盲の君

前編

 

 

 赤茶けた砂塵が風で舞い上がり、道に薄く積もっていく。

 それは整備された街道ではなかった、人々の営みの中でできた道であった。

 細くて、油断して注意を払わねば、たちまち迷ってしまうようなものだ。

 そんな道だけあって、孤影漂然と歩く青年以外は人の姿を見受けられなかった。

 青年はしばらく道を歩いていたが、やがて足を止めると、水筒を取り出し、水を口に含んだ。

 それから視線を細い道先へと向け、

「やれやれ、まだ歩くのですか」

 息をつくと、辟易したように呟いた。

 白い法衣に身を包んだ青年の風体は、さながら旅慣れぬ巡礼者のようだった。

 だが、よく見れば、中肉中背の体躯を纏う旅人が好んで使う厚手の防寒用のマントや白い法衣は砂塵で

 塗装され、無数のほつれやひっかけた跡はありありとしていて使いこまれていることが分かる。 

 腰には一振りの実用性を重視した長剣が下げられ、胸元には傷跡こそ少ないものの、これまた、使い

 こまれてることが分かる革の胸当てがある。

 物知りの旅人がこの青年を見れば、トリ−ルの王国の護国神たる軍神ヴァルギニアスを信ずる聖堂

 騎士と思えただろうが、青年の顔を見れば、そんな考えは吹き飛んでしまうだろう。

 それは比較的整った容貌も、長く、きれいな銀の髪も台無しにするような、ぼうっとした表情だった。

 とらえどころのない表情の青年。

 とても、神に仕える騎士には見えない。

 青年はしばし、霧花に似た、はかなげな薄い青の空を見つめ、疲れを癒やそうと目をつむった。

 再び、風が舞い、青年の栗色の前髪を揺らし、青年の端正な顔を一瞬だけ際立たせる。

 日差しを受けながら、青年は目的地へ向かうことになった経緯を思い返していた。

 

 

「テ・イン・ノストロ・コレジオ・アッピチオ」

 壮年の男、トリ−ル王国国教会の聖堂騎士団長ラレイス司教は前で屈みこむ者に聖音語を投げかける。

 聖音語とは国教会独自に用いられる隠語で、言葉の意味は『汝、我らの同志に迎えいれん』であった。

 それはトリ−ル王国国教会聖堂騎士団入団の誓い、その儀式は朝日に照らされる神殿内にある中庭で

 は行なわれていた。

 言葉を発した者とその前にたたずむ男の周りを剣を下げた聖堂騎士達が囲み、儀式に立ち会っている。

「アイル・シ−ル・ス・ディア・プレイア」

 それに対し、騎士団長の前で控える青年侍祭も答えた。

 意味は『然り、長よ、神の旨のままに従いまする』である。

 やがて、短いやりとりを終えたラレイスは厳粛な顔を崩して、口を開いた。

「ミハイル侍祭、これで、君は正式に聖堂騎士団の一員となった。さっそくではあるが君の所属を告げ

 る。君の侍祭という聖職階級から本来は我が聖堂騎士団において中隊長になるのだが、入団したばか

 りであるので暫定的ではあるが中隊長待遇の小隊長として東方国境に向かってもらう」

「東方国境とも申されましても、一体どこへ?」

「国境近くの村にヤ−ルという村がある。そこに聖堂騎士団の詰所があるのだが、そこに駐在する小隊

 の指揮官になってもらう。任務としては異教徒、野盗、怪物達からの脅威への防護、といいたいとこ

 ろだが住民への奉仕が主となることだろう、ヤ−ルは平和な所だからな」

「支障なければお聞きしたいことがあるのですが」

「何かね?」

 不思議そうに問うミハイル侍祭に対して、ラレイスは辞令を手渡しながら質問をうながした。

「聖堂騎士団は国教会の剣にして、盾たる戦闘集団、そうあるべき存在になのに何故、私はそのような

 場所に派遣されるのですか?」 

「君がのんびりとしてて良さそうだと思ってな」

「はあ、そうですか」

 ミハイルはとぼけたような答えに曖昧にうなずく。

「そんなとこだ」

 ラレイスはその対応を面白そうに見ながら笑いを浮かべた。

 

 

