+2005年04月の週刊少年ジャンプ+

■18号/WJ感想
 

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◇ピコ感想

・ワークワーク

 瀕死の状態から復活することによって大幅パワーアップでした。理由づけは「サイヤ人はそういうものだから」でも、「神様の血を沢山受けたから」でも、少年漫画なんでなんでもありです。あとはだだっと少年漫画らしい(というかコト、シオ両者のスケールアップっぷりから『ドラゴンボール的』というか)ラストバトルを見せて貰って、この漫画らしい機微は最終話の神様−シオのエンディングに期待。この世界では生き難い神様が、どのようなエンディングを迎えるのか。残留感がある美しいエンディングを希望。

・武装錬金

 「調べても何も見つからなかった」という謎の答えが、シェルターの武装錬金という形で、空間ごと武装錬金だったというのには普通にビックリさせられました。なんかもっと凝った謎の解答がありそうなものを、「武装錬金です」というストレートな解答なのが清々しい。

 内容はますます敵−味方の概念が分からないような展開に。アレキサンドリアもヴィクトリアも悪って感じの描写でもありません。というかむしろ一応敵ポジションのヴィクターに正当性を与えるような役割のキャラっぽいです。このどっちが敵−味方?剛太風には「どっちが化物だ?」というテーマは再殺部隊編で散々掘り下げてきたのでこの流れは自然です。是非とも人間ともホムンクルスとも違う存在になりつつある(和月先生曰くダークヒーローの)パピヨンの話なんかも絡めてこのテーマを押し進めていって欲しいです。

・あと

 今週は「いちご100%」が素晴らしく良かったです。映画見て姉の本気を見抜いた弟の所から、向井さんまで絡めて各々の本音にせまるラストとか、スゲーと思いました。
 
■19号/WJ感想
 

●ONE PIECE

 娯楽要素満載です。CP9のメンバーやら、元王国騎士やら、とにかく敵が待ち受けてるのを突破していかなきゃならないサンジの聖闘士星矢十二宮編的展開といい、「仲間」が掘り下げられてるからこそ、ナミの「肉と酒、食料をありったけ」というルフィ達を“分かってる”辺りとイイ、楽しさ満載です。
 ナミに最初の重要所が訪れてますが、是非とも天災のアクア・ラグナに対する際には、気候の熟練者であるナミの「航海士」という職業を生かしたりして欲しい。それと関係して、今回は「仲間」と同時に「職業」も掘り下げていく感じにして欲しい。サンジの行く手に待ち受ける「給仕長」のCP.NO7、ワンゼとかにも期待です。ここでも「コック」の職業とか掘り下げて欲しい。そう考えると、ルフィの「船長」と、ゾロの「剣士」がどこで生かされるのかなんて、燃えるじゃないですか。(僕の場合いつもそうですが)クライマックスでのゾロ燃えですよ。ロビンが仲間になった直後から色々とロビンをちゃんと見てる描写が入ってるゾロだけに。

●BLEACH

 まずはラスボスの圧倒的な強さを描写しておかなくちゃという、少年漫画の展開上王道の回でした。主人公が全力を出しても完膚無きまで打ちのめされるのも王道。『ダイの大冒険』のVSバーン戦の初戦みたいな。ここからどう主人公がラスボスと立ち向かえるだけに立ち上がっていけるかが少年漫画のクライマックスのコアの一つです。さらなる努力(修行)パターン。仲間との協力パターン。さらなる覚醒パターン。など色々ありますが、『ダイの大冒険』なんかは全部のパターンをミックスしたような感じで勇者一向の立ち上がりが描かれてました。BLEACHも第三解放への努力とか、虚化で覚醒とか、もともとの仲間+死神界に来てから構築された仲間関係とか、全部ぶち込めそうな要素はそろっているので、スケールの大きい形での一護サイドの立ち上がりに期待したいです。

 あとは、ラスボス藍染の圧倒的な強さが描写されただけに、ラスボスらしく思想のスケールの大きさも描写して欲しい。「魔界を地上に浮上させる」とか、バーン並に壮大な目的意識で動いている存在であって欲しい。

