†催眠恋愛†


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  ◇

 恋愛にはリサーチが必要だ。その点を怠るから、世にはびこる恋愛仲介人という名の詐欺師達は、結局の所、顧客の恋愛を成就させる成功率が低い。
 その信念のもと、桔梗は仕事着たるローブを脱ぎ去り、年相応の女性の格好に帽子と伊達眼鏡といった出で立ちで、今回のターゲット、島田直樹のリサーチを開始していた。
 聡子と直樹が通う高校は私服の高校だったのも今回はリサーチを容易にした。既に日中に学校に潜入し、大まかな島田直樹のデータは取得済みである。
「放課後はバスケットボール部で汗を流し、部活終了後は閉室時間まで学習室でお勉強。なるほど、真面目なヤツだ」
 顔立ち、身体共に全体的に細い印象を受ける少年だったが、パチリと開いた目は精かんさよりも可愛らしさを印象づけており、長身とサラサラの髪も相成って、なるほど、女性に好まれる美形の部類に入っている。ブラウンのジャケットに下はジーンズというシンプルな服装だが、簡素で清潔感があるという点ではこちらも嫌う女性の方が少なそうな印象を受ける。
 その他にも、概ね聡子がノートに書き出した要素と合致する人物との判断を桔梗は下した。どうやら、聡子はなかなかによく島田直樹を観察していたらしい。
 ――そろそろ、接触してみるか。
 直接のリサーチに何よりも重きを置く桔梗は、今がその機会であると判断して、まさに帰路につかんと校門から学外に出る直樹に対して、門柱で遮られた死角から歩み寄った。
 さも不注意で……といった装いで、桔梗は直樹と衝突する。
 瞬間、常人には気付かれない速さの手刀で、直樹の鞄を地面にたたき落とす。
 直樹の目線から見ると、眼前には不注意でぶつかってきた女性と、散乱した鞄の中身というシチェーションが完成する。
「すいません。私、よく前を見ていなくて」
 普段の上から物を言うような口調を変え、礼儀正しい女性を演じて会話を開始する。
「いや、僕の方こそ不注意でした」
 明らかにシチェーションとしては桔梗の方に非がある状態だ。それをこうして謙虚に構えている直樹である。どうやらこれは正真正銘、根っからのお人好しであるらしいとの判断を桔梗は下す。
「あ、いいですよ。僕がやりますから」
 続いて、散乱した鞄の中身を集める動作を装っていた桔梗に対して、そんな言葉をかけてくる。
 鞄をブチ撒けたのには勿論理由があったのだが、その当初の目的とは別の所で、桔梗は一つ興味深い発見を直樹の鞄の中から見つけ出した。
 ノートの間に挟まった、一枚の写真を手に取る。
 写真には、飢えで痩せ細った幼児と、その幼児を捕食せんとつけ狙うハゲタカが映されていた。
「ああ、すいません。女の人には、あまり心地のいい写真ではないですよね」
 直樹は申し訳なさそうな顔でそう言ったが、しかし桔梗はその写真を知っていた。
「一九九四年に、世界に多大な影響を与えた写真ですよね。大きな賞も取った」
 だからそう切り出した。直樹は目を大きく見開く。
「驚いたな。知ってるんですか。いや、確かに有名な写真ですけど、貴方くらいの女性が知ってるというのは珍しい気がする」
「どうしてこれを?」
 そう言いながら桔梗が写真を直樹に渡すと、直樹は一瞬とまどった表情を見せた。初対面の人に話したものかどうか、そんな逡巡が感じられた。
 それでも直樹は短く語った。
「お守り……ですかね。この写真を撮った写真家を、尊敬しています。彼が勇気を持ってこの写真を撮ったから、世界中の人達が心を動かして、NGOとか色々できて、平和へ向かって世界が動いたんです。だから、いつか僕もそんな男になれるように、願掛けとしていつも持ち歩いているんです」
 桔梗は直樹の目を正面から見つめる。どうやら、この少年は本気で言っているらしい。この衆愚の国の一高校生である自分が、世界の平和に貢献する気高い人物にならんと欲しているのだと。
 共感はしなかった。だから、仕事を度外視して少し意地悪な質問をぶつけた。
「でも、この写真を撮った写真家はピストル自殺していますよね?」
 すると直樹はそれまでの温和な印象を脱ぎ捨てるように一瞬だけ険しい表情を見せ、拳を握りしめた。
「そう、だから僕は、彼を殺した世界が許せない」
 そう直樹が吐き捨てたのと同時に、沈黙が流れる。
そのままどちらも次の言葉を続けないまましばらくの時間が流れたが、やがて直樹の方が我に返ったように中身の収集が終わった鞄を持ち上げて立ち上がる。
「どうもすいません。なんだか変な話しちゃって」
 表情はそれまでの温厚な少年のものに戻っている。
「いえ、もとはと言えば、不注意でぶつかった私が悪いので」
 こくりと、お辞儀し合ってその場を収める。
 だけど、立ち去る直樹に、桔梗は一言だけ声をかけた。
「世界平和は訪れると思いますか?」
 立ち止まった直樹は体は行く先に向けたまま顔だけを桔梗に向けて答えた。
「僕たちがそれを目指し、努力と研鑽(けんさん)を続けていれば、いつの日か必ず」
 なるほど、と、直樹のその言葉を聞いて桔梗は合点がいった。まさに、聡子が重複して書き出してしまった項目の通りの男なのだ。
――理想主義者。
 だけど……。
(嫌いなタイプだ)
 声には出さず、心の中で桔梗はそう吐き捨てた。

