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シャフタマ収容所はスペースが四角でした。私が通訳班当番に行ってから末次兵長(通訳)
と一緒に歩幅で計りました。
メジャーが無く、1歩を75センチに換算し、いい加減なものでした。
末次通訳は衛兵所で作業に行く人数をソ連兵と一緒に数えていました。ソ連兵には数が分
らなくなる兵士が多かった。また(末次兵長は)ソ連将校・兵隊に人気があり、衛兵所で
ギターや手風琴をソ連兵と楽しんだりしてました。
シャフタマに収容され作業割が出来ない間は毎朝東に向って遥拝をして居りました。
作業に行く所が決まるまで何日も掛かり、その間は食べてはゴロゴロ終日遊んでいました。
(解説)
此処に1500名(正式には1名満洲で脱走した為1499名ともある)収容されて居た
わけです。日本人が入る前はドイツ人捕虜が居たようで、収容所も赤斜線の部分は後に
拡張して、5角形になったもの。
日産トラックが1台あったと他の方も言われています、満州からの戦利品でしょう。
有刺鉄線に近ずいて射殺された方があるとの記載も複数の方から聞きました。
スケッチの下に日本人墓地があります。此処に56名(他に54名説と四十七士と覚えている
との説もある)が埋葬されて居る。しかし幅300メートル、高さ50メートルの範囲の中と
分かりながら、その埋葬場所が特定出来ないのです。
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