†催眠恋愛†


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 ◇◇◇

「そうです。ベンチに座って、同じ方向を向くようにして下さい。決して対面で真正面から相手を見てはいけません。細かいことですが、成功率のパーセンテージが変わってきます」
 雪が舞う寒月の空の下、ひときわ冷たいビルディングの屋上に、紫のローブを纏(まと)った怪しい影が佇(たたず)んでいる。
 顔が全く見えないくらいにすっぽりと首から上を深くフードで覆い、そのままマントにくるまるようにして一枚布でその身体を覆っている。胸元の金色の留め金だけが、その衣装のアクセントになっている。その出で立ちは中世の魔女を思わせる。
 しかし、この時代、この場所は中世でも欧州でもない。その証に、その魔女の手には携帯電話が握られており、ビルの下を行き交う人々は黒髪に肌色の肌をしている。
 魔女は何やら遠方にいる顧客に指示を送っているらしい。
「ええ、もう、あとは口にするだけです。仕込みは十全に行いましたので、既に成功率は九十%以上です。ただし、彼女をイヴの日に食事に誘うまでですよ。それ以上は求めてはいけない。成功する確率がぐんと下がります。ええ、はい、それでは、成功のご連絡を待っていますよ」
 携帯電話を切る。
息を吐き出すと空間が白く染まり、いよいよ季節が冬を迎えたことを意識させられる。
「ご主人、首尾は上々かい?」
 後ろからかけられた声に振り向く。
 頭にはターバン、体には何やら煌(きら)びやかな民族衣装という、これまた魔女と同じくらいこの国には似つかわしくない格好をした少年が、コーヒーカップがのったトレイを片手に立っているのが視界に入る。背のほどは、魔女よりもだいぶ低い。
「レン、店の方はいいのか? それに仕事中だ。用がある時以外は来るなと言ってあるだろう?」
 そんな言葉を口にする。
 すると魔女の言葉に、レンと呼ばれた少年は「ケケケ」と奇妙な笑いを返す。
「答えになってないな、ご主人。オレは首尾はどうかいって聞いたんだぜ? クリスマス・イヴが近いこの時期は、毎年バカみたいに依頼が舞い込むだろ。さすがのご主人も、数に負けて一、二カップル成就させそこなうんじゃないかと思ってな」
 不思議と品のある声でそう語りかけながら、レンは自分の主人にコーヒーカップを差し出す。
「そして、店はもう店じまいの時間だし、ここに来た用はちゃんとある。ご主人が凍えていやしないか心配だったんで、熱々のコーヒーをお持ちしたわけだ」
 純朴な瞳が魔女を見つめる。視線まで隠すように深くローブで顔を覆っている魔女と違い、レンの方は健康的なその顔を十分に外にさらけ出している。肌の色は褐色だ。レンの主人が中世の魔女なら、レン自身はアラビアの貴族。そんなチグハグな外見の二人だった。
 携帯電話が鳴る。
「コーヒーはありがとう。それと仕事の首尾だがね、ちょっと待ってろ」
 魔女はそう言って受け取ったコーヒーを一口だけすすると、もう片方の手で携帯電話をオンにした。途端、受話器の向こうから興奮した声が届いてくる。
