第一章 ルウム
宇宙世紀〇〇七九年一月一五日 二二時一六分 サイド５（ルウム）付近 連邦軍第四艦隊第四三戦隊 巡洋艦『エクゼター』 第二艦橋 「諸君らの健闘に期待する」 レビル中将の短い訓辞が締めくくられるのと、情報士の 「距離八〇〇〇〇」 という報告は、ほぼ同時にスピーカーに流れた。 ネフは眼前にそびえ立つコロニーを凝視したままだった。 一〇〇キロ以上離れた場所にあるはずなのだが、空気中での光景に馴れた人間の目には直径六キロ、全長三〇キロにも及ぶ巨大な構造物が目前に存在するように映る。そして彼とコロニーとの間には、大小の星のきらめきのような光が無数に輝いている。大きい光は『エクゼター』と同じ使命を帯びた『エクゼター』と同じ種族に分類される金属製の構造物。小さい光は、その目的こそ『エクゼター』と同じだが、全く異なる存在。ほんの二週間前に始めて人類の愚行帳に登場することになったサイクロプス。 ミノフスキーという名の男が発見した厄介物が生み出した新世代の航空機。人間の十倍もの巨躯にあらゆる種類の武器を搭載し、宇宙空間では在来型の戦闘艇とは比べものにならない機動性能を誇る。それがモビルスーツ（ＭＳ）と呼ばれる人型の機動兵器である。ＭＳが人間より遥かに巨大であるとはいっても、戦艦サイズの艦艇であればＭＳの幾十倍もの図体になる。機動性能では比べものにならないことは既に証明済みである。 公国軍のＭＳを迎え撃つべき連邦軍の戦闘機がどの程度の効果を発揮するのか、ネフは疑問を持っていた。艦艇にしてもそうだが、連邦軍の対空防御システムは機動性能に秀でたＭＳのことを想定していない。ここ数日のシミュレーションで出た結論は、よほどの高濃度の火力の集中を行わない限りＭＳに防御陣を突破されるということだった。 戦闘機は基本的に一撃離脱を前提にしており、継戦能力の面ではＭＳに劣る。相手が同じ戦闘機であればそれで充分なはずだったが、ＭＳの機動性能ならば少なからざる数が生き残り、外周防御システムを突破し、艦隊に肉薄することが予想された。 はたして生き残れるだろうか。 ネフの判断が悲観的なのは、それなりに理由がある。彼は新任の少佐として『エクゼター』の副長に着任するまでは、艦艇の対空戦闘の専門家として連邦軍のＭＳ開発チームに所属していた。 戦後に流布された説によると、連邦軍がＭＳ開発に乗り出したのは戦争が始まってからのＶ計画に始まるということになっているが、兵器というものを知る者ならば自明の通り、いくら連邦の国力が優れているとはいえ数カ月で一つのシステムを組み上げることは出来ない。公国が高ミノフスキー濃度環境下での運用を想定した新兵器の開発に乗り出したという情報を手にした時、いやミノフスキー粒子という新たなファクターが現実のものとなった時から連邦も公国と同様の研究を始めていた。公国が連邦に先んじたのは単にウェイトの置き方に差があっただけのことである。むしろ公国と連邦の間に生じた差はＭＳ開発などではなく、ＭＳの運用を前提とした戦略・戦術体系の確立においてより深刻なものだった。公国軍は連邦軍に先んじてＭＳ運用を前提とした艦隊編成を行っていたのである。 ＭＳにまつわるものとは別に戦後に生じたもう一つの誤解として、連邦軍のみが大艦巨砲主義に染まっていたという点が挙げられるが、公国軍もその点については全く同様だった。宇宙空間という障害物の比較的少ない戦場においては機動性能よりも直接的な破壊力の方がものをいう。超遠距離・高速度で移動する物体を射撃するためのＦＣＳは旧世紀の間にほぼ確立しており、仮に戦闘機を大量に投入しても有効射程距離に入るまでに全滅するため、長射程・重防御の艦艇こそが宇宙空間の覇者とされていたのだ。レーダーが有効であるという前提が存在した世界では、この見解は正しかった。そして、ミノフスキー粒子が全てを変えた。 レーダーを含むあらゆる電子装備に干渉するミノフスキー粒子がもたらす影響について気付いたのは、双方ともほぼ同時期のことであった。