谷中で昭和を堪能する

2022年5月






 
 JR・東京メトロ 西日暮里駅前
  JR・東京メトロ 西日暮里駅前

 東京都荒川区に位置する西日暮里駅は、JRの山手線と京浜東北線、地下鉄の東京メトロ千代田線が乗り入れる駅。少し離れた場所には都営日暮里・舎人ライナーの西日暮里駅もあります。そして今日はJR線の改札口を抜けたすぐ先の、ガード下にあるメインの出入口からスタート。目の前を走る片側3車線の広い通りは、都道457号線の道灌山通りです。





道灌山通りを進む
 開成中学・高等学校

 先ずはこの都道を左方向へと進みます。駅をあとにして歩いて行くと間もなく、通りを隔てた右手に見えてくるのは私立の名門男子校、あの開成中学・高等学校の校舎です。

 学校の説明については「あの」で充分かと・・・





左手の商店街へ
 左手の商店街へ

 駅前からおよそ350m余りの場所で、左手によみせ通りと記されたゲートが現れました。これを抜けて都道を離れ、左方向の商店街へと入りましょう。





延命地蔵尊
 延命地蔵尊

 よみせ通りを歩いていたら、間もなく右手に小さな地蔵堂を発見。ともすると気付かずに、そのまま通り過ぎてしまいそうな小さなこの地蔵堂。案内板によると、このお地蔵さまは昭和8年に長野県のお寺から勧請されたもので、信仰するといつまでも若々しく長生きが出来る、不老長寿の延命地蔵尊らしい。





よみせ通り
 よみせ通り

 その昔この辺りには川が流れていたのですが、大正時代の末に暗渠になって通りが造られ商店が建ち並ぶようになり、露店の夜店も数多く営業して賑わった事から、この暗渠道はよみせ通りと呼ばれるようになったのでした。





谷中銀座へ
 谷中銀座へ

 よみせ通りの商店街をおよそ300mほど歩いて行くと、左手に今度は谷中銀座のゲートが見えて来ました。メディアなどでもしばしば取り上げられる、人気のこの商店街。まだ時刻は午前11時前でありながら、現在ゴールデンウイーク真っ只中とあって、この辺りから人通りは急増です。





人通りが急増
 人通りが急増

 ところで、本日の散歩のタイトルは「谷中で昭和を堪能する」。古き良き下町の人情味あふれる風情がこの一角に保存状態となっている、寺と路地と古民家の街、谷中。そしてここ谷中銀座辺りから、THE 昭和が始まります。

 ところで、商店街歩きというと何故かイメージしてしまうのがコロッケとメンチカツ。とりわけ人気の商店街と言われるところでは、これ等の揚げ物を扱う店の店頭は不思議に何処も大盛況なんです。気軽に買えて、食べ歩きしながら商店街を見て廻るにはもってこいの食品なんでしょうか。





コロッケは正午から
 コロッケは正午から

 そんな訳で谷中銀座のこの精肉店でも、くだんの揚げ物を販売しているようですが、店頭告知では昼から販売開始らしい。黄色いテープで地面に並ぶ方向が示されているところを見ると、コロッケやメンチを求めて多くの人たちが並ぶみたいです。店頭に掲げられた沢山の有名人のサイン色紙が、余りにも無造作に並べられているところなんか、気取らない下町感が溢れていてとってもイイ感じであります。





落語と和小物
 落語と和小物

 早くも昭和を堪能しながら歩いていたら「落語と和小物」という文字を見つけて、思わず反応してしまいました。実はこのワタクシ落語ファンでありまして、しかしながら昨今の流行り病もあり寄席通いは少々ご無沙汰気味で、フラストレーションも溜まりつつあったのでした。そんな折、目に映った落語という文字。通りから店内を覗いてみたら、これまたワクワクする品物がたくさん。

 先ず目に飛び込んで来たのは、私の最も敬愛する三代目古今亭志ん朝(1938-2001) と、その兄上の十代目金原亭馬生(1928-1982) 、父上の五代目古今亭志ん生(1890-1973)の3人並んだでっかいポートレートではありませんか!