「あ、KIKYO先生ですか? ありがとうございます。彼女、OKしてくれました。俺、二十六年間彼女無しっスよ。そんな俺が、イヴの日に女性と過ごせるなんて、一体なんてお礼を言ったらいいか。俺、パッと見も良くないし、この年で収入も安定しないフリーターだし、二十代後半、あせりが出てきた頃っていうか。とにかく、本当に嬉しいっス。本当に、本当にありがとうございました」
「それは良かった。言ったでしょう。成功率九十%以上だって。イヴの日のデート、健闘をお祈りしておりますよ。その後、上手くいかなかったなど、何か問題が生じましたら、また、私KIKYOまでご連絡ください。別料金になりますが、『こじれた関係を復縁する方法』『肉体関係にまで進展する方法』、などなど、よりどりみどり揃えておりますので。当然ミッションが成就しなかった場合は全額返金保証付きです」
「肉体っ! は、はい、その時はまたご連絡させて頂くかもしれません。いやー、俺もそろそろ遺伝子を後世に残すことを考えないと、いやはや」
「それは個人の価値観によりますが」
「え、いや、はい。えーと、そうですね、KIKYO先生、今回は本当にありがとうございました。料金に見合う、十分納得が行くサービスでした。恋愛カウンセラー、Dr.KIKYOは本物でした」
「それは光栄です。それでは、これからもご愛顧のほどを」
 携帯電話を切る。
 ローブに覆われて顔こそ見えないが、KIKYOと顧客に呼ばれたその魔女は、勝ち誇った顔をしているらしい。
「どうだレン? 誰が数に負けて一、二カップル成就させそこなうって? 恋愛カウンセラーDr.KIKYOはね、成功率九十九%をうたっているのだ。そしてそれはデータに基づいた現実の数字なんだよ」
「恐れ入ったぜご主人。クリスマスとか、季節なんて関係無いんだな。来る客来る客、片っ端からちぎってはくっつけ、ちぎってはくっつけ……だな」
「その言い回しは何かおかしいが、おかしいついでに言葉遊びをするなら、契ってはくっつけ、契ってはくっつけ……とも言えるな」
 レンは「ケケケ」と、KIKYOは「フフフ」と笑い合う。
 案件が一つ片づいた祝いに、コーヒーで祝杯をあげんと、KIKYOはビルの外回りに張り巡らせられた金網によりかかる。
 摩天楼(まてんろう)と言うほど高いビルではなかったが、大型ショッピングモールが入っているこの高層のビルの屋上からは、町の様子を空飛ぶ鳥の視点で見下ろすことができる。
 コンクリートジャングル。そう形容するのがふさわしい町の至る所を群衆が何かに引かれ合うように歩き続けている。
「レンもこっちに来て見てごらんよ」
 言われた通りにKIKYOの横に移動して、寄り添うようにしてレンも眼下の光景を見やる。
「衆愚の国だ」
 そう口にしたKIKYOに対して、レンは何も答えない。
 コーヒーをもう一口すする。
 体内に宿る温かさの源泉が、喉に流し込んだ液体によるものなのか、寄り添うレンの体温によるものなのか判別がつかない。
 だまって町を見下ろしているレンの内面には想像が及ばない。知る術はあるが、KIKYOはレンにその方法を使わない。
 ただ、寄り添ったまま、引かれ合うように町の中を歩き回る人々を眺める。
 しかし何故だろう。彼らが自らの自由意志で引かれ合わんとしているのか、それともその引かれ合いはオートマティックなもので、そこに人の意志など介在しないのか、眺めれば眺めるほど、KIKYOには判別がつかなくなるのだった。

