鎌倉アルプス Part1

2023年4月






 
鎌倉駅 東口
 鎌倉駅 東口

 JR横須賀線や、エノデンの愛称で親しまれている江ノ島電鉄などが乗り入れる鎌倉駅。古都鎌倉めぐりの出発点でもあるんですが、今日はここからアルプス踏破に向かおうと思っているんです。アルプスって言っても穂高や立山とかじゃなく、ましてやモンブランやマッターホルンなんかでもなく、鎌倉アルプスなんですが・・・

 このアルプスは標高なんと159mの最高峰、大平山山頂を目指す天園ハイキングコースと呼ばれる、歩行距離3.5km足らずの山道でありまして、アルプスという愛称で親しまれている、実は丘陵の尾根歩きなんです。所要時間も正味90分程度で歩けてしまうので、今日はこの「アルプス踏破」に加えて、折角だからついでに古都鎌倉の史跡見物も、ほんの少しだけしちゃおうと思っています。





突き当りを左へ
 突き当りを左へ

 鎌倉駅東口前のバスターミナルの向こうには、その先真っ直ぐ正面へと延びる通りがあるんですが、実はこの道、駅前から鎌倉駅入口交差点までの全長僅か46mしかない、神奈川県道303号鎌倉停車場線という、れっきとした県道なんです。

 この県道を終点まで進むとT字路の交差点になるので、正面の突き当りを左折して、今度は県道21号線の若宮大路へと入って行きましょう。





若宮大路と二の鳥居
 若宮大路と二の鳥居

 若宮大路とは鶴岡八幡宮の参道のこと。由比ガ浜の海岸前から境内までの、およそ1.8kmを繋ぐ広い道です。そして間もなく前方に現れた大きな鳥居は、三つある鳥居のうちの二の鳥居。因みに一の鳥居は、ここから後方南側へ700mほど下った由比ガ浜寄りにあります。





段葛と大正7年建立の石碑
 段葛と大正7年建立の石碑

 県道21号線のど真ん中に建つ二の鳥居をくぐると、その先鶴岡八幡宮の境内前にある三の鳥居まで、県道を分断する様に参道は一段高く造られています。これは段葛(だんかずら)と呼ばれ、傍らの大正7年に造立された石碑によると、元々は源頼朝が妻政子の安産祈祷のために造らせたもので、当初は一の鳥居から続いていたらしい。





三の鳥居
 三の鳥居

 源頼朝 = 鎌倉幕府と言えば、先ず真っ先に連想されるのがこの鶴岡八幡宮。二の鳥居からおよそ500mほど北に建つ、この三の鳥居を抜けて境内へ。





舞殿と本宮
 舞殿と本宮

 境内に入るとその正面には舞殿と、そしてその後方の高所には国の重要文化財に指定された本宮が並んで現れました。

 応神天皇などが祀られた、鶴岡八幡宮の創建は1063年。源頼朝の5代前の祖先であった源頼義が、ここより少し南に位置する由比ガ浜寄りの地に、源氏の氏神として八幡神を祀ったのが始まりです。そしてその後の1180年、伊豆に流されていた頼朝が、源氏再興・平氏打倒のために挙兵して父祖ゆかりの地鎌倉に入った時、八幡宮を現在の場所へ移して整備したのでした。





若宮(重文・国)
 若宮(重文・国)

 大石段上の高所に建立された本宮が上宮であるのに対して、1624年再建のこの若宮は下宮にあたり、応神天皇の皇子である仁徳天皇などが祀られています。





大石段と銀杏の木
 大石段と銀杏の木

 平成22年3月10日未明、本宮へと続く大石段脇にあった、樹齢1000年とも言われる御神木の大銀杏が、折柄の強風を受けて根元から倒木してしまいました。しかしその後、残った根から生まれた若芽が成長し、関係者の努力もあって、現在ではこの様にすくすくと成長しているんです。





平成20年1月撮影
 隠れ銀杏(平成20年1月撮影)

 画像は倒木の2年前、たまたま鶴岡八幡宮を訪れた時に、上の画像とほぼ同じ位置で撮影したものなんですが、高さ30mにもなるこの様に立派な巨木だったんです。倒木した当日の風速は10m余りだったらしく、それ程の猛烈な強風ではなかったことを考えると、古さ故に樹木の内部はかなり脆くなっていたのかも知れません。

