上野公園探索
2013年1月
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JR東日本・上野駅 公園口 |
上野恩賜公園(上野公園)は、当初皇室の御料地だったものを大正時代に当時の東京市が譲り受けて(恩賜)現在のような都立公園に到った、敷地53万㎡余り、東京ドームで11個分ほどの広大な、そして誰もが知っている人気の公園です。 |
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目の前はもう上野公園 |
アプローチはいろいろ。その一つ、JR上野駅の公園口を出ると、すぐ目の前がもう上野公園です。 さーてそれじゃぁ早速、この広大な公園を探索するとしましょうか。なにしろこの公園、ポピュラーな割には意外と見落とされがちな新しい発見がまだまだ沢山あるんですから。 |
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京成上野駅近くの公園入口 |
上野の山とも呼ばれる上野公園。画像は京成電鉄の上野駅そばにある公園入口付近の様子ですが、ご覧の様に右側の台地に上野公園は広がっています。だから上野の山なんですネ。 |
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東京文化会館 |
先ずはJR上野駅の公園口を出て上野公園に入ると、すぐ目の前に見えるのが東京文化会館。東京都交響楽団が本拠地にする昭和36年にオープンした音楽ホールです。 |
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東京国立博物館 |
上野の山にはこの他にも、文化・芸術・科学の関連施設がたくさん集まっています。噴水池の向こう側に構えるのは東京国立博物館。日本の貴重な文化財が数多く収集・保管された、明治5年創立になる日本で最初の博物館です。 |
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上野の森美術館 |
こちら上野の森美術館の前では何やら長蛇の列。催されていたのは「ツタンカーメン展」でした。なんと最後尾で入館まで4時間待ち・・・ 日本人ってなんて忍耐強い国民なんでしょ。 |
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東京都美術館 |
大正15年開館の歴史ある東京都美術館。現在の建物は昭和50年に竣工した新館です。 |
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日本芸術院会館 |
日本芸術院は優れた成果をのこした芸術家を優遇し、芸術の発達に貢献する活動を行う組織。ここ日本芸術院会館の展示室では、所蔵された芸術作品が無料で一般公開されます。 |
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東京芸大旧正門 |
上野の山にあって上野公園に隣接する東京芸術大学は、国立の美術・音楽専門大学。最も公園寄りの場所にあるこの門は、美術学部の旧正門です。 |
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国立西洋美術館 (重文・国) |
ヨーロッパの絵画や彫刻が数多く所蔵・展示されているのは国立西洋美術館。昭和34年竣工になるこの建物は、スイス生まれのフランス人建築家ル・コルビュジエによる設計で、国の重要文化財に指定されています。(追記参照) |
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地獄の門 |
この美術館の前庭にはいくつかの貴重な彫刻作品が展示されていて、美術館に入らずとも、なんと!自由に鑑賞する事が出来ます。オーギュスト・ロダン(1840-1917) の地獄の門もその一つ。この作品、建設予定だった装飾美術館の門として原型が作製されながら、美術館の建設そのものが中止になってしまい、彼の生前に鋳造される事はなかったんだとか。門扉には200以上の人物像が配置されているのですが、中央上部にちょっと見なれた一人の男性を発見。 |
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見なれた男が! |
ロダンと言えばすぐに連想する、小学生でも知っている有名な考える人でした。もともと考える人という作品は、地獄の門のこの男性像を独立させたもので、作品脇の説明板によると、この像はロダン本人を表現しているんだとか。 |
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考える人 |
そしてこちらがお馴染み、「考える人」のポピュラーな方。生まれつき右脳が発達していないために(左脳もデス)芸術というものにはトンと縁のないこのボクでも、このブロンズ像の前ではじっと立ち止まって見入ってしまいます。 |
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旧東京音楽学校奏楽堂 (重文・国) |
既述の様に、上野公園と隣接している東京芸術大学。その前身である旧東京音楽学校の奏楽堂の建物が公園内に残されていて、現在でも現役の音楽ホールとして活躍しています。明治23年竣工、国の重要文化財。 |
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国立科学博物館 |
明治10年に設立された国立科学博物館。等身大の恐竜のレプリカもあったりして、ウチの子供逹が小さい頃は良く連れてったもんでした。 |
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シロナガスクジラ |