  ◇

 聡子(さとこ)が勇気を振り絞って店内に入ると、まずは蝶の紋様が刻み込まれた何とも個性的なワンピースが目に入ってきた。
 店内は暖かい。暖房が効いているであろう体感的な暖かさもそうだが、店の中は空間として暖かかった。
赤系統の暖色に彩られた壁紙の基調も、雰囲気を暖かくするのに一役買っているのかもしれない。
 そんな落ち着きを感じさせる部屋全体に、個性的なワンピース、セパレート、パニエにドロワーズ、そしてウィッグが陳列されている。一つ一つの商品は個性的だが、あくまで店全体の雰囲気は統一されている。なるほど、雰囲気が良い店だ。
 その個性を放つ品々に対して、個人的に身に纏う習慣は無かったが、それらの品々を身につけるファッションの総称は聡子も知っている。
「ゴシックロリータ」
 そう自然と口から漏れ出る。
「ケケケ、黒ロリ、白ロリ、なんでもござれだぜ」
 奥のカウンターとおぼしき場所から、そんな声が聞こえてくる。上品さを感じさせるわりには、どこか洗練されていない言葉。例えるなら、それはこの国に来て数年という外国人が喋るような言葉だった。十分にこの国の言葉として感知できるけれど、やはりネイティブのものではないと分かる。そんな言葉だった。
 黒のモノトーンのコートを脱いで居住まいを正し、声の主を捜す。コートの下からは白いニットカーデに黒のスカート。ブラウンのニーハイソックスという姿が現れる。それらの衣服に包まれた存在は少女の面影を残しており、髪は肩にかかるくらいに軽く乱してアクセント程度に茶系に染めていた。聡子の姿は、最大公約数的に、この国の一般的な女子高生の姿に当てはまる。
「いや、ショッピングの邪魔をする野暮のつもりは無いんだ。売りつけたりしないから気楽に見ていっておくんなさい」
 そう続ける言葉の主を見つけて、ようやく自分は場所を間違ったわけではないのだと聡子は胸をなで下ろす。
 ショッピングモール・ライトビーンの十三階にある服飾店にいる黒人の少年に声をかける。それが、メールで送られてきた待ち合わせの条件だったからだ。ターバンを巻いたその少年の肌の色は間違いなく褐色で、ここは該当するショッピングモールの十三階。ゴスロリショップとは聞いてなかったが、間違いなく服は売っている。これだけ条件が揃って、間違いであるはずがない。
「あの……残念ながらと言った方がよろしいんでしょうか。私、お店の商品にはあまり興味が無いんです」
 だいぶ年下と思われる少年に敬語で話しかける。少年がこの店の主と何らかの関係がある以上、失礼は許されない。もっとも、聡子は普段から誰とでも敬語で喋ってしまう習慣を持つ少女ではあったのだが。
「Dr.KIKYOに会いに来ました」
 単刀直入に用件を述べた。
 途端、ターバンを巻いたアラビア貴族のような少年の目がまるくなる。
「ケケケ、こいつは驚いた。ご主人の方のお客さんかい。あんたほど若いお客は珍しいぜ。何、ご主人は結構な金額をぼったくるだろう? あなた、若い身空で努力しなさったね」
「やっぱり、Dr.KIKYOはこちらにいらっしゃるんですね?」
「奥だよ。ついてきなよ」
 そう言って少年がカウンターの裏のカーテンをあけると、奥にほどよく広い空間が続いているのが分かった。
 もう後戻りはできない。
 ゴクリと喉を鳴らして、聡子は案内する少年の後に続いた。