 ところでこの大銀杏、「隠れ銀杏」と呼ばれる伝説があるんです。1219年の冬、この鶴岡八幡宮へ参詣に訪れた源頼朝の子、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が甥の公暁に斬殺されるという事件が起こるのですが、降りしきる雪の中、公暁が襲撃の時を待って身を隠していたのがこの大銀杏でした。四代目の将軍職を狙った公暁の野望が動機だったとも言われているけど諸説あるし、「隠れ銀杏」の伝説も真偽のほどは定かではないんですが・・・





源氏池
 源氏池

 境内には源氏池平家池という名の二つの池が、東西に並んで造られています。池の畔に建つ由緒書きによると、この池を造らせたのは源頼朝の正室、北条政子。源氏池には島を三つ配置し、「三」を「産」と読み替えてめでたいと祝い、平家池には島を四つ配置し、「四」を「死」と読み替えて平家滅亡を祈ったんだって。気性が激しくて嫉妬深いイメージの行動派尼将軍、北条政子らしいエピソードであります。





三の鳥居の先を左へ
 三の鳥居の先を左へ

 さてさて、鶴岡八幡宮の境内をゆっくりと一周巡って来たところで、次なる場所へと移る事にしましょう。

 三の鳥居を抜けると、正面へ真っ直ぐに延びる通りがさっき歩いて来た若宮大路。それに対して手前を左右に走る通りは横大路。これを左へ。





その先のT字路を左折
 その先のT字路を左折

 横大路を250mほど進むと、T字路の交差点がありました。正面突き当りに建てられた指導標の文字、「鎌倉宮 900m」の案内に従って、この交差点を左折します。

 これからこの鎌倉宮へと向かう予定なんですが、ちょっとその前に寄って行きたい場所が・・・
 源頼朝(1147-1199)の墓所を見て行こうと思います。





岐れ道停留所の先を左折
 岐れ道停留所の先を左折

 この通りは神奈川県道204号線金沢街道。これをおよそ400m程歩いて行くと、京急バスの岐れ道停留所が見えて来ます。そしてそのすぐ先の、県道から分かれて左手に入る道へと、「頼朝の墓」の指導標に従って左折。





石段を上って頼朝の墓所へ
 石段を上って頼朝の墓所へ

 およそ250m程先にある石段を上って鳥居を抜けると、そこが源頼朝の墓所です。

 1180年鎌倉に入った頼朝は、当初この付近一帯に御所を構えたと言われています。





源頼朝 供養塔
 源頼朝 供養塔

 鎌倉幕府を築いて、1192年に征夷大将軍となった頼朝の死去は1199年。落馬した時のケガが原因ともよく言われますが、確かなところは分かっていません。墓所の案内板によると、没後頼朝はこの丘の上にあった法華堂に葬られたのですが、その後17世紀の初め頃までにそれは廃絶してしまったらしい。

 墓所にあるこの石塔は、1779年に薩摩藩主の島津重豪(しげひで)が建立した供養塔。しかしなぜ薩摩藩島津家がこれを建てたのか、歴史知識の乏しい自分のような者には良く分かりませんが、調べると島津家の家祖が頼朝の子だという説もあったらしいので(もちろん母親は北条政子ではありません)、真偽の程は不明だけどその辺に理由があるのかもです。





十字路を左折
 十字路を左折

 頼朝墓所の石段を下って来た道を少し戻ったら、最初の十字路を左へと入りましょう。





荏柄天神社
 荏柄天神社

 道なりにおよそ250m程進んだ先の左手奥に、荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)の小さな朱色の鳥居が見えています。鎌倉幕府の鬼門に位置するこの神社。源頼朝は甚く崇敬してその社殿を造立したと伝えられる、由緒ある神社なのではありますが、「アルプス踏破」が控えているので、残念ながら本日はスルーという事に。





荏柄天神社を左手に見て進む
 荏柄天神社を左手に見て進む

 ・・・と言う訳で、荏柄天神社を左手に置いて、神社の前の小さな道を道なりに直進して、30m程先の十字路を左折。





十字路を左折すると大きな鳥居が
 十字路を左折すると大きな鳥居が

 そして前方200mほど先に見えている白い大きな鳥居を目指して、この道を進んで行きます。





鎌倉宮
 鎌倉宮

 白い鳥居の前までやって来ました。ここは大塔宮(おうとう又は、だいとうのみや)鎌倉宮。祀られているのは護良親王(もりよし又は、もりながしんのう)。神社の歴史は比較的新しく、明治2年に明治天皇の勅命で、護良親王絶命の地に創建されたものです。





