楽苦画飢19-第2シャフトより収容所を望む

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第2シャフト現場事務所横より収容所方向を望むと小さく遠くに見え、墓標はA林に遮られ見 えなかった。 破砕岩が多く出ていたので未だ残っている筈である。 左斜め下に家が一軒あった。
(楽苦我記)
作業班も削岩士、運搬、足場作りと20名位が1組となり8時間3交代制であったが、21年 末頃よりは6時間4交代制となり22年4月シャフタマを移動する迄続いた。 シャフタマで私は横抗には一度も行かず、第3シャフトには2回しか行っていないので良くは 分らないが第2シャフトに比べ設備は整っていた様であり、竪抗の人員出入はエレベーターで あった。
(解説)
ここシャフタマには3箇所の鉱抗があった。第2シャフトはその中間にあった試掘抗である。 今年ここを訪れたが柴谷様の記憶によるスケッチは見事なほど同じ描写で驚いた、破砕岩もそのまま 焦げ茶色に変色して残って居た。
2003年に訪れた時第2シャフトの下の抗口に案内された、7月7日と云うのに冷気が噴出して、水溜りには氷が張っていた。そこでモリブデンを含む(銀色にキラリと光 る)石片を拾って持ち帰り、山口に帰省の時、何も入っていない父の骨壷の中に収めた。又同 じ境遇の岩手の山下さんに3個送った、我々にとっては高価な御土産より大事な石っころであ る。