第三章 地球へ


5 大気の壁



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五八分 地球軌道上 ザンジバル級巡洋艦『リリー・マルレーン』 第一艦橋

 ブラックアウトした通信モニターを睨んだまま、微動すらしない上官同様、艦橋内の空気は爆発寸前のままで氷結していた。
 シーマの怒りに共感し、また彼女の怒りが臨界に達することを恐怖していたためである。
 開戦の直前になってから編成された急造の部隊ではあるが、彼女はとかく評判の悪い部下たちからその程度には敬愛され、そして恐れられていた。
「シーマ様、航路を変更しますか?」先任士官のコッセル大尉が、自分の役割を恨みながら尋ねた。
 必要な情報はすでに司令部から転送されていた。相対速度が大きいので、あまり時間的な余裕はない。連邦軍の別働隊を迎撃するのであれば、一秒でも早く行動を開始するべきだった。
 殺意すらこもった視線が彼の身を貫く。
「聞いていなかったのか? 第一海兵大隊は連邦の別働隊を迎撃する」
「はっ、失礼しました」士官学校を卒業したばかりの新米士官のように、しゃちほこばった敬礼を返す。
「それとコッセル」シーマは疲れたようにシートに身を沈めた。
「はっ」
「シーマ少佐と呼べ」



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時〇〇分 地球 モンゴル上空 高度二五〇〇〇メートル

 かすかに聞こえてくるエンジンの唸り声が、やや音階を変えた。音というよりも、身体に伝わるごくわずかな振動がそれを教える。
 キャノピーと一体化しているヘッドアップディスプレイが、エンジンがターボジェットからラムジェットへと切り替わったことを告げた。
 ジョアンヌ・ビヨー大尉は表示されたメッセージに目を遣り、列機のエンジンも同様に切り替わったことを、満足げに確認した。彼女たちのFF−6L・TINコッドは、安定性の高い制空戦闘機として高い評価を受け続けてきたTINコッドの高々度仕様なのだが、実のところ、ラムジェットを使うような高度を飛び回ることは、機体の目的とは裏腹にそれほど多くはなかった。
 なんとか飛行時間二千時間を稼ごうとしているジョアンヌにしても、衛星軌道のターゲットを迎撃できる大型の対衛星ミサイルまで装備しての高々度飛行は、数えるほどしかない。
 ましてや列機のラディル少尉は、対衛星ミサイルを装備しての飛行はこれが始めてのはずだった。彼の飛行時間は千時間にすら達していない。
「ジョーン、準備はいいか」遙か下を飛んでいるはずの管制機から、眠たげな声が飛んできた。副調整官のユン中佐だ。彼は彼女がどれだけ訂正しても、名前をまともに発音できたためしがない。なんでも彼の娘の名前の綴りとまったく同じで、発音だけが違うことが原因らしい。
「いつでもどうぞ」
 彼女はそう応えた。レーダーを見ても無駄だ。すでにミノフスキー粒子の濃度は刻一刻と上昇を始めていた。ほとんどの宇宙線を無力化する分厚い大気の層も、ミノフスキー粒子相手では無力だ。第一、この高度では大気の効果も薄くなっていた。キャノピーの防眩機能を切って、ヘルメットのバイザーを上げようものなら、即座に網膜を焼かれかねない。
 遙か下方の高度一万メートルを遊弋する管制機とは、レーザー回線で繋がっている。対流圏の影響を受けないのでこの距離でもほとんど問題はない。
「よーし、それじゃカウントダウンを始める。タイムテーブルを確認しろ」
 彼女たちのTINコッドは管制機とデータリンク結ばれているので、実際にはほとんど操作する必要はない。その気になれば、ミサイル発射から基地着陸まで、向こう側から完全制御することさえ出来る。もちろん戦闘機パイロットなどという人種が、そんなことを許すはずもないが。
 さしたる緊張もなく、ジョアンヌは「重荷」が切り離される瞬間を待つことにした。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時〇七分 地球軌道上

「いいね、ちゃんと拾っとくれよ」
「アイ・アイ、シーマ様もご無事で」
「……ようし、出るよ、遅れんじゃないよ」
 シーマはハンガーで控えている部下に声をかけると、カタパルトにザクの足を載せた。チェックリストが流れて最終確認が行われ、機載コンピュータが機体とカタパルトに異常のないことを告げる。
 シーマはコンピュータに、発艦シークエンスを進めるように命じた。
 ザクが軽く脚を曲げた。電磁カタパルトの作り出す加速に耐えるためだ。シーマも息を吸い込み、下腹部に力を入れる。
「御武運を、射出します」コントロールセンターに詰めているデッキクルーが短く告げた。
 海兵隊では、いちいちカウントダウンを行ったりしない。ディスプレイに表示されるし、カタパルト脇に設けられたランプを見てもいい。
 真空のデッキから電磁カタパルトで射出されるので、不注意な者が気流に巻かれて吹き飛ばされることもない。もっとも、海兵隊にそんな馬鹿は居ないが。
「発艦!」
 同時にカタパルトが作り出したGが、シーマの身体をシートに押しつけた。奥歯を噛みしめ、それに耐える。一瞬の時間をはさんで薄暗いデッキから、満天の輝きへと視界が切り替わる。
 シーマはほとんど無意識のうちに『リリー・マルレーン』の位置を確認し、それからスロットルを進め、ようやくスラスターを吹かした。安全保持のため、艦からある程度離れるまではスラスターに火を入れてはならないという規定があるからだ。
 本来ならばここで二人の部下が発艦するのを待ち、編隊を組んで移動を始めるのだが、今回は発艦以後、各個に行動するように命じていた。
 航法のことを考えるとあまり勧められた判断ではないが、時間的余裕がないことを考えるとやむを得なかった。その代わりに部下には、それぞれ隊内でも指折りのベテランを選んでいるし、万一はぐれた場合も、後に残る『リリー・マルレーン』が面倒を見ることになっている。シーマ自身については──ほとんど腹いせに出撃しているようなものだが、自分の能力については過小評価も過大評価もしていないつもりだった。開戦以来の経験がそれを裏付けている。
 今回の相手はサラミスだけなので、獲物はバズーカとシュツルムファウスト二本だけである。もしセイバーフィッシュでも出てきたら厄介なことになるが、あしらいきれないほどの数が出てくる可能性は、あまり考えられなかった。一応、部下の一人にはマシンガンを装備させているが、多分使うことはないだろう。
 それよりもさっさと片付けて、本来の任務の方に戻りたかった。勤勉の二文字と縁のある性格というわけではなかったが、海兵隊の主任務と目されてきた降下第一陣を、他の部隊に譲り渡すのも業腹だった。
 敵の姿は、まだザクのセンサーで捉えられる距離になかったが、『リリー・マルレーン』の赤外線索敵が把握していた。彼女たちは『リリー・マルレーン』とのレーザーリンクを介して情報を受け取り、対艦攻撃を行うにしては速すぎるほどの勢いで虚空を疾駆した。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一〇分 地球軌道上 チベ級重巡洋艦『コルフ』 第一艦橋

