楽苦画飢13-伐採より無言の帰所

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朝には元気に伐採のラポータ(労働)に行った戦友も現場で不慮の災難に遭遇し夕には戸板に 載せられ無言の帰所であり、夢に見たダモイ(帰国)も適わずさぞ無念であったろう、一緒に 故国の土を踏もうと誓った戦友は、もういない、誓い果たせずくれぐれも残念だと涙。
入所時は将校も作業現場に駆り出されていたが、将校を労働に就かせる事はジュネーブ協定に 拠って禁止されているが、お構い無しであったが6ヶ月位経ってから将校の労働は無くなり、 1年以上経ち一次ダモイ組みが出た後(この組に一部将校が入っていた)我々が作業に行って いる間に、将校が秘密裏にどことも無く収容所より居なくなっていた。
(解説)
ジュネーブ協定(条約)もそうだが、ソ連は1945年8月になって加わったポツダム宣言の 第9条「日本国軍隊は完全に武装を解除されてのち各自の家庭に復帰し、平和的で生産的な生活 にもどることができる」に違反している無法国である。しかしこのシャフタマ収容所は半数の750名が憲 兵隊であった事等から、将校の他所への移送、通訳のストライキ、衛生管理の徹底等あり、その 結果他のラーゲルに比べ死亡者が56人(他に54人説、47人説がある)とダントツに少なくて 済んだ。モリブデン鉱山の勤務も8時間3交代制が4交代制に変更されたとの事。