盲の君

中編

 

 

 

 轟然と震えやまぬ木々、水かさを増し激しい流れの小川

 厚い雲の連なりから、雷光が閃く。

 横ざまに吹き込む風によって容赦なく激しく降る雨がガラス窓を叩き、大地を濡らしている。

 突然、到来した嵐によって、館の外は荒れ狂っていた。

「すごいな」

 椅子にいるオルシュはガラス窓越しに外を見て、誰とはなしに語りかけた。

「そうですね」

 たまたま、オルシュの近くにいたガフリ−が応え、広間の中を見回した。

 領主のフィンロア−ユ・ギルダ−卿、その姉にして領主後見人のクロ−ネ嬢、本日の主役ミハイル侍

 祭、ゲストたるラスラ−ド公爵の息女ソフィア嬢に村の村長格オルシュ老人、それに自分と部下の聖

 堂騎士ゲインとマイクスはおのおの思い思いの場所でくつろいでいた。

 時折、領主家の執事ド−ルスや小間使いのテラレットが部屋に入ってきて、部屋にいる者の飲物の世

 話などをしている。

 城跡を調べあげ、報告に来た新任の小隊長の労をねぎらう為にフィンロア−ユはその翌日にミハイル

 とそれに関わる者達を呼んで、ささやかな宴を行なっていた。

 天候はあいにくの嵐であったが、領主の館はそれなりに頑丈になっているのでわずらわされることは

 なかった。

 もっとも、村人の家は嵐によって被害が出てるかもしれず、嵐が去れば、聖堂騎士達は住民に対する

 奉仕を行わなければならないかもしれない。

「ミハイルさま、あいにくの天気ですね」

「そ、そうですね」

「私は雷が苦手なのですが、ミハイルさまは平気なのですか?」

「ええ、そんなには」

 ミハイルとソフィアはたわいのない話をしながら、少女は修道士に接触すべく、修道士は少女から離

 れるべくせわしなく動いていた。 

「ミハイル侍祭」

 そんなことしてる際にミハイルに声がかけられた。

 声の主は大柄な男だった。

 そして、その傍らにはやや小柄な男がいた。

 ともにガフリ−よりは年は下のようだがミハイルより上のようで、白い法衣を身につけている。

 ミハイルの部下たる二人の聖堂騎士のはずだった。

 この村に来てから、たまたまなのか、小隊の部下たる二人のことはガフリ−から聞いていたがミハイ

 ルはまだ言葉を交わしていなかった。

「失礼、まだ小隊長殿に挨拶をしてないので声をかけたのですが、ご迷惑でしたか?」

「いえ‥‥‥」

 ミハイルはそういうと、さりげなくソフィアから離れた。

 ソフィアは機嫌の悪そうな顔をし、プイッと顔をそむけるとその場から離れていく。

「お怒りのようですね」

 面白そうにソフィアを眺めながら小柄な男が口を開く。

「いえ、大丈夫ですよ。それより初めまして、ヤ−ルの新任の小隊長として参ったミハイル侍祭です」

「いいえ、こちらこそ、私は神官見習いのゲイルです。力だけが取り柄ですがよろしくお願いします」

 大柄な男は頭を下げ、大きな声で挨拶をする。

「俺は‥‥‥失礼、私はマイクス、位階はゲイルと同じ神官見習いです」 

 マイクスも礼をしながら、自己紹介をした。

 実に対照的な二人だった。

 参考に戦い方も聞いてみれば、ゲイルは斧を使って一撃必殺でカタをつけ、マイクスは小剣を用い素

 早さをいかして一気呵成の鋭い攻め方をするとのことだ。

 話しながら、年少者の自分にに対してのやりきれなさはないようで仲良くやっていけそうだとミハイ

 ルは感じていた。

 

 