「海兵の攻撃が始まりました」
「二一大隊、大気圏に突入開始します」
 立て続けに入ってきた報告は、どちらもオデッサ降下を担当する第九師団に関係していた。
 ここまでの経緯から、細かい報告を受けるまでもなくおおむねの展開は予想できていたが、それでも気分が重くなってくる。とはいえ、第九師団の司令部はこんなものではないのだろうが。シャピロとしては想像したくもなかった。
 もっとも、そんな贅沢が許されるほどの暇もなかった。降下のために残してあった大量の推進剤を、惜しげもなく消費して連邦軍の迎撃に向かった『リリー・マルレーン』から海兵隊の人員と機材を引き取り、予定の遅れを一秒でも短縮してやらねばならない。下手をすると、最悪シーマたちは回収不能のまま宇宙の彼方へ消えるという可能性すらある。もちろん現実的にはほとんどあり得ないが、作戦復帰が遅れるという程度なら充分に考えられた。
 すでに過密状態にある降下船団の編成から搭載物の重要度の低い降下ポッドを選び出し、一時的に搭載物資を投棄してブースターを装着、『リリー・マルレーン』の後を追わせる。投棄された物資を回収すると同時に、HRSLが一基抜けることによって生じた降下計画を修正する。海兵隊をHRSLに収容した後で、今度は地上に降ろすための補給と装備を与えてやらなければならない。もちろん『リリー・マルレーン』の回収も手配しなければならない。
 そうした作業の大半は本来なら兵站参謀の仕事になるが、彼は既に過重な任務を強要されていた。考えられる限りの連邦軍がほぼ出尽くしたと判断されたため、瞬間的に手の空いたシャピロが、代わりにそれを引き受けることになったのである。
 あるいは我が軍の最大の弱点かも知れないな──シャピロは膨大な作業に忙殺されながらも、意識のごく一部でそんな感想を抱いた。まともな士官教育を受けた人材が、軍の作戦規模のわりに少なすぎる。部隊指揮官として絶対必要な頭数を賄うだけで、軍組織を維持するために必要な専門家の養成にまで手が回らないのだ。必然的に人力を消耗することになる長期戦を戦い始めようというのに、何とも不安な話だった。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一一分 地球 ウラル上空 高度一二〇〇〇メートル