 そういえば志ん生御一家は、嘗てこのごく近所に居住していたのでした。しかもそればかりかこの谷中界隈、西の根津には五代目立川談志(1935-2011) の住まいがあり、そして東の根岸には七代目(1894-1949) 及び当代の林家正蔵や、初代(1925-1980) 及び当代の林家三平といった、あの海老名家の住まいもあったので、まさにここ谷中界隈は落語の聖地って訳なんです。





夕やけだんだん
 夕やけだんだん

 全長200m足らずの谷中銀座。そのどん突きにあるのが夕やけだんだん。名前の通りに、この石段の頂上から眺める夕暮れ時の風景が good らしいんですが、今日は散歩スケジュールの関係で、夕方ではなく午前中に到着です。





谷中銀座は賑わってます
 谷中銀座は賑わってます

 と、言う事で頂上から眺めてみると、夕焼けはないけど、とっても賑わっている谷中銀座が一望できます。





ちょっと寄り道
 ちょっと寄り道

 夕やけだんだんを登り切って100mほど歩いた先の、横断歩道のある交差点を右手の細道に入って行くと、次の目的地朝倉彫塑館があるんですが、その前にちょっと寄り道。交差点の左側角にあるお寺を見て行こうかと思います。





経王寺 山門
 経王寺 山門

 それは大黒山経王寺。日蓮宗の寺院なのですが、必見はこの山門。門番所が設けられた総欅造りの立派な薬医門で、1836年の建立なんだけど・・・





上野戦争の弾痕
 上野戦争の弾痕

 この門、よくよく観察してみると、所々に穴が空いているんです。いったい何かと言うと実はこれ、戊辰戦争中の1868年にあった新政府軍と彰義隊との戦闘、上野戦争の時の弾痕だったんです。これ、結構生々しい。





昭和を堪能
 昭和を堪能

 さてさて、既述のようにさっきの交差点を右折して細道を進み、朝倉彫塑館へと向かう事にします。実はこの通りに入って来ると、昭和のボルテージが更にアップするんです。





初音小路
 初音小路

 この辺りの町名、昭和の中頃までは谷中初音町という名前だった事もあり、近辺の施設に「初音」のネーミングが散見できるのですが、その一つがここ初音小路





昭和の飲み屋街
 昭和の飲み屋街

 建物と建物の間の路地に屋根を乗せた造りの、奥行30m程の飲食店街なんです。大方が居酒屋さん中心で、最奥には共同トイレなんかもあって、昭和感が溢れています。天井の所々で光が漏れているのは、屋根が抜けているのではなくて、光を取り入れるためのサンルーフなんですね。

 こういうところがニクイ!





錻力店
 錻力店

 商家風の木造家屋が並んでいました。窓枠やすだれに郷愁を感じます。手前の建物のガラス窓に記された難しい文字「錻力」。恥ずかしながらつい最近まで読めなかったんだけど、「ブリキ」という漢字でした。





お目当ての場所が見えて来た
 お目当ての場所が見えて来た

 昭和感満載の細道を歩いて行くと間もなく左手に、自分としては今日一番楽しみにしていたお目当ての場所、朝倉彫塑館の入口の門が見えて来ました。





朝倉彫塑館
 朝倉彫塑館

 この施設は、明治から昭和の時代にかけて活躍した日本が誇る名彫刻家、朝倉文夫(1883-1964)のアトリエ兼住居だった建物を美術館として利用し、その作品の一部を展示公開しているんです。入館料一般500円。





不審者発見
 すわ不審者!

 早速入館しようと入口の門を抜けて前庭に入ったところで、にわかに頭上から何か嫌な視線を感じるんです。ふと顔を上げると、屋上あたりから身を乗り出してジロジロとこっちを睨んでいる、無礼で不審なヤツがいます。あとで見つけたらとっ捕まえて文句を言ってやろう。





「雲」 明治41年作
 「雲」 明治41年作

 ところで美術館や博物館というと、館内の展示物は大抵が撮影不可という事になっています。それは分かっちゃいるんだけど、素晴らしい作品をいずれは薄れて行く記憶だけに残しておくっていうのも、とっても残念。





外部の作品は撮影OK
 外部の作品は撮影OK

 因みにこのサイトの取材の時にはいつも、訪れた施設の内部を撮影する前に必ずその都度、撮影可能かどうかを係の方に直接伺う様にしているんですが、今回はというと、外部に展示された作品や、建物内の撮影も一部はオーケーとの事。

 そこで早速、前庭に展示されていた作品をパチリ。





住居とアトリエ
 住居とアトリエ

 この建物と、中庭の日本庭園は朝倉文夫自身の設計によるもので、昭和10年に建てられて昭和39年に亡くなるまでの29年間使用されていました。画像左側が木造和風の住居部分、右側がコンクリート造り洋風のアトリエ部分です。





住居部 玄関
 住居部玄関前

 主にアトリエ部分が、作品の展示された美術館となっているのですが、その他3階建ての住居部分と屋上も見て廻る事が出来るんです。





屋上庭園
 屋上庭園

 建物の屋上には植物が植えられていて、一部では野菜が栽培されています。この屋上菜園は、朝倉文夫が居住していた当時を再現しているんだって。正面奥にはかなり大きなオリーブの木が見えています。





屋上美術館
 屋上美術館

 屋上でも作品を発見。この胸像の人物はアメリカ人の東洋美術学者、ラングドン・ウォーナー博士という人らしい。





不審者発見!
 さっきの不審者発見!