このシロナガスクジラはわりと有名。科学博物館の建物脇に設置された体長30mの実物大模型です。近くで眺めると地上最大の動物のデカさと迫力を実感して、ちょっと引きますが・・・ |
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国際こども図書館 |
文化・芸術・科学の宝庫、上野公園をちょっと外れて出て来ました。と言うのは公園の周辺、目と鼻の先にも興味深い見所がたくさん集まっているから。この国際子ども図書館は児童図書専門の図書館。建物は、明治39年に旧帝国図書館として建てられたものです。 |
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博物館動物園駅 |
昭和8年開業の京成電鉄博物館動物園駅。その後老朽化が進むなどしたため平成16年に営業を終えましたが、レトロな駅舎はそのまま残されています。 |
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旧因州池田屋敷表門 (重文・国) |
この門は因州鳥取藩池田家の江戸屋敷にあった表門。明治時代に入ってこの地に移築されたものですが、江戸時代末期の建築とみられています。 |
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寛永寺旧本坊表門 (重文・国) |
江戸時代、今の上野公園の地は徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の広大な境内地でした。そして上野公園に隣接する現在の寛永寺境内には、3代将軍家光の時代に建てられた旧本坊表門、通称黒門が残されています。 |
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寛永寺開山堂 |
東叡山寛永寺開山の祖である天海僧正は、初代家康から3代家光までの徳川将軍に大いに信頼され、徳川幕府黎明期に深く関わった人物。ここ開山堂にはその天海僧正が祀られています。 |
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徳川家綱霊廟勅額門 (重文・国) |
これは4代将軍家綱の霊廟勅額門。徳川将軍家の菩提寺はここ寛永寺と芝の増上寺で、初代、3代、15代を除く12人の将軍は、これ等どちらかの寺院に葬られています。 |
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殉死者の墓 |
1651年の3代将軍徳川家光死去後、後を追って自ら命を絶った家臣の大名らと、そのまた家臣計12名の墓がありました。この様に主君を追って切腹する習わしは、その後1663年幕府によって禁止されます。 |
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上野東照宮大鳥居 (重文・国) |
さてさて、また上野公園内に舞い戻って来ました。ここは公園内にある神社、1623年創建の東照宮。東照宮と言えば、祀られているのは徳川家康ですが、その他8代吉宗と15代慶喜も祀られています。 |
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銅燈篭 (重文・国) |
参道に並んだ50基の銅燈篭は、当時の諸大名が奉納したもの。それぞれに、寄進した殿様の姓名が刻まれています。 |
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唐門? |
これは純金箔の施された唐門。国の重要文化財で、左甚五郎の昇り龍・降り龍も刻まれています・・・
えっ、 どれが唐門なの。えらく貧弱じゃぁないのって・・・?
いやぁ、やっぱり分かっちゃいました?
白状すると、取材時には唐門は修理工事中だったので、本物を撮る事が出来なかったんです。と言う訳で、ご覧になっているのは工事シートに描かれた唐門の絵でありまして、これを眺めて本物を想像してくださいってコトで・・・
でもまぁ工事シートに絵を描いてくれてるなんて、サービス精神を感じる工事現場ではありました。 |
作業完了後の本物画像はこちら
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旧寛永寺五重塔 (重文・国) |
江戸時代には寛永寺の境内地だったここ上野公園。現在でも当時の寛永寺の貴重な文化財が公園内の所々に残されています。1639年再建のこの五重塔もそのひとつ。 |
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清水観音堂 (重文・国) |
寛永寺開山の祖、天海僧正が1631年に建立したこの観音堂、どこか見覚えありません? 実は京都清水寺のデザインを真似たものなんです。 |
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人形供養碑 |
子授け、安産、子育てに御利益があるこの清水観音堂は、人形供養でも有名。私も以前、子供の頃の五月人形の鍾馗さまが虫に食われてしまったので、ここで供養して頂いた事があります。 |
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時鐘堂 |
1666年に鋳造され、1787年に改鋳されたこの時の鐘。浅草は浅草寺の鐘と共に、松尾芭蕉の句にも詠まれています。
花の雲 鐘は上野か 浅草か |
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大仏パゴダ |
1631年寛永寺の境内に大仏さまが造立されましたが、その後火災や震災に遭いながら、太平洋戦争時の金属供出ではついに、胴体を献納させられてしまいました。現在、大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、薬師如来が祀られています。 |