「五〇……五五……」
 高度二五キロメートルで切り離された槍は、既に蒼いとはいえない色で染められた大気を切り裂き、水蒸気を残しながらさらなる高みへと昇り詰めてゆく。
「八〇…」
「敵、デコイ放出」
 スクリーンに表示された敵ポッドが、一度に数を増した。各種の電磁波を放出してミサイルを惹きつける囮だ。しかし、連邦軍でも最強クラスの情報処理能力を備えたE−14Fスカーヴィズにとって、真贋を見極めるのはそれほどの難事ではない。正体不明の敵性体を意味する記号が、次々と化けの皮を剥がされていく。
 ファイサル・ラジャブ准将は、視線を手元の小さなディスプレイに落とした。
 連邦軍の「目」を司る指揮官として知っておくべき情報に加えて、そこには公国軍の降下作戦が、どの程度阻止されているのかを示す三つの数字が並べられていた。
 上の一つは作戦前に予測されていた阻止率。
 下の一つは今現在、実際に進められている迎撃作戦の成果。
 中央の数字は現実によって修正を受け、新たに算出されつつある阻止率だった。つまり現時点では、これが作戦終了後の公国軍降下部隊の規模を示している。数字は二十代をせわしなく行き来していた。
 連邦軍の迎撃作戦の中で、もっとも有力視されていたのがスカーヴィズによる情報処理だった。弾丸を一発も飛ばさない戦力だが、彼女が一基デコイを識別するだけで、高価な迎撃ミサイル一発分が挙げる戦果に匹敵するのだ。スカーヴィズはその作業を、同時に数万件単位で処理することが可能だった。東アジア上空の守りは、彼女一機が主力となっていた。
──それでも、多すぎる。
 ラジャブは絶望的な思いを抱いた。
 戦前に練られた連邦空軍の迎撃計画は、敵降下部隊が低軌道に達するまでに、宇宙軍の迎撃である程度の打撃が与えられ、降下開始後も宇宙軍の支援を受けられることが前提となっていた。
 つまり、制宙権は連邦宇宙軍が握っているものとされていたのである。基本的に、大規模な軍事作戦としての降下というよりは、対テロ作戦としての認識の方が強いぐらいだった。
 開戦から三ヶ月を経てみると、それがいかに甘い認識だったのか、陸海空の地上三軍の参謀たちは痛感せざるを得ないところだった。
 もちろん理由は存在する。地上軍だけで広大な地球を守り抜くためには、莫大な戦力が必要だった。当時、建軍の途上にあった宇宙軍に充分な資材や予算を与えるためには、それらを諦めなければならなかったのだ。
 スカーヴィズの存在自体が空軍の立場を如実に示していた。ごく少数の機体で広大な地球を管制できる存在──まさに地上軍の必要に応えた兵器といえる。
 さらには、単体でも強力な情報処理能力を持つスカーヴィズの手に余る場合まで想定して、地球上、もしくは軌道上のコンピュータとリンクすることによって、より処理能力を強化するシステムも構築されていた。確かにこのシステムが機能すれば、今回のような状況であってもなんとかしのげたかも知れない。
 ミノフスキー粒子さえ存在しなければ。
 ここ十年ほどの間にミノフスキー粒子の脅威についての認識が広まるにつれ、空軍もそれなりの努力を投じて対策を行っていた。数度にわたるヴァージョンアップでスカーヴィズの個体性能を向上させたこともその一つである。
 しかし、必要最小の戦力しか持てない空軍の力では、世界中に充分な数のスカーヴィズを配置し、運用し続けることなど、どだい無理な話だった。  一般に、攻撃側は好きな時に防御側のもっとも手薄な部分を攻撃することが出来る。
 ここひと月ほどで防御計画を立案した参謀たちは、敵の侵攻位置を予測した上でもっとも効率的な戦力配置を行ったとしても、それでも戦力が少なすぎることを認めざるを得なかった。
 要するに守らなければならない場所が多すぎたのである。それならいっそのこと、どうしても必要な箇所以外の防備は放棄して、特定の箇所だけを重点的に守ればいいのだが、そういうわけにも行かなかった。候補に挙げられた地域出身の議員たちが、連邦軍に強力な圧力をかけてきたのだ。連邦が民主主義政体を採用し、それを尊重している以上、むしろ当然のこととも言える。
 非公開で行われていたはずの検討議題をどうして彼らが知り得たのかについては、誰も深く考えようとはしなかった。軍の内部で行っていたのならともかく、政府の「内部」委員会とは、基本的にそうした組織であるというのが、ジャブローやダカールでの常識だった。
 結局、総論が適用されたのは、連邦軍の本拠地であるジャブローと、連邦政府や議会が置かれているダカールのみにとどまっていた。優先順位としてはそれらに次ぐはずのオデッサなども、配置された戦力としては、軍事戦略的にはそれほど重要な地位を占めていない北米東部やインドなどと大差はない。
 ジャブローの参謀たちは、降下作戦という現実の力を利用して、極力戦力を消耗しないで撤退させることを狙っていた。戦闘が始まってしまえば政治家たちの言葉を聞かずに済む。
 どう考えても最初の数ヶ月間は、いかに立ち向かうかというよりも、いかに逃げ延びるかということの方に主軸をおく必要があった。
 これがまた連邦軍が弱兵であったという戦後の伝説を構築する柱の一本となるのだが、それはともかく、いまこの時点において、公国軍が狙っているウクライナのオデッサや中国の太原を水際で撃退しうる能力が、連邦軍にないことは間違い無かった。
公国軍の降下を阻止できないのなら、連邦軍が採るべき方針はどうなるか。
 基本方針は損害を出さないように撤収することだが、そればかりでも困る。連邦軍が体勢を立て直したらジャブローが陥落していた、では話にならない。最小限の部隊が公国軍に最大限の出血を強いて、可能な限りの時間を稼ぎ出す必要がある。
 そこまでは素人にも分かる理屈だが、問題はどの程度の戦力をその任務に振り当てるかである。任務の性質上、被害が大きくなることは避けられない。つまるところトカゲの尻尾そのものであるからだ。
 連邦軍の参謀たちは、空軍を中心とする後衛戦闘を考えていた。別に航空戦闘に自信があったためというわけではなく、機動力のある、言い方を変えると逃げ足の速そうな戦力構成を考えると、航空戦力に主眼を置くしかなかったのだ。
 これはまた、連邦軍のドクトリンにも合致していた。元来、連邦軍は地球圏での地域紛争を抑止、もしくは早期解決を図るという目的のもとに編成されていた。マゼランやサラミスなどの宇宙艦艇は、長期間の哨戒航行に対応できるよう、比較的航続距離を優先した設計となっていたし、主力航宙機であるセイバーフィッシュも緊急展開を考慮して、エンジンを換装するだけで大気圏内での運用が可能だった。
 また、地上軍は航空戦力と電子戦能力が優先して整備されていた。優勢な航空戦力と軽装備の陸上戦力を速やかに展開することで、紛争が大規模なものとなる前に収拾することが、連邦軍の基本的な方針だった。地球上に大規模な軍事力の存在しなかった時代には、それで充分だったのだ。
 その代わりに強力な情報戦能力と特殊部隊を保持することは怠らなかった。ちょっとしたテロリズム程度なら情報戦で動きを止め、必要なら特殊部隊を送り込んで鎮圧できる。正規軍戦力は旧暦の頃とさして代わり映えしないが、それで充分だったのだ。
 こうしたドクトリンがミノフスキー時代に適応していないことは、連邦軍においても既に共有された理解となっていた。しかし、だからといって連邦軍という巨大な機構が、一朝一夕でそれに対応できるわけでもなかった。結局、誰もが手持ちの資材と知識とで戦わなければならなかったのだ。
 いま戦われている戦争もまた、古い機材と知識と発想とで組み上げられた作戦が持ち込まれている。
 では、それが役に立たないか、というとそうでもない。連邦軍は、地球という大気と地表と海水と重力で構築された世界に適応していたのだ。ミノフスキー技術とMSというアドバンテージを持つ公国軍にとっても、決して楽な相手ではなかった。
つまり、いまの連邦軍は棍棒を振り回す公国軍相手に、細身の剣で突きを入れるという方針を採っているわけである。ラジャブは重そうな棍棒を軽々と振り回す小柄な戦士と、巨体を持ちながらそれに似合わぬ細身の剣でおそるおそる突きを入れようとする剣士との戦いを想像し、思わず苦笑を漏らした。
「敵降下ポッド群、迎撃機部隊と接触します」
「モスクワ防衛基地より、対弾道弾ミサイル発射開始」
 神の目を持つ彼の元には、ウラル山脈以西の情報はほとんどリアルタイムで集まってくる。スカーヴィズの前では、ミノフスキーの妨害すら絶対ではない。
 しかし、地球圏全ての情報処理手段を駆使して戦場を遙かなる高みより見下ろしていた時代は、既に幕を下ろしていた。彼の持つ情報伝達能力はあまりに貧弱なものでしかない。
 せいぜいオデッサ基地群周辺の防空戦闘の指揮を執り得る程度だ。これでは限られた戦力しか持たない迎撃手段を効率よく運用できない。やはり、連邦軍がオデッサや太原を放棄するのはやむを得ないところだろう。
 それまで、いかにこちらの出血を押さえ、あちらに出血を強いるか、それが今後の戦局に結びついていくことになる。
 神の目か……まったくこいつにふさわしい呼び名だな。
 ラジャブは、本来の能力に比べてあまりに現実に対する影響力の乏しいスカーヴィズの立場について、自嘲混じりの感想を抱いた。
 迎撃に向かっているTINコッドが、そろそろ交戦距離に入ろうとしていた。高度三万メートルの高みから見上げた星の数ほどあるように思われた敵の数は、スカーヴィズによって都会の空程度にまで減らされていた。TINコッドの大半は獲物にありつけることだろう。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一二分 地球 ロシア バイコヌール近郊 第七警戒基地