 一方、ミハイルから離れたソフィアは執事のド−ルスより蜂蜜酒を受け取ると、他の者とは接さずに

 それを飲みながら、やや恨めしげにミハイルを見ていた。

「‥‥‥ミハイルさまのバカ」

 大貴族の令嬢は誰にも聞こえぬくらいの声でささやく。

 父が上級貴族ということもあって、転学は簡単に行なえたが、王都から移るにあたってソフィア付き

 の家臣や侍女が数名と二十名からなる護衛隊がついていた。

 それらを振り切って、ソフィアはヤ−ル村に来ていた。

 今頃、ソフィアを探しで大あわてであろう。

 それらの者に悪いと思ったが、ミハイルの側にソフィアはいたかったのだ。 

 それなのに応えぬ修道士にソフィアは心の中でいらだちと不満を抱いていた。

「ソフィア・デ・ラスラ−ド嬢」

 背後からソフィアに声がかかる。

 驚いたように振り向くと、そこにいるのは礼装を着たヤ−ルの領主だった。

 領主の両目は深く閉じられている。

「紹介が遅れて申し訳ありませんでした。私はフィンロア−ユ・ギルダ−、王国より騎士の位を賜り、

 ヤ−ルの領主を務める者です。フィンとでもお呼びください」

 慇懃な態度で『盲の君』は口上を述べる。

 ソフィアもフィンロア−ユも貴族ではあるが、ソフィアが貴族としては最上位である公爵家の直系の

 身分であるに対して、フィンは爵位としては最下位に位置する騎士であるために同じ貴族であっても

 言葉遣いも態度も敬意を払ったものになっていた。

「我が家の宴の招きに応じていたただいて光栄の至りです。ギルダ−家当主として感謝の意を述べさせ

 ていただきす」

 一層へりくだって、フィンロア−ユは頭をさげる。

 爵位も違ければ、勢力も段違いのラスラ−ド公爵家の令嬢に礼を尽くしても尽くしたりないといった

 感じだった。

「こちらこそ、フィンロア−ユ卿。貴家の厚意に心から感謝させていただきます」

 いらだつ心と裏腹に、ソフィアは微笑を讃えつつ、ギルダ−家で拝借したドレスの裾をつまみあげて、

 優雅に一礼する。

 その様子を遠くからクロ−ネは見ていた。

 

 

 やがて正式な宴の開催の刻限、晩時課となり、ド−ルスとテラレットによって広間と続きの部屋で

 ある食堂に卓や椅子が置かれ、ガチョウの蒸し焼きをメインとして様々な贅を尽くした料理や蜂蜜酒

 やエ−ルを初めとした飲物を並べられた。

 食堂はやや手狭な感じであったが、広間とあわせると領主の邸宅だということもあって全員がゆった

 りとできる空間は保持されていた。

 かなり自由な形態での宴らしく卓や椅子は無造作に置かれている。

 全員が思い思いの場所にいるのを確認し、領主後見人たるクロ−ネが椅子から立ち上がった。

 赤いドレスが揺れ、一部の者の視線を釘付けにする。

「本日はミハイル侍祭の歓迎の宴ということでお集まりいただいて、皆様には心より感謝いたします。

 宴は朝までとり行なうつもりでございますが、途中でお疲れになった方はご案内した部屋でお休み

 いただいても結構でございます。なお当家ではできるかぎりのことをさせていただくつもりですので

 御用の際は当家の者にお言いつけください。又、当家の者以外の部屋の閲覧、使用も御自由なことを

 述べておきます」

 宴開催の言葉を述べ終え、クロ−ネは優雅に礼すると手近な椅子に腰かけた。

「それでは宴を始めたいと思う。ミハイル侍祭、祝福ををお願いする」

 かわって『盲の君』が立ち上がると、高らかに杯をあげて宣言した。

「ミハイル侍祭の勇気、聖堂騎士団ヤ−ル小隊の慈愛と献身、オルシュ殿の仁徳、ソフィア嬢の聡明さ

 に最高の祝杯を 」

「フィンロア−ユ卿の高潔さ、クロ−ネ様の賢明さ、ギルダ−家の従者の奉仕と忠誠に我らが神ヴァル

 ギニアスの祝福があらんことを 」

 ミハイルが立って、領主の言葉に応じる。

「乾杯!!」

 領主の声に全員が席を立って、その言葉を唱和し、各々好みの飲物を口にする。

 かくして嵐の中での晩餐は開始された。

 