●いちご100%

 最高回でした。「映像研究部」という「部活」をキーとして、「夢の共有者」として惹かれ合ったという真中と東城、というか『いちご100%』の原点に回帰。原点回帰はクライマックスの王道演出なんで、間違いなくいちごは今がクライマックスだと思われます。

 「映像研究部」の終わりというシチェーション作りで、夢追い仲間としての真中、東城に共有感覚を作り出してるのが最高に機微に富んでます。

 「部活も終わり」(真中)

 「そうだ……もう部活はないんだ」(東城)

 から入って、共有した夢の終わりに、それぞれの夢の始まりの人に逢いたいという心情描写が秀逸。普段は心情無視のエロシチェーションを描いてるだけに、実はこういうのも描けるんだぜ?という河下先生が普通にカッコいいです。

 「東城、今キミにすごく会いたい」(真中)

 「真中くんに会いたい……!」(東城)

 と想いがシンクロして、ラストは二人の夢の記号性が詰まりまくった「映像研究部」の部室で、ついにきた東城の告白。絵の美麗さも重なってエラいことになってます。映像研究部の張り紙越しに向かい合う二人という記号的なシチェーションが最高です。『いちご100%』、ここに極まりです。

●魔人探偵脳噛ネウロ

 「「存在の解像度」を大幅に下げた」(ネウロ)

 がカッコよかった。どちらかというと犯人側で利点が発揮される能力です。こういう台詞の言い回しのカッコよさとか、それを派手なアングルで演出する描き方とか、やっぱしネウロはハッタリ魅せが楽しい漫画だと思います。

 ネウロは完璧に天才型の主人公ですが、これは今のWJではテニプリのリョーマとムヒョとロージーのムヒョくらいで、少数派かもしれません。が、これはムヒョとロージーのの関係にも言えることですが、視点キャラのヒロインに天才型主人公の活躍……という構図から始まった両作品とも、徐々に視点キャラの方が成長して、主人公との協力型の物語に変化していくんじゃないかな……なんて思いました。ロージーの方は順当に成長が描かれてますし、弥子の方は今回稚拙ながらも自分の意見を出してる辺りにそういった成長開始の鱗片を感じることができました。協力型に変化してく話は好きなので、そうなったら嬉しいです。テニスの王子様だけは協力型になる気配ゼロなのが凄いですが。

●ユート

 「吾川君おなかが痛くなってどっかに消えてくれないかな」(雄斗)

 が熱い。

 子どもゆえに純真なまま非道いこと口走ってます。

 本編はオバさんの、

 「そのためにマットはあるんでしょう?」

 が、怖い。大人は信じられません。「マット」を吾川とスケート団の少年達とのコミュニケーションツールに使っただけじゃなくて、雄斗絡みにまで使ってる構成なんかはステキだと思いますが。

 最初に安全のため云々とマットを語ってたおばさんが、フと「そのためにマットはあるんでしょう?」と切り替わってるのが怖い。大人は怖い。

 雄斗くんの場合、おばさんにいびられて壊れるよりも先に、レトルトカレーしか食わさないお父さんによって、健康を害して壊れそうで心配です。

●HUNTER×HUNTER

 ノータイムで取りに行くキルア燃え。

 電撃解放やむなしな状況ですが、当初のキルアの目的が「手の内を見せない」だったので、冨樫漫画らしく電撃無しでキルアには窮地を脱出して欲しい。しかし、王とかネフェルトピー戦以前にこんなに濃密なバトル編が入るとは思わなかった。やはり二転三転するハンターのバトルは面白いんで、とにかく楽しんで読んでます。

●ポルタ

 非バトル路線で頭脳勝負のエンタメを毎回見せてくれるんだったらもっと読みたいかも。クールだけど実は人情もわきまえてるという主人公は好きです。あとは「スマートにいこうぜ」の頭脳エンタメ部分を実際にスゲーとハっとさせられるくらいのものを毎週持ってこれれば連載イケるんじゃないでしょうか。そう思うと毎回頭脳系エンタメでスゲーと思わせてくれる「DEATH NOTE」はやっぱ偉大ですな。