  ◇

 インターネットの世界には、情報ビジネスという市場がある。文字通り、情報を売り買いすることで成り立っている市場だ。
 スパイ映画に出てくる怪しい情報屋をイメージすることはない。ごく普通の主婦や、脱サラした壮年の元会社員などが、それこそ「お花の育て方」から「インターネットで収入と自由な時間を得る方法」といった類の情報を、主に電子書籍や音声ファイルでダウンロードできる仕組みを利用して販売している。そういった市場だ。
 そんな情報ビジネスの世界で、ひときわ儲かるとされているのが「恋愛」関係の情報ビジネスである。「意中の女性から告白される方法」から「元彼とよりを戻す方法」、果ては法的にギリギリの出会い系の情報まで、人間の欲望を満たす情報が跋扈(ばっこ)している。そんな業界だ。
 特にインターネットビジネスに明るいわけではない聡子でも、その手の情報が人間の欲望を刺激するがゆえに恒久的に求められていることは想像できる。そして求められているがゆえに、お金が流れ込んでくる市場であることも理解できる。しかし、ここで重要なのは、それだけお金と切り離せない市場なだけに競合が多く、こと「恋愛」の分野で上位に上り詰めるのは、情報ビジネス業界では難しいという通念があるということだ。いや、通念云々ではない、実際に難しいのだ。
 そんな情報ビジネス業界がこの国で活性化しだしてまだ数年。その数年の間、もっとも激戦区と言われる「恋愛」カテゴリーでトップに君臨し続けているのが、Dr.KIKYOの恋愛ノウハウだった。
 曰く、「成功率九十九パーセント」。曰く、「某国の皇太子の結婚は私が手引きした」。曰く、「国境を越える、普遍的な恋愛ノウハウ」……。
 それだけを聞くと、本当か? という感じで怪しさ爆発なのだが、しかし事実として、インフォムニア(国内の情報書籍販売の最大手サイト)でその商材が一位に君臨し続けているわけなので、その実力は認めないわけにはいかない。短期間ならば宣伝やマーケティングが良かったからだと言い訳もできるが、これだけ長期に君臨しているとなると、商品の質も本物なのだと認めざるを得ない。
 何よりも、聡子がDr.KIKYOに心酔したきっかけは、英語が得意な聡子が、Dr.KIKYOの海外での評価を調べるために、ブラウザの検索ページに「Dr.KIKYO」の文字列を打ち込んだ時だった。「某国の皇太子」とか「国境を越える普遍的な」とか、本当なのだろうか? と自分なりの批評精神からの行動だった。
 結果、聡子はDr.KIKYOに心酔した。うたい文句は本当だった。Dr.KIKYOは国内だけではない、アメリカをはじめ、情報ビジネスが発達しているあらゆる国の大手情報販売サイトで、恋愛カテゴリーの一位を獲得していた。
 英語が人の数倍できる聡子には分かる。この価値観が多様化した世界で、あらゆる国で国境も人種も越えて支持される「恋愛」のノウハウ。その存在自体が、聡子にとっては一種の奇跡だった。それは、人と人が理解し合えるという誰もが夢見る理想の具現なのではないだろうか。
 偏狭にインターネットで海外のサイトからDr.KIKYOにまつわる情報を集めているうちに、やがてある小国のWEBページ内に、英語で書かれたDr.KIKYO本人のメールマガジン登録ページがあるのを見つけた。何故、その国のサイトに、さしてこの国では有名でない小国のサイトにそのページが存在するのか聡子には分からなかったが、それでも嬉々として登録し、数週間に一度くる英語で書かれたDr.KIKYOのメールに酔った。
 そして、それらのメールからDr.KIKYOが現在は聡子の国に滞在していることを知り、誇らしく思った。その気持ちが「会いたい」という気持ちに発展するまで、さして時間はかからなかった。
 Dr.KIKYOに個別カウンセリングを受ける相場は、この国のお金で最低百万円。得意の英語翻訳と小中学生対象の家庭教師のバイトとを兼業して、稼ぐのに半年かかった。しかもそれだけではまだDr.KIKYOに面会できる条件を満たさない。Dr.KIKYOは気に入った人物としか面談は行わないのだ。そう、Dr.KIKYOはお客を選ぶことができる、本物中の本物なのだ。
 心を込めて、何度もメールを出した。言語は英語を使った。何となくだが、この国のサイトに重きを置いていないDr.KIKYOは、この国のことが嫌いなのではないかと思ったので、言葉もこの国の言葉は使わなかった。聡子自身、この国にたいした愛着を持っていなかったので、それはちょうどよかった。
 強い気持ちに基づいた行動は、必ず結実する。結果として、聡子はそのことを知った。Dr.KIKYOから面談許可の返信メールが来たのだ。貯めたお金の使い所はここだと一瞬で決断した。Dr.KIKYOは聡子の願いを叶えてくれる存在だと、その時既に聡子は確信していたからだ。ダラダラと、ファッションや刹那的な娯楽にお金を使う同年代の少年少女の気持ちが分からなかった。お金は、自分の本当の願いを叶えるために使うものだ。
 自分の本当の願い。
 百万円というおよそこれまでの人生で目にしたことのない札束をバックにしまい込んでDr.KIKYOのもとへと家を出た時、聡子の脳裏にはこんな言葉が過ぎった。

