チャナッカレ→イスタンブール
9月 4日

アジアからヨーロッパへのフェリーの旅で、子供たちと大騒ぎ
 チャナッカレからフェリーで、ダーダネルス(チャナッカレ)海峡をヨーロッパ側に渡る。
 
 フェリーで、アンカラから来た団体客と一緒になった。
 子供・お兄さん・おばさん・おばあさん達という組み合わせで、ご近所一同での旅行という感じである。
 子供たちがデッキにいる私たちをしきりに覗いているので、手を振って声をかけてみると、何人もでデッキに上がってきた。もちろんトルコ語は話せないので、日本で買ってきた「指さし会話帳:トルコ語版」をとりだし、まさしく本の中に載っている絵とトルコ語と日本語を指差しながら話を始める。

 これは、結構盛り上がりました。
 僕の名前は○○とか、この子は僕の妹だとか、この人はこの人が好きなんだよとか、次から次へと本のページをめくって伝えたい言葉を捜しながら、話が続いていきます。
 
 「この人はクルド人なんだよ」と屈託なくちょっと年上のお兄さんを紹介すると、そのお兄さんも「僕はクルド人だよ」と笑って自己紹介してくれる。トルコ東南部を中心として、クルド人との紛争が続いている現実との、良い意味のギャップを感じて、こちらまで素直に嬉しい気持ちになってくる。


(H)ツアーの友人は、ビデオカメラに写してあげたり、レンズを覗かせたりして、子供たちを楽しませていました。
  人間は、本当は、イスラエルもパレスチナもクルドも関係なく、生きていけるのではないでしょうかね。 
海峡を渡るカーフェリー

 約1時間でアジア側に渡れます。
 天気が良く、波も穏やかで、子供たちとの大変幸せな時間をこの上で過ごすことが出来ました。
フェリーの上で子供たちと

 元気で素直なみんなです。やっぱり子供たちに良い未来を残したいし、偏見と争いのない未来を築いてもらいたいな

(H)子供たちは、とってもかわいく?美男・美女。
 でも、おばさんになると、(私も含めて)みんな貫禄十分。
 おばさんたちも一緒に

 でも、何かちょっと怖そうなおばさんたち...

(H)女性の手がなんだか赤っぽいので不思議でしたが、それは、オシャレの一つで、花や草の染料で、手のひらや指先を染めているそうです。
 あっという間に、ヨーロッパに着いてしまいました。
 左側にあるバスが、子供たちが乗ってきたバス。アンカラから一晩かけて走ってきたらしい。
 みんなさようなら、元気で。


 




 この本で、絵と文字を指さしながら会話?をしました

イェニチェリ軍楽隊のコーサートに、ダッシュで駆けつける
 ツアーのコースには入っていないけれど、お願いして「軍事博物館」のイェニチェリ軍楽隊コンサートに連れて行ってもらうこととした。
 ツアーのメンバは4人だけなので、わがままを聞いてもらってラッキー(^O^)

 15時〜16時がコンサートの時間とガイドブックに書いてあったが、博物館に着いたのは既に15時を超えている。
 ガイドのGさんは、「コンサートは2回あるから慌てなくても良い」と言っている。でもそんなことはガイドブックには書いていない。
 博物館に入ると、遠くから演奏の音が聞こえてくる。ゆっくりなんてしておられない。急げ急げ。

 やっとコンサートをやっている部屋に着いた。屋内での演奏だったので、すごい迫力だ。
 オスマントルコの近衛兵(イェニチェリ)による軍楽隊である。服装も当時のままのようで、すごい刀を持ったり、日本の忍者も着用していた鎖帷子で体を守っている人が仁王立ちしている。
 真ん中に指揮者が立って、その周りを円形でラッパ・太鼓・シンバル等の演奏者が囲んでいる。
 
 戦争のときは、この軍楽隊が演奏しながら行軍していたので、相手の軍隊はこの音楽が聞こえてきただけで、戦意を喪失していたこともあったようだ。
 音楽は、NHKドラマの向田邦子原作「あうん」のテーマ曲でも使われたものが一番有名である。

(H)今回のツアーでは、見物できないかも...と思っていたのに、予定外のラッキーなこともありましたね。

 指揮者を中心にして、素晴らしい音と迫力を表現していました。
 皆ひげを生やして、威厳が溢れています。
 地方の喫茶店でくつろいでいた沢山のおじさんたちとは、ちょっと違う。
ビザンティン帝国が金角湾封鎖に使った鉄鎖


 1453年のコンスタンティノーブル(現イスタンブール)で実施された、ビザンティン帝国とオスマントルコとの戦いで、ビザンティン側がオスマントルコの船が金角湾に進入するのを防ぐために、湾の入り口に張った鉄鎖の一部。
 オスマントルコのメフメト2世は、この鉄鎖を避けて、丘を越える陸上ルートで戦艦を金角湾内に運び、戦いに勝った。
 これにより、東ローマ帝国を起源とする、ビザンティン帝国が11世紀の歴史の終焉を迎えた。
 トルコの人は、アタチュルクが大好きなんです

 アタチュルクの遺品が集められた部屋に掲げられている肖像画。 第一次世界大戦で連合国からトルコを守り、敗戦後に進入してきたギリシャを撃退し、オスマントルコの帝政を廃止・共和制を樹立したアタチュルクは、現在のトルコを築き上げた、まさしく国民の父(アタチュルク)です。(本名は、ケマル・パシャ)

 アタチュルクは、スルタン時代の制度・風習等の西洋化を図り、現在の近代的なトルコを作ってきた。その先見性や公平性は素晴らしいものだったようだ。
 現在のトルコの状況を見ていると、アタチュルクが目指していたものより、少し後退しているのかなという気もしてくる。

ヒルトンホテルの警備は万全!エレベータでどっきり
 イスタンブールでの宿泊は、ヒルトンホテルだ。
 ボスポラス海峡に面した部屋で快適である。これならHも納得してくれているのだろう。

 ヒルトンは米国系なので、もちろんテロの視野に入っているホテルだと思う。構内に入ってくる車は、チェックを受けているし、もちろん入り口では、金属探知機による身体チェックと、手荷物チェックも行われている。

 エレベータ前で待っていると、着いたエレベータのドアが開くと、頭から全身を覆い、目のところだけ少し開いた真っ黒な服を着た女性が出てきて、「ドキッ」としてしまった。
 ずっとトルコを回ってきたが、ここまで完璧に隠した服を着た人を見たのは始めて、服の下に軽機関銃でも持っていそう(映画の見過ぎかも...)。でも、目はすごく美しかったです。

(H)全身を隠しているのは、トルコでも数少ないようです。
 女性でも、とても背が高くて、男性が変装していてもおかしくないかも...と思ったほどでした。

 ホテルの進入路で、自動車チェック(底を鏡で点検しています)
   
 ←ヨーロッパ各地を歩いている様子を中心にアップしています。