「お前、やっぱり妬まれてるよ」

 出立の為の荷物をまとめるミハイルにベットに寝転がる赤毛の修道士は言葉を投げかけた。

 赤毛の修道士は名をサイアスといい、位階はミハイルと同じ侍祭であり、ミハイルの神官見習い時代

 からの先輩である。

 今は王都サルデスにある国教会本神殿で国教会関連のもめ事の処理役たる審問官を務めていた。

「‥‥‥そうですか?」

 右頬をなでながら、ミハイルはぽつりと呟く。

 あきれたような顔をして、サイアスは再び口を開いた。

「普通、侍祭級の修道士が聖堂騎士団に入団したら、団長率いる親衛部隊に属して聖堂騎士としての経

 験を積んで、然る後に聖堂騎士達百名程を率いる指揮者、中隊長として各地に赴任していくものさ。

 それが最初から地方へ赴任とは期待されてるか、単にお前を困らせるつもりか‥‥‥。俺は後者の方

 の気がするな」

「僕は前者だと思いますけど。ラレイス司教はそれほど人に嫉妬するような人にみえませんでしたよ、

 先輩みたいに毒気はありそうでしたけど‥‥‥」

「おいおい」

「おっと、失言でしたね」

「まったく」

 苦笑しながら、サイアスは身を起こす。

「確かにラレイス司教は若くして聖堂騎士団の総帥となった人だ。だからこそ、お前を地方に飛ばした

 かもしれないな」

「確かにね」

 荷支度の手を止めながら、ミハイルはラレイスの笑い顔を思い出す。

 ミハイルは最年少で神官になって以来、いくつかの功績をあげてきた。

 ラレイスとてそうに違いない、そうでなければ三十そこそこで王国騎士団の二個軍団に相当する聖堂

 騎士団の総帥となれるわけがない。

 そして、年配者の老獪な騎士団幹部からの様々な妨害があったに違いない。

 だからこそ、ラレイスはまだ未熟で若年の侍祭を雑音から遠ざけられる場所に任地させたのではない

 か、とサイアスが指摘したのであり、ミハイルもそう考えていた。

「ところでな、ミハイル」

 口調を変えて、サイアスはニヤリと笑った。

「何ですか?」

「昨日の昼間にな、ラスラ−ド公爵家の一門と名のる女性がお前の赴任地を人事事務の方に聞きに来た

 そうだ」

「は?」

 一瞬、ミハイルには意味が分からなかった。

 しかし、その言葉に訳の分からない不安を抱いた。

「確か、ソフィア・デ・ラスラ−ドといったっけ、茶色の髪の貴族のお嬢さん」

「あっ、ああ、まさか 」

 ミハイルは絶叫に近い声をあげる。

「何でも国教会図書館付属学院から東方にあるラバルディ−ノ学院への転学を考えてますからミハイ

 ル侍祭に伝えてください、と言ったそうだ」

「本当ですか‥‥‥」

「いや、詳しいところは俺もな。だが、あのお嬢さんあきらめは悪そうだな」

「‥‥‥」

 ミハイルはその言葉に思わず絶句した。

 

 