  ◇

 二度目の対面日、桔梗は直樹くんと接触し、その際にくすねてきたと言って、直樹くんの持ち物である英語のノートを差し出してきた。
「これで、きっかけが作れるだろう?」
 なるほど、と、ノートを手に取りながら聡子は得心する。
「ノートを拾ったから……と、そう声をかけるわけですね」
「その通りだ。だいたいね、君。島田直樹とは同じ高校の同じ学年というだけで個人的な関係はまったくないわけだろう? それじゃ、まず声をかける所からはじめないことには何も進展しない。私としてもまずそこをクリアしなければ手の施しようがない。ナンパを思い浮かべて欲しいのだがね。あれは結局の所、数を撃つ、声をかけてお知り合いになるきっかけの数を増やすことで勝負を仕掛けているわけだ。やみくもなナンパは成功率が著しく低いが、それでもまったく声をかけないよりはマシだ。いいかね、それくらいまずは声をかけて接触してみないと恋愛に限らず人間同士の関係性というのは何も始まらないということだ。その点に関して言えば、現在の君はナンパ師以前のただのストーカーだ」
「ス、ストーカーですか」
 その具体的な響きに少々戸惑った。いや、聡子にも若干の自覚はあった。向こうは自分のことを知りもしないのに、聡子の方は一方的に島田直樹のことを観察し、沢山の情報を得ている。この関係が、どこか歪であることに気付いてはいた。
「そうだ。いや何、犯罪の域にまで達しないのならばストーカーも悪いことではない。君の場合源泉にあるのは純粋な恋愛感情なわけだからね。ただ、ステップとしてはもう脱する段階だという話だ。脱『ストーカー』だよ。そしてこのミッションで君には『気になる異性』に昇格してもらう。そしてイヴまでには『恋人』だ。そういう強い意識を、君自身も持ちたまえよ」
「気になる異性」、「恋人」。桔梗が口にした近い未来の直樹くんと自分との関係性を表す言葉を反芻(はんすう)した。
「はい、頑張ります」
「うむ。頑張ってくれたまえ。それで、私からのサポートはこういう形を取る。対面サポートまで行うお客のみのスペシャルサービスだ。ありがたく思いたまえ」
 そう言って桔梗は何やら直径一センチほどの円形のシールを取り出した。
「耳の中に貼りたまえ。多少外から見て違和感が残る場合もあるのだが、君の場合は髪が丁度耳を隠してくれるから問題無いだろう」
「?」
 疑問を残しながらも、髪をかき分けて耳の中に手渡されたシールを貼り付ける。貼り付けると、思いのほかフィットして、違和感はまったくない。これなら、感覚としては付けているのも付けていないのも同じだ。
「テス、テス、ケケケ、聞こえるかい? お嬢ちゃん?」
 突如、耳の中に聞き覚えのある声が木霊する。
「レンさん?」
 そう言ってぐるりと部屋を見渡すが、近くにレンの姿はない。いるのは、テーブル越しに座っている、相変わらずのローブ姿の桔梗だけだ。
「レンは、店だよ。つまり、通信機器だ。リンガーサークル。シール形状の次世代通信機器だ。こちらの声も聞こえるはずだから何か喋ってみたまえ」
「えー、テステス、レンさん? 聞こえますか? お店の方はどうですか?」
 とりあえず、当たり障りのないことを聞いてみる。
「テステス。ケケケ、感度良好だ。店は誰もいないよ。いるのにオレ一人で喋ってたら不気味だろう? まあ、いつも客なんざほとんどいないがな。ご主人の趣味みたいな店だから、宣伝してないんだ、この店」
 すごい、本当に通じている。携帯とも違って、虚空に向かって喋るだけで相手と通じ合えるなんて、なんだか不思議な気分だ。
「このシールを使って、君が島田直樹と接触する際には、私から指示を送る。私からの指示は君の耳元から君にしか聞こえないので、直樹に怪しまれるんじゃないかとか、そういう心配はする必要はない。また、君の方から指示を仰ぎたい時は、虚空に向かって喋るだけでいい」
 なるほど、直樹くんと話す時の会話は桔梗も聞いていて、タイムリーに指示をくれるというわけか。これは心強い。
「すごいですね。こんな道具があったなんて全然知りませんでした。知らないうちに、世の中の技術って進歩しているんですね。なんでもっと普及しないのかな?」
 聡子としては素直に感動して、自分の無知を恥じていたのだが、桔梗は足を組んだまま平然と言った。
「いや、君が知らないのは当たり前だ。まだ公には出回っていない技術だ。今、君に渡したのも、いわば試作品だよ。現在はまだ秘密裏に研究されている技術だが、研究元に私は多大な額を投資しているのでね。オーナー権限で一般人より数年早く使わせて貰っているだけだ。勿論、秘密裏にね」
 その言葉を聞いて、聡子は桔梗という女性の背後に広がる世界に想いを馳せる。分かり切っていたことだが、この女性は自分の考えなど及ばない遙かな高みで普段は活動しているらしい。
「投資っていうと、株とか、そういうヤツですか?」
 だから、間の抜けた発言をしてしまった。会話についていけない。自分の無知が恥ずかしい。
「いや、そんな一般人がやるような外部からの投資ではないが……。フム。世界の上層の投資の話は、一般的なこの国の女子高生である君には難しい。興味があるなら、自力でコツコツと基礎から勉強したまえ」
「は、はい、そうします」
 少し、自分が惨めになる。対面に座って話す場所までたどり着いても、自分はまだ桔梗と対等に喋れる場所にはいないのだ。
「ケケケ、気取ってやがるぜ、ご主人。お嬢ちゃん。難しい話じゃないぜ。単にご主人はお金が大好きだから、お嬢ちゃんみたいな依頼人から巻き上げた金を、投資で増やしているだけだ」
 そんなレンの声が聞こえてくる。先ほど説明された通り、その声は聡子にだけ聞こえているものらしい。
「ありがとうございます。レンさん」
 だからそう言った聡子に対して、桔梗は「レンが何か?」と訝しげに声を発した。
「いえ、なんでもないんです」
 あわててそう答えた聡子に、桔梗は「そうか」とだけ答えた。

