“目から鱗”の「慣性力」
(1)慣性力とは何か
1) 電車が加速すると、乗客は後ろにのけぞります。
体を後ろに引っ張るこの力を「慣性力」ということは聞いたことがあると思います。
これは、いかなる物体にもそのまま静止ないしは等速度運動を続けようとする性質がある(慣性の法則)
からです。
2) では、加速する電車の窓から外を眺めると、例えばプラットホームに立っている駅員が後方に加速しながら
飛び去って行くのが見えますよね。これはどうしてですか。
大抵の人は「本当に加速しているのは電車(乗客)であって、
駅員が後方に加速しながら飛び去るのは、単にそう見えるだけだ。」と答えるでしょう。
しかし、観測者である自分をあくまで不動の立場に置くならば、
駅員が後方に加速しながら飛び去って行ったのは駅員にある力が働いたからだと考えることもできます。
電車内の自分の体を後ろに引っ張る力と同様の力がプラットホームの駅員にも働いたと考えるのです。
そして、その力を「慣性力」といいます。
3) つまり、加速度座標系から見れば、
観測される物体がその加速度座標系上に乗っていようといまいと(=ともに動いていようといまいと)
その全ての物体に対して慣性力が働きます。
そう考えることによって、加速度座標系上でも慣性座標系上と同様にニュートンの運動法則が使えるのです。
上述の場合、プラットホームの駅員が後方に加速しながら飛び去るのは慣性力のみが働くからであり、
電車内の自分の体が後方にのけぞりながらも所定の座席に留まっているのは、
慣性力と逆方向でこれと大きさが等しい力を電車から受けているからです。
4) 電車の外の静止物体にまで慣性力が及ぶなんて、意外に思いませんでしたか?
私はこれまでにそのような説明がなされた本を何故か見たことがありません。
そこまで説明してもらわないと、慣性力の概念を正しく理解するのは難しいように思うのですが、どうでしょう。
(2)慣性力と重力
1) 以上のことから、慣性力は思考の便宜上作り上げられた仮想の力にすぎない、とも言えますし、
そういう記述はほとんどの本に見られます。
しかし、私はそういう記述で終わってしまっては誠につまらないと思うのです。
決して「慣性力」を所詮仮想の力にすぎない、なんて"馬鹿"にしてはいけないと思うのです。
と申しますのは、本当の力と思われているもので、この慣性力とそっくりの力があるからです。
それが何かわかりますか。
そう、重力です。
これも、あらゆる物体に作用し、その大きさはその物体の質量(重力質量=慣性質量)に比例します。
慣性力が仮想ならば、重力も仮想かもしれません。
この重力と慣性力の等価性に着目し、
重力を慣性力に置き換えることができるという等価原理を提唱したのが、かのアインシュタインです。
エレベーターの思考実験による説明が有名ですが、この等価原理こそが
重力による光の湾曲を予言し、一般相対性理論を確立する足掛かりとなったものであり、
アインシュタイン自身もこの発想を「我が生涯で最もすばらしい考え」と回想しています。
2) 物理学史における思考の便宜上の産物といえば、もうひとつ思い浮かぶものがあります。
電場・磁場です。⇒電磁気学に関する式を覗きたい人はどうぞ。
当初はクーロンの法則を扱いやすい形にするために便宜上作り出された思考手段にすぎなかったのですが、
後に電磁波の存在で、実在であることがわかりました。
また、数学史においても、当初単なる思考の遊戯にすぎないと思われていたものがその後、
物理現象の本質にも拘わる理論として発展した例として、複素数や非ユークリッド幾何学などがあります。
もしかすると、この大宇宙は実像と虚像が混沌として存在する世界なのかもしれません。