 陽が傾き、影が伸びる。

 鴉の鳴き声が響き、乾いた哀愁の漂う、かすかに残った陽光を蹴散らすかのように風が走り抜け、村

 の大気を夜の色に染めていく。

 シ−ア−ス大陸の中原の国、トリ−ル王国の東方にある村ヤ−ル

 谷間にあって、数百人ほどの村人が、牧畜や農作、村の中心を流れる小川で漁をしたりして暮らして

 いる。

 作物の収穫では質量ともに他の村に劣るが、この村の特産の地酒と村娘の織る織物は近隣随一と評判

 高く、春の初めには東の商人がそれらを買いつけに来るが、その他は平凡かつ平穏な村であった。

 村の存続に関わる危機や村人の手に余るような事件がほとんど発生したこともなく、聖堂騎士団の聖

 堂騎士以外の兵士は存在しない。

 それが、ミハイルがヤ−ルについて知っているすべてであり、そこに到着したのは、陽も暮れようか

 としたとこだった。

「‥‥‥疲れましたね」

 やや、息を荒げながら、ミハイルは辺りを見回した。 

 農夫達が畑仕事を行ない、何人かの者達は釣り糸を垂れていた。

 やや遠くに見える牧地では、牧童達が牛や羊を追い立てていて、チャイム・ベルの音が響いてくる。

 それらを見ていて、ミハイルは前に赴任したことがあるレオネ村のことを思い出していた。

 だが、そのことはミハイルの心中にある悔恨の念をも呼び起こす。

「エィミさん‥‥‥」

 それは野盗によって失われた淡い思い出だった。

 首を左右に振って、ミハイルはそれらの考えを頭から追い出すと、ふと、村から離れた滅びし建造物

 に目に止めた。

 よく見ると、それは古い城跡のようであり、無気味な雰囲気を発散している。

 だが、ミハイルはすでに疲れていた。

 興味を失ったように目をそらすと、村の中へと歩き出す。

 やがて、村の広場へと出たミハイルは谷をかたどった看板をを下げた店へ疲れた足を引きずりように

 して中に入っていった。

 谷の中には一軒の小屋が彫られ、その下には宿屋と酒場を兼ねている店であることを示している。

『谷間亭』でもいうのであろうか。

 扉を開けると、ゆったりとした空間が広がっていた。 

 村人と思える人達は酒を飲みながら談笑にふけり、店の主人らしい老齢の男は客に出すらしい鶏のシ

 チュ−を黙々と木製の深皿によそっている。

「ところで、領主様の跡は盲の若君の方にになるそうだが‥‥‥」

「何、盲の若君が御領主でも、姉君のクロ−ネ様がいれば大丈夫だろうて」

 村人達の話が響いてくるが、ミハイルは気にせず村人から少し離れたカウンタ−の席に座ると注文を

 しようと思い、店の主人に品目を聞こうとして違和感を覚え、表情をかえた。

 店の主人がシチュ−の入った木製の深皿と匙を村人達の席に人数分を置くと、その顔をミハイルへと

 向ける。

「オルシュ司祭じゃあないですか」

 店の主人を見つめながら、ミハイルは思わず声をあげる。

「‥‥‥ミハイルか」

 老人も驚きながら声を返した。

 

 

