都電・荒川線 |
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荒川を代表するとも言える都電荒川線。全29停留所(または停留場。駅じゃないよ!)の内、12停留所が荒川区にあり、まさに荒川区横断路線となっています。車庫も区内にあります。かつては42系統もの都電が都内を走っていましたが、昭和40年代のモータリゼーション(自動車が激増し、道路面を走行する都電の運行に支障が出てきた、と同時に都電が厄介者扱いされた。)によって、次々と廃止され、昭和47年11月12日には27番線の一部と、32番全線を残し全廃されました。両路線はもともと一部重複していましたが、27番線の短縮により一本の路線となっていたこともあり、昭和49年(1974)、「荒川線」と呼称されるようになりました。 その後、存続運動のかいもあって、廃止延期から存続が決定し、昭和53年(1978)よりワンマンカー(運転手・車掌の2名体制から運転手の1名体制への変更)となって運営されています。この時より、「クリーム色のボディに赤帯」の塗装から、「クリーム色のボディに青帯」の塗装に変更されました。当時、高校生だった私は、荒川車庫裏で1枚の写真をとりました。バカチョンカメラでしたので、あまりよく写っていませんが、そこには3台の都電が並んでいます。左側が赤帯、真中は帯なし!、右側が青帯でした。塗装前・塗装中・塗装後の3両だったのだと思います。なお、塗装色は、現在では、都バスと統一イメージのグリーンとなっています。 ところで、今、路面電車が見なおされていますね。建設費が安価で(地下鉄の10分の1以下)、公害の少なく、お年寄りが気軽に利用できる身近な存在として再評価されているようです。外国ではLRT車(入口のステップが低床であるのでお年寄りも安心!、低公害な乗り物)の人気が路面電車を後押ししてます。日本でも各地で復活計画・延伸計画が検討されてます。もちろん、荒川線も同様です。三ノ輪から南千住へ、そして浅草へ。また、早稲田方面では、高田馬場や新宿へ、という意見があります。 ●停留場新設・・・2000.10頃の予定で、「荒川一中前」が三ノ輪橋〜荒川区役所前間に開設されます。 |
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この追い風に乗って、都電博物館を車庫内に作っちゃえ!と思っています。現在運行中の、8501形・8500形・7500形・7000形とは別に、イベント用として活躍中の6000形・応急車の旧7500形が各1両保存されています。更に5501形(PCCカー)も置かれているのです。この車両は動きません。長いこと、上野動物園内の不忍池脇で余生をすごしていた車両です。かつての系統番号1:上野−品川を走っていた花形電車でした。アメリカの期待の新型路面電車・PCCカー(President’s Conference Committee)のコンセプトを真似して登場したので、PCCカーという愛称がつきました。今見ても何か風格の違うスマートな車両ですが、残念ながら保護のためかカバーがかかっているため、その姿を拝むことはできません。確かにかなり傷みが目立ちます。幼い頃、その姿にひかれましたが(現役の姿は知らない。)、動物園の改修とともに姿を消し、残念でたまりませんでした。それから数年後、何気なく車庫に寄ってみたら・・・びっくり!でした。まさか、地元にいたなんて・・・。そんなPCCは荒川線の車両ではありませんでしたが、都電の歴史においても注目される存在ですので、ぜひリメイクして殿堂入りしてもらいたいものです。電動入りして走ってくれればもっとうれしいけど。ちなみにクリーム色に赤帯の塗色は、このPCCから始まったのです。 [運賃]全線大人160円・こども80円 |
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[沿革]都電荒川線は王子電気軌道株式会社の王子電車が出発点である。通称:王電は大正2年(1913)に三ノ輪橋まで開通した。その後、昭和17年(1942)、戦時統制で東京市に統合され東京市電気局管轄となる。王電船方車庫も市電荒川営業所と変更された。翌18年、都制施行により、東京都交通局管轄の都電となる。昭和42年(1967)から昭和47年(1972)にかけて都電が撤廃される中、現行の路線が生き残ったのは、大半が専用軌道であったことによる。もともとの市電が市内各道路を走る路面電車であったのに対し、併合された側は郊外の専用線を走っていた。王電のみ生き残り、都電の歴史を引き継いでいるのは皮肉なことである。 | |||||||||||||||||||||||
[付記:荒川の都電]荒川区内では、現荒川線(旧27系統・32系統)の他にも南千住地域にかつて都電が走っており、荒川車庫の他にも車庫が存在した。(旧21系統・22系統・31系統と南千住車庫) なお、都電ではないが、都営電車の一系統として、トロリーバス(103系統・104系統)が存在した。トロリーバスは法規上、レールの無い電車(無軌条電車)という類のれっきとした電車である。荒川区内では2系統が敷設されていた。
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[車両] | |||||||||||||||||||||||
8500形8503
久々の新造車である8500形は最新車両であ る。写真は都電荒川線25周年の装飾を施した もの。平成3年デビュー。 【平成11年(1999)10.7】 |
8500形8501 8500形の中で第1号である8501はその後の 8500形と構造が異なっていた。後に改造。 平成2年5月デビュー。 【平成11年(1999)10.6】 |
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7000形(更新)7005 ボディー等を更新した。まるで新造車のようであり、 その斬新なスタイルはローレル賞を受賞した。 1面窓が画期的だった。クリーム+青帯から塗色 が変更された。 【平成11年(1999)10.6】 |
7500形(更新)7513 元の7500系(改造)のフォルムを踏襲した。 【平成11年(1999)10.6】 |
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6000形6152 ただ1両の6000形現役車両。一度は引退し応急 車として車庫で控えていたが復活。イベントで活躍。 愛称は一球さん、照明が1基だからです。昭和24年7月製造。 【平成11年(1999)10.7】 |
7500形(改造)7504 7500系の外観をほぼ残している。入口脇の鉄板やステップの高床化など、ワンマン化にともない改造した。現在は応急車として待機。 【平成11年(1999)10.7】 |
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[年譜]
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