佐野自然塾

おみくじ

20110102日付

 

凶は不幸じゃない!? おみくじトリビア2011

 凶が出たらもう一度引いてみる。実はこの経験者です。大吉が出ないかやってみたがダメだった。あまり金を使うのもバカらしいので、まぁついてない日だとあきらめた。記憶では一番初めが凶だったと思う。おみくじとの相性はよくない。失せもの出ずとかロクでもないことばかりが書き連ねてあり、気が滅入った。それで神社に行っても積極的におみくじはしてない。直近では2ヶ月前、奈良の興福寺で引いた。小吉だった。あまりパッとしないが、せめてイヤな思いをせずに済んだ。
 そんなことを気にするのかと言われそうだが、そこは人並みである。ところがくじ運というものがあるとすれば、比較的にある方だ。周辺のものに比べれば、よく当たり券を引く。でも宝くじなどは買ったことがない。中途半端な自信が身を誤ることを恐れるからではない。単純にハズレると悔しいから。君子、危うきに近寄らずだ。
 神仏絡みの話では幼いころ強く影響受けた本がある。決闘におもむく剣豪宮本武蔵が神社に通りがかり、思わず祈らんとした。ハタと気付いて、「我、神仏に恃まず」。これは吉川英治本で有名な下りである。なるほどそうだとえらく感動した。そんなことから、神社に行っても何かにあやかろうとは思わない。私は簡単に影響受けやすい体質らしい。そしてもしカミの神意があるとしても、それは凡夫の思惑を越えたところにある。その程度の敬虔さは持ち合わせている。神意とはそれこそがおみくじのように伝えられ、人の忖度には無縁だ。祈りはそれを前提にして為されている。だから御百度参りになる。賽銭を投げて功徳をし、お加護を願う。それはよいが、あくまでも一方的な人の側の行いだ。
 そこを踏まえれば、武蔵が必勝祈願を止めたのは決して神仏への不敬ではない。祈っても負けるときは負ける。神仏を恨むはなしではない。そうした立場から止めたのだ。神仏に恃むこころに己れの弱さを見たから、これが一般的な解釈である。いかにも薄っぺらい理解だ。案外吉川氏もそのように書いていたかも。再読するつもりもないので分からない。