「オルシュ司祭が聖職から退かれてるとは‥‥‥」

『谷間』亭のベットで横になりながら、ミハイルはつまらなそうに呟く。

 閉店した後、ミハイルと宿の主人、元司祭のオルシュは酒を酌みかわし、話を聞いた。

 オルシュはミハイルが神官見習いとして本神殿にいた頃の剣と体術の師匠であり、本神殿内において

 も屈指の使い手であった。

 数年前、聖堂騎士としてこの地に赴任していたそうであるが、ある事件で体に深い傷を負い、聖堂騎

 士の任務から退き、修道士からも身も退いて、修道士時代に貯めた財産で使い、この地に宿屋を開い

 たことをミハイルに簡単に語り、その日は宿屋に泊めてもらうことになっていた。

 だが、妙に目が冴えていた。

 やがて、何度目かの寝返りのあと、ミハイルは眠ることをあきらめると、簡単な身仕度をして宿の外

 に出た。

 ミハイルはなんとはなしにあちこちをうろつきまわってみたが、やがて、やることもなく宿に戻ろう

 としたが小川の近くでピシャ、パシャという水音に気づいて、足を止めた。 

 聞き違いかと思い、耳をすましてみると、時折、水が跳ねる音が聞こえてくる。

 何かが小川にいるのは確実だった。

 疑念を抱き、ミハイルはゆっくりと歩いていく。

 やがて、着いたが、草と木の陰で見えない。

 ミハイルは何かを呟くと、右の掌に意識を集中した。 

 右の掌にほのかな淡い光が浮かび上がる。

 魔道とは異なる、法の奇跡とよばれる神の至高力の一端であった。

 魔道は使い手が呪文を介した魔力によって力を解放するが、法の奇跡は神の至高力を自らを介して発

 現する。

 その明かりををかざしながら、ミハイルは歩を進めていく。

 そして、明かりが闇を切り裂き、音の正体が明らかとなった時、ミハイルはハッとして足を止めた。

 それは妙齢の女性だった。

 美しく、妖艶と称すればいいような女性が月明りの中裸身で水浴びをしている。 

 美貌はもちろん、細い首、白い肌、ほっそりとしていながら、女らしいまるみと柔らかさを持つ体つ

 きの肢体と身のこなしが成熟した女の香りを匂わせていた。

「あなたもどう?」

 気づくと二人の視線が絡み合っていた。

 だが、女性は驚きをまったく見せず、艶然として謎めいた笑みを浮かべている。

「いえ‥‥‥」

 魅惑的な光景に青年は、しばし茫然としてた目を丸くしていたが、その言葉に女性に対して慌てたよ

 うに背を向けた。

「あなた、この村の者ではないわね」

 毅然した質問が投げかけられる。

「はい、今度、この地の聖堂騎士として参った侍祭のミハイルと申します。どうも失礼しました」 

「そう‥‥ミハイル侍祭ね」

 声が耳元でしたと思った時、しなやかな手がミハイルの両肩を這い、豊かな胸の感触を背に感じる。

 その感触はまるで魔女の呪縛であるかのように思えた。

 ミハイルは必ずしも清廉な修道士ではなかったが、こと男と女の道に関してはうぶであり、女性に触

 れられただけで気恥ずかしく、うろたえていた。

「あの‥‥‥」

「私はこの村の領主フィンロア−ユ・ギルダ−の姉のクロ−ネ、修道士様、これからもよろしくね」

「は、はい、それでは、又」

 ミハイルは何とか返事をすると、肩に置かれた手から逃れるようにその場から足早に去っていく。

 領主家に連なる女はそれを見送ると、持参していた布で体中を拭う。

 拭いながら、ふと修道士の名を呟いた。

「ミハイル侍祭ね‥‥‥」

 先代の法皇を殺した者を見つけだして裁き、村を襲った野盗五十人をただ一人で倒したという武勇伝

 を女は聞き及んでいた。

 そして、それきり沈黙してしまった。

 

 

 翌朝、ミハイルは眠い目をこすりながら、村の一角にある聖堂騎士団詰所を訪れた。

 詰所の近くの閑散とした場所で二十代後半らしい神官が一心不乱に剣を振るっている。

 時折、剣を振るいながら、蹴りをくりだしたり、肘を突き出す動作をしていた。

 どうやら、体術と剣技を組み合わせた武術の練習をしているらしかった。

 やがて、それを終えた神官にミハイルは声をかけた。

「失礼、聖堂騎士団の方でしょうか?」

「そうですが、何か?」

 男は警戒するようにミハイルを見た。

「僕、いえ、私は今度、聖堂騎士団ヤ−ル小隊の小隊長として赴任してきたミハイル侍祭と申します」

「オルシュ司祭の後任の方ですか、私は聖堂騎士団ヤ−ル小隊の副長で神官のガフリ−といいます」

 ミハイルが上官であることを知ったガフリ−は名のって礼をするが、驚いたようでどこかぎこちない。

 さらにガフリ−の値踏みするような視線がミハイルは気になってしょうがなかった。

「ところで、ヤ−ル小隊というのは何人なのですか?」 

 思った疑問にガフリ−は即答した。

「ミハイル侍祭と私、それにあと二名です」

「あと二人は今、どこに?」

「ただ今、この村の領主邸宅に赴き、奉仕しているところです」

「奉仕というと、どのような?」

「領主殿の館の補修です」

「はあ‥‥‥」

 気のない返事をし、ミハイルはラレイスの言う通りの任務になりそうだなと感じた。

「ところで、隊長用の部屋が塞がってるのですが、あと数日は宿屋でお泊まり願えぬでしょうか」

「ああ、構いませんけど‥‥‥」

「それと‥‥‥」

 幾つか実務的なことを話した後、ガフリ−は少し思案するようにして言葉を続けた。

「この村の名士の方に挨拶はなされましたか?」

「名士?」

「いや、それほどの事ではないのですが、村の領主、元聖堂騎士のオルシュ殿ぐらいに会っておかれた

 ほうがよろしいでしょう」

「ふうん‥‥‥」

 それを前置きとしてガフリ−は領主であるギルダ−家の当主はフィンロア−ユ・ギルダ−卿といい、

 最近、亡くなった先代の領主の跡を継いだばかりの青年で、目が不自由な為にその姉であるクロ−ネ

 が執政を行なっていること、村の宿屋『谷間』亭の主オルシュは元司祭でここの元隊長であり、今で

 は村長格であることなどをミハイルに喋ってくれた。

 ミハイルはそれらの話に適当に相槌を打ちながら、小隊の副長というだけあって細かいところに気が

 まわるなと感心した。

 同時に小隊の運営は任しておけば、自らが細かいところに気を回す必要がないようだと感じ、ガフリ

 −の意見は参考にしていいかなと思った。

「まあ、とりあえず、領主の館にでも行かれてはどうですかな」

「そうですね」

 ミハイルは否定する理由もなかったので、その意見は早速、受け入れることにした。

 

