風の散歩道と井の頭公園

2009年2月




JR三鷹駅南口  JR中央・総武線三鷹駅の南口は、高架のペデストリアンデッキ上にあります。先ずはこのデッキ上を左へ。
JR三鷹駅南口


 すぐに階段があるのでこれを下ります。左手に三鷹駅のホームを眺めながら、そのまま線路沿いの道を吉祥寺方向へほんの少しだけ進みましょう。 三鷹駅前
デッキを下りる


風の道  間もなく木々に囲まれた小川が見えて来ました。これは玉川上水。そして、玉川上水を左手に置いて続く小川沿いの道は風の道と名付けられた散策路です。ここからは、この風の道を歩いて行く事にします。
風の道


 昭和23年、玉川上水のこの辺りで彼の太宰治は愛人と心中を図り入水自殺を遂げます。と、言う訳なんですが・・・ 現在の玉川上水の風景からは溺死なんて想像も出来ません。しかしその昔の玉川上水は、太宰自身がその小説「乞食学生」の中でも人喰い川と記しているほど流れが急で、水深も深かったらしい。 玉川上水
玉川上水


山本有三記念館  三鷹駅前から600mほど歩いて来たあたりの、通りの右側にある瀟洒な洋館は小説家の山本有三記念館です。
山本有三記念館入口


 記念館前にあるこの大きな石。案内板に依ると、山本有三(1887〜1974)が小説「路傍の石」を執筆中の昭和12年頃、たまたま道端でこの石を見つけて自宅裏庭に運び込んだのだそうです。以来、小説に因んで路傍の石と呼ばれるようになりました。 路傍の石
路傍の石


山本有三旧居宅  この記念館は、昭和11年から21年まで山本有三が実際に家族と共に暮らした家がそのまま利用されています。
山本有三記念館 (旧居宅)


 敷地面積が1171坪にもなるこの邸宅の裏側に回ると、静かな庭がありました。この庭は有三記念公園として、一般に無料で開放されています。 山本有三旧居宅
有三記念公園側から旧居宅を望む


記念館内  記念館の中を覗いてみましょう。入場料は大人300円。館内には山本有三についての資料展示とともに、家具や調度品なども当時のままに保存、展示されています。
記念館内


 暖かく柔らかな日差しが室内いっぱいに差し込んでくるサンルーム。当時は子供部屋として使われていたとか。 サンルーム
サンルーム


書斎  これは館の2階にある、山本有三が書斎として使っていた部屋。そしてこの机は、原稿執筆時に実際に使用されていたものです。
書斎


 館内の案内板に依れば、元々この建物は大正15年にある実業家が建てたもので、既述の様にその後の昭和11年、この洋館を甚く気に入った山本有三が購入し、移り住んだのでした。 和室
和室もあります


風の道を進む  山本有三記念館をあとにして、風の道をさらに先へと歩いて行きましょう。この風の道自体が、絶好の散歩スポットです。
風の道を進む


 記念館前から200mあまり、目の前には玉川上水に架かる萬助橋が見えて来ました。前方をはしる道、吉祥寺通りを左折してこの萬助橋を渡り、そのまま進んで行きましょう。 萬助橋
左折して萬助橋を渡る


井の頭自然文化園入口  道なりに歩いて行くと、吉祥寺通りの左側に井の頭自然文化園の正門が現れました。この文化園は都立井の頭恩賜公園の敷地の一部を利用して作られていて、動物園をメインとした施設になっています。入園料大人400円。
井の頭自然文化園正門前


 正門を抜けて冬木立の中の小道を歩いて行くと、木造三角屋根のどっしりとした建物を発見。これは、長崎平和公園内にある平和祈念像の作者としても知られる北村西望(1884〜1987)が、アトリエとして使っていた建物です。 北村西望旧アトリエ
北村西望 旧アトリエ


師範代 (大正9年)  この辺りは自然文化園内の北村西望彫刻園があるエリア。彫刻園内に三つある作品展示館の内部は全て撮影禁止のため、屋外に展示されたブロンズ作品を撮影して来ました。以下の作品解説は、園内で閲覧できる解説資料からの抜粋です。

 この師範代と名付けられた作品は柔道の師範代が練習を見ているところ。
師範代 (大正9年)




 これは、関東大震災で犠牲になった多くの人々の冥福を祈る如来。典型的な仏像にすることを嫌った西望がイメージした、現代の如来像です。 静座-巨人 (大正14年)
静座-巨人 (大正14年)


将軍の孫 (大正7年)  西望の当時3歳になる長男がモデルで、比較的ポピュラーな人気の作品。彼が履いているブカブカの長靴は、西望が作品作りに使うためにたまたま借り受けていた軍靴です。
将軍の孫 (大正7年)