 

 ギルダ−家での宴はささやかなものであったが、質素な生活を送る聖堂騎士達にはなかなかのもので

 あり、オルシュやソフィアもそれなりに堪能していた。

 宴の途中で、ゲイルとマイクスによる闘舞、ソフィアの歌やクロ−ネのリュ−ドの演奏などが行なわ

 れ、娯楽面でも皆が楽しんでいた。

 やがて、皆が思い思いにくつろぎはじめた頃、ミハイルは広間の隅でド−ルスに頼んでいれてもらっ

 た香草茶を口にしながら、ソフィアの姿を漠然と眺めていた。

 青みがかかった白のドレスはソフィアの茶色の髪によく似合い、少女らしい清純さがかもし出してい

 た。

 今は『盲の君』と何やら談笑していて、ときおり、こぼれる笑顔が愛らしい。

 その愛らしさが自分を愛し、野盗によって殺された村娘を思い起こさせる。

「エィミ‥‥‥」

 ミハイルは小さく呟いた。

「こんな隅っこで何ぼんやりしてんですか?」

 話しかけてきたのはマイクスだったが、不意の声にミハイルは少し慌てた。

「気づきませんでしたよ」

「まあ軽捷さが俺の取り柄ですから」

 楽しそうに笑い、マイクスは手にした杯を空ける。

「ところで、ゲイルの奴を見かけませんでしたか」

「ゲイルさん‥‥いや、見かけませんでしたけど、部屋にでも行ったんじゃないですか」

 辺りを見回しながら、ミハイルは答えた。

 広間にいるのはヤ−ルの領主とソフィア、それに自分とマイクスのみである。

 もしかすると、食堂の辺りにいるかもしれないが、ミハイルのいる場所からは様子をうかがえなかっ

 た。

「そうですか、では、ちょっと失礼します」

 マイクスは軽く手をあげると、その場から離れ、広間の奥へと消えていく。

 割り当てられた部屋に行くのか、とミハイルは思った。

 館の客室は一階に二つ、二階に四つあるようで、一階にはゲイリ−とマイクスの部屋が割り当てられ

 ている。

 ミハイルも香草茶を飲みほすと、少し部屋で休もうかと思い、その場から離れて部屋に行くことにし

 た。

 階段を半分ほど上がったところで、ぽんと肩が叩かれる。

 見れば、ソフィアであった。

「ミハイルさま、もうお休みですか」

「ええ、少し疲れたので部屋でくつろうごと思いましてね。ところで、フィンロア−ユ卿は一人のよう

 でしたが大丈夫でしょうか?」

「館の中ならお一人でも大丈夫だとおっしゃってましたから‥‥‥」

 ソフィアの声に耳を傾けながら、ミハイルはちらりと一階を見下ろした。

 フィンロア−ユは広間をうろついていたが、まるで見えているように歩きぶりや身のこなしには危な

 げがなかった。

 あれなら大丈夫だな、と判断し、ミハイルは階段を上がっていく。

 むろん、ソフィアもそれにつづいた。

 階段をあがった左手にミハイルがあてがわれた部屋はあった。

「それでは」

 扉を開けるミハイルの声にソフィアは切なげな眼をしていた。

 もう少し一緒にいたい、眼はそう語っていた。

 その眼を見つめ、ミハイルは思案した。

 首を何度か振った後、口を開く。

「ぼくの部屋でちょっと待っててください。下から飲物と料理でも取ってきますので」

「ミハイルさま」

 決心したかのような言葉にソフィアは嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「テラレット、いいだろう」

