ノーバヤ墓地で参加者中我々4人の追悼式を済ませホテルへ帰る前に、チタ第2墓地に寄った。
遺骨収集済みで、墓碑も何もない。
チタ市周辺には5つの日本人墓地があるそうだが、ここは市の北側、幹線道路を入り車でゆっくり
6分進む、地元の大きな墓地の中にある。日本人墓地であったと言う、ささやかな印が欲しい。遺骨
を持ち帰れば良いと言うものではないと思う、白い杭で囲った広いスペースだが地元の墓が侵入し
ている、元もと墓枠だったコンクリートに「26」などと書かれた残骸が転がっていたが、収骨後
のあり方に大変疑問を感じビデオ撮影していて涙が出た。
今年再度訪れた、地元の新しい墓が10建てられていた、「26」もそのままの状態だった。ビデオ
撮影をしていて怒りを感じた
次にチタ市内慰霊碑へ行った。ここはチタ市の中心地。「シベリア出兵の日本軍戦死者の碑」
(1920年建立)とその少し後方にヤゴダ会・同徳台7期の方達のご尽力で建てられた斬新なデザイ
ンの立派な慰霊碑がある。(写真)
慰霊碑の周辺にはビールの空き瓶など捨てられていて、清掃や管理に問題がある。ここは日本人が
1000人以上亡くなった大きな墓地跡地。東京ヤゴダ会会長の藤井さんは夏季チタ市にロングステー
され、週1回ここの掃除をされている。本当にご苦労様です。
昨2006年8月11日当地を台風が襲い、慰霊碑の左後ろの松の木が折れた。
本年再訪し、隣の法律大学の副学長と会った。大学と地区政府の出資で敷地3千平方メートルの周
囲に鉄柵を廻らし、昼間は解放するが夜間は閉鎖、今後同大学が清掃と管理を担当、聖なる場所と
して末永く保全され清潔と尊厳を保つ、との事であった。東京ヤゴダ会もロシア語の説明版を建て
た。
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