拝殿
 拝殿

 護良親王(1308-1335)は後醍醐天皇の皇子。源頼朝が創設した武家政権の鎌倉幕府を父と共に打倒して、天皇親政の建武政権を開始させた立役者のひとりで、140年もの時代の違いはあるにせよ、皮肉にも頼朝の墓所と護良親王が祀られた社は、この様に目と鼻の先という事になるんです。因みに護良親王の墓所も、この場所から東へ300m程の位置にあります。





護良親王幽閉の土牢
 護良親王幽閉の土牢(平成18年4月撮影)

 建武政権では護良親王は征夷大将軍に任ぜられますが、その後の父帝との不和や政権内での混乱などを経て、鎌倉幕府倒幕の功労者のひとりである足利尊氏の弟、足利直義の監視の下で鎌倉のこの地に幽閉され、首を取られてしまうのでした。

 神社では拝観料300円で特別に、宝物殿や護良親王が幽閉されていた土牢などを見て廻る事も出来るんですが、今日はハイキングがメインイベントなので、特別エリアの拝観は止めておきます。代わりに以前拝観した時に撮影した、土牢の画像を貼り付けておく事にしました。





瑞泉寺方向へ左折
 瑞泉寺方向へ左折

 ところで今日これから歩こうと思っている天園ハイキングコース、その登山口へのアクセスは、ここ鎌倉宮の前から発着する京急バスの大塔宮停留所からが一般的で便利なんです。という事でハイキングスタートまであと少し。鎌倉宮の大鳥居を抜けたら左方向へ進み、その先のT字路を、「瑞泉寺」への指導標に従って左折。この瑞泉寺というお寺の脇に、ハイキングコースの入口があるんです。





永福寺跡
 ちょっと寄り道

 およそ300mほど歩いた先の左側に、なにか公園の入り口と思しきスチール製の門扉を発見。ちょっと中へ入ってみる事に。





池の畔の散策コース
 池の畔の散歩道

 門扉を抜けると、緑溢れる大きな公園がありました。中央の池の畔ではベンチに座ってウトウトする人や、散歩道を犬を連れて歩く人なんかが見受けられて、4月晴天のポカポカ陽気の中、のどかな風景が広がっています。





永福寺跡
 永福寺跡

 実はここ、タダの公園じゃぁ無いのでありまして、その昔永福寺(ようふくじ)という寺院があった場所なんです。永福寺は源頼朝が建立した寺で、自らが命じて攻め殺させた弟の源義経や、奥州藤原氏の藤原泰衡を始め、奥州合戦の戦没者を慰霊するための寺院だったんだとか。武士の情けってやつなんでしょうか。

 案内板によると全長130mもの伽藍の前に全長100m以上の池を配した、巨大で荘厳な大寺院だったようなんですが、今ではその面影は全く残っていません。まさに「兵どもが夢の跡」であります。





瑞泉寺を目指して進む
 瑞泉寺を目指して進む

 ちょっと寄り道しましたが、元の道に戻って先へと進んで行きましょう。永福寺跡を過ぎると間もなく三叉路がありました。ここは「瑞泉寺」への指導標に従って右の道を進み、通玄橋という小さな橋を渡ります。





瑞泉寺総門
 瑞泉寺総門

 三叉路から道なりにおよそ300m程で、こぢんまりとした瑞泉寺の総門が見えて来ました。これを通過してその先へ。





指導標に従い右折
 指導標に従い右折

 このまま進めばもうすぐに、1327年創建になる臨済宗の古刹瑞泉寺の境内へと至るのですが、今日は立ち寄らず別の機会に・・・ って事で、「天園ハイキングコース入口まで10m」の指導標に従って、総門を過ぎたすぐ先にある、右方向へ分かれる道に入ります。





天園ハイキングコース瑞泉寺口
 天園ハイキングコース瑞泉寺口

 すぐ左手に、天園ハイキングコース瑞泉寺口はありました。ともすれば気付かずに通り過ぎてしまいそうな、地味で目立たない「アルプスへの登山口」なのであります。





建長寺を目指して進む
 建長寺を目指して進む

 天園ハイキングコースへの入口は複数あって、それによりハイキングのルートも複数存在する訳ですが、どれもほぼ同様な歩行距離と所要時間です。そして今日はこの瑞泉寺口から建長寺口までの、比較的ポピュラーでアクセスするにも便利なルートを歩きます。