 

「新しい聖堂騎士殿を迎えられて幸いです」

「はあ」

 領主の言葉に銀髪の青年修道士はぼんやりした表情でとらえどころのない答え方をした。

 領主邸宅はヤ−ル村から北へ半課(一時間半)ほどのところにあり、雑木林の狭間にひっそりと立っ

 ていた。

 出された茶に口をつけ、ミハイルは部屋の中と前に座る者達を観察した。

 その部屋はなかなかものだった。

 大理石の壁は名工の妙なる彫刻に飾られ、床にはしなやかな黒豹の毛皮が敷かれ、領主家の館である気

 品を感じさせた。

 目前の領主の目は深く閉じられており目が見えないというガフリ−の話どおりのようだ。

 そのことが影響を与えているのか、フィンロア−ユは教養はありそうだが繊弱そうな貴公子で、声に

 は活力が感じられない。

 むしろ、その隣に領主の令夫人のように座するクロ−ネの方がよほど領主の資質を持っているように

 見られた。

 小川で会った時には見せなかった、為政者としての自信が落ち着いた態度として顕在化していた。

 演技かもしれぬが、演技だとしたら天才的な演技者のようである。

 しとやかさを優雅に演出するようにし、観察するミハイルを逆に値踏みするように遠慮なく眺めてい

 た。

「それにしてもありがたい。なんせ、こんな辺鄙な村では勇猛な方が少なくてね」

 くだけたような口調でいくつかたわいのない事を話した後、領主は急に真面目ぶった顔をした。

「この辺では戦はないはずですが、ひょっとして野盗でも?」

 ミハイルも思わず身を固くする。

 領主は首を横に振った。

 ミハイルの予想は外れのようである。

「実は村はずれにある城跡近くで異変が起こっていまして‥‥‥」

 領主にかわって、クロ−ネが口を開いた。

 クロ−ネは領主が行なうべき仕事のほとんどを代行していることミハイルはすでに聞き知っていた。

「城跡を‥‥‥」

 村に入る前に見た城跡のことをミハイルは思い出した。「誰も由来を知らぬ村外れの城跡は、今まで

 危険は全くなく、放っておいたのですが。数年前ほどから、怪しいことが起き始めました」

「怪しいことと言いますと?」

「夜中に変な音が響いたり、明かりが灯ったりと、その程度で実害はほとんどないのすが放置しておく

 のも無気味ですし、解決の為にオルシュ司祭や他の聖堂騎士の方々が動いてくれましたが、いまだ未

 解決でして」

「なるほど、その原因を突きとめればいいんですか?」

「村の者は怯えて、夜出歩く者もいません」

「分かりました」

 ミハイルは二人を安心させるように、力強く答えた。

「今夜にでも見回りをします。城跡を徘徊するものが村を荒らそうとしたら厄介ですしね。しかし、そ

 れにしても‥‥‥」

 姉弟ともよく似ているな、と思った。

 雰囲気と服装とフィンロア−ユの盲目であるが故に常に眼が閉じられているということを除くなら、

 ミハイルには見分けがつかなかった。

「何か?」

 ミハイルの呟きを不思議に思ったのか、クロ−ネが不思議そうな顔する。

「いえ、お気になさらずに。では用意もあるので失礼します」

 そう言うと、ミハイルは立ち上がり、部屋から出ていった。

「たよりになりそうもない方のようですね」

 退室したのを音で確認した領主はため息をついた。

「どうかしらね」

 クロ−ネはミハイルの出ていった扉を名残惜しそうに見ながら、面白そうに呟いた。

 

 

「ところで姉上、密事は程々にお願いします。悪い噂が私の上位者に届いたらやりようはない」

「私がそんな失態を犯すと思うの?」

「いえ、信頼すべき姉君ですから」

 領主は微笑みながら、姉の頬にキスをした。

 

 