●武装錬金

 バロン閣下…キターーー(>▽<)

 と一人で大喜びしてました。ミサイルランチャーの武装錬金「ジェノサイドサーカス」→ヴィクター第三段階→バロン閣下→ヴィクター巨大化という、和月先生のネジが外れてるようなトンデモ展開も突き抜けてて面白い。

 されど過去描写含む、ヴィクトリアパートは切ないことに。過去でのヴィクトリアの笑顔と、ラストの現在のヴィクトリアの、

 「錬金術がそんな簡単にみんなを幸せにすると思う?」

 という翳りに満ちた瞳とのギャップが切ない。

 カズキ−ヴィクターで対比があることは隅々の描写でも単行本の和月先生コメントでも明らかなので、カズキは対比として錬金術の力でヴィクトリア本人に笑顔を取り戻すorヴィクトリア相当のキャラの笑顔を守る……という所にハッピーエンドで落ち着いて欲しい。

●巻末コメント

 和月先生が『G戦場ヘヴンズドア』を名作と認識してるのが感動。魂を燃やして漫画を描いてる所に和月先生と日本橋先生には共通するものを感じます。
 
■20号/WJ感想
 

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◇ピコ感想

・武装錬金

 重い。

 けど最高の展開。

 「守る」、というこれでもかと描かれてきたカズキの信念が残酷なシチェーションで試されるクライマックスです。

 蝶野戦との対比にもなります。あの時は結局「全員守る」という信念を貫けず、斗貴子さんの命と蝶野の命を秤にかけて斗貴子さんの命を選択しました。今度、秤にかけられるのが自分の命だった場合、カズキはどういう選択を下すのか。

 和月先生は主人公に「理想」を賭して描きながらも、どこかそこはかとなく「理想」にカウンターを入れて描いてしまうのが好きです。「るろうに」でも不殺という剣心の「理想」に対しては、斉藤というカウンターヒーローを設定して描いていました。武装錬金でも、「できるだけ多くの人を守る」という耳心地イイ信念を掲げさせながらも、そんなキレイ言だけではどうしようもない命の選択をせまるシチェーションを主人公に突きつけます。作者自身が「理想」だけではいかんともしがたい、信念を貫くにあたりぶつかる困難というものを知ってるからそう描かざるを得ないのかもなぁ。
 
■『武装錬金』最終話によせて/WJ感想
 

 終わっちゃった。

 和月先生も好きだと巻末コメントで明言していた『G戦場ヘヴンズドア』で鉄男が『俺達の挽歌』の終了に涙したシーンのような心持ちです。

●最終話「BOY MEETS BATTLE GIRL」/武装錬金感想

 「オレがみんなを守るから 誰かオレを守ってくれ……」(カズキ)

 高々と信念を掲げて頑張ってきたカズキが、堰が切れたように等身大の男の子らしく弱さを見せているのにウルっときました。どんなに強い信念を掲げようとも、カズキは崇高な宗教家でもなんでもなく、メンタルな部分は日常から飛翔しない「少年」主人公でした。そんな弱さも併せ持った「少年」の拠り所として最後に帰着するのはやはりヒロインの「少女」です。

 「キミのコト 少し気に入った」(斗貴子)

 といった程度の関係から開始した出会いから始まって、命がけで守り守られ、再殺部隊編での、

 「キミが死ぬ時が 私が死ぬ時だ!」(斗貴子)

 までの関係へ、丁寧に二人の関係性構築過程が描写されてきた作品でした。打ち切り最終回にあたりとにもかくにも帰着させるにはこの二人の関係のラストを描く以外にあり得ませんでした。

 この不器用な、カズキと斗貴子さんがというより和月先生が不器用な恋愛描写。なんだか温かさを感じさせてくれました。打ち切りは残念ですが、温かい読後感を残してくれる結びでした。

