2004年8月24日(火)ノーバヤ墓地にて個人追悼式
「追悼文」
このシベリアの地に眠られる、五万五千人余の日本人抑留中死亡のご英霊各位へ
先の戦争で無法の強制抑留により、厳寒の地で、過酷な労働を強いられ、飢えと戦いながら、本当
にご苦労様でした。未だに祖国へ帰る事の出来ない無念さはいかばかりかと拝察申し上げます、本
日ここにご英霊様の遺児団と致しまして慰霊に参り、慎んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈
り申し上げます。
先の敗戦から来年で六十年、人の年齢にしますと還暦ですが、その間の我国は、皆様の掛け替えの
ない命の犠牲により、今日の繁栄が有り、豊かな国に成りました事は、一時も忘れた事はございま
せん。 我々遺児も亡き父を思い、清く、正しい人間に育ちました。そしてこれからも、二度とこ
の様な犠牲者を出さない世の中を作る為に努力致す事をここに改めてお誓い申し上げます。
お父さんへ、
昨年七月、チタ州ベルシーナ・シャフタミンスキー村を訪ね、埋葬推定地で、「母は元気で米寿を
迎えました」と報告し、息子と二人で「お父さんの魂だけでも日本へ連れ帰ろう」とお迎えに来て、
私の長年の悲願を果たせ、安堵致しました。
帰国後母に写真や旅行記を見せて報告致しました、「そこまで良くやってくれた」と喜び労を労っ
てくれました。しかしその母が本年元旦に入院し看病の甲斐なく、三月六日に亡くなりました。悲
しいご報告になりましたが、昨年は調査不十分にも関わらず現地を訪れ、母への報告が間に合った
事が、今と成っては唯一の慰めです。
昨年、お父さんにお約束致しました、埋葬地再調査、遺骨収集、墓碑建設に関しまして、母の看病
供養の為、準備不足で今年は実現出来ず、其の為、今年はこの様な形で慰霊に参りました。一年遅
れますが、これから帰国し、厚生労働省や日本遺族会にお願い致し、来年は、どうでも遺骨収集に
漕ぎ着けたいと考えて居ります。
昨年はあの後六箇所の日本人抑留中死亡者の墓地を訪ねました。今回もこの様に、同じ境遇の方と
ご一緒にチタ・イルクーツク地区の慰霊に訪れて居ります。これからも毎年の追悼法要を捧げに参
りますと共に、このシベリア強制抑留問題を風化させない為の活動を続ける事をお約束致します。
尊い御霊に対し、どうか、安らかにお眠み下さい。
平成十六年八月二十日(原文のまま)
|