ただ、その認識が現実に作用するまでの時間は、組織として肥大していた連邦よりも公国の方が短かった。国家中枢の危機感もまた公国の方が遥かに勝っていた。 そうした諸々の事柄の結果が、つい五日ほど前のブリティッシュ作戦につながり、現在に至っているわけである。サイド２の８番コロニー、アイランド・イフィッシュを南米のジャブローにある連邦軍本部に落下させることに失敗した公国軍が、今度はサイド５のコロニーを落とそうというのだ。既に三〇億もの人口を失っている地球に二度目は許されない。ジャブローに落ちるか否かを問わず、戦意を失いかかっている連邦議会は公国に白旗を振ることになるだろう。また、そうでもしなければ地球規模の暴動が起こりかねない。 まさに連邦の命運のかかった一戦であるといえた。 さて、と。ネフは対空戦闘の指揮を執るために、コンピュータがシミュレートした担当宙域に侵入する敵機の数と迎撃計画をディスプレイに呼び出した。 ネフが教育しただけあって、コンピュータの意見はネフよりも悲観的だった。 −はたしてどう転ぶだろうか？ 宇宙世紀〇〇七九年一月一五日 二二時二〇分 サイド５付近 公国軍第二戦闘群第七戦隊 巡洋艦『ナースホルン』 ＭＳ格納庫 「大尉、まだですか？」 じれた声にコンソール右上方の通信用モニターに映る男が苦笑を浮かべた。 「軍曹、対艦ミサイルの巻き添えを喰らいたいのか。もう少し待て。我々は第二陣だ。先行の連中が向こうのセイバーフィッシュを掃除するまではおあずけだ」 「しかし、こんなにごっついエモノを抱えたまま船の中でじっとしているのは、愉快なもんじゃありませんよ」 それに対して彼が答えかけたところで、左側のモニターに通信が割り込んできた。艦橋からだ。 「ハウザー大尉、グリフト軍曹、お待たせしました。コースクリアーです。ここからは出前を任せます。しっかり渡してきて下さいね」 「こちらハウザー、了解した。ところでサイモン中尉達は無事か？」 「ご心配無く。今の所、全く損害無しです」 「了解、では出るぞ、カタパルト頼む」 公国軍の戦闘艦として最も一般的なムサイ級巡洋艦の場合、搭載機数が三機の前期型と四機の後期型とに分けられる。グリフト達のザクを発艦させようとしている『ナースホルン』は後期型である。もっとも、発艦の方法などにはかわりはない。艦体前部のデッキからカタパルトで射出するのである。 なお、この時点で『ナースホルン』における可動機数は二機である。もともと三機の定数の所、ブリティッシュ作戦の際に一機が再出撃が不可能なほどの損害を受け、そのまま補充を受けないままに今日の作戦に参加したからだ。こうした事情は第七戦隊に共通しており、この戦役に参加した戦力は四隻のムサイ級巡洋艦に対して十機のＭＳに過ぎない。定数十二機、最大搭載機数十六機という数字に対しては心細いものだが、ＭＳ中隊の隊長を務めるハウザーは二個小隊、六機のザクを前衛に出していた。そしてグリフトはハウザーと同じ小隊の唯一の部下となるわけである。 ともあれ、ハウザーのザクに続き、グリフトのザクも射出される。カタパルトからの射出といっても、それほどＧがかかるわけではない。艦から切り放す程度のものだ。それでも空間感覚が失調するのは避けられない。バーティゴと呼ばれるこの感覚失調は、航空機の時代からパイロットの最大級の敵である。この瞬間を狙われてはひとたまりもない。グリフトはモニターからの情報を無視してコンソールの計器だけに集中した。ミノフスキー粒子の濃度が低ければレーダーを使った計器飛行が役に立つ、というか不可欠になるのだが、ミノフスキー粒子を散布した後になっては壊れたラジオとかわりはない。今一つ信用の出来ない赤外線センサーとモニターに映し出される映像だけが頼りだ。グリフトは赤外線の情報だけを頼りにハウザーの機体と『ナースホルン』の位置を確認した。次いで正面のモニターを見る。暗黒のスクリーンに浮かんだ無数の光点。そのほとんどは何百光年も離れた無害な存在であるが、ひときわ輝いている幾つかはほんの数十キロ向こうに浮かぶ敵意に満ちた『獲物』である。