【 丸山久明先生の思い出 】

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私が通った小学校は小千谷市立岩沢小学校です。
当時は、今の中越住電装㈱岩沢工場がある場所に校舎が建っていました。

小学校の校舎(昭和60年に写された写真だそうですが、通学していた当時もこの校舎でした。)<岩沢小学校閉校記念誌から>



卒業の記念写真<岩沢小学校閉校記念誌から>

卒業年度は昭和44年度、第23回卒業生です。 はっきり言いきった感がありますが、覚えていなかったので「岩沢小学校閉校記念誌」で確認しました。

小学では1・2・5・6年の担任は高橋先生で、3・4年生の時は丸山久明(まるやまひさあき)先生でした。
日々のことなどほとんど忘れてしまっているのですが、「いつのことだか 思い出してごらん あんなことこんなこと あったでしょう・・・」という風に、何かのきっかけにふと思い出すこともあります。
今回は丸山先生のことを書きます。
今は解けましたが、私は丸山先生によって共産主義思想のマインドコントロールに陥っていました。以下は主にその恨み言を並べる内容になると思います。

丸山先生は共産党員で、教員を辞めた後、中選挙区時代の新潟県第3区で衆議院議員選挙に立候補していました。
田中角栄とも戦ったのですからそれだけでも立派なものかもしれません。
ちなみに第37回(昭和58年)、第38回(昭和61年)、第39回(平成2年)、第40回(平成5年)の衆議院議員総選挙に立候補して、得票率はいずれも3%程度だったようです。
また、参議院議員選挙は第10回(昭和52年)、第11回(昭和52年)、第12回(昭和55年)、第13回(昭和58年)に出ています。
選挙をしている時は、選挙ポスターにも「丸山久明」で「まるやまきゅうめい」とフリガナを付けていたと思います。
 

担任の時、給食の時間に本を読んで聞かせてくれたように思います。 また、地主の家の生まれで、小さい頃は小作人の方などが子供の自分に頭を下げるので、そうされる前に自ら頭を下げていたというようなことをおっしゃっていたように思います。
他に思い出すのは、月食の連絡、遠足の時のこと、国旗の話、共産主義の話です。

連絡をもらって知ったのですが、その日の夜は月食でした。
丸山先生は「今夜は月食だからぜひ観察してください」と児童の家に電話をしてくれたのでした。
私は初めて見る月食であり、律義にも時間と月のかけている様子を描いて、翌日先生に報告したのでした。 ただ、「げっしょく」を「げっしょう」と聞き間違えて、「月のげっしょう」というようなタイトルを書いた記憶があります。

3年の時か4年の時か忘れましたが、小学校から数キロ離れたところにある縄文遺跡のようなところに遠足に行きました。
私はその遺跡へ続く道沿いで石斧のような形をした石を拾い、大喜びしていたのですが、それに気づいた丸山先生は「それは教室に置こう」とおっしゃいました。
私は「自分の家に持って帰る」と言った。
すると先生は「家に持って帰れば見るのは君だけだが、教室に置いておけば皆で観察できる。」と・・・。
結局どうしたのか忘れてしまいましたが、たぶん教室に置くことにしたんだと思います。

日本軍は世界各地で悪いことをし、日の丸の旗はその日本軍の先頭にあって戦争を扇動した。 だから祝日に日の丸を掲揚してはいけないという話しは何度か聞いたように思います。
具体例はこちら→国旗を揚げさせない共産党員の教諭

それから、共産主義は素晴らしい制度だという話も聞きました。
各人が必要以上に財を貯めこむのではなく、働ける範囲で一生懸命働き、得た作物や財は皆の前に出しておき、必要な人が必要なだけ消費する。そうすれば怪我や病気で働けないような人も安心して暮らすことが出来る・・・、と。
遠足の時の話も、そういう思想からすれば当然のことなわけです。児童たちにいろんな場面で共産主義思想を植え付けていたんですね・・・。

共産主義は、その通りに出来れば素晴らしい制度なのでしょう。
しかし、それぞれがそれぞれの欲を抱えた人間には達成不可能ですよね。全ての人が仏様であれば別ですが・・・。

実際に共産主義を標榜した国は、指導者たちは意に沿わない国民を虐殺しまくって、国民は一生懸命働くことなどせず、滅んでしまいました。
現在、共産主義のお手本は中国や北朝鮮なのでしょうが、あのような国を目指せと言われても、はっきりと「結構です(嫌です)」と言いたい。
戦争の話だって、マッカーサーも「日本は自衛のための戦争をした。」と回顧しているそうですが、日本が侵略戦争をしたわけではないでしょう。

思えば、丸山先生はウソ話で私(達)を欺いた。
マインドコントロールが解けてからは、「丸山先生は現在そのことについてどう考えているんだろうか?、文句の一つも言いたいものだ。」などと思っていました。

丸山先生は2018年現在で79歳くらいだと思います。
数年前、あるきっかけで丸山先生のお宅に電話をしました。 小学校依頼初めてのことだったと思いますが、それでも私のことを覚えていてくれたような話しぶりでした。
その点は、先生というのは大したものだと感心しました。

話の流れで、先生の自宅がある新潟市方面で一杯やろうということになり、先生の都合が良いときに連絡をしてくれるという展開になりました。
丸山先生が、その時には共産主義の神髄を伝授してやるとおっしゃったので、「それは結構です」と伝えました。
その後連絡はありません。
そうしたことを踏まえて思うのは、「結局丸山先生は共産主義思想のオルグのために教員をやっていたんだろうな。」ということ・・・。

共産党を離れ「日本共産党の体質を批判、財界団体からも講師として呼ばれるなど、反共産党の主張を繰り返している。」という筆坂秀世さんとは異なり、丸山さんは今も共産主義思想の王道を歩いているんだろうな・・・。

 2019年2月、丸山久明さんの「自分史」を手に取る機会がありました。
岩沢小学校の節があったので、そこだけ読みました。
その部分と目次を紹介していますので、良かったらこちらもどうぞ→誠実に歩み続けて七十余年 ―わが共産党人生に悔いなし―

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