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130キロ行軍、スレイチェンスクからシャフタマまで昼は汗と埃にまみれ、重さに耐え、
(足の)豆のつぶれに悩み、夜は寒さにふるえて・・・体力の弱い者は次々に落伍して行った。
(解説)
加藤様の抑留記には2泊3日にわたる250キロの悲愴な行軍・・・とあり、柴谷様はスレチェンスク
より80キロ奥地、3日目夕刻に漸く到着した・・・とあり、山崎英雄様は自身は病後でトラックの荷
台に乗せられたが、徒歩で4日ほど歩かされた・・・とある。1日中歩いたから4日間とばらばらだし、
80キロから250キロまで色々違いが有るが、皆さんはその後2年から長い方は11年間もシベリア
抑留中、重労働など苦しい体験をされた訳だが、入ソ直後で強く印象を受けられたからだろうか、「こ
の行軍のきつさは今でも忘れられない」と皆さんが口を揃えて仰る。
加藤様はこの時18歳、私の父は36歳であった。落伍者が出ているところや満州で日本人から剥奪し
た物の運搬など実に繊細に描かれている。
距離に関しては厚生省資料が130キロ、私は2003年に「スレテンスクまで75キロ」と看板のある所
から、逆に58キロ走りシャフタマに着いたから、133キロだろうと思っていたが、今年それを再確
認した。正確には133キロ行軍である。
日時に付いては加藤様は9月25日と明記されている、「9月末と云うのに小雪がちらついていた」
などこれも色々だが、厚生労働省資料に収容所開設は10月1日となっている。
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