 と言う訳で、山道に入ったらその後は、「建長寺」への指導標に従って進んで行きましょう。





丘陵歩きとは言えこんな場所も
 丘陵歩きとは言えこんな場所も

 既述のように、今日のハイキングは歩行距離で3.5km足らず、所要時間も90分ほどの低山歩きなのではありますが、とは言えこの様に一方が険しい崖になった場所もあったりするので注意が必要。決して侮れません。





貝吹地蔵
 貝吹地蔵

 ハイキングコースに入って1km足らず、20分位は歩いて来たでしょうか。山中にこんなお地蔵様が現れました。これは貝吹地蔵

 小さな子供の霊を守ると言われるお地蔵さんにとって、首に巻かれた赤いよだれかけは定番アイテムなんだけど、この貝吹地蔵は首にペイズリー柄の赤いバンダナを巻いている、オシャレなお地蔵さんなんです。身に付けているバンダナの柄が以前来た時とは明らかに違うところを見ると、たまに誰かが着せ替えてあげてるんでしょうか





天園
 天園

 貝吹地蔵をあとにして間もなくすると、にわかに周囲の景色が開けました。麓を見下ろすと、鎌倉の町並みも確認できます。今日のハイキングは鎌倉市内と、ほんの一部横浜市内も歩く事になるのですが、ここはその横浜市最高地点、標高159mの天園という場所です。このハイキングコースの名称にもなった地で、今日の山歩きの全工程中、3分の1を越えた辺りに位置します。





ゴルフ場の脇を進む
 ゴルフ場の脇を進む

 天園を過ぎると、暫く明るい開けた景色の中を歩いて行く事になります。右手には芝生の広場が遠くまで続いているのが確認できるんですが、これはなんと鎌倉カントリークラブのゴルフコースでした。





前方にアルプス最高峰が見えて来た
 前方にアルプス最高峰が見えて来た

 そして前方に、こんもりと小高く盛り上がった茂みが見えて来ました。あれが鎌倉アルプスの最高峰、大平山の頂上なんです。





大平山山上からの眺望です!
 大平山山上からの眺望です!

 少し急な斜面をよじ登って、鎌倉アルプス最高峰の登頂にめでたく成功です。標高159mの頂上から登って来た方向を振り返り、しばし感激に浸るのでした。因みに今さっき通過して来た天園が横浜市最高地点なら、この山頂は鎌倉市の最高地点という事になります。





やぐらがありました
 やぐらがありました

 太平山山頂を越えて、西へ1km余りハイキングコースを進んで行くと、岩肌をくり抜いたやぐらを発見。中に何やら並んでいるようですが・・・





破壊された仏像が・・・
 破壊された仏像が・・・

 中を覗いてみると石仏が7体並んでいました。

 ・・・が、しかし、どれも胴体のみで、首から上は破損しています。これは明治維新の頃の廃仏毀釈運動で頭を破壊されてしまったものなのか、はたまた経年の風化で首から上が落ちてしまったのか定かではありません。どれも等しく同じ様に頭が無くなっているところを見ると人為的な感じもするので、おそらく前者ではないかと思われるのですが、なんとも哀れではあります。





鷲峰山の山頂へ
 鷲峰山の山頂へ

 やぐらの脇には、木の根が露わになった高さ3~4m程の急斜面があるんですが、実はこの斜面を登ると鷲峰山(じゅぶせん)という山の、標高127mの山頂になるんです。ちょっと登ってみましょう。





覚園寺の石仏
 覚園寺の石仏

 山頂には弘法大師像が建立されていました。そしてこちらは、無事にお顔を拝む事が出来ます。この鷲峰山の麓には、鷲峰山真言院 覚園寺という1218年創建の真言宗の寺院があって、石仏はこの覚園寺のもので、従ってこの山は覚園寺の境内という訳なんです。

 ところでこの仏様の傍らに掲出された案内書きによると、やっぱりこの仏像の首も破損してしまっていたらしく、寺が修復したものなんだって。





十王岩からの眺め(平成18年4月撮影)
 十王岩からの眺め(平成18年4月撮影)

 急斜面を下りてハイキングコースに戻り100mほど進むと、コースの右手に十王岩と呼ばれる大きな岩があって、この辺りから眺める麓の眺望は鎌倉アルプス随一。

 ・・・の筈だったんですが、雲一つない晴天の本日のこの陽気でありながら、湿気があって空気が澄んでいないためか、風景が霞んで良く見えないんです。少々悔しいんですが、眺望を堪能するのは今日のところは諦める事にします。画像は以前ハイキングした時にこの場所から撮影したものなんですが、ここはちょうど鶴岡八幡宮の真裏にあたる為、眺めがいい時にはこの様に、鎌倉の町並みと真っ直ぐに海岸線へと延びる若宮大路、そして由比ガ浜や材木座海岸などを一度に眺める事が出来るんです。