 辻説法をする日蓮。長崎の平和祈念像を作成中に、多くの中傷や脅迫を受けた西望。彼の当時の心情を日蓮の姿にダブらせた作品です。 怪傑日蓮 (昭和29年)
怪傑日蓮 (昭和29年)


人類の危機 (昭和33年)  「原爆」と言う文字が刻まれた箱を、今まさに投げ放とうとしている場面で、大量破壊兵器の愚かさ、恐ろしさを訴えています。
人類の危機 (昭和33年)


 北村西望の彫刻園そばに建っているこの木造の建物は童心居。童謡「赤い靴」などの作詞で知られる詩人野口雨情(1882〜1945)の、吉祥寺にあった旧居宅から移築された書斎です。 童心居
童心居


リスの小径  井の頭自然文化園の大部分を占める、動物園のエリアへ入って来ました。なにやら大きな温室の様な建物がありました。
リスの小径


 この建物はリスの小径と名付けられた施設。中ではたくさんの放し飼いにされたニホンリスが、ところ狭しと辺りを走り回っています。 リスの小径で
リスの小径で


サル山にて  小動物だけでなくゾウやサル、鳥類など、あらゆる動物が飼育されている本格的な動物公園です。
サル山にて


 園内をゆっくり一周して、最初の正門のところへ戻って来ました。正門を抜けていったん表に出ましょう。 自然文化園出入り口
自然文化園正門を出る


歩道橋を渡る  正門を出たら、目の前に見える歩道橋を渡って吉祥寺通りを越えます。
歩道橋を渡る


 やがて大きな池が見えて来ました。井の頭恩賜公園内にある井の頭池です。 井の頭池
井の頭池


自然文化園中門入口  そして池の畔には自然文化園の分園があります。先ほど正門前で購入した入場券は本園、分園の両方に入場出来るので、再度見せてそのまま中へ入って行きましょう。
自然文化園分園 中門


 池の畔の分園内には、水辺の散策路も作られています。 自然文化園 分園内
自然文化園 分園内


分園にて  分園の方もやはり動物公園になっていますが、こちらは魚類などの水生物や水鳥が中心です。
分園にて


 こちらは本園に比べると4分の1程の広さ。中をひと回りしたらさっき入って来た中門を抜けて、分園をあとにしましょう。 中門を出る
中門を出る


井の頭池と弁財天  このあとは折角なので、井の頭公園の中心となる井の頭池の周りを散策してみましょう。
井の頭池と弁財天


 池の畔にある弁財天の周辺には、江戸時代に建立された石造物が多く残っています。1833年建立になるこの石灯籠もそのひとつ。 弁財天の石燈篭
弁財天の石燈篭


井之頭弁財天  東京近辺でよく言われる結構有名な噂で、この井の頭池でボートに乗ったカップルは、弁天様にお参りをしないと罰があたって(一説では女神の嫉妬とか・・・)すぐ別れてしまうというのがあります。だけどそんな事はお構いなし。今日も井の頭池には、カップルの乗った手漕ぎボートが所せましと浮かんでいます!
井之頭弁財天


 弁財天の境内には、やはり江戸時代のものとなる石造の狛犬がありました。1771年建立。 弁財天の狛犬
弁財天の狛犬


井の頭恩賜公園  弁天様を過ぎて、井の頭池の岸辺を巡る散策路を進みましょう。
井の頭恩賜公園


 この井の頭池は都内屈指の湧水池。都心を流れる神田川の水源でもあります。この写真は井の頭池から溢れ出た水が川となって流れてゆく、まさに神田川が誕生する瞬間です。 神田川源流
神田川の源流


神田川源流  上の写真の源流地点を、反対側の川下方向に向かって撮ったのがこの写真。生まれたての神田川はやがて川幅を広げてその姿を変え、都会の密集したビルの間を縫うように下って行き、屋形船が集まる最下流を経てやがて隅田川へと合流します。
神田川最上流地点


 池の畔をのんびり歩いてくると、大きな野外ステージらしきものが見えて来ました。 野外ステージ
野外ステージ


野外ステージ脇石段  この辺でそろそろ井の頭公園ともお別れです。野外ステージのすぐ脇にある石段を上って行きましょう。
野外ステージ脇石段


 そのまま、住宅街の中をつき抜ける通りを道なりに歩いて行きます。 住宅地を進む
住宅地を進む


井ノ頭通り  公園を出てから200m足らず、井の頭通りに突き当ります。信号のある横断歩道で通りを渡り、そのまま真っすぐ進みましょう。
井ノ頭通りを渡る


 間もなくJR中央線(および京王井の頭線)の、吉祥寺駅前に到着です。 吉祥寺駅前
吉祥寺駅前








★交通 ・鉄道 JR中央・総武線三鷹駅下車


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