――幸せになろう。

  ◇

 肌色の薄明かりの中、テーブル越しにローブに包まれたDr.KIKYOその人と向かい合う。
「こんにちは、柊(ひいらぎ)聡子さん。こうして会うのは初めてだね」
 その第一声で、まず聡子はDr.KIKYOが女性であることを理解する。そうであろうと聡子自身も推測していたけれど、ネット上では性別は伏せられていた。上品な声。聞くだけで安心してしまう不思議な響きがある。
「この格好、すまないね。色々事情が合ってね、素顔までは明かせないんだ。だけどあなたの依頼の成就に対してはディスアドバンテージにならないことを約束するのでどうか許して欲しい」
「いいえ、Dr.KIKYO。あなたほどの人物なら、色々なしがらみから顔が明かせないというのも理解できます。私の方としても異存はありません」
 Dr.KIKYOへの第一声をこちらも発する。大丈夫、ちゃんとコミュニケーションできるのだと自分に言い聞かせる。
「それはありがとう。こちらとしても助かるよ。あと、コミュニケーションを円滑にするために私のことはただ桔梗(ききょう)と呼んでくれ。花の桔梗だよ。在原(ありはら)桔梗。対面でまで接する客にはそう名乗ることにしている。もっとも、これも偽名で申し訳ないんだがね」
 桔梗。瞬時に紫の花を思い浮かべる。うん、悪くないと、聡子が抱いていた桔梗へのイメージとの整合性を頭の中で確かめる。
「分かりました。桔梗と呼ばせて頂きます。それで、早速なんですが」
 本題に入る。聡子は桔梗と雑談をしにきたわけではなかった。いや、桔梗を信奉している身からすれば雑談もそれは勿論魅力的だったが、つまらない話で桔梗の時間を奪うのは適切では無いように思われた。そもそも、面談自体が希有な事態なのである。時間は有益に使うべきだ。それに、つまらない話をして桔梗に取るに足らない人物と判断されるのも避けたかった。
「お納めください」
 不躾(ぶしつけ)かとも思ったが、テーブルの上に百万円の札束を乗せて桔梗に向かって差し出す。
「なるほど、用意できるのは百万。メールで言っていた通りだね」
 頷く。きっと桔梗にとっては大して大事ではない金額なのだろう。それでも、一女子高生である自分に出せる、限界の金額がこれだった。努力の末に獲得したこの百万円は、少なくとも聡子にとっては大きな意味を持っている。
「一応確認しておくが、百万コースでいいんだね? よりケアが厚かったり、成功が確約されているそれより上のコース。五百万コース、一千万コースともあるわけだが、そこまでは求めないと?」
 想像通り、天文学的な金額を桔梗はさらりと口にする。
「はい。残念ながら、今の自分の能力で稼ぎ出せる金額はこれが限界でした。この範囲で私の願いを叶えて下さい」
 冷静に、気持ちを伝える。
「了解した。いや、大したものだよ。自分の恋愛に百万かける君と同年代の女性はこの国にはそうはいまい。いや何、分不相応に金にあかせて一千万コースを取るだけが能じゃないという話だ。フフフ、私に取ってはどちらも大事なお客だ。サービスの内容こそ違えど、金額に応じて私の熱意が変わるようなことはないから安心したまえ」
 桔梗のその言葉に少し緊張が解ける。百万と一千万、数字上は違いが大きいが、それはイコール依頼人の価値や桔梗自身の熱意の量ではないと桔梗は言っているのだ。
「では話を聞こうか? 最初に言っておくが、百万コースの場合、何ら裏技的な解答は無い。メールを読んでいて分かっているだろうが、私の恋愛法は基本的に王道中の王道を行くものだ。その方法論を用いての恋愛の結実には君の努力を要する。楽してモテたいとか、そういうバカな話は他の恋愛詐欺師達の専売特許だが、私はそういうのでは無いからね。その点はいいね?」
 聡子は力強く頷いた。

  ◇

 直樹(なおき)くん。直樹くん。
 自分の想い人の名前を呪文のように口にする。桔梗から最初に出された課題は、想い人から連想される要素を、全て紙に書き出せというものだった。
「いいかね? ちょっと思いつくものをメモする程度の話ではないよ。その直樹くんを構成する要素を、思いつく限りとことん書きまくるんだ。最低で百。望ましいのは二百以上だ。頭がカスカスになって息切れするくらい、とにかく、その人のことを想い、その人のありったけを頭から吐き出すんだ」
 そう言って白紙のノートを渡されたわけだが、中々、初めての体験だけに苦戦しそうな課題である。しかし桔梗の指示である。何か、恋愛成就に至って重要な意味があるのだろう。
 島田(しまだ)直樹。バスケットボール部。ポイントガード。長身。頭がいい。成績は学年トップクラス。でも英語は私の方が上……。
 思いつく限りを紙に吐き出していく。
「これ、結構キツイですね」
 二十くらい書き出した所で、はやくもネタ切れになってくる。自分は、こんなにも直樹くんのことを知らなかったのか。ああ、もしかするとそういうことに気付くためのワークなのかもしれない。
「言っただろう? 百万コースは努力を要すると。私は君の努力が結実するように上手く舵を取るだけだ。それが百万コース。ただし舵取りは超一流なんだ。悪い話ではあるまい」
「一千万コースはこういうことはしないわけですか?」
「しないね」
「では、一千万コースとは?」
 中々作業が進まないので、ついしないと決めていた雑談めいたことを口にしてしまう。
「フム……」
 と呟いた桔梗は、何やら精密な紋様がほどこされた、占い師が座っていそうな椅子に足を組んで座っている。顔は、相変わらずローブに隠れて見えない。
「催眠恋愛」
 そして、そんな言葉を口にした。
「ラポールという言葉を知っているかね? 心理カウンセリングにおいて、カウンセラーと患者が作り上げる一種の同調状態のことだが、それを恋愛対象と私の間に形成する。まあ、私の場合、それはラポールなどと呼べる代物では無いレベルの強力なものなのだが……」
 そして事も無げに続ける。
「そうして相手に強制催眠をかける。聡子を愛せ……とね。簡単に言えば、それが一千万コースだ。成功率は百パーセント。もっとも、私にも心身共に負担がかかるので、それだけ受け取る対価も高く設定しているわけだがね」
 直樹くんのことを書き出す作業の片手間に聞いていたからだろうか。上手く、桔梗が言ったことが頭に入ってこなかった。だから、催眠恋愛、それは本当に恋愛なんですか? という頭に過ぎった疑問もすぐにかき消えた。
「それは凄いですね」
 そう言って、直樹くんのことを紙に書き続ける作業により没頭する。
 直樹くん。直樹くん。
 直樹くんと恋人になれたなら、きっと幸せになれる。