 暗闇の中で、くぐもった音が耳朶を打った。
 その音が何であるか認識する前に、歩哨に立っていた兵士の身体はゆっくりと崩れ落ちかけた。頸部に飛び込んできた低速弾が、頭蓋に突き抜け、脳組織を撹拌しながら頭蓋骨内で反跳したのだ。もちろん即死である。
 兵士の身体が無用な物音を立てる前に、暗闇から飛び出してきた男が、身体を支えた。そのまま暗闇へと引き戻す。
 クルト・シュタイナー・ハーディ大尉は、それには目もくれず、何気ないそぶりで腕時計に視線を落とした。ある理由から、この時代にあっても機械式のクロノグラフであるが、時間の精度に関してはほとんど問題を感じたことはない。秒針が静かに時を刻む様は、彼の精神に平衡をもたらしてくれる。今回もそうだった。
 何か問題が生じたらしい。そう結論せざるを得なかった。二分前には別働隊を指揮するミーシャが陽動攻撃を仕掛けるはずだったのだ。その混乱に乗じて、爆弾を仕掛け終わった基地から逃げ出し、降下部隊の到着を待つ。
 それがまだであるということは、ミーシャか降下部隊のどちらかが面倒に巻き込まれたことを意味している。
 ミーシャたちが潜んでいる森林は、シュタイナーの位置から視認できる位置にあった。ここから見える限りでは、今のところ何の動きもなさそうだった。もちろん、何らかの不都合が生じた場合、可能な限りの手段を用いてシュタイナーと連絡を取るように命じてある。
 つまり、面倒が生じたのは降下部隊の方だと考えて良さそうだった。ミーシャが攻撃を始めるのは、降下部隊の連絡を待ってからということになっていた。この手の作戦では、連携が上手く行かないと成功は望めない。
 逆に言えば、どこかのピースで不手際があると、パズルは完成しない。残るピースはじりじりしながら問題が解決するのを待つか、自ら窮地を開くしかないのである。
 とはいえ、たった今、歩哨を始末してしまった以上、彼に残された時間はほとんどない。基地の警備指揮官は、五分以内に予備分隊を送り込んでくるだろう。
「アンディ」傍らの副官に命じる。
「強行する。ミーシャに渡りを付けろ。八秒」
「了解」状況は彼にも判っていた。余計な質問をせずに、携帯していた端末にコードを打ち込む。
 低い声でカウントダウンを始めた。
「さん・に・いち・よし」
 人の目には別段異常は生じなかった。しかし、基地内に仕掛けた電子爆弾が爆発的にミノフスキー粒子を放出し、強固に対電磁波防護を施された一部の機器以外は、回路を焼き切られたはずである。あたりを照らし上げていた照明が、急に暗くなった。
 ミノフスキー粒子を用いた電子爆弾は、旧来の電磁波を用いたものと違って、人体にほとんど影響をもたらさない。旧来型の電子爆弾であれば、多少の防護であっても核爆発時の放射線並の出力で焼き切ってしまえるが、シュタイナーたちも無事では済まない。宇宙世紀に入って放射線医学もずいぶんと進歩したが、あくまで程度問題である。その点ミノフスキー粒子を利用したものなら、「きれいな」爆弾として使えた。
 爆音も衝撃波もない爆発だが、今ので辺り一帯の警戒システムが一斉に警報を発したことだろう。電子爆弾が無力化出来る距離など、たかが知れていた。
 この第七警戒基地は、西アジアにおける連邦軍最大の拠点であるバイコヌール基地を守る幾つかの基地の一つだが、当然ながら、それぞれの基地が相互に支援できる距離に配置されている。
 つまり、この基地の機能はしばらく停止したままとはいえ、あと数分もしないうちに援軍が来るということである。それまでに基地を脱出し、ミーシャが確保しているザクに乗り込んでしまわなければならない。
 言い方を変えれば、彼らがオデッサ攻略戦の先陣を切ったわけだが、もちろん、歓迎する気にはなれなかった。彼らが陽動となることで、他の基地に潜入している他の部隊の仕事が少しは楽になるだろうことが慰めだった。
 基地の周囲に連続して爆発が生じた。ミーシャたちが掩護を始めたのだろう。
「行くぞ」シュタイナーは低い声で合図すると、姿勢を落としたまま、闇の中へと走り出した。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一三分 地球 中央アジア上空 高度四五〇〇〇メートル 公国軍降下ポッド『カエサル2』 戦闘情報室