「あん、やめて」

 ギルダ−家の小間使いは拒絶していたが、その声には本気ではないようだった。

 戯れ、雰囲気を盛りあげるような調子だった。

「そんなことを言わずに、ね、私は」

 ゲイルは酒が入り、やや興奮している。

 そんな彼を誘惑した短い髪の小間使いは彼好み女性だった。

 領主の館に来た時から、小間使いに声をかける機会を狙っていたぐらいである。

「だめ」

「私が嫌いなのかい」

 しばらく、たわいのない言いあいが続く。

 やがて、服がすりあわされる音、低く洩れる吐息。

「ね、待って、先に浴室に行ってくるから」

 その言葉にゲイルは面白くなさそうな顔をしたが、

「待っててね」

 小間使いのキス一つでゲイルは機嫌を変えた。

「ではお待ちしております、お姫様」

 冗談めかしながら、部屋から出ていくテラレットを見送り、聖堂騎士は部屋の中の椅子に座った。

 これからのことを想像し、彼は満面の笑みを浮かべる。

 その時、グラリと体が揺れた。

「まあだ、酔ってないはずだぞ」 

 自分に言い聞かせながら、ゲイルは床に崩れ落ちた。 

 意識がぼんやりとし、どこか変な感じだった。

「これからなのになあ」

 間延びしたような声がうつろに響いた。

 カチャ、という音がして扉が開く。

「ああ‥‥‥」

 ぼんやりとしながら、ゲイルはそれを見た。

 入ってきたのは小間使いではなかった。

「あ‥‥‥あ‥‥ 」

 全身が硬直していた。

 喉がひきつり、声がろくにでない。

 侵入者の手が高々と振りあげられた。

 その手にあるのはゲイルの武器であり、館にわざわざ持ってきた戦斧。

 それが聖堂騎士の首めがけて振り下ろされた。

 赤い液体が部屋を染める。

 ゲイルの意識は深い闇へ没していき、やがて完全な虚無へと落ちていった。

 

 

 飲物と料理を取りに一階の広間に戻ったミハイルに血相を変えたマイクスが近づいてきた。

 ひどく顔が青ざめ、怯えている感じを受けた。

「隊長、俺についてきてもらえませんか」

「どうか、したのですか?」

 ミハイルの問いにマイクスは何かいいかけ、首を左右に振った。

「まさか‥‥‥」

 ミハイルの眼が険しい光を放つ。

 何となくだがミハイルはある事態を想像した。

「とりあえず、ついて来てください」

 くるりと振りかえると、マイクスは早足で歩き出す。

 ミハイルは腰にある長剣の手応えを確かめると無言でマイクスの後へとつづいた。

 ゲイルは一階の応接室にいた。

 ただし、ものを言わぬ死体となって。

 応接室はむせかえるような血の匂いが広がり、血で濡れていた。

 マイクスの持つ明かりが部屋を照らしだすと、ゲイルの胴体から首と手足が切り落とされているのが

 ミハイルには見えた。

 隣にいるマイクスは息を飲み、感情を押えているようだった。 

 無理もないことである。

 ゲイルはミハイルとは知りあって間もないが、マイクスにとっては一年以上の同僚であるのだ。

 衝撃は小さくないだろう。

 やがて、ミハイルは惨劇の現場を調べるべく、死体に近づいた。

 ゲイルの首や手足を切り落としたのは死体の足元にある血でぬめる戦斧のようだった。

「その戦斧はゲイルが使っていた物です」

 マイクスは戦斧を確認して断定する。

「これはどこにあったのか知ってますか?」

「ゲイルが館に持ってきたのは知ってましたが、どこにおいてあったかまでは‥‥‥」

「そうとすると、誰かが持ち出しておいたかも知れませんね」

「ゲイルを殺ったのはどいつだと思います」

 沈んだような声でマイクスは呟く。

「まだ、分かりません。いずれにせよ」

 ミハイルは首をひねった。

「皆に話を聞く必要がありますね」

「それでは皆に事情を?」

「隠しておく訳にはいかないでしょうね。その前にちょっと調べたいことがありますので、皆に声をか

 けるのは少し待っててください。それと、マイクスさん」

「はい」 

「ぼくは誓います。必ず犯人を見つけ裁くことを」

 告げ終えると、ミハイルは部屋を出ていく。

 決意ある言葉は大きくはなかったが、マイクスの胸に衝撃を与えていた。

 この若い小隊長をマイクスはまだ信頼も信用もしていなかったが、その言葉を果たすであろうことだ

 けは信じられた。

 俺は小隊長を信じ、手伝おう。

 マイクスは死んだゲイルに祈りを捧げながら、決意を固めた。

 