「まったく、のんびりとした奉仕活動は一体どうなったんでしょう。騎士団長殿の言われたこととまっ

 たく違いますね」

 領主の館を辞したミハイルは不平を口にしたが、とりあえず、村人やガフリ−に話を聞いてみること

 にしたが、内容的にはクロ−ネの云ったこととほとんど変わらなかった。

 何故なら、調査にでたオルシュにガフリ−以下三名は同行しておらず、村人達も城跡には全然近づか

 ないので参考にならなかった。

 だからといって、オルシュに水を向ければ、

「特に何もなかったはずだ。なんせもう、昔のことだからな。よく、覚えちゃおらん」

 といってろくに取り合ってくれない。

 ミハイルはあきれはてながら、宿の部屋に引きこもるとベットに潜りこんで、すぐに寝てしまった。

 夜にそなえての仮眠だった。

 どのくらい寝ていたのか分からなかったが、ミハイルは部屋の扉を叩く音に気づいて目を覚ました。

「構いません。どうぞ」

 ベットに腰かけてから、ミハイルは応答した。

「失礼します」

 声とともに扉は開かれ、訪問者は部屋へと入ってきた。 訪問者は艶やかな茶色の髪と同色の瞳の愛

 らしい娘だった。

 整った眉目にうっすらと紅がかかった唇、小柄ですらりとして均衡がとれた容姿は美少女と称する足

 る資格を持っているようである。

 だが、ミハイルはそれを確認したとき、戦慄した。

「ソ、ソフィア嬢‥‥‥」

 ミハイルがしぼりだした声は驚きの為かかすれている。

「ソフィアと呼んでください」

 うっとりした表情で少女は訂正をうながした。

 少女はミハイルにとって見覚えのある人物であった。 

 国教会図書館付属学院で出会い、ミハイルを宿命の伴侶と思いこみ、その後も生涯の伴侶になるよう

 に迫られている。

 王国の四大諸侯アレイス・デ・ラスラ−ド公爵の令嬢ソフィアであった。

 ふと、サイアスの云っていたことを思い出し、ミハイルは質問した。

「どうして、ここに? 学院はまだ休みの期間には入らないはずですが‥‥‥」

「ミハイル様のいるところにいたいので、国教会図書館付属学院からラスラ−ド学院に転学しまして、

 ご挨拶に参りました」

 ソフィアはその質問ににっこりとしながら答えた。

 ちなみにラスラ−ド学院とは東方随一の名門学院であり、格としては王国主催の王立学院や国教会本

 神殿が運営する図書館付属学院に匹敵する学院である。

「そ、そこまで‥‥‥」

 するんですか、という言葉を飲み込み、ミハイルは恐るべきものを感じた。

「ところで、ミハイル様、ご決心はつきました」

 ソフィアは甘い声を投げかけながら、ミハイルに近寄っていく。

「で、ですから、その件はお断りしたはずです」

 うろたえ、ミハイルは思わず後ずさる。

「ミハイル様、それは気の迷いですわ。私達は神によって祝福されているのですから」

「いつ祝福されたんですか?」

 見当違いと言えなくもないことを言って、ミハイルは壁際まで退がった。

「出会いの時にですわ」

 ソフィアがさらにミハイルに近づいていく。

 ミハイルは逃げようと左右に視線を向けたがそれよりもはやくソフィアはミハイルを抱擁していた。

「ソ、ソフィアさん、離れてください」

「駄目ですわ」

 困惑するミハイルの願いソフィアははねつける。

 さすがに、力づくで離すこともかなわく、ミハイルは顔を赤くし、凍りついたように硬直していた。

「隊長、時間です」

 その時、ガフリ−がひょいと部屋を覗きこんだ。

「‥‥‥隊長、誰ですか?」

「ミハイル様の妻ですわ」

 弁解する間もなく、ソフィアがキッパリと発言した。

「違います 」

 ミハイルが即座に叫ぶ。

「それでは、失礼します。奥さんもどうも」

 ガフリ−はしばし、きょとんとしていたが自分なりに納得したらしく、すかさず退散した。

「違うんです、ガフリ−神官 」

 逆効果に終わったミハイルの叫びは部屋に空しく響きた渡るのみだった。

 

 