◇さりげなくちゃんと最終話に盛り込まれて帰結させられてた2つの武装錬金のテーマ

 1/再殺部隊編のテーマ

 再殺部隊編のテーマは、「敵−味方」概念のシャッフルでした。剛太の、

 「どっちが本当の化物だ――…」(剛太)

 から始まり、ホムンクルスを食らう戦部と人食いを断つパピヨンとの対比、現状では「敵」である再殺部隊にカズキがかける情け、そして大きくは「敵」ポジションにいるヴィクターの正当性など。

 結局このテーマの帰結はカズキ−剛太の関係性のラストで表現されました。カズキ自身が言った、

 「守りたいモノが同じならきっと必ず 戦友になれる」(カズキ)

 から始まっての、剛太の根来戦での

 「お前、戦友はいるか?」(剛太)

 の燃え台詞。そして今回最終話で剛太自らの口から、

 「守りたい者が一緒なら 俺達は戦友だ」(剛太)

 と、カズキの口から出た言葉をリフレインさせることで、この「敵−味方」のテーマに、守りたい者が同じなら戦友(味方)と結論づけました。「ヴィクター(現在のカズキ)」だとか「人間」だとか関係ない。表層的なモノを無化するステキな帰結だと思いました。

 2/『武装錬金』全編を通してのテーマ

 これは「守る」です。

 ブラボー戦のサブタイ「大事な存在を死守せんとする強い意志」に凝縮された、「守る」という強い信念です。

 かつては『るろうに剣心』でも描かれたおそらくは和月先生の普遍的なテーマで、奇しくもラストに原点に回帰するという手法まで『るろうに』とかぶせて締められていました。

 『るろうに剣心』は第二百二十四幕「真実」が全てです。身も心もボロボロになった剣心の心に、燕の懇願とオイボレの語りで、

 「出来るのは一つ この目に映る人々の幸せを一つ一つ守るコトだけだ……」

 「剣一本でもこの瞳に止まる人々くらいならなんとか守れるでござるよ」

 と、「守る」という、今までの物語の隅々で描かれていた剣心の原点=真実が木霊します。

 この「真実」が、『武装錬金』における「信念」と非常に近い。『るろうに』の、

 「…君の心の弱々しい迷いと裏腹に 君の手は強く握りしめて離さない……大事なものを失って…身も心も疲れ果て…けれどそれでも決して捨てることが出来ない想いがあるならば 誰が何と言おうとそれこそが君だけの唯一の真実――」

 と、『武装錬金』の、

 「善でも!悪でも!最後まで貫き通せた信念に 偽りなどは何一つない!!」

 は、「決して捨てることができない=貫き通す」、「真実=信念」が「守る」ことだという点でシンクロしています。

 その「守る」信念に、『るろうに』と同じように原点回帰しながら(「あの時の気持ちは今だって変わらない むしろより強く――…」)、

 「守りたい――…」(カズキ)

 のラストシーン。

 『武装錬金』は夢追い物語りでも愛と正義の物語でもなく、守人(まもりびと)賛歌の物語でした。しつこく、愚直なまでにそのテーマを描き続けました。僕はこの作品が大好きでした。

●雑想

 蝶野編が終わった時の感想で書いた、「まあ打ち切られちゃったりしても、序章が宿す作品としての良さは変わらないですし。」という自分の言葉が、実際に打ち切られてしまった今でも変わらない僕の心境です。

 手塚治虫の『火の鳥』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、埴谷雄高の『死霊』など、未完でも傑作と呼ばれる作品は世の中に沢山ありますし、また僕にもその良さは分かります。このように打ち切りで未完成品としてのラストを迎えてしまったとしても、あの折々の感動は本物ですんで。蝶野編ラストの「すまない蝶野公爵」(蝶野編の僕の感想はコチラ)、早坂姉弟編ラストの「まだだ!!あきらめるな先輩!!」、etc、全て本当に良かったと思えるシーンなんで、これから先も何度も『武装錬金』の単行本は読み返すと思います。私的に心に残る、2年間本当に毎週楽しませてくれた、本当に好きな漫画作品でした。
 

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