 

 応接室を出たミハイルは広間から伸びる大廊下を歩いて、館の裏口へと向かった。

 ミハイルは扉に近づくと扉とその辺りをも調べてみる。

「ここからではないようですね」

 ミハイルは外からの侵入者がゲイルを殺害したかの可能性を考えていたのだが、少なくとも扉からで

 はないようだった。

 扉には錠が固くおりていたし、もし、いたとして、今は雨が降っているから、廊下が濡れているなり、

 汚れているなり痕跡が少なくても残っているはずだった。

 さらに、ミハイルはゲイルの部屋をのぞいて、窓を確かめてみたが、窓は小さく、大人が入れる程の

 大きさはでないことを分かっただけだった。

 盗人対策の為か、ミハイルのあてがわれた部屋の窓も同様の造りであったことを思いだし、なおかつ

 広間の玄関からも誰も入って来てないことは自分で知っていた。

「外からの侵入者はない」

 呟き、ミハイルは推論を出した。

 館の中の人物の誰かが犯人である可能性があるということに。

 やがて、応接室に戻ったミハイルはゲイルの死体に毛布がかけられているのを見てから、死体の側に

 いるマイクスに声をかけてみた。

「死者への祈りは済ませたんですか?」

「はい」

 はっきりとうなずくマイクスにミハイルは決意の色を見たような気がした。

「ゲイルさんの死体は調べてみましたか?」

「いえ、隊長にお願いしようと思いまして、情けない話ですが手が震えて‥‥‥」

「分かりました」

 落ち着かせるようにマイクスの肩を軽く叩くと、ミハイルは毛布をまくってみる。

 惨たらしい死体だったが眼を背けずに死体のあちこちに触れ細かいところまで調べたみた。

「微かですが唇に紅がついてますね」

「すると犯人は女?」

「いえ、そんな短絡的に結論は出せませんよ。もしかしたら。殺される前に単に女性と‥‥‥戯れてい

 ただけかも知れませんし‥‥‥」

「これはたんに接吻の名残りだと」

「かもしれない、としか言えませんね‥‥‥」

 言葉を選びながら話すミハイルにマイクスは思わず失笑する。

 若くして国教会の英雄と讃えられても、こういうとこではまだ子供だなという感じがしたからだが、

 逆にそういうところにたいしてマイクスは好感を感じた。

「いや、でも、待ってください。この紅?」

 顔に緊張を走らせながらミハイルは死体の唇から法衣の袖で紅を拭うと、慎重に匂いをかいでみる。

「もしかして、ジガバチの体液‥‥‥」

「それが何か?」

「詳しくはしらないんですが‥‥‥」

 前置きしてから、ミハイルは説明した。

「ジガバチの体液は虫自身が獲物を捕獲する際に使う麻痺毒なんですが、虫の体液にある種の薬草を煎

 じると強力な効果がある毒になると、オルシュ司祭が昔、話してくれたことがあります」

「その毒って麻痺毒なのですか?」

「いえ、よくは知らないのですが、ほんの少量ならば媚薬に‥‥‥でも、匙加減を誤ると強力な毒にな

 るとか」

「なら、オルシュ司祭に見てもらえば」

「そうですね」

 相槌を打ち、ミハイルは死体に毛布をかぶせると、部屋から出ていく。

 マイクスもあとにつづき、死体のみが残った。

 

 