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上野大仏 |
献納されて身体は無くなってしまった大仏さんですが、辛うじて顔だけが残っていました。関東大震災時に落ちてしまった頭部が寛永寺に保管され、現在はパゴダのすぐ隣に居て、この様に俗界を見守っています。 |
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天海僧正毛髪塔 |
天海僧正は1643年になんと108歳で没しました。そしてその亡骸は日光山に葬られ、上野のこの場所には毛髪を納めた塔が建立されました。 |
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弁天堂 |
弁財天が祀られたこのお堂、最初のものは寛永年間(1624~1645)に建立されたのですが、先の大戦の戦災で惜しくも焼失。昭和33年に再建されたものが現在の弁天堂です。 |
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不忍池と弁天堂 |
実はこの弁天堂、ご覧の様に不忍池(しのばずのいけ)を埋め立てて築かれた中の島に建てられているんです。 |
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不忍池 (蓮池) |
不忍池は周囲およそ2kmの天然池で、三つの部分に分けられます。一つはカワウの生息する鵜の池、一つは弁天堂のある蓮池、そしてもう一つはボートの浮かぶボート池です。 |
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ボート池 |
1625年、天海僧正が比叡山延暦寺に倣って上野の山に創建した東叡山寛永寺。この不忍池、当初は比叡山の麓に位置する琵琶湖に見立てられていたのでした。 |
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下町風俗資料館 |
不忍池の畔には小さな博物館があります。台東区立の下町風俗博物館がそれ。観覧料一般300円。 |
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大正時代の長屋 |
館内には大正から昭和にかけての下町の文化を永く伝えるために、たくさんの展示物や貴重な資料が公開されています。 |
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大正時代の職人の家 |
これは大正時代の長屋に住んでいる職人の家を再現したもの。左手前に茶の間があって、右奥に小さな仕事場が見えています。 |
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昭和のアパート |
時代は下って、こちらは昭和のとあるアパートの一室。たぶん私が生まれた昭和30年代くらいなんでしょうか。こういうテレビ家にありましたネ。見ない時は上から布掛けたり、調子が悪くて見難くなると本体をポンポン叩いたりしてました。案外直ったりしてネ。懐かしい。 |
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上野精養軒 |
おおきな大きな上野公園。食事をするにも事欠きません。ここは明治9年開業の老舗洋食レストラン上野精養軒。ハヤシライスは定番メニューで大人気。 |
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伊豆栄梅川亭 |
こちらは鰻割烹料理の店、伊豆栄梅川亭。これを書いている最中に横でつけているテレビのニュースが、ニホンウナギを環境省が絶滅危惧種にリストアップした事を報道しています。貴重な日本の食文化を守るためにも仕方がない事だけど、心配ですね。 |
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新鶯亭 |
新鶯亭は団子、しるこ、甘酒、そしておでんなども食べられる甘味処。緑に囲まれた静かで落ち着いた場所に、その店舗はありました。 |
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上野グリーンサロン |
パンダカレーやパンダサンドウィッチ、パンダスィーツなどのパンダモチーフで人気のカフェレストランは上野グリーンサロン。 |
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パークス上野店 |
お菓子、お弁当やパンダグッズを販売する売店、パークス上野店は修学旅行の学生に人気です。 |
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昔ながらの売店 |
もちろん公園定番の、こんな風な売店もあります。こういう昔ながらの店を公園で見つけると雰囲気についつい引き込まれて、お菓子なんかいろいろ買っちゃうんだよね。 |
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西郷会館 |
中華、洋食、焼き肉店、ビアホール、ファーストフード、コンビニまで入っているレストランビルの西郷会館。そして建物の壁に記されたナゾの数字3153。その意味はサイゴーサンでした。 |
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西郷隆盛像 |
と言う訳で、西郷会館入口のすぐ近くで睨みを利かせて立っていたのは、明治31年建立のお馴染み「上野のお山の西郷さん」です。高村光雲作。
明治新政府軍と旧江戸幕府軍が、1868年からおよそ1年半の間壮絶な戦いを繰り広げた戊辰の役。この上野の山でも、上野戦争と呼ばれる激しい戦闘が繰り広げられ、西郷隆盛は新政府軍の指揮官として従軍します。
そして皮肉にも・・・ |
