るはずです。

松下さんは、これらの句の河馬とシルクスクリーンのマリリンが、 俳句とシルクスクリーンというそれぞれの媒体によって、 鑑賞者に「オープン」になっていると言われるのです。

「坪内稔典における俳句も、ウォーホルのシルクスクリーンと同質のオープンな媒体として 機能している。河馬は諸々の言葉と共存しているが関係はしない。坪内は河馬に何も負荷しないからだ。 その結果、読者は河馬に、自分が見たいものを見ることができる。ウォーホルのマリリンを観る者が、 個々のマリリン像をそこに重ねるように。」

なるほどそうなのかと、思わず感心してしまいました。
論の半分くらいしか紹介できませんでした。
うまくまとめることができましたら、「うずのしゅげ通信」1月号に掲載したいと思います。
今日届いたばかりで取りあえずということもあり、 また私の無能ゆえに充分な紹介ができませんでした。
坪内稔典論以外にも興味深い論が 並んでいます。自身で読んでみられることをお勧めします。

以上がフェイスブックに投稿した文章です。(一部加筆)
『弱者の言葉 坪内稔典論』の後半もあり、続きを書こうと思うのですが、 考えがまとまりません。
とくに、松下カロさんが、「坪内稔典における俳句も、ウォーホルのシルクスクリーンと 同質のオープンな媒体として機能している」と言われている、 「オープン」とはどういうことなのだろうと、そこに拘りがあって、先に進めなくなってしまいました。
単純化して言えば、「オープン」というのは、作者から言えば、個に閉じこもらない、 ということだと思うのですが、俳句、あるいはシルクスクリーンという媒体から見れば、 個に限定しない媒体ということなります。
なるほど、考えてみると俳句やシルクスクリーンは、個に拘泥しない開かれた、オープンな媒体の ような気がしてきます。個に限定しない芸術的な危うさのようなものを持っているように思われます。 俳句を個から解放する方向に一歩進めるとコピーに、シルクスクリーンを個から開放する方向に 一歩進めるとデザインの領域に入ってしまいそうに思われます。
坪内稔典さんやアンディウォーホルはそういった危うい境界で芸術を生み出している、 そう解釈すればいいのでしょうか。

松下カロさんが引用されている坪内稔典さんの言葉を見てみます。

「俳句を個人の感情や思いの表現とみなすのは、百年あまりの近代の新しい文学観だが、この文学派 が目下の私の敵だ。敵とはいささかおおげさだが、個人に閉じた表現から、他者へ開く 表現への展開を希求している私にとっては、文学派的思考を乗り越えることがなによりの 課題なのだ。」

松下カロさんの論は、実はここからが面白くなるのです。 「弱さと反復」の章です。
ウォーホルの「差別的リンチを題材にしたシルクスクリーンの作品『マスタード色の人種暴動』」や 「核爆弾で生じたキノコ雲を数十配列した『原子爆弾』」は、 それらの歴史に「適切な距離で向き合えない弱さ」の吐露であるというのです。
この弱さが作品の反復性にも直結しているようなのですが、 ウォーホルの心理内のこの論理は大変わかりにくいところがあるように思います。
しかし、このわかりにくさを取りあえずクリアーしたことにすると、 坪内稔典さんの句の反復性に重ねて理解することが容易になります。
坪内稔典さんの反復性もまた、彼の「弱さから発している。」ということになります。
その例として次の句が引用されています。

春風に母死ぬ龍角散が散り  『落花落日』

マンボウの浮く沖見えて母死んだ

ひじき煮て桜が咲いて母死んだ

母死んでさらさら春雪ライトバン

これらの句の引用があって、

「『お前はいつになったら人と話ができるのやろの』と嘆いた母を失くした時、坪内は、 ただ〈母死んだ、死んだ……〉を繰り返す。俳人は言葉に臆した幼い頃のままである。」

つまり幼い頃の弱者のままの坪内さんが〈母死んだ、死んだ……〉という言葉を発していると。
そして、それもウォーホルと同じだというのです。

「〈母死んだ〉の連鎖はウォーホルの呟きと手法を彷彿とさせる。二人はここでも同じ表現を 選び取っている。戦争や差別がもたらす死には解釈も感情移入も施されず、 男性(坪内さんのこと)にとって決定的である母の死も狭い私性に閉じ込められていない。 これはコピー映像や〈母死んだ〉の素朴なリピートが生む成果である。
坪内とウォーホルは、個の弱さと引き換えに、反復という強さを手に入れたのである。」

この結論は興味深いものです。
身近なものに死なれた反応として、私には思いも付かなかったものだからです。
上の私俳句『ブラジルの月』は、長男に死なれた私の哀悼の句を集めたものです。 私の句は長男の死を、松下さんの表現を借りれば「狭い私性に閉じ込めた」 ものということになります。
私の場合は子ども、坪内さんの場合は母、その違いはあるかもしれません。
しかし、私は、自分とはまったく違う坪内さんの句作の姿勢に驚かされたのは確かです。

こういった理由で、私は松下カロさんの坪内稔典論をたいへん興味深く読んだのですが、 そういった内発の理由がなくても、坪内稔典論として、 充分おもしろい視点をもたらしてくれるものだと思います。

年末のにわかじたての文章なので、松下さんの論の紹介になっているのかどうかわかりません。
ウォーホルの反復性など、私には充分に理解できていないところもあり、 自分の考えが堂々巡りして、充分にまとめることができませんでした。
また考えがまとまりましたら、続編を掲載したいと思います。


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