  ◇

 憧れの彼、島田直樹くんは部活を終えた後、学習室にやってくる。それは桔梗がリサーチで把握した情報であり、また、聡子自身も直樹くんを観察し続ける日々で知り得ていた、島田直樹の一日の行動パターンだった。
(だから、この時間に学習室に続くこの廊下で待っていれば、必ず直樹くんはここを通る)
 胸元に直樹くんの英語のノートを抱きしめる。できるだけ、さりげなく声をかけるんだ。
「あまり緊張するなよ。私の指示通りに会話を進めれば、次に会う約束を取り付ける程度は容易なのだから。リラックスリラックス」
 耳元からリンガーサークルを通して桔梗の声が聞こえてくる。そう、こちらの会話を適時桔梗は把握し、最善のアドバイスをくれるのだ。何も恐れることはないのだ。
 それでも、放課後で廊下に人気が無いのを良いことに、携帯用の手鏡で何度も自分の顔を映した。髪の毛はおかしくないか。着てきたコートは直樹くんの嗜好に添うか。
「君は見た目はかなりイイんだから心配するな。一般的な男子高校生だったら五人に四人くらいは好感を持つレベルだ」
「直樹くんが一般的な男子高校生じゃなかったり、五人のうち四人にあてはまらない一人だったらどうするんですか!」
 思わず桔梗に口答えをしてしまう。どうにも、落ち着けず、自分で理由が分からないまま、気だけが高ぶる。
「あ」
 その時、聡子と対面する形で階段を下りてきて、学習室へと続く廊下に現れた影があった。聡子の元まで辿り着くのに、およそ、一分という所だ。
「き、来ました」
「うむ。それじゃあ、すれ違うくらいの距離で、まず『直樹くん』と声をかけるんだ」
「『直樹くん』ですか? いきなり名前でいいんですか?」
「うむ。同級生ならそれくらい気安くても失礼にはあたるまい。呼び方は意外と心の距離に影響するものだからね。最初から親しく呼べるならそれにこしたことはない。君は相手と初対面でもいきなり名前で呼びかけられる、気さくなキャラということでいこう」
「私、そんなキャラじゃないんですけど」
「ほら来るぞ。ああ、あと、私に頼り切らずに適宜アドリブも入れるように」
 桔梗に突き放された所で、直樹くんが間近にせまってくる。声をかけなくては。直樹くん。直樹くん。と心の中で反復する。
 約三メートルまで接近する直樹くんを凝視する。ああ、相変わらずスマートな体と顔。バスケのスポーツバッグを肩にかけてる。部活帰りのせいか、若干乱れた髪もそれはそれでカッコいい。
「あ、あの」
 声が出ない。
 目が合う。あろうことか、直樹くんは軽く会釈をしてくる。その会釈にだけ反射的に会釈を返す。なんて他人行儀な。
 すれ違い、直樹くんは学習室に向かっていく。なんとか、なんとかしなくては。
「柊聡子!」
 その時、耳の中に桔梗の声が響いたので、はじかれたようにようやく聡子は口にする。
「直樹くん!」
 立ち止まる彼。ゆっくりと振り返り、聡子と向かい合う。
「はい」
 直樹くんが答える。その時、初めて真正面から直樹くんの瞳(め)を見る。顔が紅潮してくるのが分かる。直樹くんが、自分を見ているのだ。
「ノート!」
 再び桔梗の声が耳に木霊する。
「あ、あの、私、あなたの英語のノートを拾って……返さなきゃって思ってたんです」
 それだけを必死に口にして、手にしたノートを両手で直樹に向かって突き出す。
「ああ」