「『カエサル1』より発光信号。戦闘情報室に被弾、司令部壊滅」
 通信回線は未だ復旧していないようだった。至近距離で大型ミサイルの爆発を受けたのだ。機関部の機能が維持されているだけでもマシと考えるべきなのだろう。発光信号とはまた時代のかかった代物だが、双方の落下速度がほぼ同じ、つまり相対速度がゼロに等しい現状では決して無意味なものではない。
 しかし、司令部機能と操艦機能の大半が集中している戦闘情報室が機能を停止しているということは、満足な操艦指揮すら執れないはずだ。戦闘艦などとは違い、大気圏への突入ポッドに予備の艦橋など存在しない。機関室から直接操縦でも行っているのだろうか。ダメージコントロールに至っては想像もつかない。各部署の判断で各個に復旧に当たっているのだろう。
 ミシェル・ロード大尉は、自分の頭脳が逃避を始めたことに気付いた。とりあえずオペレーターに頷いてみせる。
「了解した」
 続いてマイクのセレクターを切り替える。これで届く範囲にいる者には聞こえるはずだった。『カエサル1』の乗員に聞こえるかどうかは、彼らの通信設備の復旧次第だ。
「第二中隊長ロード大尉だ。『カエサル1』の大隊司令部が壊滅した。只今より私が二一大隊の指揮権を継承する。楽な戦いではないが、力を貸してくれ。以上だ」
 実際、楽どころではなかった。率直な表現を用いると、悪夢の連続あたりがふさわしい。
 降下作戦の開始直前になって、味方の防衛線を破って敵の小艦隊が突っ込んできた。
 直ちに大隊の直衛戦力に指定されていた第三中隊が迎撃に向かった。中隊とはいってもルウム戦役で受けた被害をろくに回復しておらず、定数割れの二個小隊、四機の戦力しか持っていなかった。また、練度も充分とは言えなかった。一機のMSであっても惜しい降下作戦で、第一陣に組み込まれていなかったのはそのためである。
 ところが連邦軍は、艦船を中心とする編成で襲撃を行ってきたこれまでとは異なり、セイバーフィッシュを二個小隊、八機も投入してきたのだ。これはいかにも荷が重かった。一機を撃墜され、二機が損傷帰還の損害を受けながらも迎撃に成功したのは、むしろ健闘したというべきだろう。  しかも、少なからぬ損害を受け、推進剤や弾薬を使い切ったところで、連邦軍の第二陣が畳み掛けてきた。
 大隊司令部が第二中隊に対して迎撃を命じたのは当然と言える。むしろ問題なのは、一個小隊の戦力で迎え撃てと命じたことだろう。第二中隊は二個小隊のMSを保有していたのだ。
 練度や装備の面では第三中隊より優れていたが、大気圏突入寸前の低高度での戦いとなるため、回収に失敗することを想定して突入用の装備を加えなければならず、運動性能の面でかなりの負担となっていた。
 結局、半ばミシェルの独断で二個小隊とも投入し、しかも機体の回収を諦めなければならなかった。そこまで追い込まれたのだ。
 幸いにして喪失した機体はなく、実用性が危ぶまれていたバリュートも無事機能したので、一足先に降下を開始したミシェルのポッドを追いかけてきているはずだが、しばらく遅れるであろうことは避けられなかった。
 高濃度のミノフスキー環境下にあって、レーダーは無意味だった。大気圏突破の減速に伴って生じる高熱のため、こちらからはまるで目が利かない。
 一方、下からは丸見えということになるので、二基の降下ポッドは降下開始直前に、一基あたり四基の囮を放っていた。多量の赤外線を放ち、大気圏突破後には視覚的にもHRSLと変わらない大きさに膨張する高価なものである。それに加え、HRSLだけではなくデコイも、高熱を発して赤外線センサーを引きつけるフレアーを放ち続けていた。
 にもかかわらず『カエサル1』にミサイルが命中したのは──不幸以外の何者でもない。
 十個の目標に八発のミサイルが殺到し、この条件下では驚異的な命中率、四発のミサイルが命中したのだ。うち二発は一つのデコイに命中、残る二発がデコイと『カエサル1』の至近距離で近接信管を働かせ、その破片の一つが大隊司令部の詰めていた戦闘情報室に直撃したのである。
「降下方向への光学索敵、機能回復します。──高度三万に連邦軍の迎撃機を発見、機数は四機、会敵は八二秒後」オペレータが告げる。
 同時にメインスクリーンの戦術情報が更新される。こちらの降下方向にベクトルを合わせるようにして、迎撃機が緩降下を続けていた。マッハ五を超える速度だが、その三倍の速度で降下するHRSLを捕捉するのは楽な仕事ではない。正対すれば五秒もかからずに交差するが、それでは迎撃できないのだ。
「了解」ミシェルはスクリーンを睨みつけた。
 おそらく、強力な索敵・通信能力を持った管制機の支援を受けているのだろう。ポッドの軌跡を先回りし、待ち伏せる。会敵する頃にはこちらの速度も落ちているので、はじめて攻撃を仕掛ける余裕ができる。もちろん、HRSLが戦闘機の攻撃を浴びて、持ち堪えられるわけはない。
「大尉、レギンズ大尉です」
「回してくれ」レギンズは戦闘機隊の指揮官だった。彼の要求は聞かなくても分かる。彼らは既にコクピット内で待機していた。
「ロード大尉、出撃を許可して欲しい」
 駄目だとひと言で却下してもいいはずだった。戦闘機とはいっても、連邦空軍が高々度制空戦闘用に開発し、複合型ジェットエンジンに換装したTINコッドを相手に、低高度用支援戦闘機のドップが、通常のジェットエンジンの回らないこの高度で戦えるはずがなかった。
 もちろん、レギンズがその程度のことを知らないはずがない。
「どうするつもりなんだ?」ミシェルは訊ねた。階級は同じだが、編成上、指揮権は彼の方にある。加えて先任でもあった。彼が認めない限り、レギンズの要求は通らない。
「別に落とそうってわけじゃない。ドップがうろちょろしていれば、奴らもこちらを狙いにくくなるだろう」
「しかし──」逃げ回るにしても、勝負にならんぞと言いかけたミシェルの言葉を、レギンズが遮った。
「時間がない。反動制御機動じゃこちらに一日の長があるってことを教えてやれればいいんだ」
「分った。任せる」何が出来るのかは分らなかったが、何もしないよりはましだった。
「ドップを出す。シェリー、ハンガーに準備させろ」
「了解、ハンガー、発艦準備。準備でき次第、減圧を開始します」
 オペレータのシェリーは、手際よく発艦シークエンスに取りかかった。ポッドそのものの操縦要員は別にいるが、彼らにこれ以上の負担を要求するわけにも行かなかった。必然的に、中隊オペレータの彼女がありとあらゆる管制任務をこなすことになる。
 高度四万メートルで、音速の十五倍に達する速度で降下している最中のことである。一応作戦前に検討はされていたが、実際に行うとなると、いろいろな意味で正気を疑いたくなってきた。もっとも、無理難題を切り抜けなければならないという点については、今に始まったことではないが。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一四分 地球 モンゴル上空 高度三一〇〇〇メートル

