【 国旗を揚げさせない共産党員の教諭 】

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 「丸山久明先生の思い出」で、岩沢小学校の時のクラス担任だった丸山久明教諭の思い出を書きました。
 思い出したことがあったので、思い出の追加です。
 ちなみに、丸山久明の元々の読み方(小学校の時に教えられた読み方)は「まるやまひさあき」ですが、選挙には「まるやまきゅうめい」で出ていたので、地元の人などと話をするときには「きゅうめい」と言わないと話が通じないこともあります。
 そこで、「 日本軍は世界各地で悪いことをし、日の丸の旗はその日本軍の先頭にあって戦争を扇動した。 だから祝日に日の丸を掲揚してはいけない」という話しを何度か聞いたことを紹介しました。
 

 当時は私の家にも国旗があって、祝日には掲揚していたのでした。数か月前に妹と雑談していたときにも、「あの頃国旗を出す担当は私だった」言っていました。
 ところがいつの頃からなのか国旗の掲揚をしなくなったのです。いつからなのかどういう理由なのか記憶にありません。
 思うのは、丸山共産党員の洗脳にあった私が父母や祖父母に国旗掲揚することを止めるように迫ったのではないかということ・・・。
 

 私と同じクラスで一緒に丸山党員の洗脳を受けた同級生の家での話ですが。
 祝日の朝に家の人が国旗を出すのだけれど、いつの間に片付けられている。そういうことが何度かあったので、家の人が同級生に聞いたところ、その子がそっと片付けていたというのです。
 その同級生がそんなことをした理由は、もちろん、丸山党員の「ご指導」があったのでそれに従ったということなのです。
 その家の人は小学校に抗議をしたそうですが、立派なことだと思います。

 私が通った学校だけでなく、丸山久明教諭のような共産党の活動家が教員の仮面を着けて共産主義思想をばら撒き続けていた(今もそうなのかな)のですから恐ろしいことです。

 2019年2月、丸山久明党員の「自分史」を手に取る機会がありました。
岩沢小学校の箇所があったので、そこだけ読みました。
生徒との日々も書かれているかと思ったのですが、期待するだけ無駄でした。
その部分と目次を紹介していますので、良かったらこちらもどうぞ→誠実に歩み続けて七十余年 ―わが共産党人生に悔いなし―

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