楽苦画飢20-さらばシャフタマ

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シャフタマを去るに当り車上より初めて墓の全貌が眺められた。車上では初めて黙祷、同時に 「いつの日かきっと迎えに来るからな」と誓った。
(楽苦我記)
昭和22年4月初め、突然「今日の作業は中止、室内で待機せよ」との事で寝台で寝転がって待つ こと暫し、中には「ダモイだ」と云う者もいたが、殆どの者が何時もの事で、又騙されるのに 決まっていると信用しない。 所持品を持って衛兵所前に集まれと言われ集合すると人員点検 が在り、門を開けられ外に出ると既にトラック5台が待機しており、乗車を促され乗り込むと 直ちに発車、なだらかな斜面を下がって行く、「さらばシャフタマ」で皆の顔は輝いていた。 当収容所でダモイを夢見乍ら空しく命を捨てた同胞五十六名(厚生省資料)が車上より良く見 える、丘陵の左裾近くに埋葬されている墓標が目に飛び込んできたので、同乗者全員が頭を下 げ暫し黙祷をして別れを告げた。
(解説)
柴谷様はここからカクイの造船所に入られ、製図などの仕事をされた後、2ヶ月後にチタ市内 の第2分所に移られ、3年余のシベリア抑留生活の後、ナホトカから昭和23年11月に帰国 された。 これから先はシャフタマではないが、まだシベリア抑留は続く・・・