 ジョアンヌのTINコッドは、その真価を発揮しようとしていた。
 多段階ラムジェットエンジンを搭載した超高速航空機──技術的にはそれほど難しいものではない。宇宙と地上とを無数に往復することを強要された旧暦の宇宙開発時代に開発された技術だ。
 当時用いられていた化学ロケットと呼ばれる最も原始的な宇宙用のロケットエンジンは、液体酸素と液体水素とを反応させることで推進力を取り出していた。こうしたエンジンと大気圏内を飛行していた航空機のターボジェットエンジンとの違いは、後者は大気内の酸素を利用しているという点にあった。つまりロケットエンジンは、酸素の分だけ余計な重荷を背負っていたわけである。これは軌道に一グラムでも多くの物資を持ち上げたい宇宙往還機にとって、歓迎できない状況だった。宇宙開発の黎明時代とは異なり、低軌道空間の商業利用が活発になった旧暦二〇世紀最末期から二一世紀前半頃には、宇宙への輸送をいかに低コストで行うかが問われていたからだ。
 ならば大気内では酸素を持ち込む必要のないジェットエンジンを使えばいいとなるが、これにも問題があった。当然ながら、ジェットエンジンは真空の宇宙空間では使えないのである。それ以前に、ターボジェットエンジンでは、衛星軌道に到達するために必要な速度を稼ぎ出せなかったのだ。
 一般的なターボジェットエンジンは、エンジン前部のコンプレッサーを回して空気を減速・圧縮し、そこに燃料を加えて燃焼させることで推力を得ている。しかし、音速の二倍を越えたあたりからは、無理にコンプレッサーを用いた圧縮をしなくても、エンジンに流れ込む気流を空気取り入れ口で亜音速程度にまで減速・圧縮させるだけで、燃焼に充分な圧力にすることが出来るようになる。これをラム圧縮という。こうしたコンプレッサーを用いないエンジンをラムジェットエンジンという。
 それでは、さらに速度が上がるとどうなるか。音速の六倍を越えたあたりから、エンジン内のあまりの高熱のために、燃焼のために流し込む燃料が熱分解を起こし、燃焼どころか逆に吸熱反応──つまり冷却させてしまう。これでは意味がない。
 熱が生じる原因は、高速のままでエンジンに流れ込む空気が、一気に亜音速にまで減速・圧縮されるためである。それならば減速速度を調整し、超音速を割らない程度でエンジンを通してやればいい。これを超音速燃焼ラムジェット、スクラムジェットと呼ぶ。スクラムジェットで最大マッハ二〇あたりまで到達した。
 もちろん、これだけの速度を低高度で出すことは不可能である。大気のほとんどない、空と宇宙との狭間での数字だ。あとはロケットで最後の加速をしてやれば、衛星軌道に上がるのに必要なマッハ二六に達することが可能である。その速度にふさわしいだけの耐熱装備を施していればの話だが。
 宇宙往還機ならともかく、通常の戦闘機にそのような高価で重い装備は必要なかった。高々度戦闘機として開発されたTINコッドにしても、特に超々高々度戦闘や対衛星迎撃任務を考慮されたL型を除いて、三モードに対応する複合型エンジンは搭載されていない。
 はっきり言えば、L型は実験機的な性格が強い機体だった。高度三万メートル以上ないと使えないようなスクラムジェットなど、普通の任務では必要ない。対衛星迎撃任務にしても、高度二万メートルからミサイルを打ち上げればいいというのであれば、せいぜい音速の三〜四倍の速度が出せたらよい。それなら同じ複合型エンジンでも二モード、つまりラムジェット能力を備えたもので充分である。多少性能に問題はあるが、ターボジェットでも出せない速度ではない。実際、対衛星攻撃用のTINコッドは、ほとんどが二モードエンジンを搭載したD型やその改良機のG型だった。
 しかし、ミノフスキー粒子の戦術使用の可能性が現実のものになって以来、従来型の対衛星ミサイルの有効性に疑問が生じるようになった。L型はこうした問題に対応すべく開発された。つまり、「有視界距離」でミサイルを発射するプラットホームとして開発されたのである。
 よって、耐熱問題にしても、往還機ほどの考慮はなされていない。必要以上の装備は戦闘能力を制限してしまうからだ。L型の場合、通常の耐熱装甲の能力に加え、出撃前に耐熱塗料を分厚く塗り込めた分を勘定に入れても、せいぜいマッハ一〇を、それもごく短時間発揮できれば御の字だろうと言われていた。
 ジョアンヌにすれば、それで充分だった。ジオンの降下ポッドを追いつめる最後の瞬間にその速度を出せたら、あとは同じ速度でゆっくりと降下しながら攻撃を続ければいい。
 熱問題でこちらが先に減速しなければならないとしても、その前に一瞬であっても小さな相対速度を作ることができれば、攻撃に失敗する可能性はきわめて低くなる。
 そうした実際的な利点以上の楽しみもあった。なんといっても、これまでごくわずかなテストパイロット以外に、ここまでの速度を許された者はほとんどいなかったのだ。軌道と地上とを結ぶ往還機ならともかく、普通の飛行機乗りにとって、まさに雲の上の世界である。
「ジョーン、オデッサの方でも始まったらしいぞ」
 ユンが最新のニュースを教えてくれた。戦争をしているという緊迫感に今ひとつ乏しいが、気にする者もいない。ジョアンヌ自身そういう部分を持ち合わせていたし、この空ではユンが支配者なのだ。
 ジョアンヌはそれに応えなかった。ジオンのHRSLに手が届くまで、もう間もなくだった。すでに機体のセンサーも捉えている。
 ヘッドアップディスプレイの片隅には、機体が熱に耐えられなくなるまでの残り時間が示されていた。あと十二秒。
