楽苦画飢3-目的地不明の行軍

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お互いに助け合った、慣れぬ長靴を履いての行軍であり、足に豆を作る者、靴ずれに苦しむ者が多く 出た。
(楽苦我記)
着いた所はシベリア鉄道の支線でシルカ河の川岸に造船所のあるカクイと言う町である。1週間位造 船所近くに居て、9月18日だと言うのにもう薄氷が張り雪がちらついて来た。シルカ河を平底の連 絡船でスレチェンスクに渡り2日目に「ダモイ・トウキョウ」と出発した。・・・3日目の夕刻に漸 く目的地に到着した、既に先遣隊が来て居り周囲を有刺鉄線で囲みその内側に半地下にある家屋が点 在するシャフタマ収容所である。
(解説)
ブラゴベシチェンスクでシベリア鉄道に乗せられ,ナホトカから日本へ帰国出来ると思っていたら、汽 車は逆の西に向って走った。 途中で汽車の先頭部分はそのままバイカル湖の方へ行ったが、着いた所はまちまちで柴谷様達はカク イ、(シャフタマ滞在1年半の後カクイに移られた方が多い)父達はシベリア鉄道支線の終点スチェ ンスクで降ろされたようだ。 このスケッチは、スレチェンスクから135キロを2泊3日の行軍の様子である。着いた所がシャフタマ (現在の地名はベルシーナ・シャフタミンスキー村)まで行軍させられた。そこが父の今だ眠る場所 である。 その行軍はとてもきついものであったようだ、その後の抑留で厳寒の中での厳しい労働があったにも 拘わらず、帰還兵の方は皆口を揃えて、「あの時の行軍の苦しさは忘れられない」と言われ、「4日間 昼夜兼行だった」「いや1週間歩かされた」と言われる。 距離135キロは私も確認したが、あまりのきつさに長く感じられたのだろう。