  ◇

 なんとか、気力を振り絞って百二十九の直樹くんに関する項目を紙に書き出した。本当に、頭がカスカスになるというのは比喩ではない。疲労さえ感じている。しかしそれは、適度にスポーツで汗を流した後のような、どことなく心地よい疲労だった。
 桔梗はそのノートをざっと眺めると、「フム」と呟いて聡子に返してよこした。
「どうだ、気持ちよかっただろう? そのノートは君が持っていて、折に触れて眺め返したまえ。潜在意識に君の恋愛対象の島田直樹という人物が刷り込まれるようになる。そのすり込みは、後に島田直樹と実際にコミュニケーションを取るにあたって、君の行動を適切なものに導いてくれる。まあ、騙されたと思ってやってみたまえ」
「え、でも、このノート、桔梗が直樹くんのことを知るためのものではないんですか?」
 常識的に考えて、相手のことを知らなくては対策が立てられまい。この作業は、そういう意味合いも兼ねていたのだと勝手に思っていた。
「フム、その推測は正しい。この作業は私が対象の情報を把握するためという意味合いも兼ねている。しかし、そちらの方は心配することはない、今、一読しただけで全て覚えた。ノートは、君が持っていていいんだ」
 百二十九の項目を一読で記憶する? あり得ないことのように思われたが、同時に桔梗ならば可能なのだろうという気持ちも沸き上がる。
「しかし、厳密には項目の数は百二十九ではなかったね。七つほど、重複している項目があった。よっぽど、この島田直樹という少年に抱いている君のイメージに強く焼き付いている言葉なんだろう」
 意外だった。自分では重複は無くしているつもりだった。それくらい、書き出しているうちは夢中だったということか。
「理想主義者」
 そう、桔梗は聡子が書き出した重複した島田直樹のイメージを口にした。
「フフフ、中々、やっかいな相手に君も惚れたものだね」

  ◇

「お帰りかい?」
 面談が行われた奥の部屋から出てくると、ターバンの少年が気さくに声をかけてきた。
 結局、本日行ったワークは書き出しだけで、後は日を改めて次の活動を桔梗が指示するという運びになった。どうやら、一日で終わる面談ではなく、聡子と直樹くんが結ばれるまで、数回にわたって桔梗自身からサポートが受けられるらしい。それはそれで嬉しかった。
「おかげさまで、有意義な時間を過ごせました。ええと……」
 なんと呼んだものかと思案していたら、助け船が出された。
「レン。オレのことはレンと呼んでくれ。どうだった? ご主人はたいそうな変人だったろう?」
「レンさん。そうですね。卓越し過ぎていると言う点で、確かに一般的な方ではないですね」
「ケケケ、ものは言いようだな。まあ、確かに腕は確かなんだ。アンタも安心して今年のイヴに想いを馳せるがいいさ」
 クリスマス・イヴか。聡子自身は特定の宗教を信仰しているわけではなかったが、確かにイヴの日に恋人と過ごすというのはこの国では幸せな一日の代名詞である。
「そうですね。私、そういう普通の幸せに憧れてこうして桔梗のもとを訪れたのかもしれません。レンさんはイヴの日をどう過ごされるんですか?」
 世間話の流れにまかせて特に考えなく発した言葉だったが、レンは思いもかけず遠くを見るような複雑な表情を見せた。
「ムム、一緒に過ごしたい人はいるんだがね、こちらはお嬢ちゃんと違って上手くいくかどうか」
「あら、それこそ桔梗にお願いすれば簡単に叶うのではないですか? お見受けした所レンさんは、桔梗のお弟子さんのような方なのでしょう?」
 その言葉にレンはチチチと指を振り、「分かってないな」というようなジェスチャーを示した。
「オレとご主人の関係は、簡単なようでいて中々繊細な関係なんだぜ?」
「というと?」
 聞きかえした聡子の問いに、レンはケケケと笑いながら答えた。
「少なくとも、お嬢ちゃんとお嬢ちゃんがイヴに一緒に過ごすことになるヤツとの関係よりは、複雑な関係さ」
 その言葉を聞いた時、聡子は自分と直樹くんの関係とは一体なんなのか、適切な言葉にできない自分に気がついた。