 ミハイルとマイクスは広間に戻ると、フィンロア−ユが果実酒を口にしながら、ソフィアの相手をし

 ていた。

 マイクスに呼びとめられた時には、誰もいなかったから、その後に来たのか、と思いつつ、ミハイル

 は領主へと近づいた。

「どなたですか?」 

 近づく気配に気づいたのか、フィンロア−ユが呼びかけてきた。

「ミハイルさまです。フィンロア−ユ卿」

 フィンロア−ユに耳打ちし、ソフィアはミハイルをにらみつけた。

 ミハイルはしまったと思ったが、後の祭りである。

 ちょっとどころか、ずいぶん待たせたはずだ。

 ミハイルはソフィアに軽く頭をさげて謝罪すると、用件を告げることにした。

「聖堂騎士団ヤ−ル小隊長としてギルダ−家当主であるフィンロア−ユ卿に要請したいことがありま

 す」

「何でもどうぞ、宴の主賓はあなただ」

「我が部下であるゲイルが貴家の応接室にて殺害されているのを発見しました。つきましては事件解

 決の為、館内での捜査探索権と尋問権の認可を要請します」

 ミハイルの言葉にフィンロア−ユもソフィアもしばし茫然としていたが、やがて、内容を理解した

 のか、フィンロア−ユが近くのテ−ブルをトントン叩くと、意を決したように訊いた。

「殺されたことは誤りないですか、ミハイル侍祭?」

 ミハイルはちらりとソフィアは見やってから、心を落ち着けながら返答した。

「神官見習いゲイルは戦斧で首、手足を胴から切り落とされていました」

 ミハイルの言葉に座は静まっていた。

 フィンロア−ユは信じられぬというように、首を激しく振り、ソフィアも瞳をうるませ、己の体を抱

 きかかえるようにして身を震わせている。

「事実ですか?」

「神と聖堂騎士団の名誉にかけて」

「分かった、聖堂騎士団ヤ−ル小隊ら対して、先刻の権限を了承する。しかれども、過剰な行動は慎ん

 でください」

 厳かに誓約するミハイルにフィンロア−ユはあきらめたように宣告した。

「では、さっそくですが、皆をここに集めます。そして事情を訊きたいと思いますが、ある程度、固

 まって動かないと危険ですのでフィンロァ−ユ卿は隊士のマイクスといてください。私はソフィア

 嬢をつれて二階いる方々を広間に集合するようにお伝えしてきます」

「なら、私はマイクス殿とド−ルスとテラレットを呼びに行きましょう」

「いえ、それは危険です。もしもですが、テラレットさんやド−ルスさんの部屋に凶悪な者がいたら領

 主殿にも危害がおよぶかもしれません」

「いえ、それぐらいの危険に立ち向かうのは領主として義務です。それにマイクス殿の腕を信用してい

 ます」

 そうまで言われては無下に拒絶できず、ミハイルはマイクスの方を振り向くと、激励した。

「聖堂騎士団の名誉にかけてお守りしてください」

「承知」

 短く簡潔に答えて、マイクスは腰にある小剣に手を添える。

 それは剣にかけてもという意思表示であった。

「それでは、先に」

 フィンロア−ユが歩きだし、マイクスが追った。

 ミハイルはそれを一瞥すると、ソフィアに近づいていく。

 ソフィアはいまだ体を震わせていた。

 人が殺されたという話はこの大貴族令嬢にとっては恐怖を与える事実だった。

 大貴族の令嬢なれば、暗殺の対象とならぬ限り、人の生き死に関わることはなく、無理もないこと

 だった。

「ソフィアさん。いえ、ソフィア」

 震える少女をミハイルは無器用だがゆっくりと抱きしめ、優しく呼びかけた。

 ソフィアはびくっと肩を震わせる。

 そして思いがけぬことに我を忘れ、ミハイルの瞳を見つめていた。

 柔らかい銀糸の髪が、端正で優しげな容姿が、穏やかな黒い瞳がソフィアの前にある。