 HRSLを射程に納めるまで、あと八秒。
 この高速では、使用に耐えうる攻撃手段は極めて限定される。
 尋常普通のミサイルは、主翼や胴体下部などに設けられたパイロンに装備されるのだが、ミノフスキー粒子の影響を考えなくても、速度そのものに耐えられない。機体内部のウェポンベイにミサイルを格納し、発射時に取り出す方式を採用したとしても、機体からミサイルを切り離す際、そして機体から離れて目標に到達するまでに、結局同じ問題に直面せざるを得なくなる。
 高速がもたらす影響は、機関銃にしても同様である。銃口に生じる猛烈な空気圧と熱のため、下手をすると射撃と同時に、銃身と銃弾とが爆発しかねない。コンクリートを詰めた銃身を用いて発砲するようなものだからだ。
 ジョアンヌのTINコッドL型の場合、機体もミサイルも同じスクラムジェットで飛行できるように設計されている。機体をマッハ八まで加速し、ミサイルを切り離した後は機体から照射されるレーザーによってミサイルを誘導し、目標に命中させる、いわゆるセミアクティブレーザーホーミングと呼ばれる誘導方法を採用していた。技術的には面白みのないものである。機体から誘導しなくてはならないので、ミサイルが自己誘導によって目標に向かう撃ちっ放しが出来ず、機体の危険性や攻撃の有効性が著しく低下するのだ。
 しかしレーダーの使えないミノフスキー環境下で、最大マッハ一二にまで加速し、目標を狙うとなると、レーザーや赤外線による照準も信頼性を欠くことになってしまう。ミサイルの周囲に存在する空気が、摩擦で高熱を発するためだ。レーザー、つまり光学系センサーは耐熱装甲を通して外界を見る能力を持たないし、熱量を検知する赤外線センサーは、自己の発する熱に妨害されてしまう。
 もっとも、光学系や赤外線のセンサーがまったく使えないというわけではない。それなりの装備を付け加えたりして性能を上げてやれば、使用に耐え得るものにすることも出来る。
 そうしないのは単純にコストの問題だった。使い捨てのミサイルにそこまで高価な防護装置を付ける必要はない。それぐらいなら比較的速度が遅く、使い捨てでもないTINコッドに充分な装備を与えてやった方が効率がいい。
 ジョアンヌは無心にその時を待った。僅か数秒。
 自分でも気付かないうちに時は流れ、射撃を命じるビープ音が耳朶を打った。
「フォックス1」
 呟くようにミサイルの発射を宣言する。半ば以上無意識のうちにトリガーボタンを押し込む。
 軽い振動が走り、TINコッドから無事に重荷が切り離されたことが分かった。
「フォックス1」ジョアンヌの攻撃開始を受けて、同じくミサイルをリリースした列機のラディル少尉の声が聞こえてきた。彼はジョアンヌが狙っている目標とは違うHRSLを攻撃することになっており、少し離れた位置を飛行している。
 その声に合わせるように、ジョアンヌはTINコッドのスロットルを少し緩めた。これ以上の高速飛行は、機体が熱に耐えられない。それに、多少速度を落としてHRSLとTINコッドとの間に角度を付けてやらないと、ミサイルに誘導レーザーを送れない。とはいっても、それほど長い時間は必要ないはずだった。
「弾着、今」スカーヴィズから報告が届いた。
 ヘッドアップディスプレイに、表示されていたHRSLを示すマーカーが消滅する。ただし、これが本当にHRSLなのか、それともデコイなのかはTINコッドのセンサーでは判別できない。
「命中だ。二次爆発を確認した」ユンが告げた。搭載されていた兵器か機関かが、誘爆したのだ。つまり、彼女のミサイルは、間違いなくHRSLに命中したわけである。ラディルのミサイルも命中したが、こちらはデコイだったらしい。デコイの中に紛れたHRSLに命中させられる確率は、おおよそ三割程度と考えられていたので、二発のミサイルでHRSLを引き当てたのは幸運だと言える。
「了解。帰投する」
 彼女は酷使された機体をいたわるような丁寧な機動で、TINコッドの高度を下げ始めた。
 次は高度をさらに落として、高度二万メートルあたりで、近接攻撃を行うことになっていた。それは彼女たちではなく、他の部隊の仕事になる。
「了解。ご苦労だった。あとで一杯おごってやろう」
「次に降りてこれるの、いつなんですか」ジョアンヌは苦笑して言った。東アジアの空を守るスカーヴィズは、一度上がると空中給油を受けながら、数日は着地せずに作戦行動を取ることが出来る。疲労や機体の整備のことを考えると、あまり長期間飛行し続けるのは望ましくなかったのだが、交代のスカーヴィズが事前の計画通りに手配されるとは思えなかった。
 どの戦線でもスカーヴィズの支援が要求されるだろうし、敵が黙ったままでいるとも思えなかった。撃墜されるには至らなくても、任務の妨害程度なら充分に考えられるだろう。それだけでもスカーヴィズの運用効率は低下し、つまりは他のスカーヴィズにしわ寄せが回ってくる。
 この時点でそこまで考えるのは、心配のしすぎかも知れないな、ジョアンヌはそう思ったが、彼女の考えはまさに的中することになる。
 ユンが地上に降りてきたのは一週間後、それもパラシュートを背負ってだった。撃墜されたからではなく、押され続けていた連邦軍を支援するために休みなく飛行し続けていたスカーヴィズのエンジンが、高度一万メートルで音を上げたためである。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一八時一五分 ジャブロー連邦軍本部基地 統合幕僚会議議長執務室