これより建長寺境内
 これより建長寺境内

 絶景を諦めて250mほど歩いて来ました。この案内板が見えるといよいよアルプス踏破も大詰め。ハイキングコースをここで外れて、建長寺の境内へと入って行きましょう。





建長寺境内が一望できます
 建長寺境内が一望できます

 眼下には1253年創建になる臨済宗の名刹建長寺の、重要文化財に指定された建築物の数々が建ち並んでいるのを一望できます。





半僧坊
 半僧坊

 およそ150段ほどの階段を下った先にある窓口で、拝観料一般500円也を支払うと、その先は半僧坊と呼ばれる建長寺の奥の院です。そしてこの場所が、天園ハイキングコースの建長寺口という事にもなるんです。





急な石段を下る
 急な石段を下る

 ここからは、長くて急な石段を下って行きます。今日は瑞泉寺口からハイキングコースに入って、この建長寺口でコースを外れた訳なんですが、反対に建長寺口からハイキングをスタートする場合には、先ずこの250段近くある石段を15分くらい掛けて登ったあと、今さっき下りて来た150段ほどの階段も登って、一気に鎌倉アルプスの尾根へと上がる事になります。





半僧坊の天狗
 半僧坊の天狗

 石段脇の斜面には12体の天狗像が祀られていました。この天狗は、建長寺の鎮守である半僧坊大権現に仕えているんだって。





唐門(重文・国)
 唐門(重文・国)

 半蔵坊の長い急階段を利用して、鎌倉アルプスから一気に麓へと下りて来ました。そして奥の院から500m余り離れたこの場所からは、貴重な文化財のオンパレードです。

 先ずはこの漆塗りの唐門。1628年の建立で、元々は徳川二代将軍秀忠の妻お江の方の、東京芝増上寺にあった霊廟の門で、後に建長寺が譲り受けたものらしい。





法堂と仏殿(重文・国)
 法堂と仏殿(重文・国)

 左手奥に見える建物は1814年再建の法堂。そして右手前の仏殿は唐門と同様に、これも又お江の方の霊廟だったもので、1647年に唐門と共にこの地へ移築されたのでした。





鐘楼と梵鐘(国宝)
 鐘楼と梵鐘(国宝)

 入母屋造りで茅葺屋根の鐘楼がありました。そして必見は中に吊り下げられた1255年の鋳造になる梵鐘。これは建長寺創建の頃からのもので、重要文化財の中でも特に価値の高い「国宝」に指定されているんです。





三門(重文・国)
 三門(重文・国)

 こちらは1775年再建の三門。通常の拝観時は総門やこの山門側から、ほぼ一直線に並んだ伽藍を眺めながら進むのですが、今日は建長寺最奥の半蔵坊側から入って来たため、逆行するかたちになりました。





天下門を抜けて一般道へ
 天下門を抜けて一般道へ

 数々の貴重な文化財鑑賞をたっぷりと堪能出来たところで、境内の最も前面に位置する建長寺の外門天下門を抜けて、その先の一般道へ。





左右どちらに進んでもOK
 Y字路の左右どちらに進んでもOK

 建長寺の門前を走るこの道は、ここ鎌倉と横浜を結ぶ県道21号横浜鎌倉線。建長寺をあとにしてこの県道を横浜方面に500m余り歩いて行くと、Y字路になります。左手の道はJR横須賀線の踏切を越えて延びる道。右手の道は線路脇を進む道。どちらを歩いても今日のゴール、北鎌倉駅に至ります。

 という事で、今日は右手の道を選択。





北鎌倉駅東口
 北鎌倉駅 東口

 間もなく前方に、とってもローカルで趣のある静かな駅舎が見えて来ました。鎌倉駅前を朝の8時前に出発して、「アルプス越え」と古都見物を楽しみながらおよそ4時間半。昼過ぎに、JR北鎌倉駅の東口前に到着です。そろそろこの辺りでお洒落な店でも探して、ゆっくりとランチでもしようかなと思います。







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★交通 JR横須賀線等 鎌倉駅下車
★歩行距離 約 9.5 km



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