 それらを前にしてソフィアの体の震えは治まりつつあり、かわりに心臓がせわしなく鼓動しているの

 をソフィアは感じていた。

 少しでも動けば崩れてしまいそうな均衡はミハイルの抱擁が解かれたとき、終わりを迎えた。

 ソフィアはほっとした反面、名残り惜しさがあり、変な感じだった。

 まだ、心臓は激しい鼓動を律動的に繰り返している。

「必ず、あなたを殺人者の手から守ってみせますからついてきてください」

 大きく呼吸したソフィアは魅了されたかのようにミハイルの言葉に従った。 

 二人は階段をのぼり終えると、用心しながら廊下を歩きながら、まずはクロ−ネの部屋に向かう。

 南沿いの東側にある奥の部屋がそうであることをミハイルはすでに確認しておいた。

 領主後見人たるクロ−ネの部屋の扉は隣の領主私室の扉よりも装飾がほどこされており、蛇をかたど

 ったノッカ−がついていた。

 二回ほど、ミハイルがノックすると、少しして夜着にナイトガウンを羽織ったクロ−ネが顔を出す。

 ミハイルは手短かに事情を話すと、着替えて下に来るように話した。

 クロ−ネは一瞬だけ表情を変えたが、了承した旨を伝えると着替えの為に扉を閉める。

 その間に二人はガフリ−にあてがわれた部屋にも行って、同様に応接室の出来事を喋った。

 ガフリ−は部屋の中で寝ていたみたいで眼をしばたかせていたが、話を聞くと表情を引き締め、ミハ

 イルの命令を理解した旨を伝える。

 最後に二人は元司祭オルシュのいる部屋の前に来た。

 場所は北沿いの西側であり、寝ているかもしれないなと思いつつ、ミハイルがノックする。

 しばらくの間、反応を待ったが、出てくる気配もない。

「オルシュ司祭、入ります」

 やむなく、ランプを片手にミハイルは一声かけて、扉に手をかけた。

 客用の部屋は鍵がかかるようになっているが、鍵はかかってないようで扉は簡単に開いていく。

「オ、オルシュ司祭‥‥‥」

 そして、室内をのぞきこんだ修道士は低く呻いた。

「きゃああっ 」

 室内の様子が目に入ったのか、ソフィアも甲高い悲鳴をあげた。

 ベッドに横たわるようにして、老人の姿があった。

 穏やかな風貌の中にあるうつろな眼がミハイル達に向けている。

 その顔の下にある喉はパックリと裂け、赤黒く染まっていた。

「待っててください」

 部屋中を染めた血の色と匂い、激しい悪寒と目眩、それらに耐えつつ、ミハイルは部屋の中に進み

 出した。

 オルシュ司祭、心の中で呼びかけながら、ミハイルは老人を見る。

 すでに絶命していることは明らかだった。

 抵抗したあとは、あまり見られない。

「短剣で喉を裂いた後、喉の中に空気をいれる。それだけでいっさい声が出なくなるらしいぜ」

 暗殺技術というものについて、冗談まじりに先輩たるサイアスにミハイルは聞いたことがあったが、

 剣と体術と師匠であった老人が殺られたからには殺害者は相当の手練なのかと思った。

 ふと、その時、ミハイルはオルシュの右手が不自然に握られている様な気がして、開かせようとする。

 死んだ者は固くなり、腐敗していくというが、力をこめて掌を無理に押し開こうとすると、それはゆ

 っくりと開いた。

 血で何かがそこには書いてあった。

『‥‥‥ア』

 それしか読めぬが、それは殺害者についての手がかりを示している感じだった。

「‥‥‥ア。フィンロア−ユ卿 」

 呟いて、ミハイルはその考えを一蹴する。

 盲いて自由の効かぬ人間にオルシュを殺めるのは不可能のはずであり、なおかつミハイルはフィンロ

 ア−ユが一階にずっと居たのを知っているし、二階に行くのを見ていなかった。

「それにしても、予期していたというのですか‥‥‥」 

 ミハイルは思考の深みに陥るを制し、城跡での話を思い返す。

 

 