 ややっ! さっきの不審人物を屋上で発見!! たっぷり文句を言ってやろうと近づいてみたら・・・

 なーんだ、これも屋上に展示された作品でした。さっきジロジロと屋上から覗いていたのは、このブロンズ像だったんですね。「砲丸」という作品なんだって。





蘭の間
 蘭の間

 ここは蘭の間と呼ばれる部屋。なぜ蘭の間なのかというと、当時は東洋蘭の温室として使われていたからなんです。だからサンルーフが設けられているんですね。現在は作品の展示室に使用されています。





飲食店には行列が
 飲食店には行列が

 名彫刻家の作品鑑賞を、じっくりたっぷりと楽しむ事ができました。旧朝倉邸をあとにして、目の前の細道を再び先へと進んで行きましょう。通り沿いの飲食店には、入店順番待ちの行列が。この界隈を歩いていると、こういった光景を所々で見掛けます。

 この谷中と、隣接する根津・千駄木辺りは、其々の頭文字を取って谷根千(やねせん)と呼ばれる、今や東京屈指の人気観光スポットなので、メインストリートから外れたこんな細道でも、今日の様なホリデーともなると散歩や観光で、多くの人たちが行き交っているんですね。





蓮葉山観音寺
 蓮葉山観音寺

 朝倉彫塑館から150m足らずの場所には、観音寺という1611年創建の真言宗豊山派のお寺があります。そして通り沿いの右側に見えるこの山門は、寺院の境内東側に位置するのですが、寺の外周沿いに南側へ廻ってみると、実は見逃せないものが。





観音寺の築地塀
 観音寺の築地塀

 それがこの築地塀。築地塀は泥で作られた塀で、石垣の台座の上に塀が乗り、屋根が被されているというスタイルがポピュラーらしいのですが、更に観音寺の築地塀には、強度を高めるために沢山の瓦がびっしりと重ねられているんです。江戸時代の末期に造られたものなのですが保存状態は良く、デザインが美しい上にちょっとした迫力も感じるので、ついつい見入ってしまいます。





長安寺の前を左折
 長安寺の前を左折

 観音寺の山門前を通り過ぎるとすぐその先には、今度は谷中七福神の寿老人を祀る寺院、長安寺の門が見えています。谷中は寺町。お寺が多いんです。そしてこの寺を右手に置いて、今度は左方向へと分かれる通りに入って行きましょう。





都立谷中霊園
 都立谷中霊園

 突然風景が一変しました。ここからは、東京都立谷中霊園の敷地内になるんですが、霊園とは言え、広々とした緑溢れる明るい印象なんですね。

 ・・・というコトで、折角ここまで来てスルーするのも勿体ないので、この場所に眠っている沢山の著名人の中で、特に二人の人物に会って行こうかなと思います。





徳川慶喜墓所
 徳川慶喜墓所

 そのお一人がこの方。徳川幕府15代将軍、徳川慶喜公(1837-1913)であります。ところで徳川将軍の霊廟と言ったら、芝(増上寺)か上野(寛永寺)か日光(東照宮・輪王寺)と、相場が決まっているものと思っていたんですが、徳川最後の将軍は意外にも、この都営墓地に眠っていたんですねぇ。





神道形式です
 神道形式です

 とは言えこの谷中墓地内には、寛永寺の墓地も混在していてちょっと複雑。また尊王攘夷の水戸藩出身である徳川慶喜本人は有栖川宮家の血も引いていて、だからかどうかはともかく理由は諸説ある中で、生前に神道式の埋葬を希望していたという話は割と有名だったりします。だから、お寺のお墓には入らなかったんでしょうか。そんな訳で武家政権最後の征夷大将軍の墓所は、ご覧の通り皇室の御陵と同様に神道式の円墳なんです。





