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(2)

「おめー、っとに承知したのかよ」
「うーん、承知したって言うのかなぁ。まだちゃんとお返事してないんだけど」
「やめちまえよ。だいたい、昔は大貴族様だったかどーか知らねーけど、今のおめーはどっからどー見ても庶民じゃねーか。そんなおめーが貴族様と結婚したって苦労すんのが目に見えてるぜ。やめとけ、やめとけ」
「・・そうなんだけどね。でも、そうも言ってられない事情もあるから・・・」
「バカか、おめー。親のために苦労するこたねーだろ?」
「あのね、ゼフェル。どうして苦労するって決めつけてるの? ひょっとしたら幸せになれるかもしれないじゃない」
「ンなこと言ったって、オスカー王子をふっちまったのはおめーだぜ? 今度のリュミエールってのだって似たり寄ったりに違いねー」
「婚約期間中に三度も浮気されちゃ誰だって怒るわよ。アクア王国のリュミエール王子様はそういう浮ついた人じゃないっていうし、それに、第三王子だから、コレット家に婿入りしてくれるらしいし、今度は良いかなーって」
「良かねーって!」
「な、何? 何ゼフェルが怒ってるの?」
「怒ってなんかねーよ! ったく、遅せーな、マルセルのヤツ。オレ、ちょっと呼んでくる」
「あ、ちょっと、ゼフェル・・・・・」
肩をいからせて去っていく幼なじみの背中を見送り、アンジェリークは肩をすくめて中央公園に入った。
噴水の縁に座ってボール遊びをする子供達をぼんやりと眺める。
子供の頃、ゼフェルやマルセル達と走り回っていた自分を思い出した。
「いつまでも子供じゃいられないのよね・・・」
目を伏せて、誰に言うでもなく呟いてみる。

「うわっ!! あぶないっ!!!」
「ぶつかる! よけて!!」
「えっ? きゃっ!」
急に飛んできたボールを避けることも出来ず、頭に直撃を受けたアンジェリークは、バランスを崩して水の中へ落ちていった。
予想していた衝撃も、水の冷たさも感じず、あたたかいものに包まれているような妙な心地よさに、閉じていた目をそっと開けた。
そこには、穏やかな笑顔の青年。
ファイヤ王国では珍しい水色の髪と、髪によく似合った水色の瞳が印象的だった。
「大丈夫ですか?」
一瞬、何が起こったのかわからず、きょとんとするアンジェリークに、青年の笑顔が曇る。
「あの、私の声が聞こえますか?」
「あっ!」
見ず知らずの人にお姫様抱っこされてる!!
「え、えっと、あの、降ろしてください!」
「構いませんが、少々お待ちくださいね、ここから出ますから」
その時、アンジェリークは初めて状況を把握することができた。
噴水の縁に腰掛けていて、ボールが飛んできて頭に当たり、危うく水の中に落ちるところをこの青年に助けてもらったのだ。
「すみませんっ! あの、私、ぼんやりしてて。その、助けていただいてどうもありがとうございました!」
水の中から出て下に降ろしてもらったアンジェリークは、慌てて礼を言い、深々とお辞儀をした。
見ると、青年の膝から下はびしょ濡れである。
上衣の方も、噴水の飛沫がかかったのか、あちらこちら色が変わっている。
「あ、濡れちゃいましたよね。あの、私の家はすぐそこなんです。家に帰ればタオルとか着替えもお出しできるんですけど、今はハンカチくらいしかなくて・・・」
「ああ、お気遣いは無用ですよ。私の宿もすぐそこなのです。それよりも、頭にボールが当たったのでしょう? 痛みませんか?」
ボールという言葉を聞いて、アンジェリークの近くでもじもじしていた子供達が一斉に頭を下げて謝った。
「おねーちゃん、ごめんなさい!」
アンジェリークはにっこりと笑って、どうやらボールを蹴った本人だと思われる子供の頭を撫でた。
「大丈夫よ。こっちのお兄さんが助けてくれたから、どこも濡れてないし、ケガもしてないの。謝るんじゃなくて、お礼を、お兄さんに言った方がいいんじゃないかな」
子供達はほっとした表情でリュミエールに礼を言い、広場の向こうへ駆けていった。
「お優しいのですね」
手を振って子供達を見送っていたアンジェリークが振り向くと、水色の髪の青年が真っ直ぐこちらを見ている。
「えっ? そんなことないです」
「謝罪よりも感謝の方が気持ちの良いものです」
思わぬ言葉をかけられて、アンジェリークは目の前の青年をまじまじと見た。
日に透けて銀に輝いても見える水色の髪は、噴水の水の色を加えて深い青にも見えた。
髪によく似合った水色の瞳は、やわらかな中に強固な意志を感じさせる光を放っていた。
整った顔立ち、すらりとした体躯。
つまるところ、相当な美男子だ。
顔が火照るのを感じてアンジェリークは慌てて言った。
「あ、あの、風邪ひいちゃいますよね。本当にありがとうございました。さっきの子にも言いましたけど、あなたのお陰でどこもケガをしてないし、ぶつけたところもたいしたことありません。 ・・あ、私、アンジェリーク・コレットっていいます。観光に来られているんですよね? お礼もしたいし、私でよければご案内しますよ」
「アンジェリーク・コレット・・さん?」
「はい。・・・明日も、こちらにいらっしゃいますか?」
「はい。あなたが案内してくださるなら必ず参ります。それでは、今日はこれで失礼します。あの、私はリュミエールです」
「リュミエールさん、ありがとうございました。それじゃ、また明日。えっと、お引き留めしてすみませんでした。早く着替えてくださいね」
にっこり笑ってさようならと手を振るアンジェリークに手を振り返しながら、リュミエールは急に寒さを感じた。
アンジェリークが傍にいる時はびしょ濡れでも寒さなど感じなかったのに。
リュミエールは身震いひとつして宿へ帰っていった。