「さっき、城跡探索で何も見つからないといったがあれは嘘だ」

 焚火にあたっていたオルシュは急に真面目くさった顔で言い出した。

「嘘、ですか?」

 その言葉に近くにある木切れを放りこもおうとしていた手を止める。

「ああ、久しぶりに、お前をからかいたくなってな。ちと、とぼけてみただけだ」

「人が真剣に聞いた時にはちゃんと答えてくださいよ」

 苦笑しながら、ミハイルは木切れを放りこんだ。

「まあ人生、その程度の余裕は必要だろ」

「聖職を退いてもかわってませんねぇ、その感じ」

「わしはどうあれ、わしじゃよ」

 カカっと笑って、老人は持参のワインを飲む。

「ついでに、お酒好きのところも」

「ぬかせっ!!  十五でワシの限界以上に飲めた大酒飲みが、そらっ」

 オルシュの投げたワイン入りの皮袋をミハイルはニヤリと笑って、受け取ると、軽々と飲みほした。

「村人がお前を見たら酒の神の神官だと思うだろうよ」

「酒はすべて神の力の源、ありがたく神の恩寵を受け給いたまえ」

「まだ、覚えていたのか?」

 あきれたようにオルシュは云った。

「ええ、神学論書第三章六節に書いてある、ありがたい教えの言葉だそうですから、オルシュ司祭の

 云う通りに実践しています」

 二人はその言葉に笑い声をあげる。

 神学論書第三章には五節までしかない。

 つまりは、そんな言葉は存在せず、嘘っぱちなのだ。「さっき、冗談だといったがあの場では話せ

 なかったので、城跡探索した結果を話そう」

 不自由になった足をさすって、老人は真摯な表情をしたので、ミハイルはうなづき、話を聞こうと

 耳を傾けた。

 青年修道士の反応を見ながら、オルシュは辺りを見回して、口を開いた。

「お前のことだ。大体、調べ終えただろう」

「ええ、充分とは云えませんが一応は‥‥‥」

「何か見つかったか?」

「いえ、何も」

「そうか」

 オルシュは疲れたように、ため息をつき、そして当時のことを克明に語る。

「ここを調べに、夜に城跡をおとずれたワシが見た物は無数の光の集まりだった、そして、それらが

 散華した時にワシは意識を失っていた」

「光に襲われたんですか?」

「そうとしか表現しようがないな。怪物殺しどもに云わせると狂った光魂ウィルオ−・ウィスプだと 

 いうらしいがな」

 そう云ったものの、オルシュはどこか信じていないようだった。

「違うと思っているんですか」

「結局、その時にワシは足を不自由になったのだが、大量の光に襲われる前にワシはある人影を見た」

「まさか、その人影の正体を知る為にここに宿屋を立てて?」

「簡潔にいえばな。だが、ワシが知りたいのは何故、殺さずに負傷させる必要があったか、それにウ

 ィスプとやらは何故、この城跡にいたか、など他にもいろいろあってな。剣や体術がロクに使えな

 くなったが、この頭だけをたよりに解決することにした。そして一年近くかかったが、いくつかの

 考えがまとまってきて、確かめる為に行動しているのだが、それを監視されている節があるのだ」

 その言葉にハッとして、ミハイルは辺りの気配を探る。

「心配ない。ワシも怪我し、老いたりといえどそれなりに心得はある。さて‥‥‥」

 話は終わりとばかりに、オルシュは杖をつきながら立ちあがった。

「おしまいですか。もう少し、詳しく知りたいんですがね」

「まあ、まだ人に話すには不確実なものばかりでな。お前だから特別に話したんだぞ」

「分かりました」

 不服ながら、ミハイルはあきらめて返事すると、消えかけた焚火を消そうとする。

「そうそう、毛並みのいい女性がお前を追いかけまわしてるみたいだが、どうやってひっかけたんだ」

「違います 」

 必死になってミハイルは答える。

「師匠に隠さんでもいいだろ」

「だから、あれは‥‥‥」

 しどろもどろに答えるミハイルの態度をオルシュは面白そうに笑っていた。

 

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