  ◇

 一階のリビングから話声が漏れ聞こえてくる。二階の自室にいても部屋の扉を開けていると、リビングの会話はほぼ聞き取ることが可能なのだが、会話をしている当人達はそういったことにまったく気付いていないらしい。
 リビングに集まっているのは、聡子の母親と兄、そして去年兄と結婚した、兄の妻、聡子の義姉(あね)だ。
「聡子ね、英語の成績だけは抜群にいいのよ。このまま、通訳とか翻訳家になれないものかしら」
 母親が言う。
「お言葉ですけどお義母(かあ)さん。通訳とか翻訳が出来るレベルの英語力って、普通の人が思っている以上に次元の違うレベルなんですよ。ちょっと学校の英語の成績がいいくらいでその道で食べていけるというのは、少し甘いと私は思いますわ」
 義姉が答える。
「あらそうなの? それじゃ困ったわ。あの娘、大学には行きたいって言っていたけど、その後どうなるのかしら。ほら、最近は職につかないでいつまでもフラフラしている人達とか、問題になっているでしょう?」
 その母親の問いには兄が返す。
「はは、聡子は女だから大丈夫だよ。結婚して、普通に幸せになればいいんだ。そういう意味では、大学に行くのも将来の伴侶探しだと思えば悪くないんじゃないかな。僕も、こうして大学で朱美(あけみ)と出会えたわけだから」
 義姉が兄の言葉を受け取る。
「そうですわ。私も大学時代は楽しかったですもの。何より、忠(ただし)さんと出会えましたし。そうしてほら、忠さん、こうみえて勤勉な方だったというか、商社に入られましたでしょう? 結局、男は努力して社会保障が充実した会社に入る。女はそれを支える。そうやって、普通の一生を紡いでいく。それが幸せの形なんじゃないですか? ありふれた幸せって、私とっても大事だと思いますわ」
「そうだね。普通が一番だねぇ」
 母親が同意する。
「母さんの役目はあれだよ。聡子が変に理想に振り回されてるやっかいな男にひっかからないように見守っておくことだよ。俺の友人にも変に自分の夢を追って大学を卒業した後に海外に留学したヤツがいるんだけど、この年になってまだ定職につけてないらしいぜ。そういうのを引いちゃうと、人生怖いよなぁ。まあ、俺も聡子は可愛いからしっかりと見てるけどさ」
 「ハハハ」と三人が笑い合って談笑は続いていく。
 母も兄も、もちろん義姉も、聡子がこの半年で百万円を稼ぎ出し、そしてその百万円を今日桔梗のもとに置いてきたことを知らない。
 聡子はベッドに横になったまま、一階の談話を遠い所で流れているBGMのように聞き流している。
 ベッド横の本棚には、世界地図と沢山の国際関係学の資料。そして、高校生が読むには上等な英語の教材が並んでいる。
「衆愚の国」
 そう口にした聡子は、本日桔梗から渡されたノートを鞄から取り出す。桔梗は折に触れて読み返せと言っていた。
 ノートには、聡子の想い人、島田直樹を構成する要素がギュウギュウに詰め込まれていた。
 そのノートをそっと抱きしめて、聡子は目を閉じた。
 思い浮かぶのは愛しき直樹くんの顔。その映像は、母の顔より、兄の顔より、ましてや義姉の顔よりも、鮮明なイメージとして聡子の瞼(まぶた)の裏に浮かび上がるのだった。
「待ってて」
 消え入りそうな声で聡子はそう呟いた。

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