「ただいまー、ああ、すっかり遅くなっちゃいましたー。はい、これ、頼まれてました本です」
「ありがとうございます、ルヴァ様」
「噂に違わず、この町の図書館は素晴らしかったですねぇ。いろいろな発見がありましたよ」
「それは良かったです」
「ええ、でも、そんなことより、先ずはあなたのことをお聞きしないといけませんね」
そう言うとルヴァはキョロキョロと部屋の中を見回した。
「ティムカ、いますか?」
「はい、ルヴァ様」
どこからともなく現れた少年がルヴァの前に跪く。
「どうですか? アンジェリーク・コレットさんは見つかりました?」
「はい、ルヴァ様。リュミエール様とコレット様は強い縁に結ばれているようです」
「どうしてティムカが?」
急に現れたティムカに困惑の色が隠せない。
「くすっ、リュミエール様、ルヴァ様があなたをおひとりにすることなどありません」
立ち上がったティムカのいたずらっぽく光る瞳を見ながら、リュミエールが頬に朱がさすのを感じた。
「えっ? で、では?」
「あー、リュミエール、怒らないでくださいねー。いくら何でも、アクア王国第三王子であるあなたをおひとりにすることなどできませんからね。 それに、ティムカはこの旅の最初からずっと一緒だったんですよ。お気付きじゃなかったですかー?」
首を振るリュミエールにティムカがにっこりと笑った。
「ああ、良かった。本当は僕、気付かれているんじゃないかと気がきじゃなかったんです」
浅黒い肌と黒曜石の瞳を持つこの少年は、リュミエールが成人した時、身の回りのことを引き受ける従者として遣わされてきた。
少なくとも、リュミエールはそう思ってきた。
だが、今の様子を見るとただの従者ではなさそうだ。
「あなたはずっと私のことを見張っていらしたのですか?」
「見張るなんて、そんなことありません。僕が遣わされたのはあなたを守るためです。何があってもあなたをお守りするように王から言いつかっています」
「まぁ、まぁ、そんなところにしてくださいねー。リュミエール、あなたにティムカのことを言わないように言ったのは私なんですよー」
「では、なぜ今は教えてくださるのですか?」
「誰かに見られているとわかったら自由に行動しにくいですよね。でも、これからあなたは家庭を持たれ、王子としてアクア王の補佐をする立場になります。 ティムカのような人を遣わなくてはいけないことも出てくるでしょう。ですから、丁度良い機会だと思ってお教えすることにしたんです」
「リュミエール様、改めて、どうぞよろしくお願い致します」
ティムカが跪いて挨拶する。
リュミエールは溜息をひとつ吐いて、観念したように言った。
「わかりました。いつまでも子供ではいられないという訳ですね。・・・これからもよろしくお願いします、ティムカ」
「はいっ! リュミエール様!」
「あー、それじゃあ、報告の続きをお願いできますかねー」
ふたり出会いを報告するティムカの横で、顔を赤らめて聴き入るリュミエール。
明日、会う約束をしたのはやはり、妻になるかも知れない人なのだ。
『縁とは不思議なものですね』
リュミエールは明日が楽しみになってきていた。


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