「”オレを見ろ”オーラ」

 発表会はもちろんだが、お教室やダンサー有志が行う「ナショナルタップデー」などのイベント前になると、お教室はとっても元気になる。特に出演する人は寸暇も惜しんで練習に来るので、どこのコマのレッスンも初心者もベテランも入り乱れてレッスンを受けている。
 私のいる基礎クラスもその例に漏れないのだが、公演に出ようと言う人はそれなりにおできになる人々ばかりなので、与えられた振り付けのコンビネーションでも、私のように追うのに精一杯などということはなく、体全体でリズミカルにひっじょーに!かっこよく踊っている(さしずめ一連のGAPの生コマーシャル状態(笑)

「やっぱりさー。ああいう人たちとは練習の量が違うんだよねえ。だってさ、例えば私たちなんて一週間に一回休まずレッスンに来れたとして、54回でしょ。そう考えるとさあ、やっぱり全然足りないんだよねえ」
と、お稽古仲間のYちゃんはため息まじりに言うのだが、”そうか、今のこのペースだと1年間にたった54回しか練習できないのか。それで上手くなんないぶーぶーと文句を言うのは筋違いってもんかもしれないなー”と思うと同時に、でも実は、練習の回数を増やすとかそういうことよりもっともっと大事な決定的に欠けているものがあるんじゃないかと私は考えたのだ。

 それは「整いすぎるくらい整ったの容姿の美しさ」(!)とか「奇跡的に与えられた天性の美しい肉体」(!!)などの外見のかっこよさのこともあるが、(まー、こればっかりはご先祖様の遺伝子と神様のお決めになることなので)そういう先天的な容姿の出来不出来を補ってあまりある特殊能力、それは役者などの一部のエンターテイメント系の人種が持つ、名付けて「オレを見ろオーラ」ではないかと。(Yちゃんに言ったら”なんじゃそりゃー”と、オオウケだったのだが)

 でもちょっと考えてもごらんなさい。よく居ません?特にもの凄いハンサムとか息も止まっちゃうような美女とかじゃなくても「何だか知らないけど、妙に視線を持って行かれる」そういう人。(特に舞台人に多し)そういう人が発しているのは紛れもなくこの「オレを見ろオーラ」だと私は思う。

 じゃあ、そういう人は一体いつどこでそういうオーラを身につけるのかというと、ナルシストな部分も当然あるだろうあるだろうけれど、たとえば、レッスンにやって来る、そのGAP生コマ状態の人々はとても個性的でかっこいい。名前も例えば”サコト”ちゃんとか”マユリちゃん”とか。そういう一回聞いたらなかなか忘れないような名前の持ち主の方が多い。そう、まさしく「名は態を表す」人々なのだ。
・・・・・・ねえ。まずそこからしてですよ。


 人にすぐ覚えてもらえるようにというそんな名前をつけられたら、その子は良くも悪くも印象的な子になる(まあ、周りに恵まれなかったら、子供の頃はイジメで苦労するかもしれんが)人に見られる注目されるということは、その子にとってごくごく当たり前なことになる訳だ。見られなれてる子って、自分を表に見せる術にたけるよね、やっぱり。

 かく言う私は、そういう人に覚えてもらいやすい名前はつけてもらわなかったが、それでもかつてはその愛らしい風貌から、劇団ひま○りに入れようとかいう話が出たらしいが、(稚園前までは容姿行動ともに愛らしく”もの凄く期待をしていたんだ”と、最近になって年の離れたイトコから聞いた。そんなん言われても・・・。)そうなったら今ごろ違う人生歩んでたかもしれない。見られることが平気というかむしろ快感で、自分を見せることが何の苦もなく出来る人間の放つ”オレを見ろオーラ”は、突き詰めれば、”裾からこぼれんばかりの愛嬌”なのかもしれない。正直言えば、そういうの憧れるし羨ましい。どうも私は注目されたり、ましてや人前で誉められるなんてことは苦手だ。
 ”裾からこぼれんばかりの愛嬌”に辿りつけないヤツには当然”オレを見ろオーラ”の会得には辿りつけない。という訳で私はスポットライトを浴びることを望まず、人知れず隅っこでステップを踏んで”ニヤリ”と悦に入る、ちょっと屈折気味のタップ好きを続けることになるのだろう。

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