機体のコンピュータがそれにマークを付けて注意を促した。 「グリフト、ザコには用はない。サラミスを狙うぞ」 連邦軍の艦隊編成は古典的な単縦陣。四隻のサラミス級巡洋艦が前の艦の航跡とは僅かに位置をずらすように並んでいる。位置をずらすのはより後方に位置する艦が、前方の艦やその推進炎で射界を邪魔されないようにするためであるが、ＭＳにとっては意味のない陣形である。 そう、騎士の敵は騎士であり、小さな蜂のことまでは考えていない。いや、本来ならば蜂をも落とす弓矢を備えていたはずなのだが、ミノフスキーという名の妖術師がそれを奪ってしまっていた。 そして蜂の毒は猛毒だった。 宇宙世紀〇〇七九年一月一五日 二二時二三分 サイド５付近 連邦軍第四艦隊第四三戦隊 巡洋艦『エクゼター』 第二艦橋 「敵艦、戦闘艇展開開始。ミノフスキー粒子濃度が高いため機数は不明。一個中隊規模と思われます」 情報士の声が無情に情況を告げる。 既に遠距離での砲戦は始まっていたが、ミノフスキー粒子のためにまだお互いに有効弾は出ていない。だらだらと時間が過ぎて有視界距離間際まできたところである。 頭の中でネフはもう一度手駒を確認した。心配していた情況が的中しつつあるように思えたのだ。 サラミス級巡洋艦四隻。艦載機（というか正確にはロープで拘束してルナ２より牽引してきたもの）としてボール十二機。セイバーフィッシュ四機。 敵はムサイ級巡洋艦とおぼしき艦艇が三隻か四隻。ネフはコンピュータと相談してムサイ級四隻と見当を付けた。とすると「戦闘艇」は十二機から十六機。 つまり頭数だけなら同程度の兵力である。 性能面での比較はやるだけむなしい。ザク一機の戦闘力はボール三機に匹敵するというのが、ここ二週間の戦闘結果からのデータである。 要するに、艦艇レベルでの戦闘力は多少のアドバンテージがあるものの、艦載機のレベルでは三倍もの開きがあるということである。 ……負けるな。こりゃ。 ネフは軍人にあるまじき感想を抱いた。連邦軍が勝つという算段が成立するのは、ＭＳの戦闘力を無視できる人間の頭の中だけである。あいにくとネフは連邦軍の中でも数少ないＭＳ重視論者であった。彼に言わせればそれほど突飛な話ではない。戦闘力としての柔軟さや有効性に優れた航空機が大艦巨砲に勝ることは人類二度目の総力戦の際に証明済みである。レーダーによる遠距離での戦闘以外はあり得なかった時代ならともかく、ミノフスキー粒子によって大艦巨砲の有効性が低下した現在ではＭＳの方が有利に決まっている。 ではどうするか。ネフは戦隊防空戦副調整官、つまり対ＭＳ戦闘の責任者としての権限を行使することにした。第一艦橋の艦長席との回線をつなぐ。 「どうしたナンバー・ワン」 「艦載機発艦のタイミングを早めたいと思います。それと陣形の再編の許可を」 チェン大佐は眉をひそめた。彼は戦隊司令であると同時に戦隊打撃戦調整官、つまり戦隊レベルでの艦砲戦の直接指揮を執る立場にもあった。ここでネフの要求を容れるということは艦砲戦を諦めるというのに近い。少なくとも彼はそう判断した。 「悪いがネフ、今ここで陣形を変えるわけにはいかん。理由は貴官も承知しているはずだ」 有効射程に入ろうとしている現在、陣形を変えることは自殺行為に近い。チェンの言うことはもっともであると言えた。 「ではせめて艦載機の方は認めて下さい」 艦載機を発艦させるには一時的に艦砲の射撃速度を低下させなければならない。チェンは一瞬考え込んだが、すぐにうなずいた。敵の艦載機はもう発艦を始めているのである。 「分かった。射撃計画に修正を加える。いつ発艦させる？」 「いますぐにでも」 ネフは心の中に僅かな光が差し込むのを感じた。少なくとも犬死だけは避けられそうだ。 宇宙世紀〇〇七九年一月一五日 二二時二八分 サイド５付近 グリフトは大きな光点から小さな輝きが飛び出したことに気がついた。ＭＳのコンピュータもほぼ同時に気がついたらしく、モニターに幾つかの表示を出してそれにマーキングを行った。 ボールか。