渋沢栄一墓所
 渋沢栄一墓所

 一方、徳川慶喜の墓所と目と鼻の先で、慶喜公に向かって敬意を表すように巨大な墓が並んで建っています。ここはあの大実業家、1万円札にもなる予定の渋沢栄一の墓所。彼は慶喜が将軍になる前の一橋慶喜の時代から臣下として仕えていて、その後も生涯に於いて慶喜をリスペクトし続けたらしい。その表れがこの墓所なんですね。





墓地入口を抜けて都道へ
 墓地入口を抜けて都道へ

 谷中霊園には他にも沢山の著名人が眠っているんですが、一つ一つ巡っているとキリがないので、今日の所はここまでにしてこの場所を離れる事にしましょう。

 霊園の一番南の場所にあたる、谷中墓地入口まで出て来ました。この先、目の前を走る都道452号線を左方向へ進みます。





左側の路地へ
 左側の路地へ

 この道、都道とは言え片道1車線のみの小さな通り。そしてこれを歩いて100m足らず、左へと分かれる路地へと入って行くと・・・





古民家を利用した「あたり」
 古民家を利用した「あたり」

 正面突き当りの路地裏に、古民家が何軒か建ち並んでいる一角がありました。ここは、この場所の住所からネーミングされた上野桜木あたりという施設で、昭和の初め頃に建てられた三軒の木造家屋に、貸しスペースと四つの店舗が入った、小さな複合施設なんです。





路地裏も楽しい
 路地裏も楽しい

 狭いスペースに寄り添うように建ち並んだ三軒の古民家は、どれも昭和13年建築の家屋を再生したものらしい。この路地裏を歩いて廻るだけでも充分昭和を堪能出来て、結構楽しめます。





どの店も大盛況
 どの店にも行列が

 今日は連休真最中とあって、各店舗とも大忙し。どの店にも入店待ちの列が出来ています。実はこのお店の中の一つに、とっても旨いクラフトビールが飲める、左党の自分にとっては結構お気に入りのビアホールがありまして、本日もちょっと寄って行こうかと密かに楽しみにしてはいたのですが、やっぱりそこも今日は入店に時間が掛かりそうだったので、残念ながら諦めて素通りする事にしたのでありました。

 こんど平日に来てゆっくり飲もう・・・





和菓子店も古民家です
 和菓子店も古民家です

 昭和の路地裏から、再び都道に戻って来ました。この通り沿いにもご覧の和菓子屋さんの様に、古民家の店舗がありました。今日の散歩はなにしろ、寺と路地と古民家の街歩きなんです。





上野桜木交差点
 上野桜木交差点

 谷中墓地入口からおよそ200m程で、都道452号線は同じく都道の319号線言問通りに交わります。ここは上野桜木交差点。実はこの交差点の左側にも、またまた古民家の商家があるんです。





旧吉田屋酒店
 旧吉田屋酒店

 それがここ、旧吉田屋酒店。「旧」と付くところからも分かる通り、現在営業中の店舗ではありません。この酒店は江戸時代から谷中に店舗を構えて、昭和61年まで営業してきた老舗の酒屋で、今あるこの建物自体は明治43年に建築されたものなんです。





店内にも入れます
 店内にも入れます

 その後建物は昭和62年に台東区へ寄贈されてこの地へ移築、現在は上野・不忍池の畔にある台東区立の博物館、下町風俗資料館の付設展示場として、見学無料で広く一般に公開されているんです。





カヤバ珈琲
 カヤバ珈琲

 旧吉田屋酒店から都道452号線を隔てた向い側には、現役で営業中の古民家の喫茶店、カヤバ珈琲があります。創業は昭和13年との事ですが、一時期店は閉鎖されて、この建物だけがポツンと残っている状況が続いていました。そして現在、オーナーは変わった様ですが営業は再開されています。人気店のためか入店客がいつも入口で並んでいるので、待つことがとっても苦手な私はついつい入りそびれてしまい、残念ながらここのコーヒーはまだ未体験です。なので今日も、大正時代初期に建てられたというこの木造店舗を横目で睨み、本日のゴールへと向かうのでありました。





根津一丁目交差点
 根津一丁目交差点

 カヤバ珈琲を右手に見て、言問通りを進みましょう。そして長いなだらかな善光寺坂を下って行くと、600m余りで不忍通りと交わる根津一丁目交差点が見えて来ました。





東京メトロ 根津駅前
 東京メトロ 根津駅前

 そのまま不忍通りを越えると、地下鉄東京メトロの根津駅出入口に到着です。









★交通 JR ・ 東京メトロ 西日暮里駅下車
★歩行距離 約 4.0 km



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