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彰義隊の墓 |
西郷さんの銅像のすぐ裏手には、新政府軍の猛攻撃に敗れほぼ壊滅した、旧幕府軍の彰義隊隊士の墓が建っています。案内板によると、生き残りの隊士らが明治7年に、新政府の許可を得て建立したものなんだとか。 |
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手前の小さな墓石 |
この墓には「戦死の墓」としか記されておらず、「彰義隊」の文字はどこにも見当たりません。当時は賊軍とされた彰義隊。明治新政府に対する遠慮や警戒感があったのでしょう。しかしこの墓の建立以前に作られ、密かに地中に埋められていた小さな墓石には、「彰義隊戦死の墓」とはっきり記されています。この墓石は後に掘り出され、現在は大きな墓の手前に配されています。
ところで、上野公園内では西郷さんの銅像の他にも、色々な人物の像を見つける事が出来ます。 |
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ボードウィン博士像 |
先ずはこの胸像。日本に長く滞在し、明治政府に対してこの地に公園を造ることを提唱し明治6年に実現した、言わば上野公園の生みの父、オランダ人医学博士のアントニウス・ボードウィン像です。 |
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グラント将軍植樹碑 |
ユリシーズ・グラントは第18代のアメリカ合衆国大統領。南北戦争では北軍総司令官として、北軍を勝利へと導いた軍人です。 |
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ユリシーズ・グラント |
グラントは大統領職を2期8年務めた後、家族を連れおよそ2年間をかけて、世界中を巡る旅に出るのですが、明治12年夏には日本にも立ち寄り、ここ上野公園で催された歓迎会に於いて檜を植樹したのでした。 |
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野口英世像 |
日本が世界に誇る医学・理学・細菌学者。千円札でもお馴染みの野口英世の銅像もありました。そう言えばワタクシの子供の時分には、野口英世と言ったら学芸会の劇の定番でありまして、大体において主役の野口英世役は成績優秀で学校でも人気者の優等生がやり、私なんぞはヤケドで手をケガした野口少年を集団でイジめる悪ガキの役でありました・・・ |
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小松宮彰仁親王像 |
小松宮彰仁親王は、幕末の戊辰戦争では官軍の指揮官として従軍し、維新後の西南戦争にあっては政府軍の旅団長として西郷隆盛率いる薩摩軍と戦いました。上野の山は今でも彰義隊がいて、西郷さんもいて、危険で複雑な三つ巴の戦闘地域であります! |
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上野動物園 |
危険地帯から、子供でも安心な平和な場所へ脱出して来ました。上野動物園は明治15年開園の、日本で最初の動物園。 |
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上野こども遊園地 |
公園内には動物園の他に、遊園地なんかもあったります。乗り物はどれでも100円均一の、上野こども遊園地です。遊園地とは言うけれど、施設のスペースは都内にある小学校の狭い校庭の、半分にも満たない様な広さです。 |
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空飛ぶゾウもいます |
驚きは、その狭いスペースにありとあらゆるアトラクションが所狭しと配置されている事。メリーゴーランド、空飛ぶ飛行機、ドラえもん、アンパンマン、機関車トーマス・・・ ゴメン、書き切れない。このゴチャゴチャ感。大人が見ていても飽きません。 |
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正岡子規記念球場 |
明治の俳人正岡子規は無類の野球好きで、野球殿堂入りする程の功労者でもありました。打者、走者、直球などと、野球用語を翻訳したのも子規。公園内には、その名を冠した草野球の球場があります。 |
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球場前の碑 |
捕手として自らプレイもしていた正岡子規。球場前に建つ碑には、上野公園内でもしばしば試合をしていた事が記されています。結核の病床で写された、晩年のあの横顔の肖像を見慣れている私には、ちょっと意外でした。 |
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摺鉢山古墳 |
野球場のすぐ隣にこんもりとした丘があります。これは摺鉢を伏せた形の摺鉢山古墳。5世紀前後の前方後円墳と言われています。 |
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ヘブンアーチスト公演中 |
今日は1日、広大な上野公園を隅々まで歩き回りました。そこで最後にこんなお話を。
東京都は、その審査会に合格した様々なアーチストに、様々な活動場所を開放しています。これがヘブンアーチスト事業。この上野公園もまたヘブンアーチストの活動場所として指定されていて、沢山のパフォーマーが今日も皆の目を楽しませてくれているんです。 |
国立西洋美術館は2016年7月17日、世界文化遺産に登録されました。(2016年8月追記) |
★交通 |
JR山手線・常磐線・京浜東北線・その他
上野駅下車 |
周辺地図
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