表示に目を走らせたグリフトは唇の端を歪めた。戦闘機以外にまともな機動兵器を持たない連邦軍が用意したなけなしの機動兵器、というよりは戦闘ポッドである。まともな機動力を持たず、ザクの敵とはとても言えないが、攻撃力だけは侮れない。ザクの装甲では、ボールの主砲である一八〇ミリ砲の威力を抑えきることは出来ない。もっとも、命中すればの話である。機動性能に劣るボールにザクの動きを捕捉することが非常に困難であることは、これまでの戦訓から明白だった。また、連邦軍のボールの運用方針は、戦闘機についてのそれと大して変わっていない。つまり、艦隊前衛の防御壁として使っているのである。これならボールの懐に飛び込むことによって攻撃力を大幅に低下させることが可能だ。 「ボールの掃除はサイモン中尉に任せる。我々はこのまま一気に飛び込むぞ」 ハウザー大尉もグリフトと同じ見解に達したようだ。制空任務はサイモン中尉の小隊が引き受ける事になっていた。彼らが操縦している機体はグリフト達のザク�僑歎燭箸楼磴ぁ�一つ前の型のザク�毅揃燭�ほとんどであり、装備も任務に合わせて一二〇ミリマシンガンのみとなっていた。とはいえ、ボール相手なら充分な装備である。 サイモン中尉が指揮する二個小隊が掃除を行い、ハウザー大尉が指揮する残りの二個小隊が切り込む。ありきたりではあるが、連邦軍の戦力を考えれば充分成算のある計画であるといえた。 宇宙世紀〇〇七九年一月一五日 二二時三〇分 サイド５付近 連邦軍第四艦隊第四三戦隊 巡洋艦『エクゼター』 第二艦橋 「ボール部隊、展開完了」 情報士がそう告げると、艦橋上部に張り付けられている大型ディスプレイに表示された敵味方のマーカーに青いサインが加わった。もともとボールなどの機動兵器の搭載能力など持ち合わせていない連邦軍艦艇は、艦体に直接くくりつけるという強引な方法で戦場への投入を行っていた。当然、整備効率などは極端に悪化し、構造の簡単なボールはともかく、それなりの整備を要求するセイバーフィッシュでは整備不良の機体が相次いでいた。四三戦隊もそれは同様で、『エクゼター』が引っ張ってきた六機のセイバーフィッシュの内、二機を不調のためルナ２に送り返している。残り四機は既に展開を終え、公国軍の前衛ＭＳと戦闘を繰り広げている。 ディスプレイの上方には赤い菱形が四つ表示されていた。下方には青い楕円が四つ。菱形が公国軍、楕円が連邦軍を意味している。その間の画面には菱形を半分に切ったような形の赤い二等辺三角形が六つと楕円を半分に切った青い半円が四つ、それぞれ表示されていた。三角形が公国軍ＭＳ（もしくは戦闘艇）、半円がボールやセイバーフィッシュなどの連邦軍戦闘艇である。もちろん、地球上とは異なる完全な三次元の世界を二次元で表現するのは無理があるのだが、それなりに理解しやすいとはいえる。それ以上の精度を求めるのなら、それぞれの手元にある小型ディスプレイに疑似三次元での座標を表した画面を表示させることも可能だ。 ネフの指示で予定より少し早めに発艦したボール部隊を表す青い半円は、四つの楕円のすぐ上に配置されていた。これも予定とは異なる配置である。 ネフのイヤホンに艦長の声が流れてきた。 「少佐、ボールの配置はあれでいいのか？ 予定よりかなり手前だが」 予定ではボールは艦体の前衛として、外周防衛ラインを形成する位置に配置されることになっていた。現在の位置では内周防衛ライン、つまり個艦の対空砲火の担当とされる部分と重なってしまう。要するに敵のＭＳが直接艦艇を叩ける位置まで踏み込まれることを許す配置になっているのだ。 ネフは肩をすくめてみせた。 「ボールではどのみち蹴散らされてしまいます。内周防衛ラインに入れて、浮き砲台として使った方がましでしょう。懐まで踏み込ませて対空砲火の密度を上げた方が有効と判断しました」 大物を狙える位置まで来ていちいちボールを叩いて回れるほど、公国軍も手駒に余裕があるわけではないはずだというわけである。ネフの説明にチェンもうなずいた。 「分かった。任せる」 |