2004年8月25日(水)
晴れ、気温は日本の10月中旬と言ったところ。先ずヤブロノワヤ墓地を訪れた。
チタ市の中心地から西へ100キロ、バスで正味1時間。山火事のあった痕跡(焦げた大木がある)
があり、「広過ぎて調査出来ない」と聞き、「広過ぎるはないだろう、変なODAは止めて大規模
な調査をすべきだ」と怒りを感じた。広大な土地で山の向こう遥か遠くを鉄道が走っている音が聞
こえ、送電線は通っていると云うことはこの奥にまだ何かがあるのか?
墓地には碑も何もない、造花が2−3あると云う事は以前誰かが来た形跡がある。祭壇を作り参加
者お2人の追悼式を行ったが、遺骨どころか死亡者名簿にも掲載されていないとの事。
しかし昨2006年ここの遺骨収集が行われ63柱収集され、8月8日に千鳥が淵墓苑へ遺骨引渡しが行
われた。
供養を済ませ、そこから南東へ約1時間走って次のドラビヤンナヤ墓地のある村役場に到着、村長
の案内で墓地に向う、役場から17-18分で行き止まり、2−3分歩いて墓地へ到着。
ここも墓碑も何もない。地面に白い造花が20-30散らばっているのが唯一の目印、その他古い缶詰め
の缶があった。ここは平成3年に日本で一番最初に遺骨収集された所で、平成8年に親族に渡された。
ここで青森からご参加の姉妹の追悼式を行った。最近DNA鑑定でお遺骨が返還されているが、
この時点では未だ55000人中、150人しか身元が判明していなかったと記憶する。
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