「バイコヌールに対する攻撃が始まった」
 ディスプレイの向こうから、防衛戦闘主任調整官のカーン大将が告げてきた。
 ミノフスキー粒子のおかげでリアルタイムとはいかないにせよ、統合司令室が連邦軍の情報中枢であることには違いない。なんらかの動きがあれば、たいていはここから伝えられてきた。
 もっとも今のところ、そのことには象徴的なもの以上の意味はない。防衛戦のプロットはほとんど確定していたので、各級の指揮官がそれぞれの権限の範囲内で対処しているはずだった。
「そうか、始まったか」
 部屋の主、連邦軍統合幕僚会議議長のゴップ大将は、カーンに頷いてみせた。つい先刻、中国の北京や太原といった東北アジアの重要拠点の周辺でも、破壊工作が始まったという報告が入ってきている。オデッサ方面で公国軍の攻撃が始められたこと自体は、驚くようなことではなかった。
 意外だったのは、公国軍が少数とはいえMSを投入していたことだった。まだ降下ポッドは地上に到達していない。つまり公国軍は、事前にMSを地球に降ろしていたことになる。
 もっとも、考えてみればそれほど無理な話ではない。シドニーにコロニーが突き立って以来、混乱した地上軍の監視能力は極端に低下していた。無論、壊滅した宇宙軍の監視能力については何の期待も抱けない。地球に対して日々降り注いでいる隕石に紛れ込んで、分解したMSを運び込むのは、困難であっても不可能事ではないだろう。
「撤退にはあと六時間ほど必要です」
 先ほどまで開かれていた会議の報告に来ていたワイアット中将が、壁面に設けられたスクリーンからゴップに視線を移して言った。スクリーンには、ユーラシア大陸に展開している戦力が表示されていた。
「ヨーロッパ方面軍は、うまくやっているようだな」ゴップはカーンとの通話を終えると、スクリーンに視線を戻した。
 スクリーン上の連邦軍は、潰走するかのような勢いでロシア西部からポーランドにかけての地域に集中しつつあった。つまり、それより東側の地域は放棄されたということである。
 後に連邦軍の弱兵ぶりを決定づけたと評される「大転進」は、実のところ公国軍との接敵以前から始まっていたのである。
「全てが、というわけにも行きませんが」ワイアットはスクリーンの一部を拡大した。
「何か問題でも?」
「バイコヌールに張り付けた部隊は、間に合いませんな」
 戦力の再配置が進む中で、バイコヌールとその周辺の部隊は、ほとんど動きらしいものを見せていなかった。もちろん、彼らが怠慢だからというわけではない。
 バイコヌールは、連邦軍にとって少なからぬ価値を持った基地だった。宇宙港としてのインフラが充分に整備されており、地上と宇宙とを結ぶ大きな「門」だった。オデッサを中心とするウクライナの資源地帯にほど近い点まで考慮すれば、公国軍の第一撃を受けることは誰の目にも明らかだった。
 当然、連邦軍の防備もそれなりに整えられている。バイコヌールを取り巻く要塞化された警戒基地には、合計すると一個師団を越える規模の守備隊が籠もっている。
 オデッサを攻略する前に、まずバイコヌールを攻略しなければならなかった。巨大な空軍基地でもあるバイコヌールを野放しにしていては、仮にオデッサを攻略したとしても、地上と宇宙とを連絡できないからだ。
 つまり、それだけ時間を稼ぐことが出来る。バイコヌールを力攻めで一気に攻略する姿勢であれば、守備隊はゆるゆるとモスクワ方面へと撤収させる。損害を嫌って確実に包囲を狙うのであれば、さらなる時間を望みうる。必要であれば、守備隊に固守命令を発して稼げるだけの時間を稼ぎ出させて、その上で降伏させてもいい。
 非情なようだが、その代償として連邦軍は、ほぼ理想的な戦力配置でオデッサ陥落後の防衛戦に臨むことが出来る。この先の長い戦いを考えれば、悪い取引ではなかった。
 無論、ワイアットもその程度の事は分かっている。それでも、出来うることなら撤収に成功して欲しかった。お世辞にも高いとは言えない地上軍の士気が、バイコヌール守備隊降伏の知らせと同時に、さらに低下するだろうと考えていたからだ。
「やむをえんな」ゴップは素っ気なく言った。
「何もかもを求めるわけには行かない。そう言ったのは、君だろう」
「はい」ワイアットも、それ以上こだわらなかった。
 優れた作戦とは、最も少ない被害で、最も大きい戦果をもたらすものであって、決して損害が皆無でなければならないというものではない。バイコヌール守備隊の壊滅──運が良ければ降伏──は、彼らにとって既定の事実だった。悲劇ではあるが、敗北を避けるためであれば許容されるべき悲劇だった。この現実に耐えられないようでは、将軍にはなれない。
 同じことはこの先、幾度となく繰り返されるだろう。連邦が敗北の淵から逃れるために。連邦が生き残るのに必要な時間を稼ぎ出すために。



あとがき

分厚い壁でございました。
更新履歴を見てみると、第一回のあとがきで予告したのは、なんと旧世紀のことであったのですよ。
それから二年、作中では七時間ほどしか進んでおりません。
いったい作者は何をしていたのかと問いたい。
はい、遊んでました(即答)
それに加えて本業も忙しくなり……言い訳タイム時間切れにて終了。

このあたりから少しずつ、オフィシャルな設定からずれつつあるはずです。あまり気にせずにやっているので、どの程度ずれているのかは分かりませんが。
いや、少なくともTINコッドは、ほとんど別物になっているはずです。今回、作者の無能と怠け心の次ぐらいに、執筆を邪魔した存在でしょう。
まあ、なんとかジオンの皆さんも地上のくさい空気を吸い始めているようなので、ちょっとは話も進みます。進むはずです。進んでくれるといいなぁ。

個人的には、そろそろ「隠し砦の三悪人」の最後の一人に出てきて欲しいです。
でわでわ



つづく

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