Volume 6

出雲大社にお参り

私は神社やお寺参りをするのが結構好きである。お賽銭を投げて手を合わせるとそれだけで自分の願いががなえられるのでは!?という錯覚におちいるのが好きなのか(笑)。しかしそれは単なる気休めであることもまたわかっているが、今回ばかりは「気休め」にもならない?「親の骨かじり」事件に続く神社でのお話。

大学の三年か四年のとき(どちらかは忘れた)、海洋センターの同期(通称:BBS=これでババーズと読むらしい、今でも認めたくないが)三人組で私の妹のところに遊びに行こうということになった。妹は大阪からはるか遠く!島根・松江で大学生活を送っており、島根=「出雲大社」に行こうということになった。

「出雲大社」といえば神無月には全国の神様が集まってくる神社の親分である。神無月(10月)は「出雲大社」にとっては「神有月」なのである。行った時期は残念ながら神無月ではなかったが、それでも立派な神様が祭られているので、そりゃもう願い事は必ず聞いてくれるのではないかととても楽しみにしていた。

ニャ「『出雲大社』ってすごいデカイんかな〜」

妹「大きいと思うよ。」

ニャ「何でも言うこと聞いてくれるかな〜」

妹「それは知らん!!(笑)」

そしてBBSプラス妹と出雲大社に到着。「出雲そば」にひかれながらもまずお参りをしてから、ということで境内へ。まず大きなしめ縄を発見する。

ニャ「こりゃ〜でっかいしめ縄やなぁ!!しかし、しめ縄にいっぱいお賽銭挟まってるで。どんくさいヤツもいるもんや。お賽銭はちゃんと賽銭箱に入れな。

や「ホンマや、わはは〜」

ち「ここでお願いしといたらご利益あるかな〜」←いまだにないらしいが(笑)

しめ縄は賽銭箱の上に飾られているのだが、小銭がたくさん縄の間に挟まっていた。わざと?としか思えないほどのコントロールである!

ニャ「さて、奮発してお参りするぞ〜」

財布の中から100円玉(奮発)を取り出そうとして、私は昔、海洋センターの職員だったMさんに言われた言葉を思い出した。

(M氏「5円玉を入れるのは『ご縁がありますように』やろ、お前の場合はそれでは効かへんから、45円分入れて『しじゅうご縁がありますように』ってお参りしとけ(笑)」)

ニャ(そういや、5円玉の方がいいのかな?45円と言われてもなぁ〜そんなにしょっちゅうご縁があっても大変だしね!一ついいご縁があればそれでよいのだ)

そこで私は5円玉を握り締め、賽銭箱へ投げ入れた!!…と思ったのは私だけで、実際にはお賽銭は賽銭箱の角にヒットして、ご丁寧に私の足元まで転がってきたのであった。

ニャ「……お賽銭返却?」(?)

みんな「!!!(爆笑)」

5円ではやはり少なかったのか!100円の方がよかったのか!!という後悔の念が私を襲う。神はこんな私のささいな願い事を受け付けないとは。悔しいのでその5円玉を拾いなおして、賽銭箱の真上までいって再度入れた。

ニャ「これでよし!」

みんな「そうかぁ〜?(笑)」

これでよいのだ。必ず願い事はかなうだろう、と信じている。しかしそれはまた気休めでもあるのだ。そうこうしている間に月日はずいぶん経った。モチロン願い事などかなっていたならこの事件簿には登場することはないのである。

おしまい。

(オマケ)私はどうも神社・お寺とは相性があわない(相性なんかあるのか知らないけど)。京都の清水寺の中にある「地主神社」(恋愛の神様として有名)に張り切ってお参りしようとして、財布から小銭を出したら、なんと500円玉(奮発しすぎ)だったので、あわてて100円玉(モチロン奮発)に交換したが、やはり何の効果もいまだもってない(笑)。願い事をかなえるお地蔵様で有名な京都・鈴虫寺でも「願掛け」したが、神奈川に引っ越してしまったせいなのか?こちらも何にもない。注)ここのお地蔵様に「願掛け」するのには住所を一緒に連絡しておかないといけないのだ。それでもニャロメは行く〜幸せを求めて?