楽苦画飢6-半地下家屋

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建物の半分は掘られた穴の中にあり、穴の縁に沿って盛り土された高さが庇近くまであり、 寒さを凌ぐ様になっている。 主食の馬鈴薯もこの様な建物の中に保管され冬期には凍結しない様に番人が付きペーチカで 温度管理されている、馬鈴薯は凍結すると二度と元に戻らないし食べられない。
(楽苦我記)
半地下家屋(ゼムリャンカ)が7棟程あり、我々の住居で、地上より見ると大きな掘りっ放し で周囲を固めた穴の中に家屋が建てられ屋根と窓の一部が見えるだけで窓からは光が入るよう になって居り屋根裏には大鋸屑が敷き詰められ、雨の少ない風土であるので屋根はトタン、又 は板の重ねられた簡単なものであり、家の中は土足で入った所にレンガ積みのペーチカがあり、 粗雑な木製2段の蚕棚のような寝台が3列の通路を挟み4列作られている。入所当時は室内灯 は無く白樺の皮を燃やして明かり代わりにして居たが、暫くして奉天で電気関係の仕事に携わ って居た伊藤君が工事をして薄暗くはあるが室内に4箇所付けて呉れた。
(解説)
1棟は約250平方メートルで約200名収容されたとある。2段になっているので、一人分 畳1枚分有るか無いかのスペースである。 この半地下家屋は大半の抑留者が引揚げた数日後に崩れたとの残された札幌の山崎様の証言が ある。シベリアにある全収容所はその後証拠隠滅の為倒壊されたが、ここはその後その上に建 物が建てられ、既にその建物が壊れた状態で、60年の時の経過を感じたものである。