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この出張分所には長以下70名の人員で構成され警戒兵は労働大隊の下士官、兵各1名で食事
は第1チタの本所からトラックにより運搬されていた。
(楽苦我記)
第2チタ分所 − 私達70名は労働大隊所属の警戒兵下士官と兵2名に引率され徒歩でイン
ゴダ河に架かる橋を渡り、第2チタに行き貨車の引込み線を横切り三叉路に至り、右に折れて
無舗装の道幅10メートルの道を進み、左に有刺鉄線の張り巡らされた飛行場が、道に面して
おりコンクリート平屋が10戸並び建ち、道路を挟んで反対側には官舎群があり、私達は其の
手前の有刺鉄線で周囲を囲まれた中にある半地下の屋舎であり、警戒兵は入り口近くに在る飯
場の2階建て事務所の様な所が居室である。
(解説)
スケッチは無いがカクイ(この収容所は海岸でもないのに造船所だった、それだけシルカ河は
大きく交通・運搬に船が必要だった訳である)の後、この第2分所に入るまでに、チタ駅前近
くのソビエト大通に交わるゴルギノワ通歩道の舗装工事をし、建築途中の5階建アパートの煉
瓦運びをし、隣の労働大隊に入れられたりと、ご本人も河を越えてないのでチタ市からは離れ
ていない・・・と書かれている様に転々とされ詳細は不明のようだ。
ここに出てくる日本人捕虜の建てた建物はチタ市中心地に多く見られる、アパートなど古くて
もしっかり出来ているので今でも入居者に人気があると聞いた。
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