「飲みます?」

 湯気がたつ香草茶をガフリ−はミハイルへと差し出した。

「ああ、どうも」

 ミハイルは疲れたような顔でカップを握り、それをあおる。

 茶の本来の嗜好は緑茶だが、香草茶のほろ苦い味と香りも心地よい。

 あの後、ミハイルは聖堂騎士としての任務があることをソフィアに告げて何とか逃れて、詰所の方で

 準備を整えていた。

「ところで、城跡に巣くうモノは何だと思います?」

「さあ、ただの怪物だとは思えませんけど、もしかしたら何でもないのかも知れません」

「気楽ですね」

「何が何だか分からぬ以上、深く考えても仕方ないでしょうからね」

 すまして答えたガフリ−にミハイルは肩をすくめる。

「ところで、隊長、さっきの方はどなたですか? あのクロ−ネ様に負けないぐらいのきれいな方でし

 たけど」

「ラスラ−ド公爵のお嬢様ですよ」

「へえ、それはすごい。そんな方に惚れられるとは男冥利ですな」

「単なる気の迷いですよ」

 はぐらかすように言い、ミハイルは立ち上がった。

「行きますか?」

「そろそろ行かないとね」

 ミハイルは松明を持ち、詰所から外へと出る。

 すでに村は闇のとばりに包まれていた。

 足元に気を配りながら、ミハイルはゆっくりと歩き出す。

 少しの時間がたち、ミハイルの姿が消えた後、詰所から一人の男が出ていったが、むろん、若き小隊

 長が気づくよしもなかった。

 男は詰所から村の中央にある小川へと向かっていた。

 やがて、男はは目的の人物を見つけると、畏まるようにして報告した。

「‥‥‥青二才の小隊長は城跡に向かいました。すでにすべてのものは私達が処理しておきましたので

 大した報告はないでしょう」

「そう‥‥‥それだけか」

 話にうなずきはしたが、男にとっての真の支配者は満足してないようだった。

 男は困惑した。

 これでは報酬がもらえぬのでは。

 男は支配者の精神的な奴隷たった。

 何としても歓心を買うべく、話を継ぎ足すことにした。

「そういえば、青二才に客が参っておりました」

「客?」

 支配者はわずかに好奇の色を表情に表わしたので、男はさらに言葉を続けた。

「大貴族ラスラ−ド公爵の娘とかで、なかなかの美少女でして、今はオルシュの老いぼれの宿にいるは

 ずです」

「ふうん、なるほど」

「きっと、お気に召しますよ」

 妙な期待で男の顔がゆるんでいた。

 支配者は心の中で男をあざ笑いながら、男の手に肩に手をやるとゆっくりと唇をあわせる。

 男は歓喜の感情に満ちていた。

 それを見やりながら、支配者は報告された内容を吟味していた。

 獲物はどちらも極上の者。

 それを最後の獲物に。

 支配者は妖艶な笑みを浮かべ、楽しげな声をあげた。

 

 

「特に何もないようですね」

 壊れた城跡をほとんど探索し終えたミハイルは、土台の一角にしゃがみこんで休みこんでいた。

 城跡のほとんどは土に埋もれ、壁や城壁の一部が突き出ているのみだった。

 投石機やバリスタなどの防城用の設置武装も風化が激しく、原形をとどめておらず、積み重ねた石組

 みからは雑草が顔を出している。

 無気味な雰囲気は確かにあったが、これといって怪しそうな存在はなかった。

 ミハイルは傍らに置いた松明の炎を見つめ続けていた。 

 ヤ−ルの村はかつて、赴任したレオネの村に似ていた。

 レオネの村は野盗の火によって壊滅し、ミハイルは好意を抱く一人の女性を失った。

「エィミさん‥‥‥」

 脳裏にその姿を浮かべる。

 幼さを残した顔立ちの娘だった。

 続いて、ソフィアの顔が浮かび上がった。

 外見こそ違うが二人の雰囲気はそっくりだった。

 屈託のない愛らしさはこの上ないものであった、だからこそ、ミハイルは拒絶し続けていた。

 体の奥底に眠る呪われた本性。

 それが実体化したことは何度もあった。

 冷酷で死と戦いを求めるもう一つの自分‥‥‥。

「‥‥‥誰ですか?」

 不意に城跡の外にミハイルは気配を感じた。

 気配に警戒しながら、立ち上がり、松明をかざす。

 すでに右手は腰の長剣にあった。

「怪物ではないぞ」

 声はすぐに返ってきた。

「オルシュ司祭‥‥‥」

「とりあえずその長剣をしまえ。物騒でたまらん」 

 無愛想に老人は発言した。

 

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