 直樹は得心したように肩にかけたスポーツバッグを下ろす。
「これ、無くしたと思って僕も困っていたんだ。ありがとう」
 直樹くんと会話が出来ている。他でもない、島田直樹は聡子ただ一人に向かって話をしている。その事実が聡子の胸を打つ。
「柊聡子さんだよね?」
 そして、ノートを受け取りながら、直樹くんは驚くべき言葉を口にした。
「は、はい、アレ?」
 頭が軽くパニックになる。どうして、直樹くんは聡子の名前を知っているのだろう。
「英語で、ずっと学年トップでしょ? うちの学校、さすがに名前を張り出したりはしないけど、そういうのってすぐ噂になるじゃない。それでさ、一度友だちに教えて貰ったことがあったんだ。あそこにいる彼女が学年トップの柊さんだってね。ハハ、ストーカーみたいでゴメンね。僕は、君に一度も勝ったことがない」
 その言葉を聞いて、ふいに、涙が流れた。
「エ?」
 と直樹くんは困惑の表情を浮かべる。
「これは与(くみ)しやすい。一緒に英語の勉強をするシチェーションにもっていこう」
 そんな桔梗の言葉が遠くに聞こえる。
「ゴメン、僕、何か気に障ること言ったかな?」
 全力で首を横に振る。
「ち、違うんです。私、変な子なんです。わ、私なんて全然たいしたことないです。直樹くんの方こそ、英語以外の教科はほとんど学年トップじゃないですか」
「あ、うん。でも僕のほうこそ、英語はダメで。点数はそこそこ取れるんだけど、とてもじゃないけど実際に海外で使えやしない。それで、柊さんのクラスにいる友だちが、柊さんの音読を聴いて、アレはネイティブの英語だって言っててさ、それで羨ましくて。柊さんは外国に住んでたりしたの?」
「ううん。一回も海外に行ったことないです。自分で、色々勉強してるだけです」
「それは凄いな。今度、どんな勉強してるのか教えてよ」
 脳裏に、図書館で教科書を広げ合っている直樹くんと聡子という絵を想像する。いや、英語の勉強は声を出さなきゃならないから図書館じゃ迷惑だ。いっそ、自宅で。自宅で。
「貰ったな、君。そのまま次に会う約束をとりつけたまえ。今回はそれで十分だ」
 桔梗の声が聞こえてくる。上手くいった。自分はやり遂げられるのだ。
(ええ、いいですよ。今度の日曜日に、図書館ででもどうですか?)
 言え、言うんだ。自分を鼓舞する。
「あ、あの」
 アレ? と自分の異変に気付く。
 もう一言、最後の言葉が出てこない。次に会う約束を取り付けなくちゃいけないのに、その、最後の一押しが……。
「柊さん?」
 直樹くんの言葉が、混乱を促進させる。
 あと、ちょっとなのに。
「顔、紅いけど、大丈夫?」
 その言葉で、何かが決壊した。自分は恐ろしい緊張状態にあったのだと気付く。胸がバクバクして、声が出せない。いや、もう、直樹くんを直視できない。
「ご、ごめんなさい!」
 そう、一言だけ振り絞って、反転して駆け出す。胸のドキドキを、息切れで上書きするくらい、全速力で走る。
 もう、自分でもワケが分からない。
「お、おい君、どうしてそうなる!」
 そんな桔梗の言葉も理解できないほど、夢中で走った。本当に、なんで?
 とにかく、やっぱり自分はダメだった。そんな気持ちだけが、涙と一緒に溢れてきた。

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